2019-12-27

100th Death Anniversary of Akhilles Alferaki

Akhilles Alferaki (Ukraine/Russia, 1846 - 1919) - 3 Morceaux pour piano, Op. 27 (Dedicated to Felix Blumenfeld, 1863 - 1931); No. 2. Mazurka. Allegretto (G minor)

今日はウクライナ出身のロシアの作曲家・政治家、アヒレス・アルフェラキ没後100年の命日です。今回はアルフェラキ作曲「ピアノのための3つの小品 Op. 27」(フェリクス・ブルメンフェリトに献呈) より第2曲「マズルカ ト短調」を弾きました。

露土戦争 (1768 - 1774) の恩賞により地主となったギリシャ人将校の父ディミトリオスから土地を相続したニコライ・アルフェラキ (Nikolay Alferaki; ニコラオス・アルフェラキス, Νικόλαος Αλφεράκης, 1815 - 1860) は、裕福な商人となりました。ニコライの子としてハルキウに生まれたアヒレス・アルフェラキ (アキレアス・アルフェラキス, Αχιλλέας Αλφεράκης) は、1848年に家族とともにアゾフ海沿岸の都市タガンローク (タガンログ) に移ります。アンドレイ・シタケンシネイデル (Andrey Stackenschneider, 1802 - 1865) の設計によるタガンロークの邸宅は1927年以降に博物館となり、アルフェラキ宮殿 (Дворец Н. Д. Алфераки ; Alferaki Palace) と呼ばれています。アヒレスの弟のセルゲイ・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1850 - 1918) は鱗翅類学・昆虫学・鳥類学を専門とする動物学者に、もう一人の弟のミハイル・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1852 - 1915) はロシア帝国政府の検閲官になっています。

アヒレス・アルフェラキはモスクワ大学歴史・文献学部で学んだのちに家業のためにタガンロークに戻り、1880年にはタガンローク市長に選出されます。1888年に市長を辞するとペテルブルクに移り、1891年にロシア帝国内務省大臣室長 (правитель канцелярии министра внутренних дел) を務めます。

出典:

2019-12-26

150th Death Anniversary of Adolfo Zabala

Adolfo Zabala y Arambarri (Basque, Spain, 1841 - 1869) - Una lágrima. Danza habanera. Allegretto (C major)

スペイン・バスクの作曲家・ピアノ奏者、アドルフォ・サバラ没後150年ということで、サバラ作曲「一滴の涙、ハバネラ舞曲 ハ長調」を弾きました。サバラについて詳しいことは分からなかったのですが、スペイン国立図書館のページによると現在のバスク州の州都であるビルバオで生まれ亡くなっています。

出典: Zabala, Adolfo (1841-1869) | datos.bne.es (Biblioteca Nacional de España)

2019-12-25

50th Death Anniversary of Hilda Dederich

Hilda Dederich (England, 1901 - 1969) - The Old Fair for Pianoforte; No. 2. Lost. Sadly (G minor)

ロンドン生まれのイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ヒルダ・ディードリヒ没後50年ということで、ディードリヒ作曲、ピアノのための「昔ながらのフェア」(全4曲) より第2曲 ト短調「道迷い」を弾きました。曲集にはほかに「操り人形 ハ長調 Marionettes 」「スイングボート ト長調 Swing Boats」「回り道 変ホ長調 The Roundabout 」が含まれています。

2019-12-22

150th Death Anniversary of Wilhelm Claussen

Wilhelm Claussen (Germany, 1844 - 1869) - 8 Charakterstücke für das Pianoforte, Op. 1 (Schwerin: Anton Trutschel, 1870); No. 6. Dahin! Sehr langsam und mit höchstem Ausdruck (B flat minor)

今日はドイツの作曲家ヴィルヘルム・クラウセン没後150年の命日です。今回はクラウセン作曲「ピアノのための8つの性格的小品 Op. 1」より第6曲 変ロ短調「そこへ!」を弾きました。

ヴィルヘルム・クラウセンは宮廷俳優・劇場書記の子としてメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の首都シュヴェリーンに生まれました。12歳でピアノ三重奏曲を作曲し、1861年からシュテルン音楽院ハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894) に師事しました。1864年から音楽院の教師となり、1866年には演奏会用序曲「オテロ Othello 」、カンタータ「エフタの娘 Jephtas Tochter 」、二重フーガ「深き淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir 」でマイアベーア賞 (Meyerbeer-Preis) を受賞しました。そのほかの作品に序曲「ハムレット Hamlet 」、序曲「ロメオ Romeo 」、交響曲 ハ長調、「エウリピデスサテュロス劇キュクロープス』のための音楽 Musik zum Satyrspiel „Der Cyklop“ von Euripides 」、弦楽四重奏のための夜想曲などがあり、いくつかの作品をベルリンやシュヴェリーンで発表しました。1869年に生地のシュヴェリーンで25歳の若さで亡くなりました。生前に四重唱曲「春が山の上に昇るとき Wenn der Frühling auf die Berge steigt, Op. 4 No. 1」が出版されていますが、そのほかのピアノ曲 (性格的小品集 Op. 1) と歌曲 (独唱曲集 Opp. 2, 3; 四重唱曲集 Op. 4 Nos. 2-4) は死後に出版されています。

出典:

  • Grewolls, Grete (2011). “Claussen, Wilhelm”. Wer war wer in Mecklenburg und Vorpommern: Das Personenlexikon. Rostock: Hinstorff Verlag.
  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 163.
  • Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister.

200th Birth Anniversary of Franz Abt

Franz Wilhelm Abt (Germany, 1819 - 1885) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La fanciulla modesta (da un «Lied») (Biblioteca d'oro. Volume 3, No. 63. page 89)

今日はドイツの作曲家・指揮者、フランツ・アプト生誕200年の誕生日です。今回はアプト作曲の「慎ましい少女」(あるリートより) とされる楽曲のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第63曲として収録されています。原曲の題や作品番号を特定しようとしましたが、今のところ分かりません。

プロイセン王国ザクセン州アイレンブルク (Eilenburg) の説教家フランツ・ゴトハルト・アプト (Franz Gotthardt Abt, 1752 - 1838) の子として生まれたフランツ・ヴィルヘルム・アプトは、神学を学ぶためにザクセン王国ライプツィヒのトーマス学校 (Thomasschule zu Leipzig) に通っていましたが、父の死後は音楽の学習に専念するようになります。1841年にアンハルト=ベルンブルク侯国の首都ベルンブルク (Bernburg) で宮廷劇場の音楽監督を務め、同年にチューリヒの一般音楽協会 (Allgemeine Musik-Gesellschaft Zürich) 定期公演指揮者と株式劇場 (Aktientheater) の合唱指揮者となりました。1852年にはブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクで第2宮廷楽長となり、1855年に第1宮廷楽長となりました。1882年に引退するとヴィースバーデンで余生を送りました。

出典:

  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Abt, Franz”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 3.
  • Benedict, Carl (1953). “Abt, Franz”. Neue Deutsche Biographie. 1. Berlin: Duncker & Humblot. pages 25-26.

2019-12-08

50th Death Anniversary of Vincenzo Davico

Vincenzo Davico (Monaco/Italy, 1889 - 1969) - 6 Notturni pour piano; No. 2. Grave (D flat minor. A Luisa B...).

今日はモナコ出身のイタリアの作曲家・指揮者・批評家、ヴィンチェンツォ・ダヴィコ没後50年の命日です。今回はダヴィコ作曲「ピアノのための6つの夜想曲」より第2番 変ニ短調 を弾きました。調号で変ニ長調を表す5つのフラットが示されてはいますが、臨時記号が多用されていて、曲名の中で "Ré♭ mineur"(変ニ短調) と書かれています。この夜想曲集は各曲に異なる献辞と題辞がありますが、第2番は第5番 嬰ハ短調 と同じ “Luisa B...” に献呈されていて、シャルル・ゲラン (Charles Guérin, 1873 - 1907) 作の詩集「灰の種蒔き人 Le Semeur de cendres 」より第1編「闇の夜、悲劇的な夜、おお、絶望的な夜 Nuit d’ombre, nuit tragique, ô nuit désespérée 」の初行が題辞となっています。

モナコに生まれたヴィンチェンツォ・ダヴィコは、トリノでジョヴァンニ・クラヴェーロ (Giovanni Cravero) に、ライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学) でマックス・レーガー (Max Reger, 1873 - 1916) に師事し、1911年に同音楽院で学位を取得しました。ローマで指揮者として活動を開始し、1918年から1940年までパリを拠点としたのち、ローマに戻りました。

出典: