Arseny Koreshchenko (Арсений Николаевич Корещенко, Russia, 1870 - 1921) - Scènes enfantines pour le piano, Op. 22 (à mon cher ami Josef Hofmann [Józef Hofmann (1876 - 1957)]. Sankt-Peterburg: W. Bessel & Cie., 1897); 4. Жалоба ; Complainte. Andante doloroso (B minor)
今日はロシアの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師・批評家、アルセーニー・コレシチェンコ生誕150年の誕生日です。今回はコレシチェンコ作曲、ピアノのための「子供の情景 Op. 22」(ヨゼフ・ホフマンに献呈) より第4曲「不満 ロ短調」を弾きました。曲集は「ブーカ (オグル) ハ短調」「五月に、小スケルツォ ヘ長調」「小行進曲 ハ長調」「不満」「モーツァルト風メヌエット ニ長調」「ナポリ風ワルツ ト長調」の6曲からなります。
アルセーニー・コレシチェンコは1870年12月18日 (ユリウス暦12月6日) にモスクワで生まれました。幼少のころから楽才を示し、3歳でピアノ演奏を、4歳で作曲を始めました。8歳のときにアントン・ルビンシテイン (Anton Rubinstein, 1829 - 1894) の面前で演奏し、その才能を認めたルビンシテインの勧めにより、ニコライ・ズヴェーレフ (Nikolay Zverev, 1832 - 1893) にピアノを、アントン・アレンスキー (Anton Arensky, 1861 - 1906) に音楽理論を師事しました。1884年に入学したモスクワ音楽院でセルゲイ・タネーエフ (Sergey Taneyev, 1856 - 1915) のピアノ科クラス、アレンスキーの作曲科クラスで学び、1891年に大金メダル (большая золотая медаль) を得て音楽院を卒業しました。
モスクワ音楽院 (1891-1903)、教会聖歌シノド学校 (Синодальное училище церковного пения. 1893-1894, 1898)、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団附属音楽演劇学校 (Музыкально-драматическое училище Московского филармонического общества, 1906-1919) などでピアノ・音楽理論・作曲などを教えました。アルメニアやジョージア (グルジア) などカフカースの民謡を録音・研究し、それら民謡の編曲の出版や、民謡の旋律を取り入れた自作の発表をしました。1919年からウクライナのハルキウ音楽院の教授となり、翌1920年には同音楽院の院長に就任しました。1921年1月6日にハルキウ (ハリコフ) で亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
出典:
- Maslovskaya, Tat′yana (2001). “Koreshchenko, Arseny Nikolayevich”. Grove Music Online.
- История - студенты. Московская государственная консерватория имени П. И. Чайковского.
- Корещенко Арсений Николаевич (id=38239)
- Корещенко Арсений (id=38238)
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