2026-04-07

200th Birth Anniversary of Hermann Berens

Hermann Johann Berens (Sweden, 1826 - 1880) - 3 Albumblad komponerade för piano, Op. 97 (Stockholm: Abraham Hirsch, 1878). Till vännen Albert Lindstrand; No. 2. Andante espressivo (F minor).

今日はドイツ出身のスウェーデンの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、ヘルマン・ベーレンス (1世) 生誕200年の誕生日です。今回はベーレンス作曲「ピアノのための3つのアルバムの綴り Op. 97」より第2番 ヘ短調を弾きました。曲集はベーレンスの友人でピアノ奏者のアルベルト・リンドストランド (Albert Lindstrand, 1835 - 1907) に献呈されています。

ヘルマン・ベーレンスは1826年4月7日に自由ハンザ都市ハンブルクで、軍楽監督・フルート奏者・作曲家のカール・ベーレンス (Carl Berens, 1801 - 1857) の子として生まれました。父からピアノの手ほどきを受けたのち、ヴァイオリンとティンパニを学び、2年間ザクセン王国ドレスデンカール・ゴットリープ・ライシガー (Carl Gottlieb Reissiger, 1798 - 1859) に作曲法を師事しました。『ベイカー音楽家人名辞典』第3版によるとカール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) にも師事しています (Baker 1919)。1845年にアルト歌手のマリエッタ・アルボーニ (Marietta Alboni, 1823 - 1894) のチェコ、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、オーストリアをめぐる演奏旅行に伴奏者として同行しました。1847年にスウェーデンに移り、ハンブルクのピアノ五重奏団のピアノ奏者としてストックホルムでデビューしました。 1849年にエレブルー (Örebro) のライフ連隊フサール (Livregementets husarer) 音楽監督に就任。1848年よりヨーハン・ローベルト・ウルリク・ブラウネル中尉 (Johan Robert Ulrik Brauner) の3人の娘の音楽家庭教師をしており、その長姉マティルダ (Hedvig Matilda Berens, född Brauner, 1829 - 1887) と1853年に結婚しました。1860年の秋にストックホルムに戻り、小劇場 (Mindre teatern) 音楽監督に就任し、スウェーデン王立音楽アカデミー教育部門 (現在のストックホルム音楽大学) の対位法、作曲法、楽器法の教師 (1868年に正教授に就任) も務めました。1880年5月9日にストックホルムで、満54歳で亡くなりました。 子に作曲家・歌手・ピアノ奏者・指揮者となったヘルマン・ベーレンス2世 (Herman Berens den yngre, 1862 - 1928) がいます。

出典:

  • Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-04-06.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Hermann Berens”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 76.

300th Birth Anniversary of Charles Burney

Charles Burney (England, 1726 - 1814) - 6 Sonatas for the Harpsichord (London: Robert Bremner, 1774); No. 5. Sonata in G major; III. Andantino (G minor).

今日はイングランドの作曲家・オルガン奏者・音楽史家、チャールズ・バーニー生誕300年の誕生日です。今回はバーニー作曲「ハープシコードのための6つのソナタ」(1774) のソナタ第5番 ト長調より第3楽章 ト短調を弾きました。

チャールズ・バーニーは1726年4月7日にグレートブリテン王国イングランドのシュルーズベリー (Shrewsbury) で、舞踊家・ヴァイオリン奏者・肖像画家のジェイムズ・マクバーニー (James Macburney) の子として生まれました。コンドーヴァー (Condover)、シュルーズベリーで学んだのち、1739年に家族のいるチェスターに行きキングズ・スクール・チェスター (King's School, Chester) で学びました。1742年にシュルーズベリーに戻り、セント・メアリー教会 (St Mary's Church, Shrewsbury) でオルガン奏者を務めていた異母兄のジェイムズ・バーニー (James Burney) の助手となりました。1743年にチェスターに帰還。1744年にトマス・アーン (Thomas Arne, 1710 - 1778) が来訪し、それを契機としてアーンに7年間師事しました。1749年に最初の妻エスター・スリープ (Esther Sleepe Burney, 1725 - 1762) と結婚。エスターとの間に生まれた子のうち娘のフランシス・バーニー (Frances "Fanny" Burney, 1752 - 1840) は著名な小説家となりました。

同年10月にセント・ダイオニス・バックチャーチ (St Dionis Backchurch) のオルガン奏者に就任。1751年に病に冒されると、空気のきれいなキングズ・リン (King's Lynn) に移り、セント・マーガレット教会 (St Margaret's Church, King's Lynn) オルガン奏者に就任。1760年に健康を回復すると、ロンドンに戻りました。1769年にオックスフォード大学より音楽博士号を取得。音楽史の資料収集のために、1770年にフランス、スイス、イタリア、1772年にオランダ、ドイツ、オーストリア、チェコをめぐり、『フランス、イタリアの音楽の現状 The Present State of Music in France and Italy 』(1771)、『ドイツ、オランダ、オーストリアの音楽の現状 The Present State of Music in Germany,the Netherlands and the United Provinces 』(全2巻、1773) を出版しました。1776年から1789年にかけて『音楽史概説 A General History of Music 』(全4巻) を出版。1783年以降は王立チェルシー病院 (Royal Hospital Chelsea) でオルガン奏者を務めました。1814年4月12日にロンドンのチェルシー地区 (Chelsea) で、満88歳で亡くなりました。

出典:

  • Grant, Kerry S. (2001). “Burney, Charles”. Grove Music Online. Retrieved 2026-04-06.
  • Rimbault, Edward Francis (1900). “Burney, Charles”. In Grove, George (ed.). A Dictionary of Music and Musicians. Volume 1. London: Macmillan Publishers. pages 284-285.
  • Charles Burney”. Encyclopedia Britannica. 2026-04-03. Retrieved 2026-04-06.
    • バーニー」コトバンク. Retrieved 2026-04-06.
      • 「バーニー Burney, Charles 」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
      • 東川清一「バーニー Charles Burney」『改訂新版 世界大百科事典』

2026-04-05

100th Death Anniversary of Ludwik Teodor Płosajkiewicz

Ludwik Teodor Płosajkiewicz (Poland, 1859 - 1926) - Obrazek muzyczny. Andante (F major. Nowości Muzyczne. No. 8. 1906. Warszawa: Leon Chojecki).

今日はポーランドの作曲家・指揮者・音楽教師、ルドヴィク・テオドル・プウォサイキェヴィチ没後100年の命日です。今回はプウォサイキェヴィチ作曲「音楽の小さな絵画 ヘ長調」を弾きました。楽譜は月刊音楽雑誌「音楽新作 Nowości Muzyczne 」1906年第8号に付録として収載されたものを使用しました。

ルドヴィク・テオドル・プウォサイキェヴィチは1859年8月2日にポーランド立憲王国クトノ (Kutno) 近郊のムニフ (Mnich) で生まれました。ヤン・クレチニスキ (Jan Kleczyński, 1837 - 1895)、ジグムント・ノスコフスキ (Zygmunt Noskowski, 1846 - 1909) に師事し、ワルシャワで声楽教師、学校の管弦楽団の指揮者を務めました。1926年4月5日にワルシャワで、満66歳で亡くなりました。

出典: “Płosajkiewicz Ludwik Teodor”. Archived from the original on 2025-01-03. Encyklopedia PWN. Retrieved 2026-04-02.

150th Birth Anniversary of Patrik Vretblad

Viktor Patrik Vretblad (Sweden, 1876 - 1953) - In memoriam pour orgue ou harmonium. Andante (maestoso) (F minor).

今日はスウェーデンの作曲家・オルガン奏者・音楽批評家・官吏、パトリック・ヴレートブラード生誕150年の誕生日です。今回はヴレートブラード作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「記念に へ短調」を弾きました。 楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第3巻 (Paris: Maurice Senart & Cie., 1912) の196頁に収録されています。

パトリック・ヴレートブラードは1876年4月5日にスウェーデン=ノルウェー連合王国時代のスウェーデンのコパルベリ県(現在のダーラナ県スヴァルトネス (Svartnäs) で、いずれも小学校教員のペール・ヴレートブラード (Per Vretblad) とエリザベト・ラーム (Elisabeth Rahm) の子として生まれました。ファールン (Falun) の学校で学んだのち、1895年から1900年までストックホルムの王立音楽院 (Kungliga Musikkonservatoriet. 現在のストックホルム音楽大学) で学び、ヒルダ・テーゲルストロム (Hilda Thegerström, 1838 - 1907) にピアノを、ヨーゼフ・デンテ (Joseph Dente, 1838 - 1905) に作曲法と対位法を師事しました。1900年から1906年までストックホルムのフランス改革派教会 (Franska reformerta församlingen) でオルガン奏者となりましたが、その一方で郵便局で官吏として働き始めました。1901年に作曲法を学ぶための奨学金を得てドイツに2年間留学。1907年にストックホルムのオスカル教会 (Oscarskyrkan) オルガン奏者に就任。1908年にヴァイオリン奏者のカーリン・ボードマン (Karin Bodman-Vretblad, b. 1883) と結婚。1953年1月15日にストックホルムで、満76歳で亡くなりました。

出典:

  • Hedberg, Walborg; Arosenius, Louise (1914). “Bodman-Vretblad, Ingrid Katarina (Karin)”. Svenska kvinnor från skilda verksamhetsområden : Biografisk uppslagsbok. Stockholm: Albert Bonnier. page 14.
  • Reese Willén, Anne (2016). “Patrik Vretblad”. Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-04-05.

2026-04-03

200th Birth Anniversary of Vincent Adler

Vincent Adler (Hungary, 1826 - 1871) - Album de piano, Œuvres posthumes No. 1 (Paris: J. Maho); No. 5. Feuillet d'album. Lento (D major). À Madame Lina Gétaz de la Fléchère.

今日はハンガリー出身の作曲家・ピアノ奏者、ヴァンサン・アドレル (アドレル・ヴィンツェ、ヴィンツェント・アドラー) 生誕200年の誕生日です。今回はアドレル作曲「ピアノのアルバム 遺作第1番」より第5曲「アルバムの綴り ニ長調」を弾きました。

ヴァンサン・アドレルは1826年4月3日にオーストリア帝国ハンガリー王国ジェール (Győr. ドイツ語名: ラープ Raab) で、オルガン奏者のアドレル・ジェルジュ (György Adler, 1789 - 1862) の子として生まれました。幼いころに一家でハンガリー王国の首都ブダに移り、ブダの宮廷礼拝堂オルガン奏者となっていた父からピアノの手ほどきを受け、義兄 (姉の夫) であるエルケル・フェレンツ (Ferenc Erkel, 1810 - 1893) に師事したのち、オーストリア帝国の首都ヴィーンに留学して和声法と作曲法を学びました。スイスのチューリヒリヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813 - 1883) と、ジュネーヴハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト (Heinrich Wilhelm Ernst, 1814 - 1865) と親交を深め、フランスのパリに移りハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894)、エドゥアール・ラロ (Édouard Lalo, 1823 - 1892) らと知己を得ました。演奏旅行で各地を巡り、スイスのジュネーヴに移ってジュネーヴ音楽院で1865年より6年間音楽教師を務めましたが、1871年1月4日にジュネーヴで、肺病のために満44歳で亡くなりました。

姉にピアノ奏者・音楽教師のアドレル・アデール (Adél Adler, 1820 - 1899) がおり、アデールは作曲家のエルケル・フェレンツと1839年に結婚しています。また、ヴァンサンの子にピアノ奏者・音楽教師のゲオルク・アドラー (Georg Adler, 1863 - 1932) がいます。

出典:

  • Eschmann-Dumur, Carl (1888). “Adler, V.”. Guide du jeune pianiste. 2nd editoin. Lausanne: Ernest Rodolphe Spiess. page 267.
  • Riemann, Hugo (1900). “Adler”. Musik-Lexikon. 5th edition. Leipzig: Max Hesse. page 10.
  • Thompson, Oscar, ed. (1975). “Adler, Vincent”. The International Cyclopedia of Music and Musicians. 10th edition. New York: Dodd, Mead. page 18.