2022-03-10

100th Death Anniversary of Hans Sitt

Hans Sitt (Hanuš Sitt, Czech/Germany, 1850 - 1922) - Lose Blätter. 10 Stücke für Pianoforte, Op. 37 (Frau Elise Laiblin zugeeignet. Leipzig: Ernst Eulenberg, 1890); No. 10. Andante e molto tranquillo (E flat major).

今日はチェコ・ボヘミア出身のドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者・指揮者・音楽教育者、ハンス・ジット (ハヌシュ・シット) 没後100年の命日です。今回はジット作曲「未綴じの紙葉集、ピアノのための10の小品 Op. 37」より第10曲 変ホ長調を弾きました。

ハンス・ジットは1850年9月21日にオーストリア帝国ボヘミア王国のプラハで生まれました。父のアントン・ジット (アントニーン・シット) 1世 (Anton Sitt der Ältere, 1819 - 1878) はハンガリー生まれのヴァイオリン職人であり、兄にヴァイオリン奏者のアントン・ジット2世 (1847 - 1929)、妹にソプラノ歌手のマリエ・ペツォルドヴァー=シットヴァー (Marie Petzoldová-Sittová, 1852 - 1907) がいます。

ハンスは1861年から1867年までプラハ音楽院でアントニーン・ベンネヴィツ (Antonín Bennewitz, 1833 - 1926) とモーリツ・ミルドナー (Moritz Mildner, 1812 - 1865) にヴァイオリンを、 ヤン・ベドジフ・キトル (Jan Bedřich Kittl, 1806 - 1868) とヨゼフ・クレイチー (Josef Krejčí (1821/1822 - 1881) に作曲を師事しました。 1867年から1870年までプロイセン王国シュレージエン州のブレスラウ (ヴロツワフ) でコンサートマスターと楽長、次いでプラハの国立ドイツ劇場 (現在のスタヴォフスケー劇場) の副楽長、1873年から1880年までドイツ帝国ザクセン王国のケムニッツ市立劇場の楽長、 1880年にフランス共和国のニースでロシア貴族の私設管弦楽団の指揮者を務めました。 1883年にドイツ帝国ザクセン王国のライプツィヒに移住して、1884年から1921年までライプツィヒ音楽院 (Königliches Konservatorium der Musik zu Leipzig) のヴァイオリンと管弦楽演奏法と総譜演奏法の教授、1885年から1903年まで合唱団「バッハ・フェライン Der Bach-Verein zu Leipzig 」の指揮者 (設立者ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク Heinrich von Herzogenberg の後任)、ブロツキー四重奏団 (Brodsky-Quartetts) ヴィオラ奏者、演奏会主催者を務めました。1922年3月10日に同地で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

150th Birth Anniversary of Camillo Schumann

Camillo Schumann (Germany, 1872 - 1946) - Andante con moto (G minor. Dédié à Monsieur le Pasteur L. Koch (Ruhla). Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium. Recueillies et publiées par l'Abbe Jos. Joubert. Volume 3. pages 167-169. Paris: Senart, Roudanez & Cie., 1912).

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者、カミロ・シューマン生誕150年の誕生日です。今回はシューマン作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「アンダンテ・コン・モート ト短調」を弾きました。楽譜はジョゼフ・ジュベール (Joseph Joubert, 1878 - 1963) 編纂「オルガンの現代の巨匠、オルガンまたはハルモニウムのための未発表作品集」第3巻に収録されています。

カミロ・シューマンは1872年3月10日にドイツ帝国ザクセン王国ケーニヒシュタイン (Königstein) に生まれました。父はケーニヒシュタイン市音楽監督のクレメンス・シューマン1世 (Clemens Schumann, senior, 1839 - 1918) で、兄に作曲家のゲオルク・シューマン (Georg Schumann, 1866 - 1952) がいます。

父から音楽の手ほどきを受けたのち、1889年から1893年までライプツィヒ王立音楽院 (Königliches Konservatorium der Musik zu Leipzig) でカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) に作曲を、ザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831 - 1902) に音楽理論を、ブルーノ・ツヴィンチャー (Bruno Zwintscher, 1838 - 1905) にピアノを、パウル・ホーマイヤー (Paul Homeyer, 1853 - 1908) にオルガンを師事。1894年から1895年までベルリンの王立高等音楽学校 (Königliche Akademische Hochschule für ausübende Tonkunst) でヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) とローベルト・ラーデケ (Robert Radecke, 1830 - 1911) に師事しました。1896年にアイゼナハのゲオルク教会とヴァルトブルク城のオルガン奏者に、1911年にザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の音楽監督と宮廷オルガン奏者に就任。また、アイゼナハの音楽学校でオルガンと音楽理論の教師となりました。1914年にバート・ゴットロイバ (Bad Gottleuba) に移って作曲に専念し、1946年12月29日に同地で亡くなりました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Schumann, Camillo”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 850.
  • Slonimsky, Nicolas , ed. (1958). “Schumann, Camillo”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th edition). New York: G. Schirmer. page 1473.
  • Warszawski, Jean-Marc (2020-06-05). “Schumann Camillo”. musicologie.org. Retrieved 2022-03-07.

2022-03-06

150th Birth Anniversary of Paul Juon

Paul Juon (Павел Фёдорович Юон, Russia/Switzerland, 1872 - 1940) - Kleine Suite für Klavier, Op. 20 (Berlin: Schlesinger'sche Buch- und Musikhandlung, 1902); II. Traurig. Andante doloroso (D minor).

今日はロシア出身の作曲家・音楽教師、パウル・ユオン (パーヴェル・フョードロヴィチ・ユオン) 生誕150年の誕生日です。今回はユオン作曲「ピアノのための小組曲 ハ長調 Op. 20」より第2楽章「悲しい ニ短調」を弾きました。

パウル・ユオンは1872年3月6日 (ユリウス暦2月23日, Gudger & Levi 2001) または同月8日 (ユリウス暦2月25日, SL & Langner 2003/2016) にロシア帝国のモスクワに生まれました。ユオン家はスイス東部のグラウビュンデン州から移住してきたスイス人の家庭で、弟に画家・舞台美術家のコンスタンチン・ユオン (Konstantin Yuon, 1875 - 1958) がいます。パウルは1889年にモスクワ音楽院に入学し、ヤン・フジーマリー (Jan Hřímalý, 1844 - 1915) にヴァイオリンを、アントン・アレンスキー (Anton Arensky, 1861 - 1906) とセルゲイ・タネーエフ (Sergey Taneyev, 1856 - 1915) に作曲を師事しました。1894年10月から1895年4月までドイツ帝国ベルリンの国立高等音楽学校 (Staatliche Akademische Hochschule für Musik) でヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に師事し、1896年にプロイセン王国より作曲でメンデルスゾーン奨学金 (Mendelssohn-Stipendium) を得ています。1年間、ロシア帝国バクー県バクーのバクー音楽学校 (現在のアゼルバイジャン国立音楽院附属アサフ・ゼイナリ記念バクー音楽カレッジ Azərbaycan Milli Konservatoriyası nəzdində Musiqi Kolleci. アントニーナ・エルモラーエヴァ Antonina Yermolayeva により設立) でヴァイオリンと音楽理論の教師を務めたのち、1897年からベルリンに定住しました。1905年から母校のベルリン高等音楽学校で音楽理論の臨時教員、1906年から正規教員となり、1911年に作曲の教授に就任しました。1919年に王立芸術アカデミー (Königliche Akademie der Künste) 会員に選出。1934年に健康状態悪化のため退職してスイスのヴヴェイ (Vevey) に移り、1940年8月21日に同地で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:


2022-03-01

150th Birth Anniversary of Alfred Kaiser

Henry Alfred Kaiser (Belgium/England, 1872 - 1917) - Arlequinade. Suite for the Pianoforte (Boston: Arthur P. Schmidt, 1910); No. 5. Pierrot. Allegretto vivace (D major).

今年はベルギー出身の英国の作曲家アルフレッド・カイザー生誕150年 (誕生日は2月29日) です。今回はカイザー作曲「アルルキナード (道化芝居)、ピアノのための組曲」より第5曲「ピエロ ニ長調」を弾きました。

1872年2月29日にベルギーの首都ブリュッセルで生まれたアルフレッド・カイザーは、オーストリア帝国のヴィーンでアントン・ブルックナー (Anton Bruckner, 1824 - 1896) に、プラハでヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル (Josef Bohuslav Foerster, 1859 - 1951) に師事しました。 その後、英国のロンドンに渡り、1917年10月1日にボーンマス (Bournemouth) で亡くなりました。作品にオペラ、付随音楽、交響曲、ピアノ協奏曲、弦楽合奏のための3つのセレナード、2つのピアノ三重奏曲などがあります。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Kaiser, Alfred”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. pages 568-569.
  • Slonimsky, Nicolas; Kuhn, Laura; McIntire, Dennis, eds. (2001). “Kaiser, Alfred”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (9th edition). Retrieved 2022-02-28 from Encyclopedia.com.

2022-02-21

100th Death Anniversary of Oscar Beringer

Oscar Beringer (Germany/England, 1844 - 1922) - 6 Sonatinas for Pianoforte (London & Leipzig: Stanley Lucas, Weber, Pitt & Hatzfeld, 1894); Sonatina No. 6 in A minor; II. Andante cantabile (C major).

今日はドイツ出身の英国の作曲家・ピアノ奏者・音楽教育者、オスカー・ベーリンガー没後100年の命日です。今回はベーリンガー作曲「ピアノのための6つのソナティナ」の「ソナティナ第6番 イ短調」より第2楽章 ハ長調を弾きました。

オスカー・ベーリンガーは1844年7月14日にバーデン大公国のフルトヴァンゲン・イム・シュヴァルツヴァルト (Furtwangen im Schwarzwald) で生まれ、1849年に政治難民となった父とともに家族で英国ロンドンに移りました。亡命者としての苦しい生活のために19歳までの音楽の教師は姉のみでしたが、ピアノ演奏の才能を表し、1859年から1860年にかけて水晶宮での数シリーズのピアノリサイタルで演奏し、1861年に水晶宮土曜演奏会に初出演しました。1864年から1866年までザクセン王国ライプツィヒでイグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) とカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) とルイ・プライディ (Louis Plaidy, 1810 - 1874) にピアノを、エルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879) に対位法を、フェルディナント・ダーヴィト (Ferdinand David, 1810 - 1873) に室内楽演奏と指揮を師事しましたが、普墺戦争 (1866) の勃発を契機に一旦英国に帰国 (Beringer 1907, pp. 23-29, chapter 4)。その後、プロイセン王国ベルリンでカール・タウジヒ (Carl Tausig, 1841 - 1871)、ルイ・エーレルト (Louis Ehlert, 1825 - 1884)、カール・フリードリヒ・ヴァイツマン (Carl Friedrich Weitzmann, 1808 - 1880)、ハインリヒ・エールリヒ (Heinrich Ehrlich, 1822 - 1899) に師事しました。

1869年にベルリンにあるカール・タウジヒの高等ピアノ演奏学校 (Schule des höheren Clavierspiels) の教授として招かれましたが、1871年に英国に帰国。1872年1月にライプツィヒのゲヴァントハウスで演奏会を開催。1873年にロンドンに高等ピアノ演奏アカデミー (Academy for the Higher Development of Pianoforte Playing) を設立 (1897年1月に閉校)。1882年10月14日にピアノ独奏者としてヨハネス・ブラームス作曲「ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op. 83」を演奏 (イングランド初演)。1885年に王立音楽アカデミーの教授に就任しました。1922年2月21日にロンドンで亡くなりました。

楽曲に「ピアノと管弦楽のためのアンダンテとアレグロ Andante and Allegro for Pianoforte and Orchestra 」(1880年に土曜演奏会とコーエン氏管弦楽演奏会で演奏) のほか、「日々の技術練習曲 Daily Technical Studies for the Pianoforte 」(London: Bosworth & Co., 1887; 第2版 1915)、「ピアノフォルテ・チューター Pianoforte Tutor 」(London: Bosworth & Co., 1902)、多くの教育的小品、ソナティナなどのピアノ曲、数曲の歌曲、著書に「50年に及ぶピアノ指導と演奏の経験 Fifty Years' Experience of Pianoforte Teaching and Playing 」(London: Bosworth & Co., 1907) があります。

教え子に以下の人物がいます。

  • メアリー・グラント・カーマイケル (Mary Grant Carmichael, 1851 - 1935)
  • キャサリン・グッドソン (Katharine Goodson, 1872 - 1958)
  • ヴァイオレット・ゴードン・ウッドハウス (Violet Gordon Woodhouse née Gwynne, 1872 - 1948)
  • アドルフ・ハリス (Adolph Hallis, 1896 - 1987)

    出典:



  • 2022-01-28

    300th Birth Anniversary of Johann Ernst Bach

    Johann Ernst Bach II (Germany, 1722 - 1777) - Sonate pour le clavecin (G major); II. Adagio (G major).

    今日はドイツの作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・エルンスト・バッハ生誕300年の誕生日です。今回はバッハ作曲「ソナタ ト長調」より第2楽章を弾きました。楽譜はオムニバス曲集である Œuvres melées contenant VI. Sonates pour le clavessin. Partie IV (Nürnberg: Jean Ulric Haffner) に収録されています。

    バッハ一族のエアフルト家 (Erfurter Linie) に連なる作曲家・鍵盤楽器奏者である彼の父、ヨハン・ベルンハルト・バッハ (Johann Bernhard Bach, 1676 - 1749) は、著名なヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) の再従兄です。

    ヨハン・エルンスト・バッハは1722年1月28日に神聖ローマ帝国ザクセン=アイゼナハ公国の首都アイゼナハで生まれました。1732年から1735年までアイゼナハのラテン語学校で学びました。1736年1月16日にライプツィヒのトーマス学校に入学しましたが年内で同校を中退し、1740年頃からライプツィヒ大学で法律を学びました。当時ライプツィヒでは前述のヨハン・ゼバスティアン・バッハがトーマスカントル兼市音楽監督を務めており、ヨハン・エルンスト・バッハは彼に作曲を師事しています。1741年に病気の父ヨハン・ベルンハルト・バッハの職務を代行するために生地アイゼナハに戻りました。アイゼナハでは弁護士としても活動しました。1748年に父の正規助手となり、1749年に父が亡くなると彼が務めていたゲオルク教会 (Georgenkirche) オルガン奏者とザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国宮廷チェンバロ奏者を引き継ぎました。1756年には首都ヴァイマルの宮廷楽長に任命され、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世コンスタンティン (Ernst August II. Konstantin von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1737 - 1758) の死後に宮廷楽団が解散するまでアイゼナハから定期的に出張しました。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの子でありベルリン (1767年以降ハンブルク) を拠点としていたカール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788) との親交が知られています。1777年9月1日にアイゼナハで亡くなりました。

    出典:

    • Wolff, Christoph; Wollny, Peter (2001). “Bach, Johann Ernst”. Grove Music Online. Retrieved 2022-01-27.
    • Wollny, Peter (June 2016). “Bach”. Alphabetisches Verzeichnis der Musiker, Johann Ernst Bach, BIOGRAPHIE. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-27.

    2022-01-26

    100th Death Anniversary of Luigi Denza

    Luigi Denza (Italy, 1846 - 1922) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Canto della fanciulla nubiana. Andante (A minor).

    今日 (または明日) はイタリアの作曲家・歌手、ルイージ・デンツァ没後100年の命日です。今回はデンツァ作曲「ヌビアの少女の歌 イ短調」、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第87曲として収録されています。

    1846年2月24日に両シチリア王国のカステッランマーレ・ディ・スタービア (Castellammare di Stabia) で生まれたルイージ・デンツァは、ナポリのサン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院 (Conservatorio di musica San Pietro a Majella) でサヴェリオ・メルカダンテ (Saverio Mercadante, 1795 - 1870) とパオロ・セッラオ (Paolo Serrao, 1830 - 1907) に作曲を師事しました。また、声楽をカルロ・コスタ (Carlo Costa, 1826 - 1888)、ミケランジェロ・ルッソ (Michelangelo Russo, 1830 - 1891)、アルフォンソ・グエルチャ (Alfonso Guercia, 1831 - 1890) に学びました。1880年に代表曲である「フニクリ・フニクラ」(Funiculì funiculà) を作曲、発表しましたが、この曲はヴェスヴィオ山の山麓と火口を結ぶケーブルカーであるヴェズヴィアナ鋼索線 (Funicolare Vesuviana) のための宣伝歌として書かれたものでした。1887年にロンドンに移住して、王立音楽アカデミーの理事や声楽教授を務め、1922年1月の26日 (Burton et Horner 2001) または27日 (Lamacchia 2008/2016) にロンドンで亡くなりました。

    出典:

    • Burton, Nigel; Horner, Keith (2001). “Denza, Luigi”. etrieved 2022-01-25.
    • Lamacchia, Saverio (2008) 2016. “Denza, Luigi”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-25.

    2022-01-24

    150th Birth Anniversary of Alfred Mello

    Alfred Mello (Germany, 1872 - 1934) - Marionetten-Walzer. Allegretto (G major. Stuttgart/Leipzig: Neue Musik-Zeitung, 1902).

    今日はラウジッツ出身のドイツの作曲家アルフレート・メロ生誕150年の誕生日です。今回はメロ作曲「マリオネットのワルツ ト長調」を弾きました。

    アルフレート・メロは1872年1月24日にドイツ帝国プロイセン王国シュレージエン州のゲルリッツに生まれ、1934年9月22日にドレスデンで亡くなりました。

    2022-01-23

    150th Birth Anniversary of Martin Frey

    Martin Alfred Frey (Germany, 1872 - 1943) - Wanderskizzen für Pianoforte. Instructive Vortragsstücke für die Jugend, Op. 23. Seinem lieben Bruder Paul Frey gewidmet; No. 1. Frisch und fröhlich (F major).

    今日はドイツの作曲家・批評家、マルティン・フライ生誕150年の誕生日です。今回はフライ作曲「さすらい人の素描集、子供のための教育的演奏会用小品集 Op. 23」(全6曲) より第1曲 ヘ長調を弾きました。曲集はフライの兄弟であるパウル・フライに献呈されています。楽譜には各曲に以下のような標題が書かれています。

    1. Die Häuser im Rücken, in freier Natur!
      Nun wandre ich singend durch Wiese und Flur!
    2. Hochoben im Walde am Bergeshang
      tönt Hirtenlied und Hörnerklang.
    3. Wie Elfen tanzen den wiegenden Reih'n
      Auf schimmernder Wiese bey Mondenschein.
    4. Tief unten im Berg
      Im Reiche der Zwerge.
    5. Im Wirtshaus erklinget ganz leise
      Der Spieluhr melodische Weise.
    6. Der Brummbaß stöhnt, die Geigen erklingen,
      Die Burschen im Tanze die Mädchen schwingen.

    1872年1月23日にドイツ帝国プロイセン王国ザクセン州のハレ・アン・デア・ザーレで生まれたマルティン・フライは、デーリチュ (Delitzsch) のゼミナールを修了したのち、1893年から1899年までライプツィヒでマルティン・クラウゼ (Martin Krause, 1853 - 1918) にピアノを、テオドール・ヴィーマイヤー (Johann Theodor Wiehmayer, 1870 - 1947) とザーロモン・ヤーダスゾーン (Salomon Jadassohn, 1831 - 1902)、後にフーゴ・リーマン (Hugo Riemann, 1849 - 1919) に音楽理論を師事しました。1899年以降は生地のハレに戻り、新聞の音楽批評家として活動しました。作品には教育用のピアノ曲、ヴァイオリンとピアノのための室内楽曲、歌曲、合唱曲、オペラ「ギービヒェンシュタインの官吏 Der Amtmann von Giebichenstein 」などがあります。

    出典: Einstein, Alfred, ed. (1929).“Frey, Martin”. Hugo Riemanns Musik Lexikon (11th edition). Berlin: Max Hesses Verlag.

    2022-01-11

    150th Birth Anniversary of Paul Graener

    Paul Graener (Germany, 1872 - 1944) - Aus dem Reiche des Pan, Op. 22 (Leipzig: Fr. Kistner, 1906); No. 2. Pan singt von der Sehnsucht.

    今日はドイツの作曲家・指揮者・音楽教師、パウル・グレーナー生誕150年の誕生日です。今回はグレーナー作曲「牧神の国より Op. 22」より第2曲「牧神はあこがれを歌う」を弾きました。

    パウル・グレーナーは1872年1月11日にドイツ帝国の首都ベルリンで生まれました。ベルリンのファイト音楽院 (Veit'sches Konservatorium) でヴァイオリンとピアノを学び、アルベルト・ベッカー (Albert Becker, 1834 - 1899) に作曲を師事しました。

    ブレーマーハーフェン (Bremerhaven)、ケーニヒスベルク (現在のカリーニングラード)、ベルリンで劇場指揮者として活動したのち、1896年にロンドンに移り、ヘイマーケット王立劇場 (Theatre Royal Haymarket) の指揮者や王立音楽アカデミーの教師を務めました。1908年以降はオーストリアやドイツを拠点とし、新ヴィーン音楽院 (Neues Wiener Konservatorium) の教師 (1908年から)、ザルツブルクのモーツァルテウム音楽学校 (Öffentliche Musikschule Mozarteum) 校長 (1911年から1914年まで)、ライプツィヒの王立音楽院 (Königliches Konservatorium der Musik zu Leipzig) の作曲の教授 (1920年から1924年まで、マックス・レーガー Max Reger の後任)、ベルリンのシュテルン音楽院 (Stern'sches Konservatorium) 院長 (1930年から1933年まで) を歴任しました。1934年4月にはプロイセン芸術アカデミー (Preußische Akademie der Künste) の作曲マスタークラスの監督を務めています。1933年に国民社会主義ドイツ労働者党 (ナチス) 党員となり、同年に帝国音楽院 (Reichsmusikkammer) 副総裁、1935年に同機関の作曲部門長 (リヒャルト・シュトラウス Richard Strauss の後任) に就任しました。1941年に帝国音楽院副総裁を辞任しましたが、この頃には健康状態の悪化 (肺気腫を伴う慢性気管支炎) が進み、辞任の一因と考えられています。ベルリン空襲により自宅を失い、ミュンヒェン、ザルツブルク、メス、ヴィーンなどに移ったのちに、1944年11月13日にザルツブルクの病院で亡くなりました。

    教え子に以下の人物がいます。

    出典:

    • Focht, Josef, ed. (2012-04-10). “Graener, Paul Hermann Franz”. Bayerisches Musiker-Lexikon Online. Retrieved 2022-01-08.
    • Grove Music Online. Retrieved 2022-01-08.
    • MGG Online. Edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-08.
    • Boisits, Barbara (2003). “Graener, Paul”. Oesterreichisches Musiklexikon online. Retrieved 2022-01-08.
    • Kaden, Werner (2009). “Hans Wolfgang Sachse”. Sächsische Biografie. Institut für Sächsische Geschichte und Volkskunde. Retrieved 2022-01-08.
    • Palionytė, Dana. “Stasys Šimkus”. Visuotinė lietuvių enciklopedija. Retrieved 2022-01-08.
    • 「山本 直忠」『日本の作曲家 : 近現代音楽人名事典』細川周平, 片山杜秀 監修. 日外アソシエーツ. 2008. pages 717-718.