2022-03-06

150th Birth Anniversary of Paul Juon

Paul Juon (Павел Фёдорович Юон, Russia/Switzerland, 1872 - 1940) - Kleine Suite für Klavier, Op. 20 (Berlin: Schlesinger'sche Buch- und Musikhandlung, 1902); II. Traurig. Andante doloroso (D minor).

今日はロシア出身の作曲家・音楽教師、パウル・ユオン (パーヴェル・フョードロヴィチ・ユオン) 生誕150年の誕生日です。今回はユオン作曲「ピアノのための小組曲 ハ長調 Op. 20」より第2楽章「悲しい ニ短調」を弾きました。

パウル・ユオンは1872年3月6日 (ユリウス暦2月23日, Gudger & Levi 2001) または同月8日 (ユリウス暦2月25日, SL & Langner 2003/2016) にロシア帝国モスクワに生まれました。ユオン家はスイス東部のグラウビュンデン州から移住してきたスイス人の家庭で、弟に画家・舞台美術家のコンスタンチン・ユオン (Konstantin Yuon, 1875 - 1958) がいます。パウルは1889年にモスクワ音楽院に入学し、ヤン・フジーマリー (Jan Hřímalý, 1844 - 1915) にヴァイオリンを、アントン・アレンスキー (Anton Arensky, 1861 - 1906) とセルゲイ・タネーエフ (Sergey Taneyev, 1856 - 1915) に作曲を師事しました。1894年10月から1895年4月までドイツ帝国ベルリン国立高等音楽学校 (Staatliche Akademische Hochschule für Musik) でヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に師事し、1896年にプロイセン王国より作曲でメンデルスゾーン奨学金 (Mendelssohn-Stipendium) を得ています。1年間、ロシア帝国バクー県バクーのバクー音楽学校 (現在のアゼルバイジャン国立音楽院附属アサフ・ゼイナリ記念バクー音楽カレッジ Azərbaycan Milli Konservatoriyası nəzdində Musiqi Kolleci. アントニーナ・エルモラーエヴァ Antonina Yermolayeva により設立) でヴァイオリンと音楽理論の教師を務めたのち、1897年からベルリンに定住しました。1905年から母校のベルリン高等音楽学校で音楽理論の臨時教員、1906年から正規教員となり、1911年に作曲の教授に就任しました。1919年に王立芸術アカデミー (Königliche Akademie der Künste) 会員に選出。1934年に健康状態悪化のため退職してスイスのヴヴェイ (Vevey) に移り、1940年8月21日に同地で亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:


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