Saverio Mercadante (Italy, 1795 - 1870) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Il giuramento; Act I. Bella, adorata Incognita (Biblioteca d'oro. Vol. 3 No. 37. Cavatina dall' opera: Il giuramento. Andante mosso (B flat major))
今日はサヴェリオ・メルカダンテ没後150年の命日です。今回はメルカダンテ作曲の歌劇「誓い Il giuramento 」第1幕よりアリア「美しく愛しき謎の女よ Bella, adorata Incognita 」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第37曲 Cavatina dall' opera: Il giuramento として収録されています。
サヴェリオ・メルカダンテは、ナポリ王国のアルタムーラで貴族の私生児として生まれました。1799年に一時期成立したパルテノペア共和国が王国側の反撃で倒れ、その際の略奪により一家は財産を失いますが、1806年以後のフランス占領下のナポリで父が官吏となったため、一家はナポリに移りました。
異母兄からギターとクラリネットを学び楽才を示したメルカダンテは、1808年にサン・セバスティアーノ音楽院 (ナポリ音楽院の前身校) に入学し、ヴァイオリン、フルート、声楽を学んだほか、ジョヴァンニ・フルノ (Giovanni Furno, 1748 - 1837) に通奏低音を、ジャコーモ・トリット (Giacomo Tritto, 1733 - 1824) に対位法を、1813年から音楽院の新院長に就任したニコロ・アントニオ・ジンガレッリ (Niccolò Antonio Zingarelli, 1752 - 1837) に作曲を師事しました。同音楽院では作曲と声楽の教師であるルイージ・カポトルティ (Luigi Capotorti, 1767 - 1842) にも学んでいます。
音楽院在学中には代表作の一つである「フルート協奏曲第2番 ホ短調」を作曲し、活動初期には室内楽曲 (主にフルートのための) の出版により収入を得ています。1819年8月19日初演 (ナポリ、サン・カルロ劇場) の最初のオペラ「ヘラクレスの神格化 L’apoteosi d’Ercole 」は成功を収め、1821年10月30日初演 (ミラノ、スカラ座) の7作目のオペラ「エリーザとクラウディオ Elisa e Claudio 」の成功は国外にも名声を広めました。1823年の春に興業主のドメニコ・バルバイア (Domenico Barbaia, 1778 - 1841) に3年間の契約で雇われ、ジョアキーノ・ロッシーニ (Gioacchino Rossini, 1792 - 1862) の後任としてサン・カルロ劇場のオペラ作曲家を務めました。1826年初めの「スペインの女王カリテア Caritea, regina di Spagna 」(ヴェネツィア初演) の成功ののち、同年にマドリードにある劇場の音楽監督に就任しました。1827年7月にリスボンに、1829年初めにカディスに移り、1830年にイタリアに戻りました。
1837年3月11日にスカラ座で初演された「誓い Il giuramento 」は、メルカダンテのオペラの中でも最高傑作とされています。1838年に炎症により片目の視力を失いました。1840年にナポリ音楽院院長に就任し、1845年から1856年まで音楽院院長との兼任でサン・カルロ劇場音楽監督を務めました。1852年に両シチリア王国宮廷軍楽隊監察官に任命されました。1861年にイタリア王国が成立すると、音楽院からの要望によりサン・カルロ劇場音楽監督に再任されました。1862年に発症した脳卒中により、全盲となりました。視力を失いながらも音楽院では院長の地位にとどまり、学生に新作を口述筆記させることを通して作曲を教え、完成した最後のオペラである「ヴィルジニア Virginia 」(1866年4月7日にナポリで初演) も成功を収めました。脳卒中の再発後ほどなくして1870年12月17日にナポリで亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- アルベール・グリザール (Albert Grisar, 1808 - 1869)
- アデレード・ケンブル (Adelaide Kemble, 1814 - 1879)
- アントーニオ・ブッツォッラ (Antonio Buzzolla, 1815 - 1871)
- テオドゥーロ・マベッリーニ (Teodulo Mabellini, 1817 - 1897)
- ジュゼッペ・グラツィアーニ (Giuseppe Graziani, 1819 - 1905)
- カルロ・エマヌエーレ・バルビエーリ (Carlo Emanuele Barbieri, 1822 - 1867)
- ハイメ・ヌノ (Jaime Nunó, 1824 - 1908)
- エウジェーニオ・テルツィアーニ (Eugenio Terziani, 1824 - 1889)
- ガエターノ・ブラーガ (Gaetano Braga, 1829 - 1907)
- パオロ・セッラーオ (Paolo Serrao, 1830 - 1907)
- コンスタンティーノ・パルンボ (Costantino Palumbo, 1843 - 1926)
- リッカルド・ブゲヤ (Riccardo Bugeja, 1844 - 1926)
- ルイージ・デンツァ (Luigi Denza, 1846 - 1922)
- フランチェスコ・パオロ・トスティ (Francesco Paolo Tosti, 1846 - 1916)
出典:
- Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Mercadante, (Giuseppe) Saverio (Rafaele)”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. pages 603-604.
- Grove Music Online.
- Tartak, Marvin (2001). “Barbieri [de Barbieri], Carlo Emanuele”.
- MacGregor, Lynda (2001). “Braga, Gaetano”.
- Bondin, Joseph Vella (2001). “Bugeja family”.
- Ballola, Giovanni Carli; Marvin, Roberta Montemorra (2001). “Buzzolla, Antonio”.
- Vela, Maria Caraci; Tibaldi, Rodobaldo (2001). “Capotorti, Luigi”.
- Burton, Nigel; Horner, Keith (2001). “Denza, Luigi”.
- Forbes, Elizabeth (2001). “Graziani family”.
- Mercier, Philippe (2001). “Grisar, Albert”.
- Husk, W. H.; Biddlecombe, George; Hutchinson, Catherine (2020-04-29). “Kemble, Adelaide”.
- Bussi, Francesco (2001). “Mabellini, Teodulo”.
- Wittmann, Michael (2001). “Mercadante, (Giuseppe) Saverio”.
- Kardamis, Kostas (2014-09-03). “Metaxas, Nikolaos Tzanis”.
- Stevenson, Robert(2001). “Nuno, Jaime”.
- Esposito, Francesco (2001). “Palumbo, Costantino”.
- Tartak, Marvin (2001). “Terziani, Eugenio”.
- Horner, Keith (2001). “Tosti, Sir (Francesco) Paolo”.
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