Karel Kovařovic (Czech, 1862 - 1920) - Walzer (Valčík). Tempo di valse (E flat major)
今日はチェコ・ボヘミアの作曲家・クラリネット奏者・ハープ奏者・ピアノ奏者・指揮者・音楽教育者、カレル・コヴァジョヴィツ没後100年の命日です。今回はコヴァジョヴィツ作曲「ワルツ 変ホ長調」を弾きました。
プラハに生まれたカレル・コヴァジョヴィツは、1873年に入学したプラハ音楽院でユリウス・ピサジョヴィツ (Julius Pisařovic, 1811 - 1881) にクラリネットを、ヴァーツラフ・アロイス・スタニェク (Václav Alois Staněk, 1835 - 1910) にハープを、ヨゼフ・イラーネク (Josef Jiránek, 1855 - 1940) にピアノを師事し、1879年に音楽院を卒業しました。個人教授でズデニェク・フィビフ (Zdeněk Fibich, 1850 - 1900) に作曲を (1878年から1880年まで)、ヤン・ルドヴィーク・ルケス (Jan Ludvík Lukes, 1824 - 1906) とフランチシェク・ピヴォダ (František Pivoda, 1824 - 1898) に声楽を師事しました。
1879年12月17日に芸術協会 (Umělecká beseda 芸術ベセダ) の演奏会でフィビフ作曲、クラリネットとピアノ (または管弦楽) のための「牧歌 変ロ長調 Selanka, Op. 16」をクラリネット奏者として初演したほか、1879年から1885年までプラハの仮劇場 (Prozatimní divadlo) と国民劇場 (Národní divadlo. 1881年開館) でハープ奏者として、1881年から1887年までヴァイオリン奏者フランチシェク・オンドジーチェク (František Ondříček, 1857 - 1922) とバリトン歌手レオポルト・ストロプニツキー (Leopold Stropnický, 1845 - 1914) のピアノ伴奏者として活動しました。1880年から1900年までピヴォダの声楽学校 (Pěvecká škola) でコレペティートルと教師を、1898年にピヴォダが亡くなるとその後継として1900年まで同校校長を務めました。
1885年9月から1886年3月までブルノ国民劇場 (Národní divadlo Brno) で、1886年9月から1887年7月までプルゼニ市立劇場 (Městské divadlo v Plzni) で指揮者を務め、1895年にプラハで開催されたチェコスラヴ民俗学博覧会 (Národopisná výstava českoslovanská v Praze) における管弦楽演奏会の指揮者に任命されました。1896年から1898年まで、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の最初期の指揮者の一人となり、1900年から1920年までまでプラハ国民劇場の歌劇監督を務めました。1901年にチェコ科学芸術アカデミー (Česká akademie věd a umění) の準会員に、1906年に同アカデミー正会員に選出され、1918年から1920年まで芸術協会音楽部門議長を務めました。1910年にはフランス共和国公共教育省より教育功労章オフィシエ・ダカデミー (officier d'académie) を授与されました。1920年12月6日にプラハで亡くなりました。
出典:
- Kuna, Milan (2001). “Kovařovic, Karel”. Grove Music Online.
- Šálek, Cyril (2003) 2016. “Kovařovic, Karel”. In Lütteken, Laurenz (ed.). MGG Online. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–.
- Macek, Petr; Kalina, Petr; Steinmetz, Karel; Zahrádková, Šárka, eds. (2016-04-12). “Kovařovic, Karel”. Český hudební slovník osob a institucí. Centrum hudební lexikografie, Ústav hudební vědy Filozofické fakulty Masarykovy univerzity.
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