Johann Nikolaus Tischer (Germany, 1707 - 1774) - Der anmuthigen Clavier Früchte Zweyte Sammlung, bestehend in noch VI Kleinen Suiten; Suite No. 1 (G major); I. Prelude (G major).
今日はドイツの作曲家・オーボエ奏者・ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者・オルガン奏者・クラヴィーア奏者、ヨハン・ニコラウス・ティッシャー没後250年の命日です。今回はティッシャー作曲「6つの小組曲からなる優美なクラヴィーアの果実」第2集の「組曲第1番 ト長調」より第1楽章「前奏曲 ト長調」を弾きました。
ヨハン・ニコラウス・ティッシャーは1707年に神聖ローマ帝国テューリンゲン地方のシュヴァルツブルク=ルードルシュタット伯爵領 (Grafschaft Schwarzburg-Rudolstadt) のベーレン (Böhlen) で生まれました。1719年に生地ベーレンでヨハン・バルタザール・ラウヘ (Johann Balthasar Rauche) にオルガンを、1722年に書記官として赴いたハルバーシュタットで教会オルガン奏者グラーフ (Graf)、おそらくクリスティアン・ダーヴィト・グラフ (Christian David Graff, 1700 - 1774) にクラヴィーアを、次いでアルンシュタットでシュヴァイツェルベルク (Schweitzelberg) にヴァイオリンとヴィオラダモーレと作曲法を師事し、ルードルシュタットでヨハン・グラーフ (Johann Graf, 1684 - 1750) に学びました。オーボエについても熟達した奏者となり、エアフルト、ブラウンシュヴァイク、ハンブルク、ベルリン、ドレスデンを巡ったのち、1728年にブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯アウグスト・ヴィルヘルム (August Wilhelm von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1662 - 1731) に雇われて近衛連隊のオーボエ奏者兼ヴァイオリン奏者となりました。1731年にシュマルカルデンに移り市オルガン奏者に、その後ほどなくザクセン=マイニンゲン公国宮廷コンツェルトマイスターにも就任。晩年に健康を害すると、1768年にシュマルカルデンでの教え子ヨハン・ゴットフリート・フィーアリング (Johann Gottfried Vierling, 1750 - 1813) を補佐 (のちに後任) としました。1774年5月3日にシュマルカルデンで亡くなりました。
出典:
- Grove Music Online. Rerieved 2024-05-02.
- Pruett, Lilian P. (2001). “Tischer, Johann Nikolaus ”.
- Dürre, Ronald (2001). “Vierling, Johann Gottfried”.
- Schröter, Axel (2006/2016). “Tischer, Johann Nikolaus”. MGG Online. Rerieved 2024-05-02.
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