Johann Ernst Bach II (Germany, 1722 - 1777) - Sonate pour le clavecin (G major); II. Adagio (G major).
今日はドイツの作曲家・鍵盤楽器奏者、ヨハン・エルンスト・バッハ生誕300年の誕生日です。今回はバッハ作曲「ソナタ ト長調」より第2楽章を弾きました。楽譜はオムニバス曲集である Œuvres melées contenant VI. Sonates pour le clavessin. Partie IV (Nürnberg: Jean Ulric Haffner) に収録されています。
バッハ一族のエアフルト家 (Erfurter Linie) に連なる作曲家・鍵盤楽器奏者である彼の父、ヨハン・ベルンハルト・バッハ (Johann Bernhard Bach, 1676 - 1749) は、著名なヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) の再従兄です。
ヨハン・エルンスト・バッハは1722年1月28日に神聖ローマ帝国ザクセン=アイゼナハ公国の首都アイゼナハで生まれました。1732年から1735年までアイゼナハのラテン語学校で学びました。1736年1月16日にライプツィヒのトーマス学校に入学しましたが年内で同校を中退し、1740年頃からライプツィヒ大学で法律を学びました。当時ライプツィヒでは前述のヨハン・ゼバスティアン・バッハがトーマスカントル兼市音楽監督を務めており、ヨハン・エルンスト・バッハは彼に作曲を師事しています。1741年に病気の父ヨハン・ベルンハルト・バッハの職務を代行するために生地アイゼナハに戻りました。アイゼナハでは弁護士としても活動しました。1748年に父の正規助手となり、1749年に父が亡くなると彼が務めていたゲオルク教会 (Georgenkirche) オルガン奏者とザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国宮廷チェンバロ奏者を引き継ぎました。1756年には首都ヴァイマルの宮廷楽長に任命され、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世コンスタンティン (Ernst August II. Konstantin von Sachsen-Weimar-Eisenach, 1737 - 1758) の死後に宮廷楽団が解散するまでアイゼナハから定期的に出張しました。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの子でありベルリン (1767年以降ハンブルク) を拠点としていたカール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788) との親交が知られています。1777年9月1日にアイゼナハで亡くなりました。
出典:
- Wolff, Christoph; Wollny, Peter (2001). “Bach, Johann Ernst”. Grove Music Online. Retrieved 2022-01-27.
- Wollny, Peter (June 2016). “Bach”. Alphabetisches Verzeichnis der Musiker, Johann Ernst Bach, BIOGRAPHIE. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-27.
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