2021-10-31

200th Birth Anniversary of Rudolf Willmers

Rudolf Willmers (Germany/Austria, 1821 - 1878) - Sérénade. Allegretto (E minor).

今日はドイツ出身のオーストリアの作曲家・ピアノ奏者・ピアノ教師・チェスプレイヤー・チェスプロブレム作家、ルドルフ・ヴィルマース生誕200年の誕生日です。今回はヴィルマース作曲「セレナード ホ短調」を弾きました。10人の作曲家による作品が1曲ずつ (3曲の歌曲と7曲のピアノ独奏曲) 収録された「デンマークの作曲家からの大人と子供へのクリスマスの挨拶 第1巻 1849年 Julehilsen til Store og smaae fra danske Componister med Bidrag af Gade, Gebauer, Hartmann, Lumbye, Lövenskjold, Ravnkilde, Rée, Rongsted, Rung, Willmers. 1. Aarg. (Kbh., 1849).」(København: C. C. Lose, December 1848) に第10曲として収録されています。

ルドルフ・ヴィルマースは1821年10月31日にプロイセン王国の首都ベルリンで生まれました。父はデンマーク人、母はフランス人でした。ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の首都ヴァイマルヨハン・ネポムク・フンメル (Johann Nepomuk Hummel, 1778 - 1837) に、アンハルト=デッサウ公国の首都デッサウフリードリヒ・シュナイダー (Friedrich Schneider, 1786 - 1853) に師事しました。1838年から1853年にわたる演奏旅行でドイツ北部、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンを巡ったのち、オーストリア帝国の首都ヴィーンを拠点としました。 1864年から1866年までベルリンのシュテルン音楽院で教授を務めたのちにヴィーンに戻りました。1878年に精神錯乱に陥り、回復することなく同年8月24日に同地で亡くなりました。ヴィーンでのピアノの教え子にコルネリイェ・スタンコヴィチ (Kornelije Stanković, 1831 - 1865) がいます。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Willmers, Heinrich Rudolf”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 1040.
  • Petrović, Danica (2001). “Stanković, Kornelije”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-30.
  • Wurzbach, Constant von, ed. (1888). “Willmers, Rudolf”. Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 56. Wien: Aus der kaiserlich-königlichen Hof- und Staatsdruckerei. 1888. page 196.

2021-10-26

150th Birth Anniversary of Hermann Löhr

Hermann Frederic Löhr (England, 1871 - 1943) - Little Grey Home in the West. Song. Moderato (D major). Words by D. Eardley-Wilmot (England, 1883 - 1970). Arranged by Henry Marcellus Higgs (England, 1855 - 1929).

今日はイングランドの作曲家ヘルマン・レーア (ハーマン・ローア) 生誕150年の誕生日です。今回はレーア作曲、歌曲「西の小さい灰色の家」の、ヘンリ・マーセラス・ヒグズによるピアノ独奏編曲を弾きました。

ヘルマン・レーアは作曲家フレデリック・ニコルズ・レーア (Frederic Nicholls Löhr, 1844 - 1888) の子として1871年10月26日に英国デヴォン州プリマス (Plymouth) で生まれました。王立音楽アカデミーで学び、校内の作曲賞であるチャールズ・ルーカス・メダル (Charles Lucas Medal) を受賞しました。音楽出版と楽器販売を手がけるロンドンのチャペル社 (Chappell & Co.) に30年以上勤め、主に同社から自作の楽譜を出版しました。作品に歌曲、劇音楽、器楽曲などがあります。1943年12月6日に英国ケント州ロイヤルタンブリッジウェルズ (Royal Tunbridge Wells) で亡くなりました。親族に俳優のマリー・ローア (Marie Löhr, 1890 - 1975) がいます。

出典: Lamb, Andrew (2001). “Löhr, Hermann”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-25.

2021-10-20

100th Death Anniversary of Louis Benedictus

Les musiques bizarres à l'exposition. Recueillies et transcrites par Louis Benedictus (France, 1850 - 1921). Dessins de F.-A. Gorguet (Paris: G. Hartmann, 1889); II. La nouba des tirailleurs algériens. Presto (C minor).

今日はオーストリア出身のフランスの作曲家・ピアノ奏者、ルイ・ベネディクトゥス没後100年の命日です。今回はベネディクトゥスにより収集、編曲された「博覧会の奇妙な音楽」より第2番「アルジェリアのティライユール隊のヌーバ」を弾きました。この曲集は1889年の第4回パリ万国博覧会 (Exposition Universelle de Paris 1889) で実演されたアジア、アフリカ、東欧の音楽を採譜してピアノ独奏またはピアノ伴奏歌曲に編曲したものであり、曲目は以下の通りです。「春雨」、「高い山から (素朴な歌)」といった日本の歌も含まれています。フランス植民地帝国におけるティライユールは歩兵の一種であり、ヌーバ (نوبة, ナウバ、複数形: نوبات, ヌーバート、ナウバト) はマグレブの軍楽隊、あるいはその軍楽隊が演奏する楽曲の形式を指すようです。

  1. ガムラン (Le gamelang)
    1. ジャワの音楽家の行列 (Procession des musiciens javanais)
    2. ジャワ舞曲 (Danse javanaise)
  2. アルジェリアのティライユール隊のヌーバ (La nouba des tirailleurs algériens)
  3. ペルシアの歌 (Chansons persane: "Ah! rends moi la vie / En versant le vin.")
  4. ベリーダンス (La danse du ventre)
  5. ツィガーヌ (Le tzigane)
  6. ルーマニアの踊りの歌 (コラビャスカ) (Air de danse roumain (Corabiascà))
  7. 安南のどんちゃん騒ぎ (Charivari annamite)
  8. 将軍の命令、中国行進曲 (Les ordres de général, Marche chinoise)
  9. シパモまたは18人の美女、花の舟の歌 (Chipamo ou les 18 beautés, Chansons du bateau des fleurs: "Chantons, veux-tu, jeu ne fille, tes dix-huit beautés?")
  10. 春雨、古い日本の歌 (Harou samé, Chant japonais antique)
  11. 日本で愛好された素朴な歌 (Chanson rustique, populaire au Japon: "高い山から谷底見ればな")
  12. 稲穂の神の祭り、日本行進曲 (La fête du dieu du riz, Marche japonaise)

ルイ・ベネディクトゥスは1850年12月13日にオーストリア帝国の首都ヴィーンで生まれ、1921年10月20日にフランス共和国ディナールで亡くなりました。江戸時代の日本を舞台としたジュディット・ゴーチエ (Judith Gautier, 1845 - 1917) による戯曲『微笑を売る女 La marchande de sourires : pièce japonaise, en 5 actes et 2 parties 』(1888. 西園寺公望侯爵に献呈 Hommage à M. Le Marquis Saïonzi. Envoyé entraordinaire et Ministre plénipotentiaire de Sa Majesté l'empereur du Japon ) への音楽を作曲したことでも知られます。

出典:

2021-10-14

250th Death Anniversary of František Xaver Brixi

František Xaver Brixi (Czech, 1732 - 1771) - Partita per il clavicembalo; Andante espressivo (A major).

今日はチェコ・ボヘミアの作曲家・オルガン奏者、フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ (フランツ・クサーヴァー・ブリクシ) 没後250年の命日です。今回はブリクシ作曲、クラヴィチェンバロのための「パルティータ」よりアンダンテ イ長調を弾きました。楽譜は Musica Antiqua Bohemica. Serie I. Vol. 14. Čeští Klasikové. Piano I を使用しました。

フランティシェク・クサヴェル・ブリクシは神聖ローマ帝国ボヘミア王国の首都プラハ (Praha) に生まれました。父のシモン・ブリクシ (Šimon Brixi, 1693 - 1753) はヴルカヴァ (Vlkava) 出身の作曲家です。スカルスコ (Skalsko) 出身の親族にドロタ・ブリクシ (Dorota Brixi, 1686 - 1762) がおり、彼女と夫ヤン・イジー・ベンダ (Jan Jiří Benda, 1682 - 1757) との間の子にフランティシェク・ベンダ (František Benda, 1709 - 1786)、ヤン・イジー・ベンダ (Jan Jiří Benda, 1713 - 1752)、イジー・アントニーン・ベンダ (Jiří Antonín Benda, 1722 - 1795)、ヨゼフ・ベンダ (Josef Benda, 1724 - 1804) がいます。また、ドロタの甥にヴィクトリーン・イグナーツ・ブリクシ (Viktorín Ignác Brixi, 1716 - 1803) がいます。

1744年から1749年までコスモノシ (Kosmonosy) にあるエスコラピオス修道会のギムナジウムで音楽教育を受け、同校でヴァーツラフ・カロウス (Václav Kalous, 1715 - 1786) などに学びました。1749年にプラハに戻り、同地のいくつかの教会でオルガン奏者を務めました。1759年に聖ヴィート大聖堂 (Katedrála svatého Víta) のカペルマイスターに任命されました。1771年10月14日に結核のために39歳で亡くなりました。

出典: Novák, Vladimir (2001). “Brixi family”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-12.

2021-10-11

200th Birth Anniversary of Angelo Mariani

Angelo Maurizio Gaspare Mariani (Italy, 1821 - 1873) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Melodia dalla Romanza per canto « Dolore e Speranza ». Andantino (E major).

今日はイタリアの作曲家・指揮者・ヴァイオリン奏者、アンジェロ・マリアーニ生誕200年の誕生日です。今回はマリアーニ作曲、歌曲「苦痛と希望」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第30曲として収録されています。

1821年10月11日に教皇領ラヴェンナ (Ravenna) で生まれたアンジェロ・マリアーニは、生地のアカデミア・フィラルモニカ (Accademia filarmonica di Ravenna) でピエトロ・カザリーニ (Pietro Casalini) とジョヴァンニ・ノスティーニ (Giovanni Nostini) にヴァイオリンを、ラヴェンナ大聖堂オルガン奏者ジェロラモ・ロベルティ (Gerolamo Roberti) に対位法を師事しました。サンターガタ・フェルトリアリミニマチェラータファエンツァトレントボローニャメッシーナナポリミラノとイタリア各地で活動したのち、1847年のコペンハーゲンを経て、1848年9月から2年間はイスタンブールナウム劇場 (Théâtre Naum) の音楽監督を務めました。コペンハーゲンではデンマーク王立管弦楽団音楽監督の職を持ちかけられたものの、1848年革命が起きると兵役志願を理由としてイタリアに戻りました。革命の戦闘に参加したかは不明です。1852年にジェノヴァカルロ・フェリーチェ劇場 (Teatro Carlo Felice) 常任指揮者に就任。1857年のジュゼッペ・ヴェルディ (Giuseppe Verdi, 1813 - 1901) 作曲の歌劇『アロルド』初演の指揮を契機にヴェルディと親密になりましたが、1868年以後のヴェルディ作品の指揮やマリアーニの婚約者でソプラノ歌手のテレーザ・シュトルツ (Teresa Stolz, 1834 - 1902) などをめぐるいざこざにより1871年に2人の関係は破綻しました。1871年11月1日のリヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813 - 1883) 作曲『ローエングリン』、1872年11月11日の同『タンホイザー』のボローニャでのイタリア初演ののちジェノヴァに戻り、1873年6月13日に腸癌のために同地で亡くなりました。

出典: Phillips-Matz, Mary Jane; Budden, Julian (2001). “Mariani, Angelo (Maurizio Gaspare)”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-09.

2021-10-08

200th Birth Anniversary of Friedrich Kiel

Friedrich Kiel (Germany, 1821 - 1885) - 15 Canons in Kammerstyl für das Pianoforte, Op. 1 (Dedicated to Franz Liszt. Leipzig: Breitkopf und Härtel, 1852); No 5. Zweistimmiger Canon in der Untersecunde mit zwei Füllstimmen. Andante tranquillo (D flat major).

今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・ピアノ奏者・音楽教師、フリードリヒ・キール生誕200年の誕生日です。今回はキール作曲「室内様式による15のカノン Op. 1」より第5番「2つの付加声部をもつ下2度の2声カノン 変ニ長調」を弾きました。フランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) がヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) 作曲のオルガンのための前奏曲とフーガのピアノ編曲集 (S. 462) の出版を準備していた頃、キールはリストに出会ってその編曲を見せてもらいました。キールは師ジークフリート・デーンが管理者をしていた王立図書館音楽部門で原曲の手稿譜を閲覧し、その編曲のバッハらしくない声部進行を発見して変更を提案したところ、リストは謝意を示してその提案を受け入れました。リストは完成したばかりのキール作曲「15のカノン」を見てブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に推薦し、キールは同社から Op. 1 として出版されたその作品をリストに献呈しました (Prieger, 1906)。献辞には "Herrn Dr. Franz Liszt in hochachtungsvoller Verehrung zugeeignet" と書かれています。キールの Op. 1 には Bilder aus der Jugendwelt というピアノ曲集もあり、こちらはカノン集より先に出版されたもののようです。

フリードリヒ・キールは1821年10月8日にプロイセン王国ヴェストファーレン州プーダーバッハ (Puderbach. 現在のバート・ラースフェ Bad_Laasphe) に生まれ、1827年に家族とともにシュヴァルツェナウ・アン・デア・エーダー (Schwarzenau an der Eder. 現在のバート・ベルレブルク Bad Berleburg) に移ります。父と音楽教師カール・バッタ (Karl Batta, 1807 - 1893) に音楽の手ほどきを受けたのち、 ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルク侯アルブレヒト (Albrecht Fürst zu Sayn-Wittgenstein-Berleburg, 1777 - 1851) の支援下で、1835年にアルブレヒトの兄弟のカール (Prinz Karl) にヴァイオリンを学び、1836年から1838年初めまでベルレブルク宮廷のヴァイオリン奏者を務め、1838年3月から1839年秋までコーブルクでカスパー・クンマー (Kaspar Kummer, 1795 - 1870) に作曲を師事しました。1840年から1842年まで宮廷音楽家・音楽教師を務めたのちカッセルを経由してベルリンに向かい、アルブレヒトの推薦によりプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (Friedrich Wilhelm IV, 1795 - 1861)から3年間の作曲奨学金を得ました。1842年末から1845年秋までジークフリート・デーン (Siegfried Wilhelm Dehn, 1799 - 1858)に対位法と自由作曲法を学びました。

1845年からベルリンを拠点に音楽教師・作曲家・ピアノ奏者として活動し、1865年にはプロイセン芸術アカデミーの会員となりました。1866年からシュテルン音楽院の作曲の教師となり、1868年には教授 (Professor) の称号を得ました。 1870年から設立後間もない王立音楽演劇アカデミー (現在のベルリン芸術大学) の音楽理論の教師となり、1882年には同校の作曲マイスターシューレの責任者の一人となり、作曲科長、理事に就任しました。1883年9月に交通事故に巻き込まれ、完全に回復することなく1885年10月8日にベルリンで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

  • Büchner, Susanne (2003) 2016. “Kiel, Friedrich”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2021-10-07.
  • Langner, Thomas-M. (1977). “Kiel, Friedrich”. In: Neue Deutsche Biographie 11. S. 577-578. Retrieved 2021-10-07.
  • Prieger, Erich (1906). “Kiel, Friedrich”. In: Allgemeine Deutsche Biographie 51. S. 126-133. Retrieved 2021-10-07.
  • Grove Music Online. Retrieved 2021-10-07.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Pratt, Silas Gamalielm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 721.