Alberto Nepomuceno (Brazil, 1864 - 1920) - 4 Peças infantis, SN1.28; No. 4. Insistência. Andantino (A minor)
今日はブラジルの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、アウベルト・ネポムセーノ没後100年の命日です。今回はネポムセーノ作曲「4つの子供の小品」より第4曲「おねだり」を弾きました。曲名の insistência は英語の insistence に相当して「主張」などと訳されますが、「おねだり」という訳語が『ブラジル・メキシコ ピアノ作品集 : ラテン・クラシックを弾こう』(宮崎幸夫 編. 音楽之友社. 2003)、『新・イメージであそぶぴあの : 生き生きとした音楽表現のヒントがいっぱい』(辻本健市 監修. サーベル社. 2011)、『ちいさな手のためのラテン・ピアノ曲集 : はじめてのはっぴょうかい Latin Piano Collection for Small Hands 』(宮崎幸夫 編. ドレミ楽譜出版社. 2013/2020) で採用されています。
ブラジル帝国セアラー州の州都フォルタレザ (Fortaleza) に生まれたアウベルト・ネポムセーノは、レシフェでピアノとヴァイオリンを学び始め、1880年から同地のエウクリデス・フォンセカ (Euclides Fonseca, 1853/1854 - 1929) に、1884年に移ったリオデジャネイロで、ミゲル・カルドーゾ (Miguel Cardoso, 1850 - 1912) に和声法を師事しました。レシフェでは18歳のときにカルロス・ゴメス・クラブ (Clube Carlos Gomes) の演奏会で指揮者として、リオデジャネイロではベートーヴェン・クラブ (Clube Beethoven) でピアノ奏者・ピアノ教師として活動をしています。ピアノ奏者としてはチェロ奏者のフレデリコ・ナシメント (Frederico Nascimento, 1852 - 1924) と演奏旅行もしています。
1888年に渡欧し、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミア (Accademia Nazionale di Santa Cecilia) でエウジェーニオ・テルツィアーニ (Eugenio Terziani, 1824 - 1889) とチェーザレ・デ・サンクティス (Cesare De Sanctis, 1824 - 1916) に和声法を、ジョヴァンニ・ズガンバーティ (Giovanni Sgambati, 1841 - 1914) にピアノを師事しました。ベルリンではアカデミッシェ・マイスターシューレ (Akademische Meisterschule für musikalische Komposition) とシュテルン音楽院 (Stern'sches Konservatorium) で学び、ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク (Heinrich von Herzogenberg, 1843 - 1900)、テオドル・レシェティツキ (Theodor Leschetizky, 1830 - 1915)、アルノ・クレッフェル (Arno Kleffel, 1840 - 1913)、マックス・ブルッフ (Max Bruch, 1838 - 1920) に師事しました。パリではパリ音楽院とスコラ・カントルム (Schola Cantorum) でアレクサンドル・ギルマン (Alexandre Guilmant, 1837 - 1911) にオルガンを師事しました。
1895年にリオデジャネイロに戻ると、リオデジャネイロ音楽院 (Conservatório de Música do Rio de Janeiro) のオルガン教師となり、1902年には同音楽院院長 (1902-1903, 1906-1916) に就任しました。先天性四肢障害で右腕を欠損している娘シグリッド (Sigrid Nepomuceno) のために、「5つの小品」(1906) と「2つの夜想曲」(1907) などの左手のためのピアノ曲を作曲しています。1910年にブリュッセル万国博覧会で指揮をするために再び渡欧し、パリとジュネーヴでは自作や他のブラジルの作曲家の作品を演奏しました。1920年10月16日にリオデジャネイロで亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- ジョアニジア・ソドレ (Joanídia Sodré, 1903 - 1975)
- セレステ・ジャグァリベ・デ・マトス・ファリア (Celeste Jaguaribe de Matos Faria, 1873 - 1938)
- ジョアキン・アントニオ・バローゾ・ネト (Joaquim Antônio Barroso Neto, 1881 - 1941)
はじめまして。『バイエルの謎』の著者,安田寛です。「2013-03-26
返信削除Piano Works on Five Notes」を今書いている『「バイエルの謎」その後』に引用させていただいてもよろしいでしょうか。どうかよろしくお願いします。引用については,https://www.ongakunotomo.co.jp/web_content/bayer_sonogo/03.html
をご覧いただければ幸いです。私の連絡先は,yasudah@gmail.com です。
どうかよろしくお願いします。
安田さま。コメントの承認と返信が大変遅れてしまい申し訳ありません。最近はスパム投稿ばかりのためコメント欄をほとんど確認しておらず、このコメントも自動判定でスパムに誤認されていたために見落としていました。著作権法で定められている引用である限り、このブログの内容を無断で利用して構いません。
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