Husk, William Henry (1883). “Pring, Jacob Cubitt”. In Grove, George (ed.). A dictionary of music and musicians (A. D. 1450-1880)3. London: Macmillan and Co. page 32 (Wikisource).
モスクワ音楽院 (1891-1903)、教会聖歌シノド学校 (Синодальное училище церковного пения. 1893-1894, 1898)、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団附属音楽演劇学校 (Музыкально-драматическое училище Московского филармонического общества, 1906-1919) などでピアノ・音楽理論・作曲などを教えました。アルメニアやジョージア (グルジア) などカフカースの民謡を録音・研究し、それら民謡の編曲の出版や、民謡の旋律を取り入れた自作の発表をしました。1919年からウクライナのハルキウ音楽院の教授となり、翌1920年には同音楽院の院長に就任しました。1921年1月6日にハルキウ (ハリコフ) で亡くなりました。
Ludwig van Beethoven (Germany, 1770 - 1827) / Leopold Godowsky (Lithuania/USA, 1870 - 1938) - Violin Sonata No. 9 in A major, Op. 47; I. Adagio sostenuto - Presto (Educational Adaptations for the Pianoforte. Chamber Music Series. L. van Beethoven: Kreutzer Sonata, Op. 47. Adapted and edited by Leopold Godowsky. St. Louis: Art Publication Society, 1915)
1885年9月から1886年3月までブルノ国民劇場 (Národní divadlo Brno) で、1886年9月から1887年7月までプルゼニ市立劇場 (Městské divadlo v Plzni) で指揮者を務め、1895年にプラハで開催されたチェコスラヴ民俗学博覧会 (Národopisná výstava českoslovanská v Praze) における管弦楽演奏会の指揮者に任命されました。1896年から1898年まで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の最初期の指揮者の一人となり、1900年から1920年までまでプラハ国民劇場の歌劇監督を務めました。1901年にチェコ科学芸術アカデミー (Česká akademie věd a umění) の準会員に、1906年に同アカデミー正会員に選出され、1918年から1920年まで芸術協会音楽部門議長を務めました。1910年にはフランス共和国公共教育省より教育功労章オフィシエ・ダカデミー (officier d'académie) を授与されました。1920年12月6日にプラハで亡くなりました。
Macek, Petr; Kalina, Petr; Steinmetz, Karel; Zahrádková, Šárka, eds. (2016-04-12). “Kovařovic, Karel”. Český hudební slovník osob a institucí. Centrum hudební lexikografie, Ústav hudební vědy Filozofické fakulty Masarykovy univerzity.
シャルル=アントワーヌ・カンピオンはロレーヌ公国 (ロートリンゲン公国) のリュネヴィル (Lunéville) に生まれました。父がロレーヌ公国の宮廷に仕えていたため、のちに神聖ローマ帝国皇帝フランツ1世となるロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌ (Franz I. Stephan von Lothringen, 1708 - 1765) が1737年にトスカーナ大公国を継承したことに伴って一家でトスカーナに移ったと考えられています。遅くとも1752年からリヴォルノ大聖堂 (Duomo di Livorno) の楽長、1763年から亡くなるまでフィレンツェでサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 (Cattedrale di Santa Maria del Fiore) とサン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) での業務を含む大公の宮廷楽長を務めました。
今日はドイツ出身の米国の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、エルンスト・ペーラボ (アーネスト・ペラボウ) 没後100年の命日です。今回はペーラボ作曲「授業は終わり! (放課後)、6つのピアノ小品 Op. 7」の第6曲「ピクニック」より第2楽章「回転木馬 (カルーセル)」を弾きました。この曲集は「下校 Austritt aus der Schule ; Leaving School 」、「兵隊ごっこ Soldatenspielen ; Playing Soldier 」、「小鳥の葬式 Vögleins Begräbniss ; Bird's Funeral 」、「馬跳び Bockspringen ; Leap-Frog 」、「舟漕ぎ Rudern ; Rowing 」、「ピクニック Ein Pic-Nic ; A Picnic 」の6曲からなり、このうち「ピクニック」は「木立への到着 Ankunft im Gehölz ; Meeting in the grove 」、「回転木馬 Das Caroussel ; The caroussel 」、「湖上にて Auf dem See ; On the lake 」、「小さな喧嘩 Kleiner Streit ; Little quarrel 」、「出発 (帰宅) Der Aufbruch ; Going home 」の5楽章からなります。
Herndon, Richard; Bacon, Edwin Monroe, eds (1896). “Perabo, Johann Ernst”. Men of progress : one thousand biographical sketches and portraits of leaders in business and professional life in the Commonwealth of Massachusetts. Boston: New England Magazine. pages 906-908.
Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Perabo, (Johann) Ernst”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 693.
1895年にリオデジャネイロに戻ると、リオデジャネイロ音楽院 (Conservatório de Música do Rio de Janeiro) のオルガン教師となり、1902年には同音楽院院長 (1902-1903, 1906-1916) に就任しました。先天性四肢障害で右腕を欠損している娘シグリッド (Sigrid Nepomuceno) のために、「5つの小品」(1906) と「2つの夜想曲」(1907) などの左手のためのピアノ曲を作曲しています。1910年にブリュッセル万国博覧会で指揮をするために再び渡欧し、パリとジュネーヴでは自作や他のブラジルの作曲家の作品を演奏しました。1920年10月16日にリオデジャネイロで亡くなりました。
Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 746.
Levysohn, Salomon Frederik (1924). “Rée, Anton”. In Blangstrup, Christian (ed.). Salmonsens konversationsleksikon19 (2nd edition). København: J. H. Schultz Forlagsboghandel. page 1001.
編纂者クックは実際にはジェイムズ・フランシス・クック (James Francis Cooke, 1875 - 1960) である。『ピアニスト藝談集』の原題は Great Pianists on Piano Playing : Study Talks with Foremost Virtuosos であり、 Theodore Presser Company から初版 (全21章) が1913年に、増補された第2版 (全30章) が1917年に出版されている。初版の原文はプロジェクト・グーテンベルクで公開されている。以下に原田『大ピアニストは語る』(2020) の章と対応する原著を記す。クック編纂『ピアニスト藝談集』からの翻訳は、『大ピアニストは語る』全20章のうち12章 (初版全21章のうち9章、第2版で増補された9章のうち3章) である。
追記: クック編纂『ピアニスト藝談集』第2版の増補分、フィンク Finck (1909)『音楽での成功 Success in Music 』、カサドゥジュ Casadesus, Robert (1941)「音楽学習における技術の位置 The Place of Technic in Music Study 」『エチュード The Etude 』第59巻第5号、ルービンスタイン Rubinstein, Artur (1941)「上級ピアニストに与う Problems of the Advanced Piano Student 」『エチュード The Etude 』第59巻第6号、シュナーベル Schnabel, Artur (1941)「ピアニストに必要な特性 The Qualities a Pianist Must Possess 」『エチュード The Etude 』第59巻第8号。未詳とした以上の原著について加筆した (2020-09-18)。
アルフレッド・コルトー 1877-1962. インタープリテーションについて. (Cortot, Alfred (1934). Cours d'interprétation. 原田 2020, p. 119「コルトーの『インタープリテーション講義』中のコルトーの言葉を加えることにした。……ここに加えたコルトーの言葉も、英訳によった」)