2020-09-28

150th Birth Anniversary of Florent Schmitt

Florent Schmitt (France, 1870 - 1958) - 3 Pièces pour le piano (L'Illustration, Vol. 56, No. 2888. Paris. 1898-07-02); No. 3. La fin d'une journée. Expressivement (D flat major)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・批評家、フローラン・シュミット生誕150年の誕生日です。今回はシュミット作曲「ピアノのための3つの小品」より第3曲「一日の終わり 変ニ長調」を弾きました。楽譜は1898年7月2日に刊行された週刊新聞「イリュストラシオン L'Illustration 」第56巻2888号に収録されました。

普仏戦争 (1870-1871) の最中、フローラン・シュミットはロレーヌ地方のムルト県 (Meurthe) ブラモン (Blâmont) に生まれました。1871年5月に締結されたフランクフルト講和条約で、フランス領だったアルザス=ロレーヌ (エルザス=ロートリンゲン) の一部がドイツ帝国に割譲されましたが、生地ブラモンはフランス領に残り、ムルト=エ=モゼル県 (Meurthe-et-Moselle) に属することになりました。

シュミットは17歳で入学したナンシー音楽院 (Conservatoire de Nancy) でアンリ・エス (Henri Hess) にピアノを、音楽院院長のギュスターヴ・サンドレ (Gustave Sandré, 1843 - 1916) に和声法を師事しました。1889年10月にパリ音楽院に入学し、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) とアルベール・ラヴィニャック (Albert Lavignac, 1846 - 1916) の和声法クラスで二等賞を取得しました。アンドレ・ジュダルジュ (André Gedalge, 1856 - 1926) に学んだフーガでは良い成績を得られませんでしたが、ジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842 - 1912) とガブリエル・フォーレ (Gabriel Fauré, 1845 - 1924) に作曲を師事しました。フォーレの作曲クラスには友人となるモーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875 - 1937) がいました。サン=クルー (Saint-Cloud) での兵役では、フルートを演奏しました。

1896年からローマ賞に挑戦し、1897年に「フレデゴンド Frédégonde 」で第二等次席、1900年に「セミラミス Sémiramis, Op. 14 」で第一等を受賞しました。3年間のローマへの留学ののち、ロシア、北アフリカ、ギリシャ、トルコなどを訪問してパリに戻りました。1922年から1924年までリヨン音楽院 (Conservatoire de Lyon) 院長を務め、1931年にはレジオンドヌール勲章を受章しました。ポール・デュカス (Paul Dukas, 1865 - 1935) の死後、1836年にフランス学士院の会員に選出され、デュカスの座席を引き継ぎました。批評家としては、 "La France" (1913年以前), "Revue de France", "Le temps" (1929-1939) などに寄稿しました。

教え子にミハイル・ジョラ (Mihail Jora, 1891 - 1971)、ピエール=オクターヴ・フェルー (Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)、レオ・ユスティニウス・カウフマン (Leo Justinius Kauffmann, 1901 - 1944) がいます。

出典: Grove Music Online


2020-09-16

原田光子 訳編『大ピアニストは語る』の原著 Great Pianists on Piano Playing by James Francis Cooke

2020年5月に河出書房新社から復刊された原田光子 (1909-1946) 訳編『大ピアニストは語る』を読んだところ、原著についての情報が少なく誤りを含むものだったので、調べた結果をここに記録する。本書は東京創元新社の1969年3月刊を定本としていて、レコード音楽社の1942年3月刊の初版に収録された「初版はしがき」(原田 2020, pp. 213-215) には原著について以下のように書かれている。

ここに集めた芸術論の約半分は、山根銀二氏から拝借したクック編纂のピアニスト芸談集から「レコード音楽」に訳載したものでございます。その他は独、仏、米の音楽雑誌から選んだもので、「レコード文化」及び「音楽公論」に掲載したものを加えました。

また、小論「ベートーヴェン、ショパン、リストのピアノ演奏をめぐりて」(原田 2020, pp. 186-212) について原田は「アメリカの著名なる音楽評論家、T・フィンクがその著書に引用している資料をそのまま借用」(原田 2020, p. 212) したとしている。この著書とはおそらくヘンリ・セオフィラス・フィンク (Henry Theophilus Finck, 1854 - 1926) 著『音楽での成功 Success in Music 』(New York: Charles Scribner's Sons, 1909) であり、原田の小論はそのうちの第3部 "Great Pianists" に含まれる第14章 "How Beethoven Played and Taughts" (Finck 1909, pp. 255-261)、第15章 "Chopin as Pianist and Teacher" (idem, pp. 262-274)、第16章 "Liszt and His Pupils" (idem, pp. 275-294) を元に書かれたものであろう。この書籍には『大ピアニストは語る』第2章「イグナーツ・ヤン・パデレフスキー」第2節「テンポ・ルバートについて」(原田 2020, pp. 26-34) の原著と思われる第28章 "Paderewski on Tempo Rubato" (Finck 1909, pp. 454-461) も収録されている。

萩谷由喜子による解説「ピアノ音楽の使徒、原田光子さん」(原田 2020, pp. 216-222) では、以下のように原著の一つである『ピアニスト藝談集』の編纂者クックをデリック・クック (Deryck Cooke, 1919 - 1976) と補足しているが、これは誤りである。訳書初版の時点でデリック・クックは書籍の編纂者として考えるとかなり若年の22歳であり、それ以前に『ピアニスト芸談集』のような書籍を編纂したという記録も見当たらない。また、前述のT・フィンクやその著書の特定について萩谷は述べていない。

オリジナルの芸談の約半数は、イギリスの音楽学者デリック・クック (1919 - 1976) 編纂の『ピアニスト藝談集』に収載されていたもので、訳編者はこれを、音楽評論の泰斗、山根銀二氏から借り受けたという。このクック本をもととする章は音楽雑誌『レコード音楽』にシリーズ連載したもの、それ以外の数章は独、仏、米の音楽雑誌を出典として、音楽雑誌『レコード文化』『音楽公論』に単発で発表したものである。

編纂者クックは実際にはジェイムズ・フランシス・クック (James Francis Cooke, 1875 - 1960) である。『ピアニスト藝談集』の原題は Great Pianists on Piano Playing : Study Talks with Foremost Virtuosos であり、 Theodore Presser Company から初版 (全21章) が1913年に、増補された第2版 (全30章) が1917年に出版されている。初版の原文はプロジェクト・グーテンベルクで公開されている。以下に原田『大ピアニストは語る』(2020) の章と対応する原著を記す。クック編纂『ピアニスト藝談集』からの翻訳は、『大ピアニストは語る』全20章のうち12章 (初版全21章のうち9章、第2版で増補された9章のうち3章) である。

追記: クック編纂『ピアニスト藝談集』第2版の増補分、フィンク Finck (1909)『音楽での成功 Success in Music 』、カサドゥジュ Casadesus, Robert (1941)「音楽学習における技術の位置 The Place of Technic in Music Study 」『エチュード The Etude 』第59巻第5号、ルービンスタイン Rubinstein, Artur (1941)「上級ピアニストに与う Problems of the Advanced Piano Student 」『エチュード The Etude 』第59巻第6号、シュナーベル Schnabel, Artur (1941)「ピアニストに必要な特性 The Qualities a Pianist Must Possess 」『エチュード The Etude 』第59巻第8号。未詳とした以上の原著について加筆した (2020-09-18)。

  1. ウラジミール・ド・パハマン 1848-1933. 演奏の独自性の探求 (Cooke 1913, pp. 182-195. §14. Seeking Originality. Vladimir de Pachmann)
  2. イグナーツ・ヤン・パデレフスキー 1860-1941.
    1. 音楽芸術の幅の広さについて (Cooke 1917, pp. 290-300. §22. Bredth in Musical Art. Ignaz Jan Paderewski)
    2. テンポ・ルバートについて (Finck 1909, pp. 454-461. §28. Paderewski on Tempo Rubato. 原田 2020, p. 34「このパデレフスキーのテンポ・ルバートに関する小論は、以前に読んだ折に自分の心覚えのためにざっと訳しておいたものである。」)
  3. エミール・フォン・ザウアー 1862-1942. 演奏家の訓練 (Cooke 1913, pp. 236-250. §18. The Training of the Virtuoso. Emil Sauer)
  4. モーリッツ・ローゼンタール 1862-1946. 壮麗なるピアノ演奏様式 (Rosenthal, Moriz. 原著未詳)
  5. イシドール・フィリップ 1863-1958. ピアノ教授について (Philipp, Isidor. 原著未詳)
  6. フェルッチョ・ブゾーニ 1866-1924. ピアノ学習上の重要なる細目 (Cooke 1913, pp. 97-107. §7. Important Details in Piano Study. Ferruccio Busoni)
  7. レオポールト・ゴドウスキー 1870-1938. テクニックの真の意義について (Cooke 1913, pp. 133-142. §10. The Real Significance of Technic. Leopold Godowsky)
  8. セルゲイ・ラフマニノフ 1873-1943. 芸術的演奏の本質 (Cooke 1913, pp. 208-220. §16. Essentials of Artistic Playing. S. V. Rachmaninoff)
  9. ハロルド・バウアー 1873-1951. ピアノ学習の芸術面 (Cooke 1913, pp. 64-78. §5. Artistic Aspects of Piano Study. Harold Bauer)
  10. ヨーゼフ・ホフマン 1876-1957. ピアノ演奏の進歩 (Cooke 1913, pp. 157-168. §12. Progress in Piano Study. Josef Hofmann)
  11. ルドルフ・ガンツ 1877-1972. ピアノ演奏の機会と制限 (Cooke 1917, pp. 311-320. §24. Opportunities and Limitations in Pianoforte Playing. Rudolph Ganz)
  12. アルフレッド・コルトー 1877-1962. インタープリテーションについて. (Cortot, Alfred (1934). Cours d'interprétation. 原田 2020, p. 119「コルトーの『インタープリテーション講義』中のコルトーの言葉を加えることにした。……ここに加えたコルトーの言葉も、英訳によった」)
  13. オシップ・ガヴリロウィッチ 1878-1936. タッチの本質 (Cooke 1913, pp. 122-131. §9. Essentials of Touch. Ossip Gabrilowitsch)
  14. マーク・ハンブルク 1879-1960. 音楽学習の進歩と保証 (Cooke 1917, pp. 349-362. §27. Insuring Progress in Music Study. Mark Hambourg)
  15. アルトゥール・シュナーベル 1882-1951. ピアニストに必要な特性 (Schnabel, Artur (August 1941). “The Qualities a Pianist Must Possess”. The Etude. Vol. 59 no. 8. page 511)
  16. ヴィルヘルム・バックハウス 1884-1969. 明日のピアニスト (Cooke 1913, pp. 52-62. §4. The Pianist of To-morrow. Wilhelm Bachaus)
  17. アルトゥール・ルービンスタイン 1887-1982. 上級ピアニストに与う (Rubinstein, Artur (June 1941). “Problems of the Advanced Piano Student”. The Etude. Vol. 59 no. 6. p. 365)
  18. イーヴ・ナット 1890-1956. ピアノについて (Nat, Yves. 原著未詳)
  19. ヴァルター・ギーゼキング 1895-1956 (カール・ライマーによる). 近代奏法の基礎 (Leimer, Karl; Gieseking, Walter (1931). Modernes Klavierspiel. 原田 2020, p. 177「ここに加えたものは、ギーゼキングの師であるカール・ライマーが書いた『近代ピアノ奏法』の第一章である。ギーゼキング自身この書に序文をよせて、その芸術家としての教育のすべてを負っていると恩師に感謝しているほどであるし、書名に『ライマー=ギーゼキングによる』と副題が記されているほどであるから、ギーゼキングの演奏法の基礎を知るには、適当なものであろう」)
  20. ロベール・カサドゥジュ 1899-1972. 音楽学習における技術の位置 (Casadesus, Robert (May 1941). “The Place of Technic in Music Study”. The Etude. Vol. 59 no. 5. pages 297-298)

出典:

2020-09-08

150th Birth Anniversary of Heinrich Neal

Heinrich Maria Neal (Germany, 1870 - 1940) - 24 Klavier-Etüden in allen Dur- und Molltonarten zur Einführung in die moderne Musik, Op. 75; No. 23. Fuge zu 3 Stimmen. Langsam (Lento. G flat major)

今日はドイツの作曲家・音楽教育者・音楽出版業者、ハインリヒ・ニール (ネアル) 生誕150年の誕生日です。今回はニール作曲「現代音楽入門のための全長短調による24のピアノ練習曲 Op. 75」より第23番「3声のフーガ 変ト長調」を弾きました。

ハインリヒ・ニールは、米国人画家のデイヴィッド・ドルホフ・ニール (David Dalhoff Neal, 1838 - 1915) の子としてバイエルン王国の首都ミュンヘンに生まれました。母方の祖父は父デイヴィッドの師であるガラス画家のマックス・エマヌエル・アインミラー (Max Emanuel Ainmiller, 1807 - 1870) で、兄に劇作家のマックス・ニール (Max Dalhoff Neal, 1865 - 1941) がいます。

1884年から1888年まで生地ミュンヘンの王立音楽アカデミー (Königliche Akademie der Tonkunst, 現在のミュンヘン音楽演劇大学) で学び、ヨーゼフ・ラインベルガー (Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901) に師事したのち、1888年から1889年までドレスデンフェーリクス・ドレーゼケ (Felix Draeseke, 1835 - 1913) に師事しました。パリとミュンヘンで音楽教師として活動したのち、1894年から創設者の一人となったハイデルベルク音楽院 (Konservatorium in Heidelberg) で院長に就任しました。ハイデルベルクでは音楽出版者としても活動し、 Verlag von H. Neal の名で自作の楽譜などを出版しています。1920年に音楽院を辞めますが、引き続きハイデルベルクで個人教師を続け、1940年に同地で亡くなりました。

出典:

  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Neal, David Dalhoff”. Encyclopædia Britannica. 19 (11th edition). Cambridge University Press. page 320.
  • Slonimsky, Nicolas, ed. (1958). “Neal, Heinrich”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th edition). New York: G. Schirmer. page 1158.
  • Vierhaus, Rudolf, ed. (2007). “Neal, Heinrich Maria”, “Neal, Max, Pseud. Maximilian Dalhoff”. Deutsche biographische Enzyklopädie : (DBE). 7 (2nd edition). München: K. G. Saur. page 370.

2020-09-05

200th Birth Anniversary of Louis Köhler

Louis Köhler (Germany, 1820 - 1886) - Praktische Klavierschule, Op. 300; No. 200. Adagio in B flat minor

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・批評家・音楽教師、ルイ・ケーラー生誕200年の誕生日です。今回はケーラー作曲「実践的ピアノ教本 Op. 300」(全224曲) より第200曲「アダージョ 変ロ短調」を弾きました。

ブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクに生まれたルイ・ケーラーは、生地で A. ゾンネマン (A. Sonnemann) にピアノを、Ch. ツィンカイゼン (Ch. Zinkeisen jun.) にヴァイオリンを、コンラート・ルートヴィヒ・ディートリヒ・ツィンカイゼン (Konrad Ludwig Dietrich Zinkeisen, 1779 - 1838) とヨーゼフ・アドルフ・ライブロック (Josef Adolf Leibrock, 1808 - 1886) に和声法を師事しました。このうちゾンネマンはケーラーが少年期に所属していた合唱団の指揮者でもありました。1839年にポツダム在住の親族のすすめでヴィーンのカール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) のもとに赴き、チェルニーの紹介によりヴィーンでカール・マリア・フォン・ボクレット (Carl Maria von Bocklet, 1801 - 1881) にピアノを師事したほか、ジーモン・ゼヒター (Simon Sechter, 1788 - 1867) とイグナーツ・フォン・ザイフリート (Ignaz von Seyfried, 1776 - 1841) に音楽理論を師事しました。1843年に生地ブラウンシュヴァイクに戻ったのち、1845年にプロイセン王国東プロイセンケーニヒスベルク (現在のロシア領カリーニングラード) に移り、当初は作曲のほかに劇場と合唱団の指揮者として活動しました。1847年以降はピアノ教育と音楽書の執筆に専念し、新ドイツ楽派 (Neudeutsche Schule) やピアノ教授法に関する著作が知られています。

教え子にアドルフ・イェンゼン (Adolf Jensen, 1837 - 1879)、ローベルト・ゴルトベック (Robert Goldbeck, 1839 - 1908)、ヘルマン・ゲッツ (Hermann Goetz, 1840 - 1876)、マックス・シュピッカー (Max Spicker, 1858 - 1912)、アルフレート・ライゼナウアー (Alfred Reisenauer, 1863 - 1907) がいます。

出典:



2020-09-03

100th Death Anniversary of Joseph Schluty

Jean Joseph Schluty (France, 1829 - 1920) - 12 Petites pièces pour orgue ou harmonium; No. 3. Offertoire. Prélude et fuguette ; Præludium & Fuguetta. Maestoso - Allegro moderato alla Fugua (B flat major. Dedicated to Henri Delépine (1871 - 1956))

今日はバ=ラン (ウンターエルザス) 出身のフランスの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者、ジョゼフ・シュリュティ (ヨーゼフ・シュルーティ) 没後100年の命日です。今回はジョゼフ・シュリュティ作曲「オルガンまたはハルモニウムのための12の小品」より第3曲「オッフェルトリウム (前奏曲とフゲッタ) 変ロ長調」を弾きました。曲集の楽譜は1900年に出版されたアンリ・ドゥレピン (Henri Delépine, 1871 - 1956) 編纂「オルガン奏者の書庫 Archives de l'Organiste 」第8巻に収録されていて、このオッフェルトリウムは編纂者のドゥレピンに献呈されています。

ライヒスホーフェン (Reichshoffen) に生まれたヨーゼフ・シュルティは、23歳でアジャン (Agen) のサン=カプレ大聖堂 (Cathédrale Saint-Caprais d'Agen) のオルガン奏者に就任し、アジャンで亡くなりました。1903年に公共教育大臣のジョゼフ・ショーミエ (Joseph Chaumié) により、レジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与されています。

出典: Lamy, Fernand, ed. (1979). Revue de l'Agenais. 105. Société académique d'Agen. page 47.