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2022-11-06

350th Death Anniversary of Heinrich Schütz

Heinrich Schütz (Germany, 1585 - 1672) / Ernst Pauer (Austria/England, 1826 - 1905) - Hymn. Maestoso (E flat major).

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、ハインリヒ・シュッツ没後350年の命日です。今回はシュッツ作曲とされる「賛美歌 変ホ長調」の、エルンスト・パウアーによるピアノ編曲を弾きました。楽譜はエルンスト・パウアー編纂「日曜日の音楽 Sonntags-Musik. Eine Sammlung von kurzen Stücken für das Pianoforte aus den berühmtesten Werken der Kirchen- und Instrumental-Musik gewahlt und theilweise bearbeitet 」(1878/1879) に第51曲として収録されていますが、原曲の題名は特定できていません。

ハインリヒ・シュッツは1585年10月8日 (グレゴリオ暦10月18日) に、テューリンゲン地方のゲーラ近郊にあるケストリッツ (Köstritz. 現在のバート・ケストリッツ) に生まれました。ケストリッツの教会登録簿によると翌日の10月9日に洗礼を受けたという記録が残っていますが、シュッツの自伝では "am tage Burckhardi [10月14日]" を誕生日としています。1599年にカッセルのヘッセン=カッセル方伯宮廷礼拝堂の少年聖歌隊歌手となり、1608年にマールブルク大学で法律を学び、1609年から1612年までヴェネツィアのジョヴァンニ・ガブリエーリ (Giovanni Gabrieli, ca. 1554 - 1612) に師事しました。1613年にカッセルで宮廷第2オルガン奏者、1617年にドレスデンでザクセン選帝侯宮廷楽長に就任。1628年にヴェネツィアを再訪し、1633年から1645年までコペンハーゲンなどで活動したのちドレスデンに戻り、1672年11月6日 (グレゴリオ暦11月16日) にドレスデンで、87歳の高齢で亡くなりました。

出典:

  • 「シュッツ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン. コトバンク.
  • 樋口隆一「シュッツ」『日本大百科全書 (ニッポニカ)』小学館. コトバンク.
  • Breig, Werner (2006/2021). “Schütz, Heinrich”, BIOGRAPHIE. MGG Online. Retrieved 2022-11-06.

2022-01-26

100th Death Anniversary of Luigi Denza

Luigi Denza (Italy, 1846 - 1922) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Canto della fanciulla nubiana. Andante (A minor).

今日 (または明日) はイタリアの作曲家・歌手、ルイージ・デンツァ没後100年の命日です。今回はデンツァ作曲「ヌビアの少女の歌 イ短調」、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第87曲として収録されています。

1846年2月24日に両シチリア王国のカステッランマーレ・ディ・スタービア (Castellammare di Stabia) で生まれたルイージ・デンツァは、ナポリのサン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院 (Conservatorio di musica San Pietro a Majella) でサヴェリオ・メルカダンテ (Saverio Mercadante, 1795 - 1870) とパオロ・セッラオ (Paolo Serrao, 1830 - 1907) に作曲を師事しました。また、声楽をカルロ・コスタ (Carlo Costa, 1826 - 1888)、ミケランジェロ・ルッソ (Michelangelo Russo, 1830 - 1891)、アルフォンソ・グエルチャ (Alfonso Guercia, 1831 - 1890) に学びました。1880年に代表曲である「フニクリ・フニクラ」(Funiculì funiculà) を作曲、発表しましたが、この曲はヴェスヴィオ山の山麓と火口を結ぶケーブルカーであるヴェズヴィアナ鋼索線 (Funicolare Vesuviana) のための宣伝歌として書かれたものでした。1887年にロンドンに移住して、王立音楽アカデミーの理事や声楽教授を務め、1922年1月の26日 (Burton et Horner 2001) または27日 (Lamacchia 2008/2016) にロンドンで亡くなりました。

出典:

  • Burton, Nigel; Horner, Keith (2001). “Denza, Luigi”. etrieved 2022-01-25.
  • Lamacchia, Saverio (2008) 2016. “Denza, Luigi”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-25.

2021-10-26

150th Birth Anniversary of Hermann Löhr

Hermann Frederic Löhr (England, 1871 - 1943) - Little Grey Home in the West. Song. Moderato (D major). Words by D. Eardley-Wilmot (England, 1883 - 1970). Arranged by Henry Marcellus Higgs (England, 1855 - 1929).

今日はイングランドの作曲家ヘルマン・レーア (ハーマン・ローア) 生誕150年の誕生日です。今回はレーア作曲、歌曲「西の小さい灰色の家」の、ヘンリ・マーセラス・ヒグズによるピアノ独奏編曲を弾きました。

ヘルマン・レーアは作曲家フレデリック・ニコルズ・レーア (Frederic Nicholls Löhr, 1844 - 1888) の子として1871年10月26日に英国デヴォン州プリマス (Plymouth) で生まれました。王立音楽アカデミーで学び、校内の作曲賞であるチャールズ・ルーカス・メダル (Charles Lucas Medal) を受賞しました。音楽出版と楽器販売を手がけるロンドンのチャペル社 (Chappell & Co.) に30年以上勤め、主に同社から自作の楽譜を出版しました。作品に歌曲、劇音楽、器楽曲などがあります。1943年12月6日に英国ケント州ロイヤルタンブリッジウェルズ (Royal Tunbridge Wells) で亡くなりました。親族に俳優のマリー・ローア (Marie Löhr, 1890 - 1975) がいます。

出典: Lamb, Andrew (2001). “Löhr, Hermann”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-25.

2021-10-11

200th Birth Anniversary of Angelo Mariani

Angelo Maurizio Gaspare Mariani (Italy, 1821 - 1873) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Melodia dalla Romanza per canto « Dolore e Speranza ». Andantino (E major).

今日はイタリアの作曲家・指揮者・ヴァイオリン奏者、アンジェロ・マリアーニ生誕200年の誕生日です。今回はマリアーニ作曲、歌曲「苦痛と希望」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第30曲として収録されています。

1821年10月11日に教皇領ラヴェンナ (Ravenna) で生まれたアンジェロ・マリアーニは、生地のアカデミア・フィラルモニカ (Accademia filarmonica di Ravenna) でピエトロ・カザリーニ (Pietro Casalini) とジョヴァンニ・ノスティーニ (Giovanni Nostini) にヴァイオリンを、ラヴェンナ大聖堂オルガン奏者ジェロラモ・ロベルティ (Gerolamo Roberti) に対位法を師事しました。サンターガタ・フェルトリア、リミニ、マチェラータ、ファエンツァ、トレント、ボローニャ、メッシーナ、ナポリ、ミラノとイタリア各地で活動したのち、1847年のコペンハーゲンを経て、1848年9月から2年間はイスタンブールのナウム劇場 (Théâtre Naum) の音楽監督を務めました。コペンハーゲンではデンマーク王立管弦楽団音楽監督の職を持ちかけられたものの、1848年革命が起きると兵役志願を理由としてイタリアに戻りました。革命の戦闘に参加したかは不明です。1852年にジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場 (Teatro Carlo Felice) 常任指揮者に就任。1857年のジュゼッペ・ヴェルディ (Giuseppe Verdi, 1813 - 1901) 作曲の歌劇『アロルド』初演の指揮を契機にヴェルディと親密になりましたが、1868年以後のヴェルディ作品の指揮やマリアーニの婚約者でソプラノ歌手のテレーザ・シュトルツ (Teresa Stolz, 1834 - 1902) などをめぐるいざこざにより1871年に2人の関係は破綻しました。1871年11月1日のリヒャルト・ヴァーグナー (Richard Wagner, 1813 - 1883) 作曲『ローエングリン』、1872年11月11日の同『タンホイザー』のボローニャでのイタリア初演ののちジェノヴァに戻り、1873年6月13日に腸癌のために同地で亡くなりました。

出典: Phillips-Matz, Mary Jane; Budden, Julian (2001). “Mariani, Angelo (Maurizio Gaspare)”. Grove Music Online. Retrieved 2021-10-09.

2021-04-27

150th Death Anniversary of Sigismond Thalberg

Sigismond Thalberg (Switzerland/Austria, 1812 - 1871) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La partenza: “Non so frenare il pianto”. Andante (E major).

今日はスイス出身の作曲家・ピアノ奏者、ジーギスムント・タールベルク (シジスモン・タールベルク) 没後150年の命日です。今回はタールベルク作曲、歌曲「別れ」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第51曲 La partenza として収録されています。この曲はタールベルク自身によっても「出発 Le départ. Romance en forme d'étude, Op. 55 」としてピアノ独奏のために編曲されました。詞はピエトロ・メタスタージオ (Pietro Metastasio, 1698 - 1782) によるオペラ台本「デメートリオ Demetrio 」第2幕のアルチェステ (Alceste) のアリア「僕は涙を抑えられない」を使っています。

ジーギスムント・タールベルクは1812年1月8日にジュネーヴ近郊のパキ (Pâquis) で生まれました。オーストリアの貴族であるモーリツ・フォン・ディートリヒシュタイン伯爵 (Moritz von Dietrichstein, 1775 - 1864) とヴェツラー男爵夫人 (Baronin Wetzlar) の私生児だと古くから伝えられてきましたが、出生証明書 (Geburtsurkunde) によると両親はフランクフルト・アム・マインの人で、ヨーゼフ・タールベルク (Joseph Thalberg) とフォルテュネ・シュタイン (Fortunée Stein) とされています。10歳で移ったヴィーンで宮廷歌劇場首席ファゴット奏者のアウグスト・ミターク (August Mittag) に学び、次いでジーモン・ゼヒター (Simon Sechter, 1788 - 1867) に音楽理論を、ヨハン・ネポムク・フンメル (Johann Nepomuk Hummel, 1778 - 1837) にピアノを師事し、1830年から1835年にかけて、パリでヨハン・ペーター・ピクシス (Johann Peter Pixis, 1788 - 1874) とフリードリヒ・カルクブレンナー (Friedrich Wilhelm Kalkbrenner, 1785 - 1849) に、ロンドンでイグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) にピアノを師事しました。

1836年にはパリで成功を収め、彼の作品の評価をめぐるフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) とフランソワ=ジョゼフ・フェティス (François-Joseph Fétis, 1784 - 1871) の誌上での論争、クリスティーナ・ベルジョジョーゾ公爵夫人 (Cristina Trivulzio Belgiojoso, 1808 - 1871) のサロンにおける1837年3月31日のリストとの競演などもあって、タールベルクの名声は高まっていきました。その後リストとは和解し、タールベルク、リストのほか、ヨハン・ペーター・ピクシス、アンリ・エルツ (Henri Herz, 1803 - 1888)、カール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857)、フレデリク・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) が各変奏を担当して作曲した「ヘクサメロン Hexaméron 」が1839年に出版されました。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ (Vincenzo Bellini, 1801 - 1835) の歌劇「清教徒 I puritani 」の「ラッパを吹きならせ Suoni la tromba 」の主題による変奏曲です。

1844年にルイージ・ラブラーシュ (Luigi Lablache, 1794 - 1858) の娘チェッキーナ (Francesca "Cecchina" Lablache) と結婚しました。1855年にブラジルやハバナまで渡り、演奏家、教師、オペラ企画者としてその後数年を米国で暮らしました。1858年に両シチリア王国 (1861年以降はイタリア王国) のナポリ近郊にあるポジッリポ (Posillipo) に邸宅を購入しました。それから5年間は演奏旅行を続け、引退してからポジッリポでワイン醸造家となりました。1871年4月27日に同地で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:


2019-12-22

200th Birth Anniversary of Franz Abt

Franz Wilhelm Abt (Germany, 1819 - 1885) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La fanciulla modesta (da un «Lied») (Biblioteca d'oro. Volume 3, No. 63. page 89)

今日はドイツの作曲家・指揮者、フランツ・アプト生誕200年の誕生日です。今回はアプト作曲の「慎ましい少女」(あるリートより) とされる楽曲のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第63曲として収録されています。原曲の題や作品番号を特定しようとしましたが、今のところ分かりません。

プロイセン王国ザクセン州アイレンブルク (Eilenburg) の説教家フランツ・ゴトハルト・アプト (Franz Gotthardt Abt, 1752 - 1838) の子として生まれたフランツ・ヴィルヘルム・アプトは、神学を学ぶためにザクセン王国ライプツィヒのトーマス学校 (Thomasschule zu Leipzig) に通っていましたが、父の死後は音楽の学習に専念するようになります。1841年にアンハルト=ベルンブルク侯国の首都ベルンブルク (Bernburg) で宮廷劇場の音楽監督を務め、同年にチューリヒの一般音楽協会 (Allgemeine Musik-Gesellschaft Zürich) 定期公演指揮者と株式劇場 (Aktientheater) の合唱指揮者となりました。1852年にはブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクで第2宮廷楽長となり、1855年に第1宮廷楽長となりました。1882年に引退するとヴィースバーデンで余生を送りました。

出典:

  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Abt, Franz”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 3.
  • Benedict, Carl (1953). “Abt, Franz”. Neue Deutsche Biographie. 1. Berlin: Duncker & Humblot. pages 25-26.

2019-10-20

200th Birth Anniversary of Carl Mikuli

Carl Mikuli (Austrian Poland, 1819 - 1897) - 48 Airs nationaux roumains. Ballades, chants des bergers, airs de danse etc.; Cahier 2 (à Madame la Baronne Angelique de Muslazza). No. 7. Bujorŭ [Bujor]. Moderato (B minor)

今日はブコヴィナ出身のオーストリアの作曲家・ピアノ奏者、カール・ミクリ生誕200年の誕生日です。今回はミクリにより収集・編曲された「48のルーマニア民謡」より第2巻第7曲「シャクヤク ロ短調」を弾きました。

オーストリア帝国ブコヴィナ公爵領のチェルノヴィツ (現ウクライナのチェルニウツィー) に生まれたカール・ミクリは、1839年にヴィーンで医学を学んでいましたが、1844年から1847年までパリでフレデリック・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) にピアノを、アントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) に作曲を師事しました。1848年革命を契機にオーストリアに戻り、ポーランドとルーマニアの民謡を収集したほか、ピアノ奏者としてフランス、イタリア、ロシア、ルーマニア、ガリツィアを演奏旅行しました。1858年から1888年までレンベルク (現ウクライナのリヴィウ) でガリツィア音楽協会 (Gesellschaft zur Beförderung der Musik in Galizien) 芸術監督と音楽院 (Konservatorium) 院長を務めたのち、同地で自身の音楽学校を創設しました。1879年には17巻からなる「フレデリック・ショパンのピアノ作品 Fr. Chopin's Pianoforte-Werke 」(Leipzig: Fr. Kistner) の校訂譜を出版しています。

教え子にはアレクサンデル・ミハウォフスキ (Aleksander Michałowski, 1851 - 1938), チプリアン・ポルムベスク (Ciprian Porumbescu, 1853 - 1883), モーリツ・ローゼンタール (Moriz Rosenthal, 1862 - 1946), パウル・チュントゥ (Paul Ciuntu, 1866 - 1918), ラウル・コチャルスキ (Raoul Koczalski, 1884 - 1948) などがいます。

出典

2019-10-14

Carlo Caproli / Alessandro Longo - Tu mancavi a tormentarmi

Carlo Caproli (Italy, before 1620 – after 1675?) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Tu mancavi a tormentarmi

イタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者・オルガン奏者であるカルロ・カプローリ作曲の歌曲「お前は私を苦しめていなかったのに」のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第97曲 Melodia: Tu mancavi a tormentarmi (M. A. Cesti) として収録されています。アントニオ・チェスティ (Antonio Cesti, 1623 - 1669) の没後350年の記念に弾いたのですが、作曲者の名前や通称を記した同時代の手稿譜の発見によって、現在ではカプローリの作品とされています。

フランソワ=オーギュスト・ジュヴァール (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) が編集した歌曲集「イタリアの栄光 第1巻 Les Gloires de l ' Italie . Chefs-d'oeuvre de la musique vocale italienne aux XVIIe et XVIIIe siècles. Collection de morceaux de théatre, de concert et de chambre, recueillis et publiés avec accompagnement de piano. Premier Volume 」(Paris: Heugel et fils, 1868) で第24曲にこの Tu mancavi a tormentarmi が「マルカントニオ・チェスティのアリア Aria di Marcantonio Cesti. (verso il 1660)」として収録されたのが、チェスティを作曲者とする誤った情報の由来ということです。

出典: 中巻寛子「『イタリア古典歌曲』研究序論」 (愛知県立芸術大学紀要 (32), 17-26, 2002)

2019-04-01

150th Birth Anniversary of Georg Capellen

Georg Capellen (Germany, 1869 - 1934) - Shogaku Shoka [小学唱歌]. Japanische Volksmelodien des Isawa Shuji. Als Charakterstücke für Klavier bearbeitet, Op. 26; No. 7. Koi yo (Karpfen) [鯉よ] (E minor). The original title of "Koi yo" is "Kodomo, Kodomo" [子供々々].

今日はドイツの音楽著述家・音楽批評家・作曲家、ゲオルク・カペレン生誕150年の誕生日です。今回はカペレンがピアノ独奏のために編曲した伊澤修二 (Isawa Shūji, Japan, 1851 - 1917) 編集「小学唱歌」(大日本図書, 1892-1893) より第1巻第10曲 伊澤修二作詞作曲「子供々々」を弾きました。カペレンの曲集「小学唱歌、ピアノのための性格的小品として編曲された伊澤修二の日本民謡旋律集 Op. 26」(1904年出版) では第7曲に置かれ、「子供子供」ではなく2番の歌詞より「鯉よ」の題が付けられています。

北ドイツ連邦リッペ=デトモルト侯国のバート・ザルツウフレンに生まれたゲオルク・カペレンは、テュービンゲン、ゲッティンゲン、ベルリンで哲学と法学を学びました。オスナブリュック (1900-1906)、ケルン (1906)、ミュンヘン (1907-1914)、ハノーファー (1914年以降) で活動し、ハノーファーで亡くなりました。

追記: カペレンの曲集で第7曲であることなどを加筆しました (2019-05-20)。

出典:



2018-12-10

400th Death Anniversary of Giulio Caccini

Giulio Caccini (Italy, 1551 - 1618) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Le nuove musiche; Aria Quarta. Fere selvaggie (G major)

今日はイタリアの作曲家ジュリオ・カッチーニ没後400年の埋葬日です。今回はカッチーニ作曲の歌曲「野の獣たちよ」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第86曲として収録されています。

2018-10-14

450th Death Anniversary of Jacques Arcadelt

Jacob Arcadelt (1507 - 1568) / Pierre-Louis Dietsch (France, 1808 - 1865), Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Ave Maria (Nous voyons que les hommes). Andante con moto (G major)

今日は作曲家ジャック・アルカデルト没後450年の命日です。今回はアルカデルトの「アヴェマリア」として知られる4声合唱曲の、アレッサンドロ・ロンゴ (Alessandro Longo) によるピアノ編曲を弾きました。元となった合唱曲「アヴェマリア」は、アルカデルト作曲の3声のシャンソン「男たちは愛を徳をなすと見ゆ Nous voyons que les hommes 」をピエール=ルイ・ディーチュ (Pierre-Louis Dietsch) が歌詞を付け替えて編曲したものです。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第26曲として収録されています。

2016-09-11

150th Birth Anniversary of Aleksandr Schaefer

Sergey Vasilyevich Rachmaninoff (Сергей Васильевич Рахманинов, Russia, 1873 - 1943) / Aleksandr Nikolayevich Schaefer (Александр Николаевич Шефер, Russia, 1866 - 1914) - 6 Romances, Op. 4; No. 1. Oh nein, ich fleh, geh nicht von mir! (О, нет, молю, не уходи!)

今日はロシアの作曲家アレクサンドル・シェーフェル (アレクサンダー・シェーファー) 生誕150年の誕生日です。今回はセルゲイ・ラフマニノフ作曲の「6つの歌曲 Op. 4」より第1曲「いや、お願いだ、行かないで!」のシェーフェルによるピアノ独奏編曲を弾きました。

ペテルブルクに生まれたアレクサンドル・シェーフェルは、1886年にペテルブルク音楽院を卒業し、音楽教師、指揮者としても活動しました。作曲家としてはオペラ、バレエ音楽、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲といったジャンルに作品を残しています。

1890年から1893年にかけて書かれたラフマニノフの歌曲集 Op. 4 は、それぞれ別々の人物の詩を用い、またそれぞれ別々の人物に献呈されています。「いや、お願いだ、行かないで」(1892年作曲) はドミ-トリー・メレシコーフスキー (Дмитрий Сергеевич Мережковский ; Dmitry Sergeyevich Merezhkovsky, 1866 - 1941) の詩による歌曲で、ロマ (ジプシー) を出自とする女性アンナ・アレクサンドロヴナ・ロディジェンスカヤ (Анна Александровна Лодыженская ; Anna Aleksandrovna Lodyzhenskaya) に献呈されています。

1895年にラフマニノフが作曲した「交響曲第1番 ニ短調 Op. 13」の献辞に書かれたイニシャル 'А. Л.' はこのアンナ・ロディジェンスカヤのこととされています。その前年の1894年に作曲した「ジプシーの主題による奇想曲 Op. 12」はアンナの夫である作曲家ピョートル・ヴィクトロヴィチ・ロディジェンスキー (Пётр Викторович Лодыженский ; Pyotr Viktorovich Lodyzhensky) に献呈されています。具体的な関係は不明ですが、ラフマニノフはこのロディジェンスカヤ夫人に特別な好意を寄せていたようです。

出典: マックス・ハリソン 著, 森松 晧子 訳「ラフマニノフ 生涯、作品、録音」(音楽之友社, 2016), pp. 68, 78, 79.

2015-09-12

150th Death Anniversary of August Heinrich von Weyrauch

August Heinrich von Weyrauch (1788 - 1865) / Stephen Heller (1813 - 1888) - Nach Osten! (Lebewohl ; Adieu (No. 1) from "30 Lieder von Schubert übertragen von Stephen Heller")

今年はリガ出身のバルト・ドイツ人の作曲家アウグスト・ハインリヒ・フォン・ヴァイラウフ没後150年ということで、ヴァイラウフ作曲、ステファン・ヘラー編曲による「東へ」を弾きました。ヘラーによるシューベルト歌曲のピアノ独奏編曲集「30のリート」の第1曲「別れ」として収録されたものです。

カール・フリードリヒ・ゴットロープ・ヴェッツェルのドイツ語詞によるヴァイラウフ作曲の「東へ」は1824年に私家版として出版されました。1835年頃にパリでシューベルト作曲の「別れ」(Adieu!) として、 Mr. Bélanger による新たなフランス語詞とともに出版されて以後、ヴァイラウフが存命にもかかわらずシューベルトの作品とみなされます。1843年から1846年にかけてベルリンのシュレジンガー社 (Schlesinger) から、テオドール・デーラーによるピアノ独奏編曲 Adieu, mélodie de Schubert, Op. 45 No. 3、ドイツ語訳の「別れ」、フランツ・リストによるピアノ独奏編曲 Lebewohl, S. 563 No. 1 が出版されましたが、いずれもシューベルトの作品として扱われています。 (参照: Hyperion Records)

同時期の1845年頃にベルリンのハリアー社 (Challier) から、オリジナルの「東へ」(Nach Osten!) が出版されています。この版では、一連の取り違えについての作曲者ヴァイラウフ自身による文章が以下のように書かれています。

Dieses Gedicht ward bereits im Jahre 1823 von mir, der ich damals in Dorpat lebte, zu einer Zeit, in welcher von F. Schubert, wenigstens in Paris und St. Petersburg*; in welchen beiden Residenzen es, unter dem Namen des Letzteren, mit französischem unterlegten Texte, als „les Adieux“, bekannt ist, noch wenig die Rede war, unter den Augen der zahlreichen Freunde meiner Muse, von denen Viele noch am Leben sind, in Musik gesetzt, und als Probe aus meinen kurz darauf (1824) erschienenen älteren Liedern abgedruckt, wie ich dies durch das Datum der von der dortigen Universität ihm ertheilten Erlaubniss zum Druck beweisen kann. So ehrenvoll es auch nun für mich sein muss, wenn mein einfaches, für jeden Kenner im Character den Schubertschen wenig, dagegen aber dem deutschen Originaltext weit mehr, als dem unterlegten französischen entsprechendes Lied für eines von jenem nunmehr verklärten Meister gelte und als solches Aufnahme finden konnte – was indessen lediglich auf die Rechnung irgend eines Pariser Musikverlegers kommt, der das h.z.T. in Frankreich und England nur zu häufig vorkommende sehelmenwerthe Verfahren nicht scheute, einen erst auf Anerkennung harrenden Namen gerade, zu mit einem von bereits begründeten Rufe zu vertauschen, und jenen leichtsinniger oder boshafter Weise um seinen bescheidenen Lorbeer zu berauben, so finde ich mich doch, als wahrer Verfasser dieses Liedes, nach so manchen Jahren endlich veranlasst, dasselbe als das meinige vor der musikalischen welt in Anspruch zu nehmen. Suum cuique! Meine neueren Liedereompositionen mögen am besten beweisen, in wie fern ich jener früheren Leistung fähig war oder nicht, und ob ich meinerseits ein Interesse haben konnte, mich mit fremden Federn zu schmücken. Möge man mir also glauben oder nicht: ich sage nun mit reinem, nicht unfreudigen Bewusstsein: anch’ io sono pittore! ----

A. v. W.

* Anmerkung. Ist auch in neuester Zeit in Berlin durch Döhlers Transcription bekannt geworden. Dies Lied ist auch für Pianoforte allein erschienen.



2013-05-22

200th Birth Anniversary of Richard Wagner

Richard Wagner (1813-1883) / August Stradal (1860-1930) - 5 Gedichte für eine Frauenstimme (Wesendonck Lieder), WWV 91; 4. Schmerzen (1857) 今日はリヒャルト・ヴァーグナー生誕200年の誕生日ということで彼の「女声のための5つの詩 (ヴェーゼンドンク歌曲集)」より第4曲「痛み」の、アウグスト・ストラーダルによるピアノ独奏編曲を弾きました。

2013-02-14

200th Birth Anniversary of Aleksandr Dargomyzhsky

Aleksandr Dargomyzhsky; Александр Даргомыжский (Russia, 1813-1869)/ Adolf von Henselt (Germany, 1814-1889) - I still love him; Я все еще его, безумная, люблю! (Romance russe No. 6, Op. 33b; 1855/56) 今日はアレクサンドル・ダルゴムイシスキー生誕200年の誕生日ということで、彼の歌曲「私はまだ彼を愛する」のアドルフ・フォン・ヘンゼルトによるピアノ編曲を弾きました。この曲は6年前に一度人前で演奏したもののそのときは録音を残していなかったので、いい機会だと思ってまた取り組んでみました。原曲のユーリヤ・ジャードフスカヤ (Юлия Валериановна Жадовская; Yulia Zhadovskaya, 1824-1883) による詞については梅丘歌曲会館「詩と音楽」に日本語訳があります。

2012-10-31

Franz Liszt / Conrad Ansorge - Es muss ein Wunderbares sein, S.314 (arr. for Piano)

Franz Liszt (1811-1886) - Es muss ein Wunderbares sein, S.314 (1852). Transcription for Piano by Conrad Ansorge (1862-1930). コンラート・アンゾルゲ生誕150年、ということで彼の編曲作品を一つ弾きました。彼の師にあたるフランツ・リストの歌曲「それはきっと素晴らしいこと」 (Es muss ein Wunderbares sein, S.314) のアンゾルゲによるピアノ独奏編曲です。