Johann Sebastian Bach (Germany, 1685 - 1750) / Joseph Joachim Raff (Switzerland/Germany, 1822 - 1882) - Cello Suite No. 3 in C major, BWV 1009; V & VI. Bourrées I (C major) & II (C minor).
6 Sonaten für Violoncell componirt von Johann Sebastian Bach für Pianoforte bearbeitet von Joachim Raff [WoO 30] (Leipzig & Winterthur: J. Rieter-Biedermann, 1870/1871); No. 3. Sonate in C-Dur; Loure I. Poco Allegro (C-Dur) & Loure II (c-Moll).
Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068 [WoO 40]; II. Air (D major).
Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Violin Sonata No. 2 in A minor, BWV 1003; III. Andante (C major) [WoO 23 No. 17].
Joachim Raff - 30 Fortschreitende Etüden, WoO 36; No. 18. Fuga II [G-A-D-E] (C major).
今日はスイス出身のドイツの作曲家・批評家・音楽教育者、ヨアヒム・ラフ生誕200年の誕生日です。今回はヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009 」の、ラフによるピアノ独奏編曲より「2つのブーレ」を弾きました。以前に演奏したラフの作品も併せて紹介します。
ヨアヒム・ラフは、ヴュルテンベルク王国出身の教師・オルガン奏者のフランツ・ヨーゼフ・ラフ (Franz Josef Raff) と、州大統領の娘であるカタリーナ (Katharina Raff geb. Schmid) の子として、1822年5月27日にスイス連邦シュヴィーツ州のラッヘン (Lachen) で生まれました。弟にヨーゼフ・カスパー・ラフ (Joseph Kaspar Raff, 1831 - 1893) がいます。父からヴァイオリン、オルガン、声楽の手ほどきを受け、ロテンブルク・アム・ネカー (ヴュルテンベルク王国) やシュヴィーツで教育を受けたのち、1840年から1844年までラパースヴィール (Rapperswil. 現在のラパースヴィール=ヨーナ Rapperswil-Jona) で初等学校の教師となりました。
当時チューリヒでカペルマイスターを務めていたフランツ・アプト (Franz Abt, 1819 - 1885) の勧めにより、フェーリクス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn, 1809 - 1847) に自作曲の楽譜を送ると、その作品を気に入ったメンデルスゾーンの仲介で、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社 (Breitkopf & Härtel) からピアノ曲を出版することになりました。1845年にはフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) と知り合い、音楽家となる決心をしてケルンに移ります。ケルンやハンブルクで音楽出版社に勤め、その頃のリストとの書簡ではラフに対する作曲の助言が残されています。1849年にヴァイマルに移り、リストの助手兼秘書を務めました。1856年にヴィースバーデンに移ったのち、1878年に創立したフランクフルト・アム・マインのホッホ音楽院 (Dr. Hoch’s Konservatorium) の院長に就任し、作曲を教えました。1882年6月24日または25日にドイツ帝国フランクフルト・アム・マインで亡くなりました。
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