Sigismond Thalberg (Switzerland/Austria, 1812 - 1871) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La partenza: “Non so frenare il pianto”. Andante (E major).
今日はスイス出身の作曲家・ピアノ奏者、ジーギスムント・タールベルク (シジスモン・タールベルク) 没後150年の命日です。今回はタールベルク作曲、歌曲「別れ」の、アレッサンドロ・ロンゴによるピアノ独奏編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第51曲 La partenza として収録されています。この曲はタールベルク自身によっても「出発 Le départ. Romance en forme d'étude, Op. 55 」としてピアノ独奏のために編曲されました。詞はピエトロ・メタスタージオ (Pietro Metastasio, 1698 - 1782) によるオペラ台本「デメートリオ Demetrio 」第2幕のアルチェステ (Alceste) のアリア「僕は涙を抑えられない」を使っています。
ジーギスムント・タールベルクは1812年1月8日にジュネーヴ近郊のパキ (Pâquis) で生まれました。オーストリアの貴族であるモーリツ・フォン・ディートリヒシュタイン伯爵 (Moritz von Dietrichstein, 1775 - 1864) とヴェツラー男爵夫人 (Baronin Wetzlar) の私生児だと古くから伝えられてきましたが、出生証明書 (Geburtsurkunde) によると両親はフランクフルト・アム・マインの人で、ヨーゼフ・タールベルク (Joseph Thalberg) とフォルテュネ・シュタイン (Fortunée Stein) とされています。10歳で移ったヴィーンで宮廷歌劇場首席ファゴット奏者のアウグスト・ミターク (August Mittag) に学び、次いでジーモン・ゼヒター (Simon Sechter, 1788 - 1867) に音楽理論を、ヨハン・ネポムク・フンメル (Johann Nepomuk Hummel, 1778 - 1837) にピアノを師事し、1830年から1835年にかけて、パリでヨハン・ペーター・ピクシス (Johann Peter Pixis, 1788 - 1874) とフリードリヒ・カルクブレンナー (Friedrich Wilhelm Kalkbrenner, 1785 - 1849) に、ロンドンでイグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) にピアノを師事しました。
1836年にはパリで成功を収め、彼の作品の評価をめぐるフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) とフランソワ=ジョゼフ・フェティス (François-Joseph Fétis, 1784 - 1871) の誌上での論争、クリスティーナ・ベルジョジョーゾ公爵夫人 (Cristina Trivulzio Belgiojoso, 1808 - 1871) のサロンにおける1837年3月31日のリストとの競演などもあって、タールベルクの名声は高まっていきました。その後リストとは和解し、タールベルク、リストのほか、ヨハン・ペーター・ピクシス、アンリ・エルツ (Henri Herz, 1803 - 1888)、カール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857)、フレデリク・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) が各変奏を担当して作曲した「ヘクサメロン Hexaméron 」が1839年に出版されました。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ (Vincenzo Bellini, 1801 - 1835) の歌劇「清教徒 I puritani 」の「ラッパを吹きならせ Suoni la tromba 」の主題による変奏曲です。
1844年にルイージ・ラブラーシュ (Luigi Lablache, 1794 - 1858) の娘チェッキーナ (Francesca "Cecchina" Lablache) と結婚しました。1855年にブラジルやハバナまで渡り、演奏家、教師、オペラ企画者としてその後数年を米国で暮らしました。1858年に両シチリア王国 (1861年以降はイタリア王国) のナポリ近郊にあるポジッリポ (Posillipo) に邸宅を購入しました。それから5年間は演奏旅行を続け、引退してからポジッリポでワイン醸造家となりました。1871年4月27日に同地で亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- アントニ・コンツキ (Antoni Kątski, 1817 - 1899)
- アロイス・タウジヒ (Aloys Tausig, 1820 - 1885)
- ハインリヒ・エールリヒ (Heinrich Ehrlich, 1822 - 1899)
- ヴィルヘルム・クーエ (Wilhelm Kuhe, 1823 - 1912)
- ヴァージニア・ガブリエル (Virginia Gabriel, 1825 - 1877)
- エドゥアルト・ガンツ (Eduard Ganz, 1827 - 1869)
- ファニー・アーサー・ロビンソン (Fanny Arthur Robinson, 1831 - 1879)
- アラベラ・ゴダード (Arabella Goddard, 1836 - 1922)
- チャールズ・クンケル (Charles Kunkel, 1840 - 1923 )
- ベニアミーノ・チェージ (Beniamino Cesi, 1845 - 1907)
- ジョン・ネルソン・パティソン (John Nelson Pattison, 1845 - 1905)
- アルフォンソ・レンダーノ (Alfonso Rendano, 1853 - 1931)
- ザレ・タールベルク (Zaré Thalberg (Ethel Western, 1858 - 1915)
出典:
- Grove Music Online. Retrieved 2021-04-26.
- Colles, H. C. (2001). “Ehrlich, (Karl) Heinrich”.
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- Waterhouse, John C. G.; Perrino, Folco (2001). “Martucci, Giuseppe”.
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