2020-12-16

250th Birth Anniversary of Ludwig van Beethoven

Ludwig van Beethoven (Germany, 1770 - 1827) / Leopold Godowsky (Lithuania/USA, 1870 - 1938) - Violin Sonata No. 9 in A major, Op. 47; I. Adagio sostenuto - Presto (Educational Adaptations for the Pianoforte. Chamber Music Series. L. van Beethoven: Kreutzer Sonata, Op. 47. Adapted and edited by Leopold Godowsky. St. Louis: Art Publication Society, 1915)

今年はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン生誕250年の記念年です。今回はベートーヴェン作曲「ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調 Op. 47」(ロドルフ・クロイツェル (Rodolphe Kreutzer, 1766 - 1831) に献呈) の、レオポルト・ゴドフスキによるピアノのための教育的編曲より第1楽章を弾きました。ボンのレミギウス教会 (St. Remigius in Bonn) の洗礼記録ではベートーヴェンの受洗日を1770年12月17日としていて、当時のカトリックのラインラントでの洗礼の慣習よりその前日の12月16日が誕生日である可能性が高いようです。会話帳にある甥カール・ヴァン・ベートーヴェン (Karl van Beethoven, 1806 - 1858) の記述 (1823-12-15) より、ベートーヴェン自身は誕生日を12月15日と認識していたと考えられています。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ケルン選帝侯宮廷テノール歌手ヨハン・ヴァン・ベートーヴェン (Johan van Beethoven, ca.1740 - 1792) の子としてケルン選帝侯領 (Kurköln) の首都ボンに生まれました。父方の祖父は南ネーデルラントメヘレン (あるいはアントヴェルペン) 出身で1746年より選帝侯宮廷楽長を務めたローデヴェイク・ファン・ベートホーヴェン (Lodewijk (Ludwig) van Beethoven, 1712 - 1773) です。父に音楽の手ほどきを受けたのち、1780年頃までにジル・ファン・デン・エーデン (Gilles Van den Eeden, ca.1708 - 1782) とフランシスコ会教会オルガン奏者修道士ヴィリバルト・コッホ (Willibald Koch) とボンのミュンスター教会 (Bonner Münster) オルガン奏者ツェンザー/ツェンゼン (Zenser/Zensen) にオルガンを、トビアス・フリードリヒ・プファイファー (Tobias Friedrich Pfeiffer, 1751? - 1805?) にピアノを、フランツ・ゲオルク・ロヴァンティーニ (Franz Georg Rovantini, 1757 - 1781) にヴァイオリンとヴィオラを師事しました。1781年2月に宮廷オルガン奏者に就任したクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ (Christian Gottlob Neefe, 1748 - 1798) にピアノ、オルガン、通奏低音、作曲を、1784年5月から1787年4月まで宮廷ヴァイオリン奏者フランツ・アントン・リース (Franz Anton Ries, 1755 - 1846) にヴァイオリンを師事しました。1782年6月には師の一人ファン・デン・エーデンの埋葬式でネーフェの代わりにオルガンを演奏し、おそらく同年に最初の楽譜「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲 WoO 63」を出版します。ヨゼフ・レイハ (Joseph Reicha, 1752 - 1795. 1785年に宮廷楽団楽師長としてボンに着任) の甥で養子のアントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) と友人となり、1789年にはともにボン大学聴講生となります。

1792年7月にヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809) がボンを訪れたことを機に、同年11月にハイドンに作曲を学ぶためにヴィーンに移りました。その後、1794年1月までハイドンに師事したほか、ヨハン・バプティスト・シェンク (Johann Baptist Schenk, 1753 - 1836) に対位法の指導を受けました。1794年から1795年までシュテファン大聖堂 (Stephansdom) 楽長ヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガー (Johann Georg Albrechtsberger, 1736 - 1809)に対位法を、 同じ頃にイグナーツ・シュパンツィク (Ignaz Schuppanzigh, 1776 - 1830) にヴァイオリンを師事しました。1801年から1802年初までアントーニオ・サリエ-リ (Antonio Salieri, 1750 - 1825) にイタリア語付曲の指導を受けました。

1794年に選帝侯からの俸給が止められますが、複数の貴族からの年金支給などの後援もあり、作曲家として大成します。

ピアノ、音楽理論、作曲の教え子にルドルフ大公 (Rudolph Johann Joseph Rainer, Erzherzog von Österreich, 1788 - 1831)、音楽家として著名なピアノの教え子にフェルディナント・リース (Ferdinand Ries, 1784 - 1838)、カール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) がいます。

出典:


0 件のコメント:

コメントを投稿