Florent Schmitt (France, 1870 - 1958) - 3 Pièces pour le piano (L'Illustration, Vol. 56, No. 2888. Paris. 1898-07-02); No. 3. La fin d'une journée. Expressivement (D flat major)
今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・批評家、フローラン・シュミット生誕150年の誕生日です。今回はシュミット作曲「ピアノのための3つの小品」より第3曲「一日の終わり 変ニ長調」を弾きました。楽譜は1898年7月2日に刊行された週刊新聞「イリュストラシオン L'Illustration 」第56巻2888号に収録されました。
普仏戦争 (1870-1871) の最中、フローラン・シュミットはロレーヌ地方のムルト県 (Meurthe) ブラモン (Blâmont) に生まれました。1871年5月に締結されたフランクフルト講和条約で、フランス領だったアルザス=ロレーヌ (エルザス=ロートリンゲン) の一部がドイツ帝国に割譲されましたが、生地ブラモンはフランス領に残り、ムルト=エ=モゼル県 (Meurthe-et-Moselle) に属することになりました。
シュミットは17歳で入学したナンシー音楽院 (Conservatoire de Nancy) でアンリ・エス (Henri Hess) にピアノを、音楽院院長のギュスターヴ・サンドレ (Gustave Sandré, 1843 - 1916) に和声法を師事しました。1889年10月にパリ音楽院に入学し、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) とアルベール・ラヴィニャック (Albert Lavignac, 1846 - 1916) の和声法クラスで二等賞を取得しました。アンドレ・ジュダルジュ (André Gedalge, 1856 - 1926) に学んだフーガでは良い成績を得られませんでしたが、ジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842 - 1912) とガブリエル・フォーレ (Gabriel Fauré, 1845 - 1924) に作曲を師事しました。フォーレの作曲クラスには友人となるモーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875 - 1937) がいました。サン=クルー (Saint-Cloud) での兵役では、フルートを演奏しました。
1896年からローマ賞に挑戦し、1897年に「フレデゴンド Frédégonde 」で第二等次席、1900年に「セミラミス Sémiramis, Op. 14 」で第一等を受賞しました。3年間のローマへの留学ののち、ロシア、北アフリカ、ギリシャ、トルコなどを訪問してパリに戻りました。1922年から1924年までリヨン音楽院 (Conservatoire de Lyon) 院長を務め、1931年にはレジオンドヌール勲章を受章しました。ポール・デュカス (Paul Dukas, 1865 - 1935) の死後、1836年にフランス学士院の会員に選出され、デュカスの座席を引き継ぎました。批評家としては、 "La France" (1913年以前), "Revue de France", "Le temps" (1929-1939) などに寄稿しました。
教え子にミハイル・ジョラ (Mihail Jora, 1891 - 1971)、ピエール=オクターヴ・フェルー (Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)、レオ・ユスティニウス・カウフマン (Leo Justinius Kauffmann, 1901 - 1944) がいます。
出典: Grove Music Online
- Rostand, Claude (2001). “Ferroud, Pierre-Octave”.
- Popa, Florinela (2015-05-28). “Jora, Mihail”.
- Levi, Erik (2001). “Kauffmann, Leo Justinius”.
- Pasler, Jann; Rife, Jerry (2001). “Schmitt, Florent”.
0 件のコメント:
コメントを投稿