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2024-05-03

250th Death Anniversary of Johann Nikolaus Tischer

Johann Nikolaus Tischer (Germany, 1707 - 1774) - Der anmuthigen Clavier Früchte Zweyte Sammlung, bestehend in noch VI Kleinen Suiten; Suite No. 1 (G major); I. Prelude (G major).

今日はドイツの作曲家・オーボエ奏者・ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者・オルガン奏者・クラヴィーア奏者、ヨハン・ニコラウス・ティッシャー没後250年の命日です。今回はティッシャー作曲「6つの小組曲からなる優美なクラヴィーアの果実」第2集の「組曲第1番 ト長調」より第1楽章「前奏曲 ト長調」を弾きました。

ヨハン・ニコラウス・ティッシャーは1707年に神聖ローマ帝国テューリンゲン地方シュヴァルツブルク=ルードルシュタット伯爵領 (Grafschaft Schwarzburg-Rudolstadt) のベーレン (Böhlen) で生まれました。1719年に生地ベーレンでヨハン・バルタザール・ラウヘ (Johann Balthasar Rauche) にオルガンを、1722年に書記官として赴いたハルバーシュタットで教会オルガン奏者グラーフ (Graf)、おそらくクリスティアン・ダーヴィト・グラフ (Christian David Graff, 1700 - 1774) にクラヴィーアを、次いでアルンシュタットでシュヴァイツェルベルク (Schweitzelberg) にヴァイオリンとヴィオラダモーレと作曲法を師事し、ルードルシュタットヨハン・グラーフ (Johann Graf, 1684 - 1750) に学びました。オーボエについても熟達した奏者となり、エアフルト、ブラウンシュヴァイク、ハンブルク、ベルリン、ドレスデンを巡ったのち、1728年にブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯アウグスト・ヴィルヘルム (August Wilhelm von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1662 - 1731) に雇われて近衛連隊のオーボエ奏者兼ヴァイオリン奏者となりました。1731年にシュマルカルデンに移り市オルガン奏者に、その後ほどなくザクセン=マイニンゲン公国宮廷コンツェルトマイスターにも就任。晩年に健康を害すると、1768年にシュマルカルデンでの教え子ヨハン・ゴットフリート・フィーアリング (Johann Gottfried Vierling, 1750 - 1813) を補佐 (のちに後任) としました。1774年5月3日にシュマルカルデンで亡くなりました。

出典:

2024-01-12

350th Death Anniversary of Giacomo Carissimi

Giacomo Carissimi (Italy, 1605 - 1674) - Prélude. Moderato (C minor) from Laudate II, Collection de morceaux pour orgue sans pédales (Brussels: A. Ledent-Malay, 1919).

今日はイタリアの作曲家・オルガン奏者、ジャコモ・カリッシミ没後350年の命日です。今回はカリッシミ作曲「前奏曲 ハ短調」を弾きました。

ジャコモ・カリッシミは教皇領マリーノ (Marino) に生まれ、1605年4月18日に受洗しました。幼いころの音楽教育については史料が残されていないようです。1623年10月からティヴォリ大聖堂 (Duomo di Tivoli) 聖歌隊歌手を、1624年10月から1627年10月まで大聖堂第一オルガン奏者を務めました。1628年にアッシジ聖ルフィーノ大聖堂 (Cattedrale di San Rufino di Assisi) の楽長 (maestro di cappella) に就任。23歳のときにドイツ語話者のための神学校であるドイツ・ハンガリー学校 (Collegium Germanicum et Hungaricum ; Collegio Germanico-Ungarico) に雇われ、ロレンツォ・ラッティ (Lorenzo Ratti, ca. 1590 - 1630) の後任として1629年から亡くなるまでの44年あまり同校の楽長を務めました。1674年1月12日にローマで亡くなりました。

楽長だったころのドイツ・ハンガリー学校の学生に1630年から1638年まで在籍したジョヴァンニ・バッティスタ・モッキ (Giovanni Battista Mocchi, ca. 1620 - 1688)、1633年から1636年まで在籍したカスパー・フェルスター (Kaspar Förster der Jüngere, 1616 - 1673)、1641年から1646年まで在籍したヴィンチェンツォ・アルブリーチ (Vincenzo Albrici, 1631 - 1687)、1644年から1651年まで在籍したフィーリプ・ヤーコプ・バウドレクセル (Philipp Jakob Baudrexel, 1627 - 1691) がおり、学外のカリッシミの弟子には1654年頃のマルカントワーヌ・シャルパンティエ (Marc-Antoine Charpentier, 1643 - 1704)、1656年以前のヨハン・カスパー・ケルル (Johann Caspar Kerll, 1627 - 1693)、1657年のクリストフ・ベルンハルト (Christoph Bernhard, 1628 - 1692) がいます。

出典:

  • 樋口隆一「カリッシミ」『日本大百科全書 (ニッポニカ)』小学館 (コトバンク). Retrieved 2024-01-12.
  • Jones, Andrew V. (2001). “Carissimi, Giacomo [Jacomo]”. Grove Music Online. Retrieved 2024-01-12.

2023-08-28

350th Birth Anniversary of Conrad Michael Schneider

Conrad Michael Schneider (Germany, 1673 - 1752) - Clavier Ubung dritte Parthie [Klavier Übung 3. Partie] (E major); No. 4. Gavott [Gavotte] (E major).

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、コンラート・ミヒャエル・シュナイダー生誕350年の受洗日です。今回はシュナイダー作曲「クラヴィーア練習曲集第3部 ホ長調」より第4曲「ガヴォット ホ長調」を弾きました。

コンラート・ミヒャエル・シュナイダーは神聖ローマ帝国アンスバッハ侯領のアンスバッハ (Ansbach) に、同地のオルガン奏者アブディアス・シュナイダー (Abdias Schneider, d. 1733) の子として生まれ、1673年8月28日に洗礼を受けました。ライプツィヒ大学 (1695年に在籍の記録あり) で学んだのち、1699年に帝国都市ウルム (Ulm) のウルム大聖堂 (Ulmer Münster) 副オルガン奏者となり、1712年にはゼバスティアン・アントン・シェーラー (Sebastian Anton Scherer, 1631 - 1712) の後任として大聖堂の正オルガン奏者と、ウルムのコレギウム・ムジクム (Collegium Musicum) の監督を引き継ぎました。1751年にヴァイマル出身のヨハン・クリストフ・ヴァルター (Johann Christoph Walther, 1715 - 1771) がシュナイダーの後任となり、シュナイダーは1752年11月23日にウルムで亡くなりました。

出典: Buelow, George J. (2001). “Schneider, Conrad Michael”. Grove Music Online. Retrieved 2023-08-24.

2022-12-12

250th Death Anniversary of Johann Gottfried Seyfert

Raccolta delle più Nuove Composizioni di Clavicembalo di Differenti Maestri ed Autori per l'Anno 1756 fatta stampare dal Sgr. Feder. Guiglielmo Marpurg (Leipzig: Johann Gottlob Immanuel Breitkopf, 1756).
Partita Seconda. I. Balletto (Ballet). Allegro (D major). dal Sgr. Seyfarth. page 5.

Partita Settima. I. Gavotte (A major). dal Sgr. Seyfarth. page 32.

今日はドイツの作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・ゴットフリート・ザイフェルト (Johann Gottfried Seyfert, 1731 - 1772) 没後250年の命日です。今回はフリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク (Friedrich Wilhelm Marpurg, 1718 - 1795) 編纂「様々な大家と作曲家による1756年の最新チェンバロ曲選集」より、パルティータ第2番第1楽章のザイフェルト作曲「バレット ニ長調」とパルティータ第7番第1楽章のザイフェルト作曲「ガヴォット イ長調」を弾きました。

ヨハン・ゴットフリート・ザイフェルトは1731年5月11日に神聖ローマ帝国自由帝国都市アウクスブルク (Augsburg) で、聖アンナ教会 (Kirche St. Anna) 聖歌隊指揮者を務めていた作曲家ヨハン・カスパー・ザイフェルト (Johann Caspar Seyfert, 1697 - 1767) の子として生まれました。父に音楽の手ほどきを受けたのち、ヤン・ツァハ (Jan Zach, 1699 - 1773) などに鍵盤楽器を師事しました。奨学金を得て1747年にバイロイトを訪れ、3年の間 "Leitdorfer" (Mertens, 1788, S. 472) の弟子となりました。この Leitdorfer はヨハン・ダニエル・ロイトハルト (Johann Daniel Leuthard, 1706 - 1762) のことだと考えられています。その後、ライプツィヒドレスデンベルリンを訪れ、ドレスデンではヨハン・アドルフ・ハッセ (Johann Adolph Hasse, 1699 - 1783) から教えを受け、ベルリンではカール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788) の弟子となり、クリスティアン・ゴットフリート・クラウゼ (Christian Gottfried Krause, 1717 - 1770)、カール・ハインリヒ・グラウン (Carl Heinrich Graun, 1704 - 1759)、ヨハン・ゴットリープ・グラウン (Johann Gottlieb Graun, 1703 - 1771) らと知り合いました。1752年の末に一旦アウクスブルクに戻ったのち、ヴェネツィアヴィーンを訪れ、ヴィーンでゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル (Georg Christoph Wagenseil, 1715 - 1777) に師事しました。1753年の末にアウクスブルクに戻ると父の助手となり、1766年に父の後を継いで聖アンナ教会の音楽監督となりました。1772年12月12日にアウクスブルクにおいて、41歳で亡くなりました。

出典:

2022-11-06

350th Death Anniversary of Heinrich Schütz

Heinrich Schütz (Germany, 1585 - 1672) / Ernst Pauer (Austria/England, 1826 - 1905) - Hymn. Maestoso (E flat major).

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、ハインリヒ・シュッツ没後350年の命日です。今回はシュッツ作曲とされる「賛美歌 変ホ長調」の、エルンスト・パウアーによるピアノ編曲を弾きました。楽譜はエルンスト・パウアー編纂「日曜日の音楽 Sonntags-Musik. Eine Sammlung von kurzen Stücken für das Pianoforte aus den berühmtesten Werken der Kirchen- und Instrumental-Musik gewahlt und theilweise bearbeitet 」(1878/1879) に第51曲として収録されていますが、原曲の題名は特定できていません。

ハインリヒ・シュッツは1585年10月8日 (グレゴリオ暦10月18日) に、テューリンゲン地方ゲーラ近郊にあるケストリッツ (Köstritz. 現在のバート・ケストリッツ) に生まれました。ケストリッツの教会登録簿によると翌日の10月9日に洗礼を受けたという記録が残っていますが、シュッツの自伝では "am tage Burckhardi [10月14日]" を誕生日としています。1599年にカッセルヘッセン=カッセル方伯宮廷礼拝堂の少年聖歌隊歌手となり、1608年にマールブルク大学で法律を学び、1609年から1612年までヴェネツィアジョヴァンニ・ガブリエーリ (Giovanni Gabrieli, ca. 1554 - 1612) に師事しました。1613年にカッセルで宮廷第2オルガン奏者、1617年にドレスデンザクセン選帝侯宮廷楽長に就任。1628年にヴェネツィアを再訪し、1633年から1645年までコペンハーゲンなどで活動したのちドレスデンに戻り、1672年11月6日 (グレゴリオ暦11月16日) にドレスデンで、87歳の高齢で亡くなりました。

出典:

  • シュッツ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン. コトバンク.
  • 樋口隆一「シュッツ」『日本大百科全書 (ニッポニカ)』小学館. コトバンク.
  • Breig, Werner (2006/2021). “Schütz, Heinrich”, BIOGRAPHIE. MGG Online. Retrieved 2022-11-06.

2022-06-17

350th Death Anniversary of Orazio Benevoli

Orazio Benevoli (Italy, 1605 - 1672) - Prelude in E major.

今日はイタリアの作曲家・オルガン奏者、オラツィオ・ベネヴォリ没後350年の命日です。今回はベネヴォリ作曲「オルガンのための前奏曲 ホ長調」を弾きました。楽譜は IMSLP にある Laudate II : Collection de morceaux pour orgue sans pédales (Brussels: A. Ledent-Malay, 1919) とされる曲集に第190曲として収録されているものを使用しました。調号にはシャープが3箇所 (F, C, G) に書かれているためか IMSLP のページ名は "Prelude in E mixolydian" となっています。

オラツィオ・ベネヴォリは、ロレーヌ出身の菓子職人であるロベール・ヴェヌオ (Robert Venouot) の子として、1605年4月19日に教皇領国家の首都ローマで生まれました。1617年から1623年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の少年聖歌隊員となり、ヴィンチェンツォ・ウゴリーニ (Vincenzo Ugolini, d. 1638) に音楽を学びました。

1624年からサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 (Basilica di Santa Maria in Trastevere) の教会楽長 (maestro di cappella) を、1630年からサント・スピリト・イン・サッシア教会 (Chiesa di Santo Spirito in Sassia) の教会楽長 (グレゴリオ・アレグリ Gregorio Allegri の後任) を、1638年から1644年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の教会楽長 (師ウゴリーニの後任) を務めました。神聖ローマ帝国の首都ヴィーンに赴きオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム (Leopold Wilhelm von Österreich, 1614 - 1662) の下でカペルマイスターを務めたのちにローマに戻り、1646年2月からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 (Basilica di Santa Maria Maggiore) の教会楽長を、同年10月から亡くなるまでサン・ピエトロ大聖堂ジュリア礼拝堂合唱団 (Cappella musicale Giulia della basilica papale di San Pietro in Vaticano) の教会楽長を務めました。1672年6月17日にローマで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典: Gürtelschmied, Walter; Gmeinwieser, Siegfried (2001). “Benevoli, Orazio”. Grove Music Online. Retrieved 2022-06-17.

2022-05-27

200th Birth Anniversary of Joachim Raff

Johann Sebastian Bach (Germany, 1685 - 1750) / Joseph Joachim Raff (Switzerland/Germany, 1822 - 1882) - Cello Suite No. 3 in C major, BWV 1009; V & VI. Bourrées I (C major) & II (C minor).
6 Sonaten für Violoncell componirt von Johann Sebastian Bach für Pianoforte bearbeitet von Joachim Raff [WoO 30] (Leipzig & Winterthur: J. Rieter-Biedermann, 1870/1871); No. 3. Sonate in C-Dur; Loure I. Poco Allegro (C-Dur) & Loure II (c-Moll).

Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068 [WoO 40]; II. Air (D major).

Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Violin Sonata No. 2 in A minor, BWV 1003; III. Andante (C major) [WoO 23 No. 17].

Joachim Raff - 30 Fortschreitende Etüden, WoO 36; No. 18. Fuga II [G-A-D-E] (C major).

今日はスイス出身のドイツの作曲家・批評家・音楽教育者、ヨアヒム・ラフ生誕200年の誕生日です。今回はヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009 」の、ラフによるピアノ独奏編曲より「2つのブーレ」を弾きました。以前に演奏したラフの作品も併せて紹介します。

ヨアヒム・ラフは、ヴュルテンベルク王国出身の教師・オルガン奏者のフランツ・ヨーゼフ・ラフ (Franz Josef Raff) と、州大統領の娘であるカタリーナ (Katharina Raff geb. Schmid) の子として、1822年5月27日にスイス連邦シュヴィーツ州のラッヘン (Lachen) で生まれました。弟にヨーゼフ・カスパー・ラフ (Joseph Kaspar Raff, 1831 - 1893) がいます。父からヴァイオリン、オルガン、声楽の手ほどきを受け、ロテンブルク・アム・ネカー (ヴュルテンベルク王国) やシュヴィーツで教育を受けたのち、1840年から1844年までラパースヴィール (Rapperswil. 現在のラパースヴィール=ヨーナ Rapperswil-Jona) で初等学校の教師となりました。

当時チューリヒでカペルマイスターを務めていたフランツ・アプト (Franz Abt, 1819 - 1885) の勧めにより、フェーリクス・メンデルスゾーン (Felix  Mendelssohn, 1809 - 1847) に自作曲の楽譜を送ると、その作品を気に入ったメンデルスゾーンの仲介で、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社 (Breitkopf & Härtel) からピアノ曲を出版することになりました。1845年にはフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) と知り合い、音楽家となる決心をしてケルンに移ります。ケルンやハンブルクで音楽出版社に勤め、その頃のリストとの書簡ではラフに対する作曲の助言が残されています。1849年にヴァイマルに移り、リストの助手兼秘書を務めました。1856年にヴィースバーデンに移ったのち、1878年に創立したフランクフルト・アム・マインのホッホ音楽院 (Dr. Hoch’s Konservatorium) の院長に就任し、作曲を教えました。1882年6月24日または25日にドイツ帝国フランクフルト・アム・マインで亡くなりました。

出典:

  • Bayreuther, Rainer (2005) 2016. “Raff, Joachim”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-05-27.
  • Deaville, James (2001). “Raff, (Joseph) Joachim”. Grove Music Online. Retrieved 2022-05-27.
  • 倉脇雅子 (2020). “ラフ Raff, Joachim”. ピティナ・ピアノ曲事典. Retrieved 2022-05-27.
  • 2022-04-06

    350th Birth Anniversary of André Cardinal Destouches

    André Cardinal Destouches (France, 1672 - 1749) / Isidor Philipp (Hungary/France, 1863 - 1958) - Amadis de Grèce, tragédie en musique en un prologue et 5 actes; Canaries (Act 4).

    今日はフランスの作曲家アンドレ・カルディナル・デトゥーシュ生誕350年の受洗日です。今回はデトゥーシュ作曲、抒情悲劇「ギリシャのアマディス」第4幕より「カナリー」の、イジドール・フィリップによるピアノ独奏編曲を弾きました。楽譜はフィリップ編纂「フランス・ピアノ音楽のアンソロジー」第1巻「初期の作曲家」(Anthology of French Piano Music. Volume 1: Early Composers. Boston: Oliver Ditson Co., 1906) に収録されています。原曲の総譜は、アンドレ・ダニカン・フィリドール1世 (André Danican Philidor l'ainé, ca.1652 - 1730) による1699年の手稿譜が残されています (フランス国立図書館)。

    アンドレ・カルディナル・デトゥーシュは、裕福なパリの商人のエティエンヌ・カルディナル、セニュール・デ・トゥーシュ・エ・ド・ギユヴィル (Etienne Cardinal, Seigneur des Touches et de Guilleville) の子として生まれ、1672年4月6日に洗礼を受けました。1681年から1686年までサンジャック通りイエズス会による教育を受けたのち、1687年1月からギ・タシャール神父 (Gui Tachard, 1651 - 1712) に随行してサヤーム (タイ王国の古称) へ向かう使節団の一員となり、1688年7月に帰国。その4年後にフランス王室の軍人となり、黒色銃士隊 (mousquetaires noir) として1692年のナミュール包囲戦に参加。軍務のかたわらにギターを学んで作曲を試み、ついには音楽に専念するために1694年に軍を退役しました。

    アンドレ・カンプラ (André Campra, 1660 - 1744) の弟子となり、カンプラのオペラ=バレ「優雅なヨーロッパ L'Europe galante 」の1698年改訂版にはデトゥーシュ作曲の3つのエアを加えることを許可されました。1697年10月7日にフォンテーヌブローで初演された最初のオペラである英雄的牧歌劇「イセ Issé 」は成功を収めました。この作品に非常に満足したフランス国王ルイ14世 (Louis XIV, 1638 - 1715) により「リュリ以降これほどの喜びを与えてくれる音楽はなかった」(Titon du Tillet, Évrard. « le Roi l’assura que depuis Lulli aucune musique ne lui avait fait plus plaisir ».)という言葉とともに200ルイを贈られました。デトゥーシュはルイ14世のお気に入りの音楽家となり、1713年1月8日に新設された役職である王立音楽アカデミー (Académie royale de musique. 現在のパリ国立オペラ Opéra de Paris) 総監 (inspecteur général) に任命されました。

    1718年2月8日、ミシェル=リシャール・ド・ラランド (Michel-Richard de Lalande, 1657 - 1726) の要請により、宮廷室内音楽隊監督 (surintendant de la musique de la chambre) に就任。1724年1月15日、アンヌ=アントワネット・ド・レイノルド・ド・ラ・フェリエール (Anne-Antoinette de Reynold de la Ferrière) と結婚。1727年9月28日、亡くなったド・ラランドの後任として宮廷室内音楽隊楽長 (maître de musique de la chambre) に就任。1728年2月8日、引退するジャン=ニコラ・ド・フランシーヌ (Jean-Nicolas de Francine, 1662 - 1735) の後任として王立音楽アカデミー総長 (directeur) に就任しましたが、1730年6月1日に総長・総監を辞任。1725年以降、王妃マリー・レクザンスカ (Marie Leszczyńska, 1703 - 1768) のために演奏会を企画・監督し、1745年まで王妃の演奏会を管理しました。70歳のときに、国王ルイ15世 (Louis XV、1710 - 1774) の王女たちの仮面舞踏会を指揮しました。1749年2月7日にパリで亡くなりました。

    出典:

    2021-10-14

    250th Death Anniversary of František Xaver Brixi

    František Xaver Brixi (Czech, 1732 - 1771) - Partita per il clavicembalo; Andante espressivo (A major).

    今日はチェコ・ボヘミアの作曲家・オルガン奏者、フランティシェク・クサヴェル・ブリクシ (フランツ・クサーヴァー・ブリクシ) 没後250年の命日です。今回はブリクシ作曲、クラヴィチェンバロのための「パルティータ」よりアンダンテ イ長調を弾きました。楽譜は Musica Antiqua Bohemica. Serie I. Vol. 14. Čeští Klasikové. Piano I を使用しました。

    フランティシェク・クサヴェル・ブリクシは神聖ローマ帝国ボヘミア王国の首都プラハ (Praha) に生まれました。父のシモン・ブリクシ (Šimon Brixi, 1693 - 1753) はヴルカヴァ (Vlkava) 出身の作曲家です。スカルスコ (Skalsko) 出身の親族にドロタ・ブリクシ (Dorota Brixi, 1686 - 1762) がおり、彼女と夫ヤン・イジー・ベンダ (Jan Jiří Benda, 1682 - 1757) との間の子にフランティシェク・ベンダ (František Benda, 1709 - 1786)、ヤン・イジー・ベンダ (Jan Jiří Benda, 1713 - 1752)、イジー・アントニーン・ベンダ (Jiří Antonín Benda, 1722 - 1795)、ヨゼフ・ベンダ (Josef Benda, 1724 - 1804) がいます。また、ドロタの甥にヴィクトリーン・イグナーツ・ブリクシ (Viktorín Ignác Brixi, 1716 - 1803) がいます。

    1744年から1749年までコスモノシ (Kosmonosy) にあるエスコラピオス修道会のギムナジウムで音楽教育を受け、同校でヴァーツラフ・カロウス (Václav Kalous, 1715 - 1786) などに学びました。1749年にプラハに戻り、同地のいくつかの教会でオルガン奏者を務めました。1759年に聖ヴィート大聖堂 (Katedrála svatého Víta) のカペルマイスターに任命されました。1771年10月14日に結核のために39歳で亡くなりました。

    出典: Novák, Vladimir (2001). “Brixi family”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-12.

    2021-04-07

    300th Birth Anniversary of Matthias Vanden Gheyn

    Matthias Vanden Gheyn (Belgium, 1721 - 1785) - 4 Morceaux fugués; Morceau fugué No. 1. Allegro (G minor)

    今日はベルギーの作曲家・オルガン奏者・カリヨン奏者・釣鐘鋳造師マティアス・ファンデン・ヘイン生誕300年の誕生日です。今回はファンデン・ヘイン作曲「4つのフーガ小品」より第1番 ト短調を弾きました。

    ファンデン・ヘイン家 (Vanden Ghein ; Van den Ghein) は、16世紀から20世紀前半まで続くフランデレン地域の釣鐘鋳造師・カリヨン製作者・カリヨン奏者の一族です。1721年4月7日にオーストリア領ネーデルラントティーネン (Tienen) で生まれたマティアス・ファンデン・ヘインは、1727年に家族とともにルーヴェン (Leuven) に移り、1741年から同地の聖ペトロ教会 (Sint-Pieterskerk) のオルガン奏者を、1745年から同地の市カリヨン奏者を務めました。作曲家としては鍵盤楽器やカリヨンのための作品があり、その厳格な構成とトッカータ風の様式から「カリヨンのバッハ Bach van de beiaard ; Bach of the Carillon 」の異名で知られています。師と考えられているのは前任の聖ペトロ教会オルガン奏者 (1726-1741) であるデュドネ・ライク (Dieudonné Raick, 1703 - 1764) です。弟のアンドレアス・ヨゼフ・ファンデン・ヘイン (Andreas Jozef Vanden Gheyn, 1727 - 1793) は釣鐘鋳造師として一族の中でも高く評価されています。

    出典: Grove Music Online. Retrieved 2021-04-05.


    2020-02-26

    250th Death Anniversary of Giuseppe Tartini

    Giuseppe Tartini (Italy, 1692 - 1770) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Sonata per violino. Il trillo del diavolo (G minor); I. Larghetto affettuoso

    今日はイタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者、ジュゼッペ・タルティーニ没後250年の命日です。今回はタルティーニ作曲「ヴァイオリンソナタ ト短調 『悪魔のトリル』」より第1楽章の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第7曲 Larghetto dalla Sonata per violino. Il trillo del diavolo として収録されています。

    ヴェネツィア共和国ピラーノ (現在のクロアチア領ピラン) に生まれたジュゼッペ・タルティーニは、1708年に郷里を離れパドヴァ大学で法律を学びました。1710年の2歳年長のエリザベッタ・プレマゾーレ (Elisabetta Premazore) との結婚における確執のために、アッシジ聖フランチェスコ修道院 (Sacro Convento di San Francesco) に身を寄せます。同地の教会堂でオルガン奏者を務めていたボフスラフ・マチェイ・チェルノホルスキー (Bohuslav Matěj Černohorský, 1684 - 1742) に作曲を師事しました。1714年にはアンコーナ歌劇場の管弦楽団に所属し、以後ヴァイオリン奏者として活動します。1721年にサンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂のヴァイオリン首席奏者・指揮者 (primo violino e capo di concerto) に就任。1723年に神聖ローマ皇帝カール6世のボヘミア王としての戴冠式に関連するプラハでの演奏会に出演し、そのまま同地に滞在して1726年までフランツ・フェルディナント・キンスキー伯爵 (Franz Ferdinand Kinsky, 1678 - 1741) に仕えました。1728年にはパドヴァにヴァイオリンを教える音楽学校「諸国民の学校」 (La Scuola delle Nazioni) を設立します。

    教え子に以下の人物がいます。

    出典:



    2019-10-14

    Carlo Caproli / Alessandro Longo - Tu mancavi a tormentarmi

    Carlo Caproli (Italy, before 1620 – after 1675?) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Tu mancavi a tormentarmi

    イタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者・オルガン奏者であるカルロ・カプローリ作曲の歌曲「お前は私を苦しめていなかったのに」のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第97曲 Melodia: Tu mancavi a tormentarmi (M. A. Cesti) として収録されています。アントニオ・チェスティ (Antonio Cesti, 1623 - 1669) の没後350年の記念に弾いたのですが、作曲者の名前や通称を記した同時代の手稿譜の発見によって、現在ではカプローリの作品とされています。

    フランソワ=オーギュスト・ジュヴァール (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) が編集した歌曲集「イタリアの栄光 第1巻 Les Gloires de l ' Italie . Chefs-d'oeuvre de la musique vocale italienne aux XVIIe et XVIIIe siècles. Collection de morceaux de théatre, de concert et de chambre, recueillis et publiés avec accompagnement de piano. Premier Volume 」(Paris: Heugel et fils, 1868) で第24曲にこの Tu mancavi a tormentarmi が「マルカントニオ・チェスティのアリア Aria di Marcantonio Cesti. (verso il 1660)」として収録されたのが、チェスティを作曲者とする誤った情報の由来ということです。

    出典: 中巻寛子「『イタリア古典歌曲』研究序論」 (愛知県立芸術大学紀要 (32), 17-26, 2002)

    2018-12-10

    400th Death Anniversary of Giulio Caccini

    Giulio Caccini (Italy, 1551 - 1618) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Le nuove musiche; Aria Quarta. Fere selvaggie (G major)

    今日はイタリアの作曲家ジュリオ・カッチーニ没後400年の埋葬日です。今回はカッチーニ作曲の歌曲「野の獣たちよ」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第86曲として収録されています。

    2018-10-31

    250th Death Anniversary of Francesco Maria Veracini

    Francesco Maria Veracini (Italy, 1690 - 1768) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - 12 Sonate accademiche a violino solo e basso, Op. 2 (Dedicated to Augustus III of Poland, 1696 - 1763); No. 11. Sonata in E major; IV. Menuet e Gavotta (excerpt)

    今日はイタリアの作曲家フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ没後250年の命日です。今回はヴェラチーニ作曲「ヴァイオリンと通奏低音のためのアカデミックなソナタ Op. 2」(全12曲) ソナタ第11番ホ長調より第4楽章「メヌエットとガヴォット」のメヌエットの、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第4曲として収録されています。

    2016-06-23

    250th Death Anniversary of Thomas Roseingrave

    Thomas Roseingrave (England/Ireland, 1688 - 1766) - 8 Suits of Lessons for the Harpsichord or Spinnet (1728); Suite No. 5 in F minor; V. Gavotte. Presto

    今日はイングランド出身のアイルランドの作曲家・オルガン奏者、トマス・ロージングレイヴ没後250年の命日です。今回は、ロージングレイヴ作曲「ハープシコードまたはスピネットのための8つのレッスン組曲」の「組曲第5番 ヘ短調」より第5楽章「ガヴォット」を弾きました。

    2016-05-19

    400th Birth Anniversary of Johann Jakob Froberger

    Johann Jakob Froberger (Germany, 1616 - 1667) -
    Partita (Suite) in D minor, FbWV 602; III. Sarabanda

    Partita (Suite) in D major, FbWV 611; IV. Sarabanda

    今日はドイツの作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー生誕400年の受洗日です。今回はフローベルガー作曲「パルティータ ニ短調 FbWV 602」と「パルティータ ニ長調 FbWV 611」のそれぞれのサラバンドを弾きました。楽譜はヴァルター・ニーマン (Walter Niemann, 1876 - 1953) による校訂譜「クラヴィーア演奏の古典の巨匠」(Alte Meister des Klavierspiels) 第2巻に含まれる「2つのサラバンド」を使用しました。

    2015-06-28

    Scarlatti's Chefs-d'oeuvre (1791), selected by Clementi

    Attributed to Domenico Scarlatti (Italy, 1685 - 1757) - Sonata No. 2 in F major, from “Scarlatti's Chefs-d'oeuvre for the Harpsichord or Piano-Forte, selected from an Elegant collection of Manuscripts, in the Possession of Muzio Clementi” (London, 1791)

    1791年に出版された「ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品」より第2曲ヘ長調を弾きました。この曲集はドメニコ・スカルラッティの鍵盤曲の中から12曲をまとめた曲集ということになっていますが、そのうちスカルラッティの真作とみなされているのは10曲です。

    1. Allegro assai, in F major, K. 378
    2. Andante cantabile, in F major [unidentifid]
    3. Allegro commodo, in F major, K. 380 [transposed from E major to F major]
    4. Cantabile, in D major, K. 490
    5. Allegro molto, in D major, K. 400
    6. Allegro di molto, in E flat major, K. 475
    7. Allegro, in E flat major, K. 381 [transposed from E major to E flat major]
    8. Un poco andante, in E major, K. 206
    9. Allegrissimo, in E major, K. 531
    10. Andante, in F minor, K. 462
    11. Allegro molto, in F minor, K. 463
    12. Allegro, in F major [Sonata, R. 5 by Antonio Soler]
    この曲集については後に別の出版社によって、誤ってクレメンティの作品として出版されました。
    『ムツィオ・クレメンティの所有する手稿譜の優雅な曲集から選ばれたスカルラッティの主要作品』は1791年に現れた。1803年、クレメンティの協力なしに、いや彼が知りさえしないうちに、ブライトコップ-ヘルテル社は彼の全集の出版に着手した。クレメンティは、ブライトコップ-ヘルテル社がこのような名誉を与えた3番目の作曲家であった。つまり、ハイドン、モーツァルトに対して同様の全集の企画が、前者は1798年に、後者は1800年に企てられている。クレメンティが1804年にライプツィヒに到着したとき、彼は自分の作品がすでに5巻出版されているのを発見した。その第5巻は、誤って彼の作品とされたスカルラッティやその他の古い時代の作曲家たちの作品まで含んでいた。
    (レオン・プランティンガ Leon Plantinga 著、藤江効子 訳「クレメンティ 生涯と音楽」、音楽之友社、1993年、pp.193-194)

    Gallica (フランス国立図書館の電子図書館) にある楽譜にも、同じ内容の曲集でクレメンティ作曲の「スカルラッティの様式により作曲された12のソナタ」 12 Sonates pour clavecin ou forte-piano composées dans le style du célèbre Scarlatti par Muzio Clementi, Opera 27e. (Paris: Lobry, 1792) とされているものがあります。

    1838年から1840年にかけてカール・チェルニーによる校訂で25巻200曲からなる「ドメニコ・スカルラッティによるピアノのための全作品」 Sämmtliche Werke für das Piano-Forte von Dominic Scarlatti (Vienna:Tobias Haslinger, 1838-40) が出版されました。チェルニーは出典の一つとしてクレメンティの曲集を参照したとみられ、真作とみなされていない2曲 Czerny 195 (Clementi 2 [unidentifid]), Czerny 196 (Clementi 12 [Sonata in F major, R.5 by Antonio Soler]) と移調された2曲 Czerny 92 (Clementi 7, K. 381), Czerny 100 (Clementi 3, K. 380) も含まれています。

    ソナタ Andante cantabile ヘ長調 (Clementi 2, Czerny 195) はチェルニーより後世の曲集でもスカルラッティ作として現れます。確認できたものを以下に挙げます。

    これらのほかにもある、かつてはドメニコ・スカルラッティの作品とされながら現在では彼の真作とみなされていない作品の録音をいくつか見つけたので、参考のため挙げておきます。一覧の中で Buonamici, Granados としたのはそれぞれ Domenico Scarlatti, 22 Pieces for the piano, edited and fingered by G. Buonamici (New York: G. Schirmer, 1895), Domenico Scarlatti, 26 Sonatas inéditas para clave, compuestas en España para Familia Real (1729-1754), transcriptas libremente para Piano por el pianista compositor Enrique Granados (Madrid: Sociedad Editorial de Música, n.d.) の曲番号です。

    2013-01-08

    300th Death Anniversary of Arcangelo Corelli

    Arcangelo Corelli - 12 sonate da chiesa (Trio Sonatas), Op. 3
    Sonata da chiesa No. 3 in B flat major (Ernst Pauer - Sonntagsmusik (Sunday Music) No. 90) Sonata da chiesa No. 5 in D minor; III. Largo (Ernst Pauer - Sonntagsmusik (Sunday Music) No. 76) 今日はアルカンジェロ・コレッリ没後300年の命日ですね。前回、エルンスト・パウアーの編曲・校訂によるピアノ曲集「日曜日の音楽」 (Sonntagsmusik) よりリギーニのテ・デウムを紹介しましたが、今回は同じ「日曜日の音楽」からコレッリの作品を演奏しました。12の教会ソナタ (トリオソナタ) 作品3より第3番変ロ長調、そして第5番ニ短調第3楽章ラルゴです。教会ソナタ第3番は4楽章構成ですが、パウアーは終楽章のアレグロを除いた3楽章の編曲を残しています。

    2012-05-27

    J. S. Bach / Joachim Raff - Andante, BWV 1003/III

    Johann Sebastian Bach (1685-1750) / Joseph Joachim Raff (1822–1882) - Violin Sonata No. 2 in A minor, BWV 1003; III. Andante in C major
    (Selected Pieces from the Violin Sonatas of Joh. Seb. Bach: arranged for Piano (1865), WoO. 23) 今日はヨアヒム・ラフの誕生日ということで、大バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番 BWV 1003 より第3楽章のアンダンテを弾いてみました。

    2012-01-02

    My Videos: Arranged Bach - 投稿動画: バッハ作品の編曲

    Johann Sebastian Bach (Usually attributed to Christian Petzold) / Edward MacDowell - Menuet in G, BWV Anh. 114 and 115
    Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Air arranged for Piano (from Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068)

    年の変わり目を機に、YouTube に投稿した動画を整理してみることにしました。特に断らない限り、以後「投稿動画」で載せる演奏は私自身によるものです。

    年代の古いほうから新しいほうへ。最初はバロックの大作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) に関連した作品です。

    Edward MacDowell - 6 Little Pieces After J. S. Bach; No. 2. Menuet in G (BWV Anh. 114 and 115)

    バッハがまとめた「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」として知られる曲集に入っている2つのメヌエット。ト長調のほうは特に有名ですね。近年の研究ではクリスティアン・ペツォールト (Christian Petzold, 1677 - 1733) による作品であると修正されたそうです。米国のピアノ奏者で作曲家でもあったエドワード・マクダウェル (Edward MacDowell, 1860 - 1908) により2曲あわせて1つの華やかなピアノ小品に仕立てられています。

    Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068; II. Air (3 Orchestral Suites by Joh. Seb. Bach: arranged for Piano (1874))

    バッハの管弦楽組曲第3番よりアリア。後発のマルトゥッチやジロティによる編曲の陰に隠れてしまっていますが、バッハによる管弦楽作品のピアノ独奏編曲の先駆けとして、もっと評価されるべき作品だと思います。