2022-01-11

150th Birth Anniversary of Paul Graener

Paul Graener (Germany, 1872 - 1944) - Aus dem Reiche des Pan, Op. 22 (Leipzig: Fr. Kistner, 1906); No. 2. Pan singt von der Sehnsucht.

今日はドイツの作曲家・指揮者・音楽教師、パウル・グレーナー生誕150年の誕生日です。今回はグレーナー作曲「牧神の国より Op. 22」より第2曲「牧神はあこがれを歌う」を弾きました。

パウル・グレーナーは1872年1月11日にドイツ帝国の首都ベルリンで生まれました。ベルリンのファイト音楽院 (Veit'sches Konservatorium) でヴァイオリンとピアノを学び、アルベルト・ベッカー (Albert Becker, 1834 - 1899) に作曲を師事しました。

ブレーマーハーフェン (Bremerhaven)、ケーニヒスベルク (現在のカリーニングラード)、ベルリンで劇場指揮者として活動したのち、1896年にロンドンに移り、ヘイマーケット王立劇場 (Theatre Royal Haymarket) の指揮者や王立音楽アカデミーの教師を務めました。1908年以降はオーストリアやドイツを拠点とし、新ヴィーン音楽院 (Neues Wiener Konservatorium) の教師 (1908年から)、ザルツブルクモーツァルテウム音楽学校 (Öffentliche Musikschule Mozarteum) 校長 (1911年から1914年まで)、ライプツィヒ王立音楽院 (Königliches Konservatorium der Musik zu Leipzig) の作曲の教授 (1920年から1924年まで、マックス・レーガー Max Reger の後任)、ベルリンのシュテルン音楽院 (Stern'sches Konservatorium) 院長 (1930年から1933年まで) を歴任しました。1934年4月にはプロイセン芸術アカデミー (Preußische Akademie der Künste) の作曲マスタークラスの監督を務めています。1933年に国民社会主義ドイツ労働者党 (ナチス) 党員となり、同年に帝国音楽院 (Reichsmusikkammer) 副総裁、1935年に同機関の作曲部門長 (リヒャルト・シュトラウス Richard Strauss の後任) に就任しました。1941年に帝国音楽院副総裁を辞任しましたが、この頃には健康状態の悪化 (肺気腫を伴う慢性気管支炎) が進み、辞任の一因と考えられています。ベルリン空襲により自宅を失い、ミュンヒェン、ザルツブルク、メス、ヴィーンなどに移ったのちに、1944年11月13日にザルツブルクの病院で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

  • Focht, Josef, ed. (2012-04-10). “Graener, Paul Hermann Franz”. Bayerisches Musiker-Lexikon Online. Retrieved 2022-01-08.
  • Grove Music Online. Retrieved 2022-01-08.
  • MGG Online. Edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-01-08.
  • Boisits, Barbara (2003). “Graener, Paul”. Oesterreichisches Musiklexikon online. Retrieved 2022-01-08.
  • Kaden, Werner (2009). “Hans Wolfgang Sachse”. Sächsische Biografie. Institut für Sächsische Geschichte und Volkskunde. Retrieved 2022-01-08.
  • Palionytė, Dana. “Stasys Šimkus”. Visuotinė lietuvių enciklopedija. Retrieved 2022-01-08.
  • 「山本 直忠」『日本の作曲家 : 近現代音楽人名事典』細川周平, 片山杜秀 監修. 日外アソシエーツ. 2008. pages 717-718.


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