2021-12-25

100th Death Anniversary of Hans Huber

Hans Huber (Switzerland, 1852 - 1921) - Gedenkblätter. Poesien für Klavier, Op. 26 (Alice Roman gewidmet. Leipzig: Fr. Kistner, 1877); No. 3. Wie improvisiert (quasi improvisatione. B major).

今日はスイスの作曲家・ピアノ奏者・音楽教育者、ハンス・フーバー没後100年の命日です。今回はフーバー作曲「記念帖、ピアノのための詩曲集 Op. 26」より第3曲「即興風に ロ長調」を弾きました。

1852年6月28日にゾロトゥルン州エペンベルク=ヴェシュナウ (Eppenberg-Wöschnau) で生まれたハンス・フーバーは、10歳になるとゾロトゥルン聖ウルス大聖堂 (St. Ursenkathedrale) の聖歌隊員となり、同教会にある Choraulen- und Partisteninstitut で学びました。この頃にカール・ムンツィンガー (Karl Munzinger, 1842 - 1911) に音楽の手ほどきを受け、合唱団コンサートのピアノ伴奏や、礼拝でのオルガン演奏を引き受けました。ムンツィンガーの助言に従いライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik) に入学し、同音楽院でエルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879)、カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910)、エルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル (Ernst Ferdinand Wenzel, 1808 - 1880) に師事し、1870年から1874年までピアノと作曲を学びました。

エルザス (アルザス、1871年から1919年までドイツ帝国領) のヒュセレン=ヴェセルリング (ユスラン=ヴェセルラン Hüsseren-Wesserling) で音楽家庭教師や教会オルガン奏者として2年間活動したのち、エルザスのタン (Thann) の音楽学校での教師を経て、1877年にスイスのバーゼルに移りました。1880年に歌手のイーダ・ペツォルト (Ida Petzold, 1857 - 1925) と結婚。イーダの父は声楽教師・オルガン奏者・ピアノ奏者・作曲家のカール・オイゲン・ペツォルト (Karl Eugen Petzold, 1813 - 1889) です。フーバーはこの頃には作曲家としても評価され、とりわけ14世紀スイスの伝説上の人物ヴィルヘルム・テル (Wilhelm Tell) を題材とした「テル交響曲 Eine Tell-Symphonie, Op. 63」(1881年出版、義父カール・オイゲン・ペツォルトに献呈) やヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe, 1749 - 1832) の同名の戯曲に基づく合唱曲「パンドーラー Pandora, Op. 66」(1882年出版) はスイス国中で人気を博しました。1889年からバーゼルの総合音楽学校 (Basler Allgemeine Musikschule. 現在のバーゼル市立音楽アカデミー Musik-Akademie der Stadt Basel) でピアノ教師となり、1896年にゼルマー・バゲ (Selmar Bagge, 1823 - 189) の後任として同校の校長となり、1918年まで務めました。1892年にはバーゼル大学 (Universität Basel) から名誉博士の称号を授与されています。また、1899年から1902年までバーゼル合唱団 (Basler Gesangverein) 指揮者を務めました。1905年に総合音楽学校の施設として音楽院 (Konservatorium) を併設しました。1917年に病のため休職し、翌年には全ての公職から退きロカルノ (Locarno)に移りました。1921年12月25日にロカルノで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

  • ヴィルヘルム・マウケ (Wilhelm Mauke, 1867 - 1930)
  • ヘルマン・ズーター (Hermann Suter, 1870 - 1926)
  • カール・フテラー (Carl Futterer, 1873 - 1927)
  • アーネスト・シェリングErnest Schelling, 1876 - 1939)
  • エトヴィン・フィッシャー (Edwin Fischer, 1886 - 1960)
  • フレデリク・チャールズ・ヘイ (Frederick Charles Hay, 1888 - 1945)
  • ルドルフ・モーザー (Rudolf Moser, 1892 - 1960)
  • ヴェルナー・ヴェールリ (Werner Wehrli, 1892 - 1944)
  • ハンス・ミュンヒ (Hans Münch, 1893 - 1983)
  • ヨーゼフ・シェルプ (Josef Schelb, 1894 - 1977)
  • エルンスト・レーヴィ (Ernst Levy, 1895 - 1981)
  • リヒャルト・フルーリー (Richard Flury, 1896 - 1967)
  • リュック・バルマー (Luc Balmer, 1898 - 1996)

    以前に全曲を演奏したフーバー作曲「子供のアルバム、スイス民謡による16のピアノ小品」も併せて紹介します。いずれの曲も全6巻のスイス民謡集「バラ園にて Im Röseligarte 」のうち当時既刊だった5巻までに収録された民謡をもとに作曲されています。第10番「変奏曲 ト長調」の主題 Im Röseligarte IV 65 “a, b, c, d, e, f, g” は、日本では「きらきら星」として知られる旋律です。

    Hans Huber - Jugendalbum. 16 Klavierstücke über schweizerische Volkslieder (Leipzig: Gebrüder Hug & Co., 1919).

    出典:



  • 2021-12-22

    200th Birth Anniversary of Giovanni Bottesini

    Giovanni Bottesini (Italy, 1821 - 1889) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Opera: Ero e Leandro. Tragedia lirica in 3 atti (Libretto by Arrigo Boito). Atto 3: La torre della vergine. Scena 1: "Splendi, splendi! erma facella" (Ero). Larghetto (D flat major).

    今日はイタリアの作曲家・コントラバス奏者・指揮者、ジョヴァンニ・ボッテジーニ生誕200年の誕生日です。今回はボッテジーニ作曲のオペラ、3幕の悲劇「エーロとレアンドロ」(アッリーゴ・ボーイト (Arrigo Boito, 1842 - 1918) による台本) より第3幕第1場のエーロのアリア Splendi, splendi! erma facella の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第9曲 Melodia (dall'opera Ero e Leandro) として収録されています。

    ジョヴァンニ・ボッテジーニは1821年12月22日にオーストリア帝国ロンバルド=ヴェネト王国クレーマ (Crema. 現在のイタリアのロンバルディア州クレモナ県の都市) で生まれました。クラリネット奏者・作曲家である父ピエトロ・ボッテジーニ (Pietro Bottesini, b. 1792) に音楽の手ほどきを受け、父の友人であるカルロ・コリアーニ (Carlo Cogliati, 1756 - 1834) にヴァイオリンを習いました。1835年に父がミラノ音楽院に入学させようとしたところ、奨学金を受けられる専攻にファゴットとコントラバスのみが残っていました。数週間でジョヴァンニは理事を満足させるほどにコントラバス演奏を習得し、同年11月に入学した音楽院でルイージ・ロッシ (Luigi Rossi) にコントラバスを、ガエターノ・ピアンタニーダ (Gaetano Piantanida, 1768 - 1835)、フランチェスコ・バジーリ (Francesco Basili, 1767 - 1850)、ピエトロ・ライ (Pietro Ray, 1773/1775 - 1857)、ニコーラ・ヴァッカイ (Nicola Vaccai, 1790 - 1848) に和声学、対位法、作曲を師事しました。1839年に300フランの賞金を得て音楽院を早期卒業し、その賞金でカルロ・ジュゼッペ・テストーレ (Carlo Giuseppe Testore) 作の3弦コントラバスを購入しました。

    1840年のクレーマ市立劇場でのコンサートデビューは成功し、コントラバス奏者としての名声を得ました。首席奏者となったヴェネツィアのサン・ベネデット劇場 (Teatro San Benedetto) ではジュゼッペ・ヴェルディ (Giuseppe Verdi, 1813 - 1901) と知り合い、生涯の友となりました。1846年にはキューバ総督領ハバナに渡り、タコン劇場 (Teatro de Tacón) 首席奏者を務めたほか、自作の最初のオペラ「クリストフォーロ・コロンボ Cristoforo Colombo 」を指揮しました。その後、ニューオーリンズ、ニューヨーク、ロンドン、メキシコ、パリ、サンクトペテルブルク、パレルモ、バルセロナ、マドリード、ポルトガル、フィレンツェ、カイロなどを訪れ国際的な活躍をしました。その演奏技巧からヴァイオリンの名手ニコロ・パガニーニになぞらえて、「コントラバスのパガニーニ」と呼ばれるようになります。1879年にトリノレージョ劇場 (Teatro Regio di Torino) で「エーロとレアンドロ」を上演。1889年1月にはヴェルディの推薦によりパルマ音楽院の院長に就任しましたが、半年後の同年7月7日にイタリア王国パルマ (Parma) で亡くなりました。

    出典:

    • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 106.
    • Casellato, Cesare (2000) 2016. “Bottesini, Giovanni”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2021-12-21.
    • Slatford, Rodney (2001). “Bottesini, Giovanni”. Grove Music Online. Retrieved 2021-12-21.


    2021-12-16

    100th Death Anniversary of Camille Saint-Saëns

    Charles Camille Saint-Saëns (France, 1835 - 1921) - Morceau de concours (Morceau anonyme No. 2) pour piano. Allegretto (C major/E major. No. 2, page 4 from 6 Morceaux anonymes. Album Musica. No. 28. Paris: Pierre Lafitte, January 1905).

    今日はフランスの作曲家カミーユ・サン=サーンス没後100年の命日です。今回はサン=サーンス作曲「ピアノのためのコンクールの小品」を弾きました。この曲は月刊の楽譜雑誌 Album Musica 第28号の企画で、「匿名の6つの小品 6 Morceaux anonymes 」のそれぞれの作曲者を、与えられた18名の作曲家 (Rodolphe Berger, Alfred Bruneau, Cécile Chaminade, Gustave Charpentier, Claude Debussy, Théodore Dubois, Camille Erlanger, Louis Ganne, Xavier Leroux, Alfred Margis, Jules Massenet, André Messager, Ernest Reyer, Camille Saint-Saëns, Gaston Serpette, Claude Terrasse, Francis Thomé, Paul Wachs) の中から選択するという、ピアノを賞品とした懸賞クイズ (私たちのコンクール Notre concours) の第2問として掲載された楽曲です。解答と正解者 (Madame Maillard, professeur de piano et de solfége の一名のみ) は3ヶ月後の同誌 No. 31 (April 1905) で発表されました。懸賞クイズの要項と結果はページ末に記します。これら6曲のうち、クロード・ドビュッシー作曲の「ピアノのためのコンクールの小品 Morceau de concours pour piano 」についてはいくつかの録音が見つかります。

    カミーユ・サン=サーンスは1835年10月9日にフランス王国の首都パリで生まれました。父ジャック=ジョゼフ=ヴィクトル・サン=サーンス (Jacques-Joseph-Victor Saint-Saëns, 1798 - 1835) は農家の出身で内務省書記官を務める官吏でしたが、カミーユが生後3ヶ月になる少し前に亡くなりました。カミーユは母方の大叔母シャルロット・マソン (Charlotte Masson) に音楽の手ほどきを受けると幼いころから楽才を示し、1839年の春までに作曲を始め、その翌年にはサロンで演奏されるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770 - 1827) のヴァイオリンソナタのピアノ伴奏を務めました。

    1843年3月からカミーユ・スタマティ (Camille Stamaty, 1811 - 1870) にピアノを、同年10月からピエール・マルダン (Pierre Maleden, 1800 - 1871) に和声学と作曲を師事。1846年5月6日、サル・プレイエルでのピアノ奏者としての初の公式演奏会ではモーツァルトの「協奏曲第4番 変ロ長調 [K.450?]」(Concerto No. 4 en si bémol de Mozart)、ヘンデルの「エールと変奏」と「フーガ」(Air varié et Fugue de Haendel)、カルクブレンナーの「トッカータ」(Toccata de Kalkbrenner)、フンメルの「ソナタ」(Sonate de Hummel)、バッハの「前奏曲とフーガ」(Prélude et Fugue de Bach)、ベートーヴェンの「協奏曲第3番 ハ短調」(Concerto No. 3 en ut mineur de Beethoven) を演奏しました。1848年からパリ音楽院フランソワ・ブノワ (François Benoist, 1794 - 1878) にオルガンを師事して、1851年にオルガンの一等賞を取得。同年から同音楽院でフロマンタル・アレヴィ (Fromental Halévy, 1799 - 1862) に作曲と管弦楽法を師事したほか、伴奏法と声楽のレッスンを受けました。

    1853年にサン=メリ教会 (Église Saint-Merri) のオルガン奏者に、1857年にルイ・ジェムス・アルフレッド・ルフェビュル=ヴェリ (Louis James Alfred Lefébure-Wély, 1817 - 1869) の後任としてマドレーヌ教会 (Église de la Madeleine) のオルガン奏者 (1877年まで) に就任。「聖セシル頌歌 Ode à Sainte-Cécile 」(1852年、ボルドーの聖セシル協会主催のコンクールで第1位)、「交響曲 ヘ長調 ウルプス・ローマ Symphonie en fa 'Urbs Roma' 」(1857年、聖セシル協会 Société Sainte-Cécile 主催のコンクールで第1位) のほか、このころには管弦楽曲、室内楽曲、歌曲などを書き、作曲家としても次第に評価されるようになりました。また、哲学、語学、考古学、自然科学といった幅広い分野への興味でも知られています。1858年にジロー社 (Paris: E. Girod) に「6つの二重奏曲 6 Duos pour harmonium et piano, Op. 8」の出版権を売却すると、その代金500フランで望遠鏡を購入しました (Fallon, Harding & Ratner 2001)。

    ルイ・ニデルメイエール (Louis Niedermeyer, 1802 - 1861) の死後に引き継いだエコール・ニデルメイエール (École Niedermeyer) でのピアノ教師を、1861年から1865年まで務めています。同校での教え子には以下の人物がいます (Bonnerot 1914, p. 38)。

    これ以降は教職に就くことはありませんでしたが、イジドール・フィリップ (Isidor Philipp, 1863 - 1958)、エドゥアルド・ガルシア・マンシーリャ (Eduardo García Mansilla, 1871 - 1930)、レオポルト・ゴドフスキ (Leopold Godowsky, 1870 - 1938) らのエコールでの教え子より若い世代に指導や後援を行うこともありました。

    1871年にロマン・ビュシーヌ (Romain Bussine, 1830 - 1899) とともに共同総裁として国民音楽協会 (Société Nationale de Musique) を設立。1881年にフランス学士院会員に選出 (前任者アンリ・ルベル (Napoléon Henri Reber, 1807 - 1880) の芸術アカデミー作曲部門座席番号5を継承)。レジオンドヌール勲章については1868年にシュヴァリエ、1884年にオフィシエ、1900年にグラントフィシエ、1913年にグランクロワを受章しています。老年になっても米国 (1906)、パナマ (1915)、南米 (1916)、ギリシャ (1920) を訪れるなど国際的な活動を続けていましたが、冬の寒さを避けて訪れたフランス領アルジェリアの首都アルジェ (Alger) で1921年12月16日に客死しました。

    以前に演奏した「アンダンテ ハ短調」、「即興曲 イ長調」、「エレジー ヘ長調 Op. 160」についてもここで紹介します (追記 2021-12-17: 即興曲について加筆)。

    Camille Saint-Saëns - Andante, R 3. 1 juillet 1841 (C major).

    「アンダンテ ハ短調」は、幼少時に書かれ自筆譜で残されたいくつかの楽曲のうちの一つで、楽譜に書かれた1841年7月1日の日付に基づくとおよそ5歳9ヶ月のころに作曲されたピアノ曲です。

    Camille Saint-Saëns - Improvisation (Impromptu) pour piano. Allegretto malinconico (A major. No. 16, pages 60-63 from Album du Gaulois. Paris: Le Gaulois, 1885). À Madame la comtesse de Mercy-Argenteau.

    即興曲 イ長調」はサン=サーンスが50歳になる1885年にパリの新聞社「ル・ゴロワ」によって出版されたオムニバス楽譜集「ゴロワのアルバム」に収録されています。曲名は目次では "Impromptu", 楽譜では "Improvisation" となっています。ピアノ奏者、メルシー=アルジャントー伯爵夫人ルイーズ・ド・リケー (Louise de Riquet, comtesse de Mercy-Argenteau, 1837 - 1890) に献呈されています。目次にある作曲者の紹介文は以下のように書かれています。

    16. C. SAINT-SAENS. ― Impromptu pour piano ... 60
    Au temps où Seghers [François Seghers] dirigeait les concerts de Sainte-Cécile, un jeune homme de seize ans lui porta une Symphonie en la mineur. C'était le début de M. Camille Saint-Saëns, pianiste déjà vingt fois applaudi avec justice. Le premier essai du compositeur fut un coup d'éclat. M. Saint-Saëns a magnifiquement tenu la promesse de ses jeunes années. Il a produit, dans tous les genres, des partitions magistrales, passant de la symphonie à la musique de chambre, de la musique religieuse à la musique pittoresque, et donnant au théâtre Samson et Dalila, la Princesse jaune, le Timbre d'argent, Etienne Marcel et Henri Vlll. (Album du Gaulois, page 4)

    Camille Saint-Saëns - Élégie pour violon et piano. Molto moderato ed espressivo, Op. 160. Transcription pour piano par l'auteur (F major. Paris: Durand & Cie., 1920). À Charles de Galland. En souvenir d'Alexis de Castillon.

    「エレジー ヘ長調 Op. 160」はサン=サーンスの死の前年に書かれたヴァイオリンとピアノのための作品の作曲者自身によるピアノ独奏編曲で、サン=サーンスの友人でアマチュアのヴァイオリン奏者でもあったシャルル・ド・ガランに献呈されています。ガランはアルジェにある学校の校長やアルジェ市長を務めた人物です。エレジーの献辞には続けて「アレクシス・ド・カスティヨンの思い出に」とありますが、フィリップ・ベルノ (Philippe Bellenot, 1860 - 1928) 宛てのサン=サーンスの手紙 (1920-01-27, Algier) によると、夭逝した友人の作曲家アレクシス・ド・カスティヨン (Alexis de Castillon, 1838 - 1873) が自曲には使わなかったものの愛奏していた8小節の旋律を用いたということです。

    Et voilà que j'ai noirci du papier réglé! Castillon, qui fut un de mes grands amis et dont la mort prématurée fut un grand malheur pour la musique française, jouait souvent une phrase de huit mesures qu’il aimait et dont il ne s’est jamais servi. J’avais toujours eu l’idée de la monter comme on monte une perle, et j’avais toujours reculé devant cette tâche peu commode. ... (Camille Saint-Saëns. 1920-01-27, Algier. Letter addressed to Philippe Bellenot)

    エレジーについては今年の8月に出版された楽譜集「サン=サーンス ピアノ曲集」(中西充弥 校訂. カワイ出版. 2021) にも収録されています。

    「私たちのコンクール」(Notre concours) の要項と結果

    Album Musica. No. 28 (January 1905): 3.

    Notre concours

    Les six morceaux de musiques inédits et non signés que nous publions ci-aprés constituent la matière du Concours que nous institutions pour tous nos abonnes et lecteurs. Il leur suffira, pour y triompher, de devinet quels sont les auteurs de ces œuvres.

    Un piano sera offert au gagnant

    Nous donnons ci-contre, au verso de la couverture de l'album, les conditions détaillées de ce Concours.

    Album Musica. No. 28 (January 1905): au verso de la couverture de l'album.

    NOTRE CONCOURS

    Pour prendre part à notre concours et pour avoir la chance de gagner le prix, il ne faut remplir qu'une condition : être bon musicien, c'est- à-dire posséder une éducation musicale assez complete, aidée de sagacité et de jugement. C'est dire que tous les lecteurs de Musica s'y intéresseront.

    Ce concours est des plus simples. Dans le présent ALBUM MUSICA nous publions six morceaux sans noms d'auteurs et tous, néanmoins, composés spécialement, pour ce concours, par six compositeurs célèbres. Ces morceaux ne portent qu'une seule indication : un numéro d'ordre : 1, 2, 3, 4, 5, 6. Nos lecteurs désireux de prendre part à notre concours, devront lire, exécuter ou se faire exécuter ces morceaux, et ils devront en reconnaître l'auteur à son style, à sa manière, à ses procédés même, bref à tout ce qui constitue l'originalité de chaque compositeur classé par nous comme étant le plus caractéristique et le plus personnel dans les différents genres de musique qui se partagent la faveur du public moderne. Afin de ne point égarer le choix de nos lecteurs, nous circonscrivons leurs recherches aux compositeurs dont les noms suivent, et que nous énumérons par ordre alphabétique : Rodolphe Berger, Alfred Bruneau, Cécile Chaminade, Gustave Charpentier, Claude Debussy, Théodore Dubois, Camille Erlanger, Louis Ganne, Xavier Leroux, Alfred Margis, Jules Massenet, André Messager, Ernest Reyer, Camille Saint-Saëns, Gaston Serpette, Claude Terrasse, Francis Thomé, Paul Wachs.

    Ceux de nos lecteurs qui auront trouvé les auteurs des morceaux n'auront qu'à nous envoyer le résultat de leurs recherches sous la forme suivante :

    1. - A...
    2. - B...
    3. - C...
    4. - D...
    5. - E...
    6. - F...

    C'est-à-dire en inscrivant le nom de l'auteur à la suite du chiffre du morceau. Ces solutions devront nous être parvenues le 28 FEVRIER 1905 au plus tard. Le résultat sera publié dans notre numéro de mars. Le gagnant sera celui qui aura deviné les auteurs des six numéros. Si plusieurs personnes nous envoient la liste complète exacte, le prix sera tiré au sort entre elles.

    UN PIANO SERA OFFERT AU GAGNANT

    Toutes les solutions doivent être adressées à notre collaborateur M. Andre Maurel, à Musica, 9, avenue de l' Opéra.

    Nous n'avons pas besoin d'insister sur l'intérêt piquant de ce concours qui, s'il est un concours de sagacité entre nos lecteurs, se trouve être, par la force même des choses, un concours de popularité et de personnalité entre les musiciens eux-mêmes.

    Album Musica. No. 31 (April 1905): 63.

    Le résultat de Notre Concours

    Notre concours “de devinette musicale” s'est terminé, ainsi que nous l'avions dit, le 10 mars dernier. Il s'agissait, on se le rappelle, de mettre au bas de six morceaux de musique inédits, publiés sans noms d'auteurs, le nom méme de ces auteurs.

    Cinq cent trente concurrrents ont répondu à cet appel, ce qui est, pour Musica, un beau succès, étant donné la dificulté de ce concours.

    Voici d'abord le nom véritable qu'il fallait deviner, de l'auteur de chacun des morceaux.

    1. Gaston Serpette
    2. Camille Saint-Saëns
    3. Cécile Chaminade
    4. Jules Massenet
    5. Rodolphe Berger
    6. Claude Debussy

    Une seule personne a trouvé la liste gagnante et compléte : Madame Maillard, professeur de piano et de solfége 48, boulevard Rochechouart à Paris. C'est donc à Madame Maillard qu'est attribué le piano qui était le prix de ce concours.

    Il n'ya également qu'un seul concurrent qui ait trouvé cinq noms. 158 ne'en ont trouvé aucun. 194 en ont trouvé un. 103 en ont trouvé deux. 57 en ont trouvé trois. 9 en ont trouvé quatre.

    Nous nous étions aussi promis de rechercher combien chaque compositeur avait réuni de voix. Est-il bien néccessaire de dire que, dans ce petit “steple” musical, maître Massenet arrive bon premier, et de plusieurs longueurs?

    • Massenet a été deviné 304 fois.
    • Claude Debussy 218 fois.
    • Chaminade 150 fois.
    • Saint-Saëns 146 fois.
    • Rodolphe Berger 80 fois.
    • Gaston Serpette 6 fois.

    En terminant ce procès-verbal, nous remercions nos lecteurs du soin qu'ils ont tous apporté dans leurs recherches. Si tous n'ont pas été heureux dans leurs attributions, tous ont été ingénieux et lorsqu'ils substitunaient un nom à un autre, c'était presque toujours celui du disciple à celui du maître.

    André Maurel.

    出典: