2023-05-30

100th Death Anniversary of Camille Chevillard

Camille Chevillard (France, 1859 - 1923) - Feuille d'album, spécialement écrite pour “Musica”. Andante cantabile (E flat major. Album Musica, No. 20. Paris: Pierre Lafitte, 1904).

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、カミーユ・シュヴィヤール没後100年の命日です。今回はシュヴィヤール作曲「アルバムの綴り 変ホ長調」を弾きました。題名には表記揺れがあり、表紙では男性名詞形の Feuillet d'album となっていますが、手稿譜には女性名詞である Feuille d'album と書かれています。楽譜は1904年に出版された音楽雑誌「アルブム・ムジカ Album Musica 」第20号に第2曲として収録されていて、通常の浄書譜ではなくあえて手稿譜 (manuscrit) を掲載した理由などが以下のように頭註に書かれています。

Nos lecteurs trouveront ci-dessous un morceau de piano de M. Camille Chevillard dont ils goûteront l'exquis sentiment musical. Comme nos lecteurs ont rarement l'occasion de lire des manuscrits, nous avons pensé leur étre agréable en en publiant un. On sait que c'est la un excellent exercice de lecture que les professeurs de piano recommandent à leurs élèves et qui fait partie des épreuves des Conservatoires de Paris et de l'Étranger.

カミーユ・シュヴィヤールは、南ネーデルラント (ベルギー) のアントウェルペン出身のチェロ奏者であるアレクサンドル・シュヴィヤール (Alexandre Chevillard, 1811 - 1877) の子として、1859年10月14日にフランス共和国の首都パリで生まれました。パリ音楽院ジョルジュ・マティアス (Georges Mathias, 1826 - 1910) にピアノを師事し、1880年にピアノの二等賞を取得しました。

音楽院で作曲法を学んだという記録は残っていませんが、1882年には最初の作品であるピアノ五重奏曲 Op. 1 を作曲しました。その曲の完成後まもなくシャルル・ラムルー (Charles Lamoureux, 1834 - 1899) が主宰するコンセール・ラムルー管弦楽団 (Concerts Lamoureux) の合唱監督となり、指揮者としての活動を開始しました。1888年にラムルーの娘マルグリット (Marguerite Chevillard, née Lamoureux, 1861 - 1941) と結婚。1889年にベートーヴェン協会 (Société Beethoven) を設立。1892年に教育功労章の大学区将校 (officier d’académie) を受章。1895年にピアノ奏者として、ヴァイオリン奏者モーリス・アヨ (Maurice Hayot, 1862 - 1945)、チェロ奏者ジョゼフ・サルモン (Joseph Salmon, 1864 - 1943) とともに三重奏団 (Trio Chevillard-Hayot-Salmon) を結成。1890年代になると義父ラムルーの代演を務める機会が増し、彼が亡くなるとコンセール・ラムルーの常任指揮者に就任しました。1903年にレジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章。1905年にリヒャルト・シュトラウス (Richard Strauss, 1864 - 1949)、グスタフ・マーラー (Gustav Mahler, 1860 - 1911) らとともに第1回アルザス・ロレーヌ音楽祭の指揮者に選任されました。1907年にパリ音楽院器楽合奏科 (ensemble instrumental) 教授に、1914年にパリのオペラ座の音楽監督に、1916年にフランス室内楽協会 (Société Française de Musique de Chambre) 会長に就任しました。シュヴィヤールは1923年5月30日にパリ近郊のイヴリーヌ県シャトゥ (Chatou) で亡くなり、彼の死後、コンセール・ラムルーの首席指揮者はポール・パレー (Paul Paray, 1886 - 1979) に引き継がれました。

教え子に以下の人物がいます。

  • エウゲニューシュ・モラフスキ=ドンブロヴァ (Eugeniusz Morawski-Dąbrowa, 1876 - 1948)
  • イェースタ・ニューストレム (Gösta Nystroem, 1890 - 1966)
  • ジョアン・デ・ソウザ・リマ (João de Souza Lima, 1898 - 1982)
  • ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテ (Sophie-Carmen Eckhardt-Gramatté, 1899 - 1974)

    出典:

  • 2023-05-15

    150th Birth Anniversary of Nikolay Tcherepnin

    Nikolay Nikolayevich Tcherepnin (Николай Николаевич Черепнин, Russia, 1873 - 1945) - Pièces sentimentales (London: J. & W. Chester, 1929. À Alexandre Tchérepnine); No. 2. Con moto piacevole (E flat minor).

    今日はロシアの作曲家・指揮者・音楽教師、ニコライ・チェレプニンの生誕150年の誕生日です。 今回はチェレプニン作曲「感傷的小品集」(全10曲) より第2曲を弾きました。曲集は子のアレクサンドル・チェレプニン (Aleksandr Tcherepnin, 1899 - 1977) に献呈されました。

    ニコライ・ニコラーエヴィチ・チェレプニンは1873年5月15日 (ユリウス暦5月3日) に、音楽を好む医者ニコライ・ペトローヴィチ・チェレプニンの子として、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで生まれました。父方のおばにピアノの手ほどきを受けたのち、ニコライ・シーシキン (Nikolay Shishkin, 1857 - 1918)、ヴラディーミル・デミャンスキー (Vladimir Demyansky, 1846 - 1915)、カール・ジケ (Karl Sicke, 1850 - 1890) に師事しました。1883年から1891年までペテルブルク第6ギムナジウム (Шестая Санкт-Петербургская гимназия) で学び、1895年にペテルブルク大学法学部を卒業しました。大学卒業前からペテルブルク音楽院でも学び、カルル・ファン=アルク (Karl van Ark, 1839 - 1902) にピアノを、ニコライ・ソロヴィヨーフ (Nikolay Solovyov, 1846 - 1916)とニコライ・リムスキー=コルサコフ (Nikolay Rimsky-Korsakov, 1844 - 1908) に作曲を師事して、1898年に音楽院を卒業しました。 1897年に、画家アリベールト・ベヌアー (Albert Benois, 1852 - 1936) の娘である歌手のマリーヤ・ベヌアー (Mariya Tcherepnina, née Benois, 1876 - 1958) と結婚し、1899年には後に作曲家・ピアノ奏者・指揮者となる子のアレクサンドル・チェレプニン (Aleksandr Tcherepnin) が生まれました。

    1905年から1918年まで母校のペテルブルク音楽院の教師となり、1906年には指揮科クラスを開設し、1909年に教授に、1915年にオペラクラスの音楽監督に就任しました。指揮者としては1902年にロシア交響楽演奏会 (Русские симфонические концерты) 常任指揮者に就任したほか、ロシア音楽協会、モスクワフィルハーモニー協会、アレクサンドル・ジローティ (Aleksandr Siloti, 1863 - 1945) の演奏会、セルゲイ・ヴァシレンコ (Sergey Vasilenko, 1872 - 1956) の歴史的演奏会などに客演し、1906年から1909年にかけてマリインスキー劇場の指揮者を務めました。興業主セルゲイ・ディアギレフ (Sergey Dyagilev, 1872 - 1929) が主宰するバレエにおいては、1909年にパリでのセゾン・リュス (Saison russe) の公演に、1909年から1914年にかけてベルリンロンドンモンテカルロパリローマでのバレエ・リュスの公演に出演しました。また、ペテルブルク時代にはミトロファン・ベリャーエフ (Mitrofan Belyayev, 1836 - 1904) の音楽サークルや「現代音楽の夕べ Вечера современной музыки 」に参加しています。

    1918年から1921年までチフリス (現在のジョージアの首都トビリシ) に移り、チフリス音楽院院長とチフリス帝国歌劇場指揮者を務めました。1921年にフランス共和国の首都パリに移住。1922年から1924年にかけてアンナ・パヴロヴァ (Anna Pavlova, 1881 - 1931) のバレエ団の作曲家兼指揮者として欧米を演奏旅行。1925年にはパリにロシア音楽院 (Парижская русская консерватория / Conservatoire russe de Paris. 現在のラフマニノフ音楽院) を設立し、院長 (1925-1929, 1938-1945) を務めました。1926年に音楽出版社ベリャーエフ (Musikverlag M. P. Belaieff) の理事となり、1937年には同社の理事長に就任しました。聴覚の悪化のため1933年に演奏活動を停止。1945年6月26日にパリ近郊のイシー=レ=ムリノー (Issy-les-Moulineaux) で亡くなりました。

    教え子に以下の人物がいます。

    出典:


    2023-05-13

    150th Birth Anniversary of Jules Bentz

    Jules-Charles Bentz (France, 1873 - 1962) - Offertoire en re majeur pour orgue ou harmonium. Larghetto. À mon bon ami Jules Caffot, organiste de Notre-Dame de Mantes.

    今日はエルザス (アルザス) 出身のフランスの作曲家・オルガン奏者、ジュール・ベンツ生誕150年の誕生日です。 今回はベンツ作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「オフェルトワール (オッフェルトリウム、奉献) ニ長調」を弾きました。楽曲はマント=ラ=ジョリーノートルダム教会 (Collégiale Notre-Dame de Mantes-la-Jolie) のオルガン奏者であったジュール・カフォ (Jules Caffot, 1865 - 1942) に献呈されています。楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第1巻 (Paris: Senart, Roudanez & Cie., 1912) の12-13頁に収録されています。

    ジュール・ベンツは1873年5月13日にドイツ帝国エルザス=ロートリンゲン帝国直轄領オーバーエルザス県メルクスハイム (Merxheim. 現在のフランス領オー=ラン県メルクサイム) で生まれました。シュトラスブルク音楽院 (ストラスブール音楽院) で学んだのち、パリエコール・ニデルメイエール (École Niedermeyer de Paris) でギュスターヴ・ルフェーヴル (Gustave Lefèvre, 1831 - 1910)、アレクサンドル・ジョルジュ (Alexandre Georges, 1850 - 1938)、シャルル=ウィルフリド・ド・ベリオ (Charles-Wilfrid de Bériot, 1833 - 1914)、ポール・ヴィアルド (Paul Viardot, 1857 - 1941)、クレマン・ロレ (Clément Loret, 1833 - 1909) に師事しました。クリニャンクールノートルダム教会 (Église Notre-Dame de Clignancourt) 聖歌隊のオルガン奏者を2年間務めたのち、アニエール=シュル=セーヌサント=ジュヌヴィエーヴ教会 (Église Sainte-Geneviève d'Asnières-sur-Seine) のオルガン奏者兼聖歌隊長に就任しました。1962年10月14日に亡くなりました。

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