2026-09-17

150th Death Anniversary of Ernst Lübeck

Ernst Lübeck (Netherlands, 1829 - 1876) - 12 Grandes études pour piano, Op. 15 (Paris: J. Maho, 1866); No. 9. Grave (C major). À Madame M. Castle.

今日はオランダ出身の作曲家・ピアノ奏者、エルンスト・リューベック没後150年の命日です。今回はリューベック作曲「ピアノのための12の大練習曲 Op. 15」より第9番 ハ長調を弾きました。

エルンスト・リューベックは1829年8月24日にネーデルラント連合王国の首都デン・ハーグ (Den Haag) で、ドイツ出身のヴァイオリン奏者・指揮者・音楽教師のヨハン・ハインリヒ・リューベック (Johann Heinrich Lübeck, 1799 - 1865) の子として生まれました。デン・ハーグの学校とヘルンフート学院 (Hernhutter-instituut) で音楽の基礎を学び、父からヴァイオリン、ピアノ、音楽理論の指導を受け、12歳のときに公開演奏会を開くほどの早熟のピアノ奏者となりました。

1850年に英国ロンドンに渡りピアノ奏者として活動したのち、デン・ハーグやライデンで音楽教師を務めました。1851年9月から1854年5月までヴァイオリン奏者のフランス・クーネン (Frans Coenen, 1826 - 1904) とともに米国、メキシコ、ペルー、チリなど南北アメリカ大陸を演奏旅行で巡り、帰国後にデン・ハーグで宮廷ピアノ奏者に就任しました。1855年からフランスの首都パリに定住し、ピアノ奏者として活動しました。ヴァイオリン奏者のエドゥアール・ラロ (Édouard Lalo, 1823 - 1892)、ジュール・アルマンゴー (Jules Armingaud, 1820 - 1900)、チェロ奏者のレオン・ジャカール (Léon Jacquard, 1826 - 1886) らと室内楽の演奏会で共演し、1860年にはロンドン・フィルハーモニック協会と共演。卓越した彼のピアノ演奏はエクトル・ベルリオーズ (Hector Berlioz, 1803 - 1869) にも称賛されました。1871年のパリ・コミューン時にパリから逃避。精神病を患い、1876年9月17日にパリで、47歳で亡くなりました。

弟にチェロ奏者・音楽教師のルイ・リューベック (Louis Lübeck, 1838 - 1904) がいます。

出典

2026-09-12

150th Birth Anniversary of Flor Alpaerts

Flor Alpaerts (Belgium, 1876 - 1954) - Heidebloempjes; No. 5. Vertelseltje aan Jef. Commodo, con tenerezza (B major).
Fleurs de Bruyères; No. 5. Petite Conte à Jef.

今日はベルギー・フランデレンの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者・音楽教師、フロール・アルパールツ生誕150年の誕生日です。今回はアルパールツ作曲「ハイデの小さな花々」より第5曲「イェフへの小さな物語」を弾きました。曲集の献辞には「我が息子に Aan m'n jongen ― A mon fils 」とあり、この息子というのはピアノ奏者・指揮者・音楽教師のイェフ・アルパールツ (Jef Alpaerts, 1904 - 1973) のことのようです。

フロール・アルパールツは1876年9月12日にベルギー王国アントウェルペン州の州都アントウェルペンで生まれました。1885年から1901年までアントウェルペン・フランデレン音楽学校 (Antwerpsche Vlaamsche Muziekschool. 1898年に王立フランデレン音楽院 Koninklijk Vlaams Conservatorium に改称した、現在のアントウェルペン王立音楽院 Koninklijk Conservatorium Antwerpen) でジャン=バティスト・コレインス (Jean-Baptiste Colijns, 1834 - 1902) にヴァイオリンを、ペーテル・ブノワ (Peter Benoit, 1834 - 1901)、ヤン・ブロックス (Jan Blockx, 1851 - 1912) に作曲法を、ヨゼフ・ティルボルフス (Joseph Tilborghs, 1830 - 1910) に対位法とフーガを、エデュアルト・ケルヴェルス (Eduard Keurvels, 1853 - 1916) に指揮法を師事しました。1909年に母校である王立フランデレン音楽院の教授に就任。1934年から1941年まで同音楽院の院長を務めました。作曲家・教育者としての活動のほか、管弦楽団のヴァイオリン奏者や、管弦楽やオペラの指揮者としても活動しました。1954年10月5日にアントウェルペンで、78歳で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

2026-09-10

150th Birth Anniversary of Bedřich Křídlo

Bedřich Křídlo (Czech, 1876 - 1902) - Pro velké a malé děti. 9 drobných skladeb, Op. 12 (Prague: Mojmír Urbánek, 1903); No. 1. Modlitba (E flat major).
Für grosse und kleine Kinder. 9 kleine Kompositionen, Op. 12; No. 1. Das Gebet.

今日はチェコ・ボヘミア出身の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ベドジフ・クシードロ生誕150年の誕生日です。今回はクシードロ作曲「大きな子供と小さな子供のために、9つの小品 Op. 12」より第1曲「祈り 変ホ長調」を弾きました。曲集は作曲家・ピアノ奏者・音楽教師のインドジフ・マースロ (Jindřich Máslo, 1875 - 1964) に献呈されています。

ベドジフ・クシードロは1876年9月10日にオーストリア=ハンガリー帝国ボヘミア王国コピドルノ (Kopidlno) で生まれ、1902年8月11日にイチーン (Jičín) で、25歳で亡くなりました。

出典: “Křídlo, Béda, 1876-1902”. Národní knihovna České republiky. Retrieved 2026-09-09.

2026-09-05

150th Birth Anniversary of Rudolf Ewald Zingel

Rudolf Ewald Zingel (Poland/Germany, 1876 - 1944) - Lied ohne Worte, Op. 45 No. 7 (Sehr innig, mit viel Ausdruck. E major). An Dr. Hugo Göring.

今日はシュレージエン出身のドイツの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、ルドルフ・エーヴァルト・ツィンゲル生誕150年ということで、ツィンゲル作曲「無言歌 ホ長調 Op. 45 No. 7」を弾きました。楽譜は「新音楽新聞 Neue Musik-Zeitung 」の1902年第21号に掲載されたものを使いました。

ルドルフ・エーヴァルト・ツィンゲルは1876年9月5日にドイツ帝国プロイセン王国シュレージエン州のリーグニッツ (Liegnitz. 現在のポーランド領レグニツァ Legnica) で、商人の子として生まれました。5歳からピアノを習い始め、1896年から1897年までベルリン王立高等音楽学校で学びながら、シュパンダウ衛戍教会でオルガン奏者を務めました。

ピアノ奏者としてシュレージエンとスイスを巡演したのち、1899年から1907年までフランクフルト・アン・デア・オーダーのジングアカデミーと楽友協会の指揮者、市の教会の首席オルガン奏者を務めました。1907年からグライフスヴァルト (Greifswald) でオルガン奏者・指揮者として活動し、1915年からグライフスヴァルト大学の音楽監督を、1928年から1937年まで大学神学部の教会音楽研究室室長を務めました。1936年には名誉教授の称号を得ました。1944年2月20日にグライフスヴァルトで、67歳で亡くなくなりました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Zingel, Rudolf Ewald”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 1070.
  • Einstein, Alfred, ed. (1929).
  • Zingel, Rudolf Ewald”. Hugo Riemanns Musik-Lexikon. (11th edition). Leipzig: Max Hesse. page 2083.
  • Killy, Walther; Vierhaus, Rudolf, eds. (2006). “Zingel, Rudolf Ewald”. ''Dictionary of German Biography''. Volume 10. Berlin: De Gruyter. page 709.
  • Kosch, Wilhelm; Bigler-Marschall, Ingrid, eds. (2011). “Zingel, Rudolf Ewald”. ''Deutsches Theater-Lexikon''. Volume 7. Berlin: De Gruyter. page 3823.
  • Zingel, Rudolf Ewald”. ''Kulturstiftung der deutschen Vertriebenen für Wissenschaft und Forschung''. Retrieved 2026-09-04.

2026-09-03

200th Birth Anniversary of Wilhelm Speidel

Wilhelm Speidel (Germany, 1826 - 1899) - Characterstücke, Op. 14; No. 1. Lied. Andante cantabile (A flat major).

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、ヴィルヘルム・シュパイデル生誕200年の誕生日です。今回はシュパイデル作曲「性格的小品集 Op. 14」より第1曲「リート 変イ長調」を弾きました。楽譜は Payne's Album für Musik (Leipzig: Englische Kunst-Anstalt von A. H. Payne, 1858) の46-47頁に収録されたものを使いました。

ヴィルヘルム・シュパイデルはヴュルテンベルク王国ウルム (Ulm) で、歌手・合唱指揮者・音楽教師のコンラート・シュパイデル (Konrad Speidel, 1804 - 1880) の子として生まれました。ミュンヒェンイグナーツ・ラハナー (Ignaz Lachner, 1807 - 1895) に作曲法を、ヴェンナー (Wänner)、ヴィルヘルム・クーエ (Wilhelm Kuhe, 1823 - 1912) にピアノを師事しました。

1846年から1848年までアルザスタンで、1848年から1854年までミュンヒェンで音楽教師を務めたのち、1854年から1857年まで生地ウルムで音楽監督を務めました。1857年にシュトゥットガルトに移り、男声と混声の合唱団リーダークランツ (Liederkranz) の指揮者に就任。また、共同設立者の一人となった1857年設立のシュトゥットガルト音楽学校 (Stuttgarter Musikschule. 1865年に音楽院 Konservatorium für Musik に改称した現在のシュトゥットガルト音楽演劇大学) で1874年までピアノ教師を務めました。その後、芸術家とディレッタントのピアノ学校 (Künstler- und Dilettantenschule für Klavier) を設立し、大衆向け演奏会の指揮者を務めました。ジークムント・レーベルト (Sigmund Lebert, 1821 - 1884) の死を機に音楽院に復職し、自身のピアノ学校を音楽院に統合しました。 1899年10月13日にシュトゥットガルトで、73歳で亡くなりました。

弟に著述家・批評家のルートヴィヒ・シュパイデル (Ludwig Speidel, 1830 - 1906)、 子に歌手のマリア・シュパイデル (Maria Speidel, b. 1872)、 オペラ歌手・音楽教師のヴィルヘルム・ローベルト・シュパイデル (Wilhelm Robert Speidel, 1877 - 1943) がいます。

教え子に以下の人物がいます。

出典: