2026-05-29

150th Birth Anniversary of Christian Knayer

Christian Knayer (Germany, 1876 - 1932) - Always Jolly. Allegro (G major).

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者・音楽批評家・音楽教師、クリスティアン・クナイヤー生誕150年の誕生日です。今回はクナイヤー作曲「いつも陽気 ト長調」を弾きました。楽譜は Children's Piano Pieces the Whole World Plays (New York: D. Appleton & Co., 1920) の93頁に収録されているものを用いたので、正式な題名ではない可能性があります。

クリスティアン・クナイヤーは1876年5月29日にドイツ帝国ヴュルテンベルク王国エスリンゲン・アム・ネッカー (Esslingen am Neckar) 近郊のベルクハイム (Berkheim. 現在はエスリンゲン・アム・ネッカー市に属する) で生まれました。ベーブリンゲン (Böblingen) のラテン語学校で学んだのち、1890年から1894年までシェーンタール (Schöntal) とウラッハ (Urach) の神学校で学び、1894年から1898年までエーバーハルト・カール大学テュービンゲンで哲学と国家学を学びました。1898年から1902年までエルンスト・ハインリヒ・ザイファルト (Ernst Heinrich Seyffardt, 1859 - 1942) にピアノを、ハインリヒ・ラング (Heinrich Lang, 1858 - 1919) に音楽理論を、サミュエル・デ・ランゲ2世 (Samuel de Lange jr., 1840 - 1911) に音楽理論とオルガンを師事しました。

1902年から1905年までイタリアのフィレンツェでオルガン奏者を、1906年から1909年までシュトゥットガルト実科学校の教員を務めました。1909年以降、シュトゥットガルトのノイエス・タークブラット (Neues Tagblatt) と官報 (Staatsanzeiger) で音楽批評を担当し、シュトゥットガルトに私立音楽学校を設立しました。1912年にソプラノ歌手のリューディア・シューマッハー (Lydia Knayer geb. Schumacher, b. 1883) と結婚。1914年には子のマンフレート (Manfred Knayer)が生まれました。1932年8月20日にシュトゥットガルトで亡くなりました。

出典:

  • Einstein, Alfred, ed. (1929). “Knayer”. Hugo Riemanns Musik-Lexikon. 11th edition. Leipzig: Max Hesse. page 913.
  • Müller, Erich H., ed. (1929). Deutsches Musiker-Lexikon. Dresden: Wilhelm Limpert.
  • Knayer, Christian, 1876-1932”. LC Name Authority File (LCNAF). The Library of Congress. Retrieved 2026-05-29.

2026-05-25

200th Death Anniversary of Christian Friedrich Ruppe

Christian Friedrich Ruppe (Germany/Netherlands, 1753 - 1826) - 18 Pièces pour l'orgue ou piano-forte composées et dediées à Monsieur G. B. Craan, Op. 10 (Leiden: chez l'auteur); No. 6. Presto ma non troppo (G major).

今日はドイツ出身のオランダの作曲家・音楽理論家、クリスティアン・フリードリヒ・ルッペ没後200年の命日です。今回はルッペ作曲「オルガンまたはピアノのための18の小品 Op. 10」より第6曲 ト長調を弾きました。

クリスティアン・フリードリヒ・ルッペは1753年8月22日にザクセン=マイニンゲン公国ザルツンゲン (Salzungen) で、帽子・楽器製造業者でヴィルトプレヒトローダ (Wildprechtroda) のオルガン奏者でもあったエルンスト・ザーロモン・ルッペ (Ernst Salomon Ruppe) の子として生まれました。幼少期についてはほとんど分かっていないものの、キストによると1772年にはネーデルラント連邦共和国ライデン (Leiden) に住み、1773年にはライデン大学に入学して法律を学びました (Kist 1841)。1784年まで商人として活動。ドイツに短期間滞在したのちの1787年にライデン大学哲学部に入学。1788年にライデンにあるルーテル教会のオルガン奏者に就任。1790年にライデン大学の楽長兼音楽監督 (ordinaris musicant) に就任。1802年から音楽の講義を始め、1809年から1810年にかけて音楽理論の著書を執筆。1816年に国王ウィレム1世 (Willem I, 1772 - 1843) により正式に音楽の講師 (lector) に任命されました。1826年5月25日にライデンで亡くなりました。

弟に作曲家・ヴァイオリン奏者・鍵盤楽器奏者のフリードリヒ・クリスティアン・ルッペ (Friedrich Christian Ruppe, 1771 - 1834) がいます。

出典:

2026-05-15

150th Birth Anniversary of Arthur De Meulemeester

Arthur De Meulemeester (Belgium/UK, 1876 - 1942) - Offertoire. Allegro giusto (D major. De Kerkorgelist, Vol.1. Leipzig: Breitkopf und Härtel. pages 40-41).

今日はベルギー・フランデレン出身の英国の作曲家・オルガン奏者・合唱指揮者、アルテュール・デ・メーレメーステル生誕150年の誕生日です。今回はデ・メーレメーステル作曲「オフェルトワール (奉献唱) ニ長調」を弾きました。

アルテュール・デ・メーレメーステルは1876年5月15日にベルギー王国オースト=フランデレン州メッレ (Melle) で生まれました。ワールスホート (Waarschoot) で教会使用人 (koster) 兼オルガン奏者を務めていた父から音楽の手ほどきを受けました。1889年にヘント王立音楽院 (Koninklijk Conservatorium Gent) に入学し、アドルフ・ドフルスト (Adolf D'Hulst, 1851 - 1916)、ヨゼフ・ティルボルフス (Jozef Tilborgs) にオルガンを、フランス・ヴァン・アヴェルマーテ (Frans Van Avermaete, 1845 - 1918) にピアノを、ポール・ルブラン (Paul Lebrun, 1863 - 1920) に和声法を、アドルフ・サミュエル (Adolphe Samuel, 1824 - 1898) に対位法を師事しました。16歳でオルガン科の優秀賞 (accessit) を獲得しましたが、深刻な病のために学業を中断せざるを得ませんでした。その後、シント=ニクラースの教員養成学校 (normaalschool) で学び、聖母教会 (Onze-Lieve-Vrouw-van-Bijstand-der-Christenenkerk) で臨時オルガン奏者を務めました。1894年にメヘレンレメンス音楽院 (Lemmensinstituut) に入学して、エドハル・ティネル (Edgar Tinel, 1854 - 1912) とオスカル・デペイト (Oscar Depuydt, 1858 - 1925) に4年間師事し、1898年に最優等の成績で卒業しました。同年10月にアイルランド北部のベルファスト (Belfast) にあるクロナード修道院 (Clonard Monastery) のオルガン奏者兼合唱指揮者に就任。自身が創設した聖ジョージ合唱団 (St George's Singing Choir) とともに、自作や古典の作品を定期的に演奏しました。1942年6月26日にベルファストで亡くなりました。

出典: Focquaert, Annelies. “De Meulemeester, Arthur”. Studiecentrum Vlaamse Muziek. Retrieved 2026-05-14.

2026-04-07

200th Birth Anniversary of Hermann Berens

Hermann Johann Berens (Sweden, 1826 - 1880) - 3 Albumblad komponerade för piano, Op. 97 (Stockholm: Abraham Hirsch, 1878). Till vännen Albert Lindstrand; No. 2. Andante espressivo (F minor).

今日はドイツ出身のスウェーデンの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、ヘルマン・ベーレンス (1世) 生誕200年の誕生日です。今回はベーレンス作曲「ピアノのための3つのアルバムの綴り Op. 97」より第2番 ヘ短調を弾きました。曲集はベーレンスの友人でピアノ奏者のアルベルト・リンドストランド (Albert Lindstrand, 1835 - 1907) に献呈されています。

ヘルマン・ベーレンスは1826年4月7日に自由ハンザ都市ハンブルクで、軍楽監督・フルート奏者・作曲家のカール・ベーレンス (Carl Berens, 1801 - 1857) の子として生まれました。父からピアノの手ほどきを受けたのち、ヴァイオリンとティンパニを学び、2年間ザクセン王国ドレスデンカール・ゴットリープ・ライシガー (Carl Gottlieb Reissiger, 1798 - 1859) に作曲法を師事しました。『ベイカー音楽家人名辞典』第3版によるとカール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) にも師事しています (Baker 1919)。1845年にアルト歌手のマリエッタ・アルボーニ (Marietta Alboni, 1823 - 1894) のチェコ、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、オーストリアをめぐる演奏旅行に伴奏者として同行しました。1847年にスウェーデンに移り、ハンブルクのピアノ五重奏団のピアノ奏者としてストックホルムでデビューしました。 1849年にエレブルー (Örebro) のライフ連隊フサール (Livregementets husarer) 音楽監督に就任。1848年よりヨーハン・ローベルト・ウルリク・ブラウネル中尉 (Johan Robert Ulrik Brauner) の3人の娘の音楽家庭教師をしており、その長姉マティルダ (Hedvig Matilda Berens, född Brauner, 1829 - 1887) と1853年に結婚しました。1860年の秋にストックホルムに戻り、小劇場 (Mindre teatern) 音楽監督に就任し、スウェーデン王立音楽アカデミー教育部門 (現在のストックホルム音楽大学) の対位法、作曲法、楽器法の教師 (1868年に正教授に就任) も務めました。1880年5月9日にストックホルムで、満54歳で亡くなりました。 子に作曲家・歌手・ピアノ奏者・指揮者となったヘルマン・ベーレンス2世 (Herman Berens den yngre, 1862 - 1928) がいます。

出典:

  • Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-04-06.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Hermann Berens”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 76.

300th Birth Anniversary of Charles Burney

Charles Burney (England, 1726 - 1814) - 6 Sonatas for the Harpsichord (London: Robert Bremner, 1774); No. 5. Sonata in G major; III. Andantino (G minor).

今日はイングランドの作曲家・オルガン奏者・音楽史家、チャールズ・バーニー生誕300年の誕生日です。今回はバーニー作曲「ハープシコードのための6つのソナタ」(1774) のソナタ第5番 ト長調より第3楽章 ト短調を弾きました。

チャールズ・バーニーは1726年4月7日にグレートブリテン王国イングランドのシュルーズベリー (Shrewsbury) で、舞踊家・ヴァイオリン奏者・肖像画家のジェイムズ・マクバーニー (James Macburney) の子として生まれました。コンドーヴァー (Condover)、シュルーズベリーで学んだのち、1739年に家族のいるチェスターに行きキングズ・スクール・チェスター (King's School, Chester) で学びました。1742年にシュルーズベリーに戻り、セント・メアリー教会 (St Mary's Church, Shrewsbury) でオルガン奏者を務めていた異母兄のジェイムズ・バーニー (James Burney) の助手となりました。1743年にチェスターに帰還。1744年にトマス・アーン (Thomas Arne, 1710 - 1778) が来訪し、それを契機としてアーンに7年間師事しました。1749年に最初の妻エスター・スリープ (Esther Sleepe Burney, 1725 - 1762) と結婚。エスターとの間に生まれた子のうち娘のフランシス・バーニー (Frances "Fanny" Burney, 1752 - 1840) は著名な小説家となりました。

同年10月にセント・ダイオニス・バックチャーチ (St Dionis Backchurch) のオルガン奏者に就任。1751年に病に冒されると、空気のきれいなキングズ・リン (King's Lynn) に移り、セント・マーガレット教会 (St Margaret's Church, King's Lynn) オルガン奏者に就任。1760年に健康を回復すると、ロンドンに戻りました。1769年にオックスフォード大学より音楽博士号を取得。音楽史の資料収集のために、1770年にフランス、スイス、イタリア、1772年にオランダ、ドイツ、オーストリア、チェコをめぐり、『フランス、イタリアの音楽の現状 The Present State of Music in France and Italy 』(1771)、『ドイツ、オランダ、オーストリアの音楽の現状 The Present State of Music in Germany,the Netherlands and the United Provinces 』(全2巻、1773) を出版しました。1776年から1789年にかけて『音楽史概説 A General History of Music 』(全4巻) を出版。1783年以降は王立チェルシー病院 (Royal Hospital Chelsea) でオルガン奏者を務めました。1814年4月12日にロンドンのチェルシー地区 (Chelsea) で、満88歳で亡くなりました。

出典:

  • Grant, Kerry S. (2001). “Burney, Charles”. Grove Music Online. Retrieved 2026-04-06.
  • Rimbault, Edward Francis (1900). “Burney, Charles”. In Grove, George (ed.). A Dictionary of Music and Musicians. Volume 1. London: Macmillan Publishers. pages 284-285.
  • Charles Burney”. Encyclopedia Britannica. 2026-04-03. Retrieved 2026-04-06.
    • バーニー」コトバンク. Retrieved 2026-04-06.
      • 「バーニー Burney, Charles 」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
      • 東川清一「バーニー Charles Burney」『改訂新版 世界大百科事典』

2026-04-05

100th Death Anniversary of Ludwik Teodor Płosajkiewicz

Ludwik Teodor Płosajkiewicz (Poland, 1859 - 1926) - Obrazek muzyczny. Andante (F major. Nowości Muzyczne. No. 8. 1906. Warszawa: Leon Chojecki).

今日はポーランドの作曲家・指揮者・音楽教師、ルドヴィク・テオドル・プウォサイキェヴィチ没後100年の命日です。今回はプウォサイキェヴィチ作曲「音楽の小さな絵画 ヘ長調」を弾きました。楽譜は月刊音楽雑誌「音楽新作 Nowości Muzyczne 」1906年第8号に付録として収載されたものを使用しました。

ルドヴィク・テオドル・プウォサイキェヴィチは1859年8月2日にポーランド立憲王国クトノ (Kutno) 近郊のムニフ (Mnich) で生まれました。ヤン・クレチニスキ (Jan Kleczyński, 1837 - 1895)、ジグムント・ノスコフスキ (Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909) に師事し、ワルシャワで声楽教師、学校の管弦楽団の指揮者を務めました。1926年4月5日にワルシャワで、満66歳で亡くなりました。

出典: “Płosajkiewicz Ludwik Teodor”. Archived from the original on 2025-01-03. Encyklopedia PWN. Retrieved 2026-04-02.

150th Birth Anniversary of Patrik Vretblad

Viktor Patrik Vretblad (Sweden, 1876 - 1953) - In memoriam pour orgue ou harmonium. Andante (maestoso) (F minor).

今日はスウェーデンの作曲家・オルガン奏者・音楽批評家・官吏、パトリック・ヴレートブラード生誕150年の誕生日です。今回はヴレートブラード作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「記念に へ短調」を弾きました。 楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第3巻 (Paris: Maurice Senart & Cie., 1912) の196頁に収録されています。

パトリック・ヴレートブラードは1876年4月5日にスウェーデン=ノルウェー連合王国時代のスウェーデンのコパルベリ県(現在のダーラナ県スヴァルトネス (Svartnäs) で、いずれも小学校教員のペール・ヴレートブラード (Per Vretblad) とエリザベト・ラーム (Elisabeth Rahm) の子として生まれました。ファールン (Falun) の学校で学んだのち、1895年から1900年までストックホルムの王立音楽院 (Kungliga Musikkonservatoriet. 現在のストックホルム音楽大学) で学び、ヒルダ・テーゲルストロム (Hilda Thegerström, 1838 - 1907) にピアノを、ヨーゼフ・デンテ (Joseph Dente, 1838 - 1905) に作曲法と対位法を師事しました。1900年から1906年までストックホルムのフランス改革派教会 (Franska reformerta församlingen) でオルガン奏者となりましたが、その一方で郵便局で官吏として働き始めました。1901年に作曲法を学ぶための奨学金を得てドイツに2年間留学。1907年にストックホルムのオスカル教会 (Oscarskyrkan) オルガン奏者に就任。1908年にヴァイオリン奏者のカーリン・ボードマン (Karin Bodman-Vretblad, b. 1883) と結婚。1953年1月15日にストックホルムで、満76歳で亡くなりました。

出典:

  • Hedberg, Walborg; Arosenius, Louise (1914). “Bodman-Vretblad, Ingrid Katarina (Karin)”. Svenska kvinnor från skilda verksamhetsområden : Biografisk uppslagsbok. Stockholm: Albert Bonnier. page 14.
  • Reese Willén, Anne (2016). “Patrik Vretblad”. Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-04-05.

2026-04-03

200th Birth Anniversary of Vincent Adler

Vincent Adler (Hungary, 1826 - 1871) - Album de piano, Œuvres posthumes No. 1 (Paris: J. Maho); No. 5. Feuillet d'album. Lento (D major). À Madame Lina Gétaz de la Fléchère.

今日はハンガリー出身の作曲家・ピアノ奏者、ヴァンサン・アドレル (アドレル・ヴィンツェ、ヴィンツェント・アドラー) 生誕200年の誕生日です。今回はアドレル作曲「ピアノのアルバム 遺作第1番」より第5曲「アルバムの綴り ニ長調」を弾きました。

ヴァンサン・アドレルは1826年4月3日にオーストリア帝国ハンガリー王国ジェール (Győr. ドイツ語名: ラープ Raab) で、オルガン奏者のアドレル・ジェルジュ (György Adler, 1789 - 1862) の子として生まれました。幼いころに一家でハンガリー王国の首都ブダに移り、ブダの宮廷礼拝堂オルガン奏者となっていた父からピアノの手ほどきを受け、義兄 (姉の夫) であるエルケル・フェレンツ (Ferenc Erkel, 1810 - 1893) に師事したのち、オーストリア帝国の首都ヴィーンに留学して和声法と作曲法を学びました。スイスのチューリヒリヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813 - 1883) と、ジュネーヴハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト (Heinrich Wilhelm Ernst, 1814 - 1865) と親交を深め、フランスのパリに移りハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894)、エドゥアール・ラロ (Édouard Lalo, 1823 - 1892) らと知己を得ました。演奏旅行で各地を巡り、スイスのジュネーヴに移ってジュネーヴ音楽院で1865年より6年間音楽教師を務めましたが、1871年1月4日にジュネーヴで、肺病のために満44歳で亡くなりました。

姉にピアノ奏者・音楽教師のアドレル・アデール (Adél Adler, 1820 - 1899) がおり、アデールは作曲家のエルケル・フェレンツと1839年に結婚しています。また、ヴァンサンの子にピアノ奏者・音楽教師のゲオルク・アドラー (Georg Adler, 1863 - 1932) がいます。

出典:

  • Eschmann-Dumur, Carl (1888). “Adler, V.”. Guide du jeune pianiste. 2nd editoin. Lausanne: Ernest Rodolphe Spiess. page 267.
  • Riemann, Hugo (1900). “Adler”. Musik-Lexikon. 5th edition. Leipzig: Max Hesse. page 10.
  • Thompson, Oscar, ed. (1975). “Adler, Vincent”. The International Cyclopedia of Music and Musicians. 10th edition. New York: Dodd, Mead. page 18.

2026-03-31

250th Birth Anniversary of Joseph Küffner

Joseph Küffner (Germany, 1776 - 1856) - 12 Pièces faciles à l'usage des commençants pour piano-forte, composées et dédiées à son Altesse Royale le Prince Otto de Bavière, Op. 131 (Mainz: B. Schott's Söhne); No. 4. Andante (F major).

今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者、ヨーゼフ・キュフナー生誕250年の誕生日です。今回はキュフナー作曲「ピアノのための初学者のための易しい12の小品 Op. 131」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲集はバイエルン王子オットー、のちの初代ギリシャ国王オソン1世 (Otto of Greece, 1815 - 1867) に献呈されました。

母方の祖父はヴュルツブルク司教領宮廷音楽監督のヨハン・ゲオルク・フランツ・ヴァスムート (Johann Georg Franz Waßmuth, 1707 - 1766)、父方の祖父はレーゲンスブルク近郊の街の笛奏者のヨハン・キュフナー (Johann Küffner)、父は1768年からヴュルツブルク司教領宮廷作曲家を務めていた作曲家のヴィルヘルム・キュフナー (Wilhelm Küffner, 1727 - 1797) でした。

ヨーゼフ・キュフナーは1776年3月31日にヴュルツブルク司教領の首都ヴュルツブルク (Würzburg) で生まれました。ヴュルツブルク司教領宮廷コンツェルトマイスターのヨーゼフ・ローレンツ・シュミット (Joseph Lorenz Schmitt, 1731 - 1796) にヴァイオリンを師事し、1800年または1801年に宮廷楽団のヴァイオリン奏者に就任しました。1801年のリュネヴィルの和約により1803年にヴュルツブルク司教領がバイエルン選帝侯領に併合されると、キュフナーは宮廷音楽家の職を解かれましたが、バイエルン陸軍軍楽隊において音楽教師となり、やがて軍楽監督 (Militärmusik-Direktor) に就任しました。この頃にフランツ・ヨーゼフ・フレーリヒ (Franz Joseph Fröhlich, 1780 - 1862) から作曲法を学び、作曲家としての活動も始めました。1805年のプレスブルクの和約により旧司教領がヴュルツブルク選帝侯領(1806年8月6日の神聖ローマ帝国解体後にヴュルツブルク大公国に改称)としてバイエルン選帝侯領から独立すると、キュフナーは新たな君主の下で引き続き軍楽監督を務め、宮廷音楽家の地位を得ました。1810年頃からオッフェンバッハ・アム・マインのアンドレ社 (Offenbach am Main: Johann André) とマインツのショット社 (Mainz: B. Schott's Söhne) と契約し、以後はこの2社から自作を出版するようになります。1814年にヴュルツブルク大公国がバイエルン王国に併合されると再び宮廷音楽家の地位を失い、収入の減少を補うために作曲家としていっそう熱心に活動しました。1827年にアンドレ社主のヨハン・アントン・アンドレ (Johann Anton André, 1775 - 1842) と金銭関係の発言をめぐって仲違いし、以後はショット社からのみ出版するようになりました。1856年9月9日にヴュルツブルクで、満80歳で亡くなりました。

出典:

  • Beer, Axel (2023-06-05).“Joseph Küffner”. Musik und Musiker am Mittelrhein 2 Online. Retrieved 2026-03-31.
  • Bernsdorf, Eduard, ed. (1857).“Küffner, Joseph”. Neues Universal-Lexikon der Tonkunst : für Künstler, Kunstfreunde und alle Gebildeten. Volume 2. Dresden: Robert Schäfer. pages 672-673.
  • Henke, Matthias (2003/2016). “Küffner, Joseph”. MGG Online. Retrieved 2026-03-31.

2026-03-19

150th Death Anniversary of Józef Stefani

Józef Stefani (Poland, 1800 - 1876) - 2 Walce na piano-forte (Warsaw: Klukowski, [1827]); Valse No. 2 (G major).

今日はポーランドの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者・音楽教師、ユゼフ・ステファニ没後150年の命日です。今回はステファニ作曲「ピアノのための2つのワルツ」より第2番 ト長調を弾きました。

ユゼフ・ステファニは、チェコ・ボヘミア出身の作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者のヤン・ステファニ (Jan Stefani, 1746 - 1829) とフリデリカ・デ・モンテル (Fryderyka de Monter) の子として、1800年にプロイセン王国南プロイセン州ワルシャワ(現在のポーランドの首都)で生まれ、4月16日に洗礼を受けました。父から音楽の手ほどきを受けたのち、ワルシャワの音楽演劇学校とワルシャワ大学美的芸術学部音楽朗唱院 (1821年から1824年まで、現在のショパン音楽アカデミー) でユゼフ・エルスネル (Józef Elsner, 1769 - 1854) に師事しました。

1813年からワルシャワ国立劇場 (1833年以降はワルシャワ大劇場) の合唱団員となり、次いで劇場の管弦楽団でティンパニ奏者、コントラバス奏者、ヴィオラ奏者、ヴァイオリン奏者を務めました。1824年10月24年に、歌手で師エルスネルの二番目の妻カロリナ (Karolina Elsner, née Drozdowska, 1785 - 1852) の姉妹であるピアノ奏者・歌手のマリアンナ・ドロズドフスカ (Marianna (Maria) Stefani, née Drozdowska, d. 1865) と結婚。1827年から1858年までバレエ公演において劇場管弦楽団の指揮者を務め、声楽の指導をしました。また、1827年から1830年までワルシャワ大学付属演劇歌唱学校(現在のショパン音楽アカデミー)でカルロ・エヴァージオ・ソリーヴァ (Carlo Evasio Soliva, 1791 - 1853) の助手を務め、1835年から1841年までワルシャワ大劇場の歌唱学校で声楽を指導し、いくつかの総合高等学校で音楽や教会歌唱の教師となりました。ワルシャワ高等学校 (Liceum Warszawskie) での声楽の教え子にユゼフ・シコルスキ (Józef Sikorski, 1815 - 1896) がいます。1860年から1861年までワルシャワ音楽院(現在のショパン音楽アカデミー)の視学官を務めました。1876年3月19日にワルシャワで亡くなり、ワルシャワのポヴォンスキ墓地 (Cmentarz Powązkowski w Warszawie) に埋葬されました。

出典:

  • Przybyszewska-Jarmińska, Barbara (2023-05-12). “Stefani, Józef”. Polska Biblioteka Muzyczna. Retrieved 2026-03-18.
  • Grove Music Online. Retrieved 2026-03-18.