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2023-03-13

100th Death Anniversary of Ernő Lányi

Ernő Lányi (Ерне Лањи, Hungary/Serbia, 1861 - 1923) - Panasz ; Klage. Lento ma non troppo (F minor. Stuttgart/Leipzig: Neue Musik-Zeitung, 1903).

今日はハンガリーの作曲家・指揮者、ラーニ・エルネー没後100年の命日です。今回はラーニ作曲「嘆き ヘ短調」を弾きました。

ラーニ・エルネーは1861年7月19日にオーストリア帝国ハンガリー王国ペシュト (Pest) で生まれました。4歳からフランス帝国の首都パリで育ち、10代のときにドイツ帝国ミュンヘンバイエルン王立音楽学校で学びました。ヨーロッパ各地で学んでおり、師にはフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886)、フェルディナント・ヒラー (Ferdinand Hiller, 1811 - 1885)、ケスラー (Кеслер, おそらくハンス・ケスラー Hans Koessler, 1853 - 1926) がいます (Међуопштински завод за заштиту споменика културе са седиштем у Суботици 2018)。帰国ののち1880年代から指揮者として活動し、ブダペシュトハンガリー王立音楽院で学んだのち、1年間を歌劇団のコレペティートルとして活動しました。1889年から1892年までエゲルエゲル大聖堂 (Egri főszékesegyház) 聖歌隊指揮者を、1901年からミシュコルツの市立音楽学校の校長を務めました。1907年にサバトカ (Szabadka. 現在のセルビア領スボティツァ Subotica) に移り、教会の聖歌隊指揮者、市立音楽学校の校長、地元の合唱団の指揮者を務めました。1923年3月13日にセルビア人クロアチア人スロベニア人王国 (第一次世界大戦後に成立) のスボティツァ (サバトカ) で亡くなりました。

出典:

2022-01-24

150th Birth Anniversary of Alfred Mello

Alfred Mello (Germany, 1872 - 1934) - Marionetten-Walzer. Allegretto (G major. Stuttgart/Leipzig: Neue Musik-Zeitung, 1902).

今日はラウジッツ出身のドイツの作曲家アルフレート・メロ生誕150年の誕生日です。今回はメロ作曲「マリオネットのワルツ ト長調」を弾きました。

アルフレート・メロは1872年1月24日にドイツ帝国プロイセン王国シュレージエン州ゲルリッツに生まれ、1934年9月22日にドレスデンで亡くなりました。

2020-03-07

200th Birth Anniversary of Gustav Graben-Hoffmann

Gustav Graben-Hoffmann (Poland/Germany, 1820 - 1900) - Musikalisches Stimmungsbildchen. Andantino (G major) (Neue Musik-Zeitung. Stuttgart/Leipzig: Carl Grüninger, 1889).

今日はポズナン大公国出身のドイツの作曲家・歌手・音楽教師、グスタフ・グラーベン=ホフマン (グスタフ・ホフマン) 生誕200年の誕生日です。今回はグラーベン=ホフマン作曲「音楽の小情景画 ト長調」を弾きました。楽譜は1889年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたものを使いました。

ブニン (現在のポーランド領クルニクの一部) に生まれたグスタフ・ホフマンは、父に音楽の手ほどきを受けたのち、ポーゼン (ポズナン) の市民学校 (Bürgerschule) とブロンベルク (ビドゴシチ) の師範学校 (Lehrerseminar) で学んで音楽教師となりました。シュビンで教師を務めたのち、1840年からポーゼンの都市学校 (Stadtschule) に移り、そのポーゼンの学校が地溝 (Graben) にあったことでグラーベン=ホフマンという変名を使うようになりました。1843年にベルリンで歌と作曲を学び、1847年に出版した歌曲「五十万の悪魔 Fünfmalhunderttausend Teufel, Op. 5」(エドゥアルト・マリア・エティンガー Eduard Maria Oettinger (1807 – 1872) 詞. Berlin: Schlesinger) は広く知られるようになりました。1844年までにベルリン・ジングアカデミーに所属する独唱歌手となりましたが、1848年に病気のためにコンサート歌手の活動を断念しました。以後は歌唱教師・作曲家として活動し、1850年にポツダムに女子音楽アカデミー (Musikakademie für Damen) を設立しました。シュタイアーマルクザクセンで活動しながら領主のリヒャルト・クレメンス・シェーンブルク=ヒンターグラウハウ伯爵 (Richard Clemens von Schönburg-Hinterglauchau, 1829 - 1900) の援助を受け、ライプツィヒでは1857年までモーリッツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, 1792 - 1868) に作曲を師事しました。その後はドレスデン (1858-1868)、シュヴェリーン (1868-1869)、ベルリン (1869年以降)、ドレスデン (1873年以降)、ポツダム (1885年以降) を拠点としました。1870年にベルリンに女子歌唱アカデミー (Gesangsakademie für Damen) を設立しています。

出典:

2019-11-26

200th Birth Anniversary of Ludwig Liebe

Eduard Ludwig Liebe (Germany, 1819 - 1900) - 6 Kleine Tondichtungen mit Überschriften deutscher Dichter, Op. 38 (Kassel: Luckhardt, 1862, 1867); No. 4. Allegretto (F major)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・オルガン奏者、ルートヴィヒ・リーベ (ルイ・リーベ Louis Liebe) 生誕200年の誕生日です。今回はリーベ作曲「ドイツの詩人の表題つきの6つの小さな音詩 Op. 38」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲の題辞としてルートヴィヒ・ヴィール (Ludwig Wihl, 1807 - 1882) 作「春の祝い Frühlingsfeier 」(Hamburg, im Frühling 1839) 第34聯からの引用が以下のように楽譜に書かれています。

Alles zeigt ein froh Gesicht,
Trägt ein lustig grünes Kleid...
Welch ein göttlich-schön Gedicht
Ist die liebe Frühlingszeit.
Ludwig Wihl.

楽譜は1881年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたものを使いました。

プロイセン王国ザクセン県 (Provinz Sachsen) マクデブルクに生まれたルートヴィヒ・リーベは、カッセルルイ・シュポーア (Louis Spohr, 1784 - 1859) とヨハン・クリスティアン・バルデヴァイン (Johann Christian Baldewein, 1784 - 1848) に師事しました。コブレンツマインツヴォルムスで音楽監督を務め、ストラスブールロンドンで教師となりました。ヴォルムスでの教え子に、幼少期のフリードリヒ・ゲルンスハイム (Friedrich Gernsheim, 1839 - 1916) がいます。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 534

2019-07-10

100th Death Anniversary of Hugo Riemann

Hugo Riemann (Germany, 1849 - 1919) - Valse et Valsette, Op. 25 (Köln: P. J. Tonger, 1877); No. 2. Valsette. Sehr zart und flüchtig (C major)

今日はドイツの作曲家・音楽理論家、フーゴ・リーマン没後100年の命日です。今回はリーマン作曲「円舞曲と小円舞曲 Op. 25」より第2曲「小円舞曲 ハ長調」を弾きました。楽譜は1882年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されているものを用いました。

ドイツ連邦シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国のグロスメールラ (Großmehlra)に生まれたフーゴ・リーマンは、 ゾンダースハウゼン (Sondershausen) でハインリヒ・フランケンベルガー (Heinrich Frankenberger, 1824 - 1885) に理論を、アウグスト・バルテル (August Barthel) とテオドール・ラッツェンベルガー (Theodor Ratzenberger, 1840 - 1879) にピアノを師事しました。ラッツェンベルガーはピアノをフランツ・リストに師事しているので、リーマンはピアノ奏者としてはリストの孫弟子ということになります。

1865年から1868年までベルリンとテュービンゲンで法学、哲学、史学を学んでいましたが、普仏戦争 (1870-1871) に出征。その後はライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik, 現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) に入学し、1873年にゲッティンゲン大学で博士となりました。

ビーレフェルト (1878年まで)、ブロムベルク (1880-1881)、ハンブルク音楽院 (Hamburger Konservatorium, 1890年まで)、ゾンダースハウゼン音楽院 (Konservatorium der Musik in Sondershausen, 短期)、ヴィースバーデン音楽院 (Wiesbadener Konservatorium, 1895年まで) を経てライプツィヒ大学の教員となりました。1901年に員外教授、1905年に正教授、1914年に新設された音楽学研究所 (Forschungsinstitut für Musikwissenschaft) 所長に就任します。

出典:



2019-06-26

100th Death Anniversary of Michel Zurluth

Michel Zurluth (France, 1861 - 1919) - Albumblatt. Andante, Op. 18 No. 3 (A flat major)

今日はアルザス出身のフランスの作曲家ミシェル・ズュルリュト (ミヒャエル・ツルルト) 没後100年の命日です。今回はズュルリュト作曲「アルバムの綴り 変イ長調 Op. 18 No. 3」を弾きました。楽譜は1899年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

ミシェル・ズュルリュトはサン=ジャン=サヴェルヌ (Saint-Jean-Saverne) に生まれ、メス (Metz) で亡くなりました。

2019-03-23

150th Death Anniversary of Albert Methfessel

Albert Gottlieb Methfessel (Germany, 1786 - 1869) - Weihnachtsabend. Andantino cantabile (D flat major)

今日はドイツの作曲家・歌手、アルベルト・ゴトリープ・メトフェッセル没後150年の命日です。今回はメトフェッセル作曲「クリスマスの夕べ 変ニ長調」を弾きました。楽譜は1881年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

テューリンゲンのシュタットイルム (Stadtilm) に生まれたアルベルト・メトフェッセルは、ドレスデンでカストラート歌手のフランチェスコ・チェッカレッリ (Francesco Ceccarelli, 1752-1814) に師事しました。1810年から1822年までシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯国で宮廷歌手を、1832年から1842年までブラウンシュヴァイク公国で宮廷楽長を務めました。兄に作曲家のフリードリヒ・メトフェッセル (Friedrich Methfessel, 1771 - 1807) がいます。

出典: Brusniak, Friedhelm, "Methfessel, Albert" in: Neue Deutsche Biographie 17 (1994), S. 230 f.

2017-05-05

150th Birth Anniversary of Karl Thiessen

Karl Thiessen (Germany, 1867 - 1945) - Mazurka, Hommage à Grieg

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者、カール・ティーセン生誕150年の誕生日です。今回はティーセン作曲「マズルカ イ短調、グリーグを讃えて」を弾きました。楽譜は1907年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

キールに生まれたカール・ティーセンは、1888年よりヴァイマルの大公音楽オーケストラ学校 (Musik- und Orchesterschule, 現在のフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学) でカール・ミュラーハルトゥング (Carl Müllerhartung, 1834 - 1908) にピアノと対位法を師事。ヴュルツブルク王立音楽大学でカール・クリーベルト (Karl Kliebert, 1849 - 1907) に管弦楽法と指揮をマックス・マイヤー=オルバースレーベン (Max Meyer-Olbersleben, 1850 - 1927) に音楽理論を、ファン・ツァイル (van Zeyl) にピアノを師事しました。東フリースラント地方のエムデン、アウリヒで合唱指揮者となり、1897年よりツィッタウで活動しています。以上の経歴は Hermann Fey: Schleswig-Holsteinische Musiker. Ein Heimatbuch, Hamburg (Carl Holler) 1921, pages 113-117 を出典とするドイツ語版ウィキペディアに書かれていたものです。

2017-01-17

100th Death Anniversary of Viktor Gluth

Viktor Gluth (Czech, 1852 - 1917) - Tonskizzen, II. Etwas bewegt (G major)

今日はチェコ出身のドイツの作曲家ヴィクトル・グルート没後100年の命日です。今回は、グルート作曲の3曲からなる「音のスケッチ集」より第2曲 ト長調を弾きました。「音のスケッチ集」は1890年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。

オーストリア帝国の支配下にあったボヘミアのプルゼニ (ピルゼン) に生まれたヴィクトル・グルートは、ミュンヘンの王立音楽アカデミー (現在のミュンヘン音楽・演劇大学) の教授となり、ミュンヘンで亡くなりました。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Music and Musicians (1919), pp. 317

2016-10-30

100th Death Anniversary of Paul Höfle

Paul Höfle (Germany, 1852 - 1916) - Mazurka No. 1 in C major (1895). Frau N. W. v. Wlassieff gewidmet.

今日はドイツの作曲家・ツィター奏者、パウル・ヘフレ没後100年の命日です。今回はヘフレ作曲「マズルカ 第1番 ハ長調」を弾きました。この曲は1895年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に「マズルカ 第2番 変イ長調」とともに掲載されたようです。ヘフレはドイツのパーゼヴァルク (Pasewalk) に生まれ、ロシアのヴォーログダで亡くなりました。

2016-10-04

100th Death Anniversary of Max Battke

Max Battke (Germany, 1863 - 1916) - Märchen in E minor, Op. 11 No. 3

今日はドイツの作曲家・音楽教師、マックス・バトケ没後100年の命日です。今回はバトケ作曲「メルヘン ホ短調 Op. 11 No. 3」を弾きました。この曲は1902年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

東プロイセンのシフス (Schiffuß, 現ポーランド領シヴォシェヴォ Siwoszewo) に生まれたマックス・バトケは、ケーニヒスベルクで、マックス・エステン (Max Oesten, 1843 - 1917) に師事し、次いで、ベルリンの王立高等音楽学校で学びます。シュテルン音楽院などのベルリンの音楽学校で教師として活動し、1900年には音楽ゼミナール (Seminar für Musik, 1910年に学校歌唱ゼミナール Seminar für Schulgesang と改称) の設立にも関わります。1897年に著作家のアーダ・ツィンメルマン (Ada Battke, geb. Zimmermann, b. 1879) と結婚し、二男のハインツ (Heinz Battke, 1900 - 1966) はのちに画家となっています。1916年10月4日にマックス・バトケはベルリンで亡くなりましたが、翌1917年には長男のフリッツ (Fritz Battke, 1898 - 1917) も第一次世界大戦のために亡くなりました。

生地のシヴォシェヴォはロシア・カリーニングラード州との国境の街であり、プロイセン時代のシフスが含まれていたヴァントラケン郡 (Amtsbezirk Wandlacken) の中心都市ヴァントラケンは、現在ではロシア領のズヴェーレヴォ (Зверево) となりました。

出典: Baker, Theodore, Baker's Biographical Dictionary of Musicians, 4th edition, 1940, page 68.

2016-07-17

150th Birth Anniversary of Karl Kock

Karl Kock (born 1866) - Melancholie f-Moll. Nicht zu langsam.

今日はドイツの作曲家カール・コック生誕150年の誕生日です。1866年7月17日にハンブルク近郊のアルトナに生まれたということですが、その日は普墺戦争開戦から一月ほどたったころであり、ホルシュタインからオーストリア軍を撤退させたプロイセンが占領したばかりの地でした。翌1867年にはアルトナを含むホルシュタインはプロイセンに併合されます。

今回はコック作曲「憂鬱 ヘ短調」を弾きました。この曲は友人の著作家オットー・ミヒャエリ (Otto Michaeli, 1870 - 1941) に献呈され、1892年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。

2016-03-23

100th Death Anniversary of Alfred Schüz

Alfred Schüz (Germany, 1845 - 1916) - Ägyptisches Motiv (Neue Musik-Zeitung, 1902)

今日はドイツの作曲家・音楽著述家であるアルフレート・シュッツ没後100年の命日です。今回はシュッツ作曲「エジプトのモティーフ」を弾きました。この曲の楽譜は1902年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。

ヴュルテンベルク州立図書館シュトゥットガルト (Württembergische Landesbibliothek Stuttgart) によると、シュッツはテュービンゲンに生まれ、シュトゥットガルトのバート・カンシュタット (Bad Cannstatt) で亡くなったということです。IMSLP には1892年から1903年にかけて「新音楽新聞」に掲載されたピアノ小品がこの曲を含めて4曲あります。

2015-10-08

100th Death Anniversary of Josef Krug-Waldsee

Josef Krug-Waldsee (Germany, 1858 - 1915) - Adagietto in D-flat major, Op. 44b

今日はドイツの作曲家・指揮者、ヨーゼフ・クルーク・ヴァルトゼー没後100年の誕生日です。今回はクルーク・ヴァルトゼー作曲「アダージェット 変ニ長調 Op. 44b 」を弾きました。この曲と「即興曲 ヘ長調 Impromptu, Op. 44a 」は、1902年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。

ドイツ南部のバート・ヴァルトゼー (Bad Waldsee) に生まれたヨーゼフ・クルークは、初期の音楽教育はほぼ独学で、1872年から1880年まではシュトゥットガルト音楽院 (現在のシュトゥットガルト音楽演劇大学) でヴァイオリン、ピアノ、歌唱、作曲を学びました。卒業後はドイツ各地で合唱指揮者や楽長などとして活動しています。

ハンブルクで活動していたディートリヒ・クルーク (Dietrich Krug, 1821 - 1880)、アルノルト・クルーク (Arnold Krug, 1849 - 1904) 父子などの同姓の音楽家との区別のために、生地のヴァルトゼーからクルーク・ヴァルトゼーと称したようです。1887年には合唱曲「ローター王 König Rother, Op. 25 」の初演で名声を得て、国際的に知られるようになりました。

2015-08-17

150th Birth Anniversary of Georg Haeser

Georg Haeser (Germany, 1865 - 1945) -
Elegie, e-moll (Neue Musik-Zeitung, 1905)

Skizze, F-dur (Neue Musik-Zeitung, 1906)

今日はドイツ出身の作曲家ゲオルク・ヘーザー生誕150年の誕生日です。今回はヘーザー作曲の「悲歌 ホ短調」と「スキッツェ ヘ長調」を弾きました。各曲は1905年と1906年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されました。記譜上ではそれぞれ3拍子と4拍子の曲ですが、どちらも変則的なリズムの面白さが際立った曲です。

ヘーザーはプロイセンのダンツィヒ (現ポーランド領グダニスク) に生まれ、ライプツィヒ音楽院で学んだのち、1894年よりスイスのチューリヒに移住し、同地でキュスナハト教員養成所 (Lehrerseminar Küsnacht (ZH)) ほか各校での音楽教師、合唱指揮者、「スイス音楽新聞 Schweizerischen Musikzeitung 」の批評家として活動しました。1905年から1933年にかけてバーゼル音楽院で理論と作曲の教師となり、バーゼル近郊のリーエン (Riehen) で亡くなりました。 (出典: スイス歴史事典 Historisches Lexikon der Schweiz)

2015-01-30

150th Birth Anniversary of Fritz Zierau

Fritz Zierau (1865-1931) - Hochlandsrosen (1906)

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、フリッツ・ツィーラウ生誕150年の誕生日です。今回はツィーラウ作曲のイ短調とト短調の2曲の小品からなる「高地の薔薇」を弾きました。

デムカー (現在のドイツ、ザクセン=アンハルト州タンガーヒュッテの一地区) に生まれたツィーラウは、マクデブルクと、ベルリンの王立音楽研究所 (ベルリン芸術大学教会音楽研究所の前身機関) で学び、1902年には王室音楽監督 (Königlicher Musikdirektor) の称号を得ています。前任者フランツ・ヴァーグナーがベルリンに去って空位となっていた、グーベン主教会のカントル・オルガン奏者、ギムナジウムの声楽教師の職を得て、1904年にグーベンに移住しました。以後1931年に亡くなるまで、グーベンの音楽文化の発展に貢献したということです。

作曲家としては、主教会で演奏するための自作のオラトリオ「弁護者キリスト Christus der Tröster」、「ヤイロ Jairos」のほか、「プロイセン教員新聞 Preußische Lehrerzeitung」、「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung」で作品を発表しています。 IMSLP には新音楽新聞に収録された室内楽やピアノのための小品がいくつかあり、この「高地の薔薇」も1906年発行の同紙に収録された楽譜です。

Fritz Zierau - Moment musical in E minor (1903)

以前にツィーラウ作曲の「楽興の時 ホ短調」を弾いていたので併せてここで紹介します。これは1903年発行の新音楽新聞に収録された曲です。

追記: 略歴を掲載しました。ツィーラウに関する新聞記事の情報を提供して下さったらいのっとさんに感謝します。 (2015-02-11)

参照: Männer, die Guben entscheidend prägten, 2006-11-08 | Lausitzer Rundschau

2012-01-18

My Videos: Mendelssohn Family - 投稿動画: メンデルスゾーン一族

Felix Mendelssohn / Friedrich Hermann - Symphony No. 5 in D, "Reformation", Op. 107; Mov. 3: Andante (arranged for Piano Solo)
Fanny Mendelssohn-Hensel - 4 Lieder für das Pianoforte, Op. 6; Nr. 4. 'Il Saltarello Romano'
Arnold Mendelssohn - Albumblatt in D major

今回はメンデルスゾーン一族の作曲家によるピアノ曲を3つ。ファニーとフェリクスの姉弟は有名ですね。もう一人、アルノルトの作品も紹介します。

Felix Mendelssohn / Friedrich Hermann - Symphony No. 5 in D, "Reformation", Op. 107 (1830); Mov. 3: Andante (arranged for Piano Solo)

いわずと知れたロマン派初期の大作曲家、フェリクス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn, 1809 - 1847)、その宗教改革交響曲の緩徐楽章として置かれた第3楽章 Andante をフリードリヒ・ヘルマン (Friedrich Hermann, 1828-1907) によるピアノ編曲で演奏しました。

Fanny Mendelssohn-Hensel (1805 - 1847) - 4 Lieder für das Pianoforte, Op. 6 (1847); Nr. 4. 'Il Saltarello Romano'

フェリクスの姉、ファニー・メンデルスゾーン (Fanny Mendelssohn-Hensel, 1805 - 1847)、結婚後のファニー・ヘンゼルの名でも知られていますね。優れたピアノ奏者でもあった彼女は、ピアノ曲と歌曲を中心に600曲近い曲を遺したということですが、生前に出版されたのは作品6までのごく一部の作品のみです。作品6の終曲、「ローマのサルタレロ」。1839年に夫ヴィルヘルム (Wilhelm Hensel, 1794 - 1861) と息子ゼバアスティアン (Sebastian Hensel, 1830 - 1898) とともに旅したイタリアの印象を元に書かれたのでしょうか。休みなく続く三連符による小品です。

Arnold Mendelssohn - Albumblatt D-dur (1907)

有名なメンデルスゾーン姉弟の従弟の子にあたる作曲家、音楽教育者のアルノルト・ルートヴィヒ・メンデルスゾーン (Arnold Ludwig Mendelssohn, 1855 - 1933)。もう少し詳しく言うと、メンデルスゾーン姉弟の父アブラハム (Abraham Mendelssohn, 1776 - 1835) の弟ナータン (Nathan Mendelssohn, 1781 - 1852) の孫にあたります。アルノルトの父ヴィルヘルム (Wilhelm Mendelssohn, 1821 - 1866) の兄、つまり伯父も同名のアルノルト (Arnold Mendelssohn, 1817 - 1854) なので混同しないようにしないといけませんね。教育者としてはダルムシュタットやフランクフルトで教鞭を執り、パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963) を指導したそうです。そのアルノルト作曲の「アルバムの綴り」を演奏してみました。1907年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたもので、20世紀初頭の作品ですが、愛らしい初期ロマン派風の小品です。