2020-10-29

100th Death Anniversary of Ernst Perabo

Johann Ernst Perabo (Germany/USA, 1845 - 1920) - Die Schule ist aus! (After School). 6 Klavierstücke (6 Easy Pieces for the Piano), Op. 7 (Meiner lieben kleinen Freundin Miss Alice Ahlborn gewidmet. Boston: G. D. Russell & Co., 1874); No. 6. Ein Pic-nic (A Picnic); b. Das Caroussel [Karussel] (The caroussel [carousel ; merry-go-round]). Allegro vivace (G major)

今日はドイツ出身の米国の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、エルンスト・ペーラボ (アーネスト・ペラボウ) 没後100年の命日です。今回はペーラボ作曲「授業は終わり! (放課後)、6つのピアノ小品 Op. 7」の第6曲「ピクニック」より第2楽章「回転木馬 (カルーセル)」を弾きました。この曲集は「下校 Austritt aus der Schule ; Leaving School 」、「兵隊ごっこ Soldatenspielen ; Playing Soldier 」、「小鳥の葬式 Vögleins Begräbniss ; Bird's Funeral 」、「馬跳び Bockspringen ; Leap-Frog 」、「舟漕ぎ Rudern ; Rowing 」、「ピクニック Ein Pic-Nic ; A Picnic 」の6曲からなり、このうち「ピクニック」は「木立への到着 Ankunft im Gehölz ; Meeting in the grove 」、「回転木馬 Das Caroussel ; The caroussel 」、「湖上にて Auf dem See ; On the lake 」、「小さな喧嘩 Kleiner Streit ; Little quarrel 」、「出発 (帰宅) Der Aufbruch ; Going home 」の5楽章からなります。

ナッサウ公国の首都ヴィースバーデンに生まれたペーラボは、5歳で父ヨハン・ミヒャエル・ペーラボ (Johann Michael Perabo) にピアノを習い始め、12歳にはヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750) 作曲「平均律クラヴィーア曲集」全48曲を暗譜して演奏できるようになりました。1852年に家族とともに渡米してニューヨーク市に2年間、ニュー・ハンプシャー州ドーヴァーに2年間、ボストン (Boston) に1年間滞在しました。ニューヨーク市ではペーラボの後援者となるピアノ奏者・音楽出版業者のウィリアム・シャルフェンベルク (William Scharfenberg, 1819 - 1895) と知り合いました。ボストンではフランク・ヒル (Frank Hill) に学んだほか、のちにメンデルスゾーン五重奏クラブ (Mendelssohn Quintette Club) 第1ヴァイオリン奏者 (1859-1877) となるウィリアム・ヘンリ・シュルツェ (William Henry Schultze, 1828 - 1888) にヴァイオリンを師事しました。

1858年9月1日にニューヨーク港を出港した蒸気船「ザクソニア Saonia 」(Ehlers 船長) で単身ドイツに戻り、ハンブルク近郊のアイムスビュテル (Eimsbüttel) でヨハネス・アンドレースン (Johannes Andresen, またはヨハン・アナスン (Johann Andersen)) の寄宿学校 (1858-1862) でヨハネス・アンドレースンのほか、ヘンリエデ・アンドレースン (Henriette Andresen)、アウグスト・シューラー (August Schüler)、マイヤーホーフ (Meyerhof)、メンヒ (Mönch)、シュルツ (Schulz)、ハインリヒ・ヨアヒム (Heinrich Joachim) に学びました。1862年にライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik. 現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) に入学し、イグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1880)、エルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル (Ernst Ferdinand Wenzel, 1808 - 1880) にピアノを、ローベルト・ベンヤミン・パペリツ (Robert Benjamin Papperitz, 1826 - 1903)、エルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879)、モーリッツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, ) に和声法を、カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) に作曲を師事しました。1865年5月4日の音楽院の公開試験では、出版後間もないノルベルト・ブルクミュラー (Norbert Burgmüller, 1810 - 1836) 作曲「ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 Op. 1」(Leipzig: Fr. Kistner) の第2、第3楽章を演奏しました。

1865年11月1日にライプツィヒを離れ、蒸気船「アレマニア Allemania 」(Trautmann 船長) でニューヨーク港に向かいました。両親が当時住んでいたオハイオ州サンダスキー (Sandusky) のほか、インディアナ州ラーフィーエット (Lafayette)、シカゴ、クリーヴランドで演奏会を催し、1866年3月にニューヨークに戻りました。同年4月19日、ボストンのハーヴァード音楽協会 (Harvard Musical Association) 主催のシーズン最終公演で演奏したヨハン・ネポムク・フンメル (Johann Nepomuk Hummel, 1778 - 1837) 作曲「七重奏曲 第1番 Septet No. 1, Op. 74」は好意的な批評を受け、ボストンにおける名声を確立しました。1878年から1879年にかけてライプツィヒ音楽院に戻り再び学んでいます。のちにボストンを拠点とし、ピアノ教師としても評価されました。ピアノの教え子にはエイミー・ビーチ (Amy Marcy Beach, 1867 - 1944) がいます。作曲家としてはピアノ独奏曲がほとんどで、性格的小品や舞曲といったオリジナル作品のほか、他の作曲家の作品によるピアノ編曲があります。1920年10月29日にボストンで亡くなりました。

出典:

  • Herndon, Richard; Bacon, Edwin Monroe, eds (1896). “Perabo, Johann Ernst”. Men of progress : one thousand biographical sketches and portraits of leaders in business and professional life in the Commonwealth of Massachusetts. Boston: New England Magazine. pages 906-908.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Perabo, (Johann) Ernst”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 693.
  • Rezits, Joseph (2001). “Perabo, (Johann) Ernst”. Grove Music Online.

2020-10-16

100th Death Anniversary of Alberto Nepomuceno

Alberto Nepomuceno (Brazil, 1864 - 1920) - 4 Peças infantis, SN1.28; No. 4. Insistência. Andantino (A minor)

今日はブラジルの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、アウベルト・ネポムセーノ没後100年の命日です。今回はネポムセーノ作曲「4つの子供の小品」より第4曲「おねだり」を弾きました。曲名の insistência は英語の insistence に相当して「主張」などと訳されますが、「おねだり」という訳語が『ブラジル・メキシコ ピアノ作品集 : ラテン・クラシックを弾こう』(宮崎幸夫 編. 音楽之友社. 2003)、『新・イメージであそぶぴあの : 生き生きとした音楽表現のヒントがいっぱい』(辻本健市 監修. サーベル社. 2011)、『ちいさな手のためのラテン・ピアノ曲集 : はじめてのはっぴょうかい Latin Piano Collection for Small Hands 』(宮崎幸夫 編. ドレミ楽譜出版社. 2013/2020) で採用されています。

ブラジル帝国セアラー州の州都フォルタレザ (Fortaleza) に生まれたアウベルト・ネポムセーノは、レシフェでピアノとヴァイオリンを学び始め、1880年から同地のエウクリデス・フォンセカ (Euclides Fonseca, 1853/1854 - 1929) に、1884年に移ったリオデジャネイロで、ミゲル・カルドーゾ (Miguel Cardoso, 1850 - 1912) に和声法を師事しました。レシフェでは18歳のときにカルロス・ゴメス・クラブ (Clube Carlos Gomes) の演奏会で指揮者として、リオデジャネイロではベートーヴェン・クラブ (Clube Beethoven) でピアノ奏者・ピアノ教師として活動をしています。ピアノ奏者としてはチェロ奏者のフレデリコ・ナシメント (Frederico Nascimento, 1852 - 1924) と演奏旅行もしています。

1888年に渡欧し、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミア (Accademia Nazionale di Santa Cecilia) でエウジェーニオ・テルツィアーニ (Eugenio Terziani, 1824 - 1889) とチェーザレ・デ・サンクティス (Cesare De Sanctis, 1824 - 1916) に和声法を、ジョヴァンニ・ズガンバーティ (Giovanni Sgambati, 1841 - 1914) にピアノを師事しました。ベルリンではアカデミッシェ・マイスターシューレ (Akademische Meisterschule für musikalische Komposition) とシュテルン音楽院 (Stern'sches Konservatorium) で学び、ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク (Heinrich von Herzogenberg, 1843 - 1900)、テオドル・レシェティツキ (Theodor Leschetizky, 1830 - 1915)、アルノ・クレッフェル (Arno Kleffel, 1840 - 1913)、マックス・ブルッフ (Max Bruch, 1838 - 1920) に師事しました。パリではパリ音楽院とスコラ・カントルム (Schola Cantorum) でアレクサンドル・ギルマン (Alexandre Guilmant, 1837 - 1911) にオルガンを師事しました。

1895年にリオデジャネイロに戻ると、リオデジャネイロ音楽院 (Conservatório de Música do Rio de Janeiro) のオルガン教師となり、1902年には同音楽院院長 (1902-1903, 1906-1916) に就任しました。先天性四肢障害で右腕を欠損している娘シグリッド (Sigrid Nepomuceno) のために、「5つの小品」(1906) と「2つの夜想曲」(1907) などの左手のためのピアノ曲を作曲しています。1910年にブリュッセル万国博覧会で指揮をするために再び渡欧し、パリとジュネーヴでは自作や他のブラジルの作曲家の作品を演奏しました。1920年10月16日にリオデジャネイロで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。


2020-10-08

150th Birth Anniversary of Louis Vierne

Louis-Victor-Jules Vierne (France, 1870 - 1937) - 24 Pièces en style libre pour orgue ou harmonium, Op. 31; No. 3. Complainte. Andante moderato (D flat major. Dedicated to Albert Périlhou)

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、ルイ・ヴィエルヌ生誕150年の誕生日です。今回はヴィエルヌ作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「自由な様式による24の小品 Op. 31」より第3曲「コンプラント 変ニ長調」を弾きました。曲はアルベール・ペリルー (Albert Périlhou, 1846 - 1936) に献呈されています。

ルイ・ヴィエルヌは先天性白内障のために視覚障害があり、長じるとほぼ盲目となりました。ポワティエ (Poitiers) に生まれ、1880年に家族とともにパリに移り、1881年に国立青年盲学校 (Institution Nationale des Jeunes Aveugles) に入学してソルフェージュ、和声法、ピアノ、ヴァイオリンを含む教養科目を学びました。試験審査員として来校したセザール・フランク (César Franck, 1822 - 1890) にオルガン演奏を勧められ、1886年秋からルイ・ルベル (Louis Lebel, 1831 - 1888) にオルガンを師事しました。 1888年から個人教授でフランクに和声法を師事し、パリ音楽院でフランクのオルガンクラスに加わりました。1890年11月にフランクが亡くなると、シャルル=マリー・ヴィドール (Charles-Marie Widor, 1844 - 1937) に引き続き師事し、サン=シュルピス教会 (Église Saint-Sulpice de Paris) のオルガン奏者を務めていたヴィドールに1892年から同教会の代理オルガン奏者を任されました。1894年に音楽院でオルガンの第一等を取得しました。卒業後は音楽院でヴィドールの、1896年以降は後継のアレクサンドル・ギルマン (Alexandre Guilmant, 1837 - 1911) の助手となり、1900年にパリのノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Paris) のオルガン奏者となりました。ギルマンの死後、望んでいたパリ音楽院での教授職を得ることはありませんでしたが、1912年からスコラ・カントルムで、1931年からエコール・セザール・フランク (École César Franck) でオルガン教師となりました。ノートルダム大聖堂でオルガンを演奏中に起きた心臓発作のために亡くなりました。弟に同じく作曲家・オルガン奏者のルネ・ヴィエルヌ (René Vierne, 1878 - 1918) がいます。

教え子に以下の人物がいます。

出典: Grove music online.


2020-10-05

200th Birth Anniversary of Anton Rée

Anton Hartvig Rée (Denmark, 1820 - 1886) - Sonatine, Op. 9; II. Allemande. Moderato (F major)

今日はデンマークの作曲家・ピアノ奏者、アントン・レー生誕200年の誕生日です。今回はレー作曲「ピアノのためのソナチネ Op. 9」より第2楽章「アルマンド ヘ長調」を弾きました。このソナチネは「セレナーデ」、「アルマンド」、「エチュードの形式によるフィナーレ」からなる3楽章構成です。

オーフス (Aarhus) に生まれたアントン・ハートヴィ・レーは、 1835年から自由ハンザ都市ハンブルクでヤーコプ・シュミット (Jacob Schmitt, 1803 - 1853) とカール・アウグスト・クレプス (Karl August Krebs, 1804 - 1880) に、1839年からオーストリア帝国のヴィーンでアントン・ハルム (Anton Halm, 1789 - 1872) に師事したのち、1841年にフランスのパリに移りピアノ奏者として演奏会を催しました。パリではフレデリク・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) のレッスンを受けています。1842年にコペンハーゲンに移り、教師・著述家として活動しました。1866年に王立デンマーク音楽院 (Det kongelige danske musikkonservatorium) が設立されると、同音楽院で教師を務めます。教え子にアウゴスト・ヴィンディング (August Winding, 1835 - 1899) とエドムント・ノイペルト (Edmund Neupert, 1842-1888) がいます。作曲家としてはピアノ曲と歌曲を残しています。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 746.
  • Levysohn, Salomon Frederik (1924). “Rée, Anton”. In Blangstrup, Christian (ed.). Salmonsens konversationsleksikon 19 (2nd edition). København: J. H. Schultz Forlagsboghandel. page 1001.

2020-09-28

150th Birth Anniversary of Florent Schmitt

Florent Schmitt (France, 1870 - 1958) - 3 Pièces pour le piano (L'Illustration, Vol. 56, No. 2888. Paris. 1898-07-02); No. 3. La fin d'une journée. Expressivement (D flat major)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・批評家、フローラン・シュミット生誕150年の誕生日です。今回はシュミット作曲「ピアノのための3つの小品」より第3曲「一日の終わり 変ニ長調」を弾きました。楽譜は1898年7月2日に刊行された週刊新聞「イリュストラシオン L'Illustration 」第56巻2888号に収録されました。

普仏戦争 (1870-1871) の最中、フローラン・シュミットはロレーヌ地方のムルト県 (Meurthe) ブラモン (Blâmont) に生まれました。1871年5月に締結されたフランクフルト講和条約で、フランス領だったアルザス=ロレーヌ (エルザス=ロートリンゲン) の一部がドイツ帝国に割譲されましたが、生地ブラモンはフランス領に残り、ムルト=エ=モゼル県 (Meurthe-et-Moselle) に属することになりました。

シュミットは17歳で入学したナンシー音楽院 (Conservatoire de Nancy) でアンリ・エス (Henri Hess) にピアノを、音楽院院長のギュスターヴ・サンドレ (Gustave Sandré, 1843 - 1916) に和声法を師事しました。1889年10月にパリ音楽院に入学し、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) とアルベール・ラヴィニャック (Albert Lavignac, 1846 - 1916) の和声法クラスで二等賞を取得しました。アンドレ・ジュダルジュ (André Gedalge, 1856 - 1926) に学んだフーガでは良い成績を得られませんでしたが、ジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842 - 1912) とガブリエル・フォーレ (Gabriel Fauré, 1845 - 1924) に作曲を師事しました。フォーレの作曲クラスには友人となるモーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875 - 1937) がいました。サン=クルー (Saint-Cloud) での兵役では、フルートを演奏しました。

1896年からローマ賞に挑戦し、1897年に「フレデゴンド Frédégonde 」で第二等次席、1900年に「セミラミス Sémiramis, Op. 14 」で第一等を受賞しました。3年間のローマへの留学ののち、ロシア、北アフリカ、ギリシャ、トルコなどを訪問してパリに戻りました。1922年から1924年までリヨン音楽院 (Conservatoire de Lyon) 院長を務め、1931年にはレジオンドヌール勲章を受章しました。ポール・デュカス (Paul Dukas, 1865 - 1935) の死後、1836年にフランス学士院の会員に選出され、デュカスの座席を引き継ぎました。批評家としては、 "La France" (1913年以前), "Revue de France", "Le temps" (1929-1939) などに寄稿しました。

教え子にミハイル・ジョラ (Mihail Jora, 1891 - 1971)、ピエール=オクターヴ・フェルー (Pierre-Octave Ferroud, 1900 - 1936)、レオ・ユスティニウス・カウフマン (Leo Justinius Kauffmann, 1901 - 1944) がいます。

出典: Grove Music Online


2020-09-16

原田光子 訳編『大ピアニストは語る』の原著 Great Pianists on Piano Playing by James Francis Cooke

2020年5月に河出書房新社から復刊された原田光子 (1909-1946) 訳編『大ピアニストは語る』を読んだところ、原著についての情報が少なく誤りを含むものだったので、調べた結果をここに記録する。本書は東京創元新社の1969年3月刊を定本としていて、レコード音楽社の1942年3月刊の初版に収録された「初版はしがき」(原田 2020, pp. 213-215) には原著について以下のように書かれている。

ここに集めた芸術論の約半分は、山根銀二氏から拝借したクック編纂のピアニスト芸談集から「レコード音楽」に訳載したものでございます。その他は独、仏、米の音楽雑誌から選んだもので、「レコード文化」及び「音楽公論」に掲載したものを加えました。

また、小論「ベートーヴェン、ショパン、リストのピアノ演奏をめぐりて」(原田 2020, pp. 186-212) について原田は「アメリカの著名なる音楽評論家、T・フィンクがその著書に引用している資料をそのまま借用」(原田 2020, p. 212) したとしている。この著書とはおそらくヘンリ・セオフィラス・フィンク (Henry Theophilus Finck, 1854 - 1926) 著『音楽での成功 Success in Music 』(New York: Charles Scribner's Sons, 1909) であり、原田の小論はそのうちの第3部 "Great Pianists" に含まれる第14章 "How Beethoven Played and Taughts" (Finck 1909, pp. 255-261)、第15章 "Chopin as Pianist and Teacher" (idem, pp. 262-274)、第16章 "Liszt and His Pupils" (idem, pp. 275-294) を元に書かれたものであろう。この書籍には『大ピアニストは語る』第2章「イグナーツ・ヤン・パデレフスキー」第2節「テンポ・ルバートについて」(原田 2020, pp. 26-34) の原著と思われる第28章 "Paderewski on Tempo Rubato" (Finck 1909, pp. 454-461) も収録されている。

萩谷由喜子による解説「ピアノ音楽の使徒、原田光子さん」(原田 2020, pp. 216-222) では、以下のように原著の一つである『ピアニスト藝談集』の編纂者クックをデリック・クック (Deryck Cooke, 1919 - 1976) と補足しているが、これは誤りである。訳書初版の時点でデリック・クックは書籍の編纂者として考えるとかなり若年の22歳であり、それ以前に『ピアニスト芸談集』のような書籍を編纂したという記録も見当たらない。また、前述のT・フィンクやその著書の特定について萩谷は述べていない。

オリジナルの芸談の約半数は、イギリスの音楽学者デリック・クック (1919 - 1976) 編纂の『ピアニスト藝談集』に収載されていたもので、訳編者はこれを、音楽評論の泰斗、山根銀二氏から借り受けたという。このクック本をもととする章は音楽雑誌『レコード音楽』にシリーズ連載したもの、それ以外の数章は独、仏、米の音楽雑誌を出典として、音楽雑誌『レコード文化』『音楽公論』に単発で発表したものである。

編纂者クックは実際にはジェイムズ・フランシス・クック (James Francis Cooke, 1875 - 1960) である。『ピアニスト藝談集』の原題は Great Pianists on Piano Playing : Study Talks with Foremost Virtuosos であり、 Theodore Presser Company から初版 (全21章) が1913年に、増補された第2版 (全30章) が1917年に出版されている。初版の原文はプロジェクト・グーテンベルクで公開されている。以下に原田『大ピアニストは語る』(2020) の章と対応する原著を記す。クック編纂『ピアニスト藝談集』からの翻訳は、『大ピアニストは語る』全20章のうち12章 (初版全21章のうち9章、第2版で増補された9章のうち3章) である。

追記: クック編纂『ピアニスト藝談集』第2版の増補分、フィンク Finck (1909)『音楽での成功 Success in Music 』、カサドゥジュ Casadesus, Robert (1941)「音楽学習における技術の位置 The Place of Technic in Music Study 」『エチュード The Etude 』第59巻第5号、ルービンスタイン Rubinstein, Artur (1941)「上級ピアニストに与う Problems of the Advanced Piano Student 」『エチュード The Etude 』第59巻第6号、シュナーベル Schnabel, Artur (1941)「ピアニストに必要な特性 The Qualities a Pianist Must Possess 」『エチュード The Etude 』第59巻第8号。未詳とした以上の原著について加筆した (2020-09-18)。

  1. ウラジミール・ド・パハマン 1848-1933. 演奏の独自性の探求 (Cooke 1913, pp. 182-195. §14. Seeking Originality. Vladimir de Pachmann)
  2. イグナーツ・ヤン・パデレフスキー 1860-1941.
    1. 音楽芸術の幅の広さについて (Cooke 1917, pp. 290-300. §22. Bredth in Musical Art. Ignaz Jan Paderewski)
    2. テンポ・ルバートについて (Finck 1909, pp. 454-461. §28. Paderewski on Tempo Rubato. 原田 2020, p. 34「このパデレフスキーのテンポ・ルバートに関する小論は、以前に読んだ折に自分の心覚えのためにざっと訳しておいたものである。」)
  3. エミール・フォン・ザウアー 1862-1942. 演奏家の訓練 (Cooke 1913, pp. 236-250. §18. The Training of the Virtuoso. Emil Sauer)
  4. モーリッツ・ローゼンタール 1862-1946. 壮麗なるピアノ演奏様式 (Rosenthal, Moriz. 原著未詳)
  5. イシドール・フィリップ 1863-1958. ピアノ教授について (Philipp, Isidor. 原著未詳)
  6. フェルッチョ・ブゾーニ 1866-1924. ピアノ学習上の重要なる細目 (Cooke 1913, pp. 97-107. §7. Important Details in Piano Study. Ferruccio Busoni)
  7. レオポールト・ゴドウスキー 1870-1938. テクニックの真の意義について (Cooke 1913, pp. 133-142. §10. The Real Significance of Technic. Leopold Godowsky)
  8. セルゲイ・ラフマニノフ 1873-1943. 芸術的演奏の本質 (Cooke 1913, pp. 208-220. §16. Essentials of Artistic Playing. S. V. Rachmaninoff)
  9. ハロルド・バウアー 1873-1951. ピアノ学習の芸術面 (Cooke 1913, pp. 64-78. §5. Artistic Aspects of Piano Study. Harold Bauer)
  10. ヨーゼフ・ホフマン 1876-1957. ピアノ演奏の進歩 (Cooke 1913, pp. 157-168. §12. Progress in Piano Study. Josef Hofmann)
  11. ルドルフ・ガンツ 1877-1972. ピアノ演奏の機会と制限 (Cooke 1917, pp. 311-320. §24. Opportunities and Limitations in Pianoforte Playing. Rudolph Ganz)
  12. アルフレッド・コルトー 1877-1962. インタープリテーションについて. (Cortot, Alfred (1934). Cours d'interprétation. 原田 2020, p. 119「コルトーの『インタープリテーション講義』中のコルトーの言葉を加えることにした。……ここに加えたコルトーの言葉も、英訳によった」)
  13. オシップ・ガヴリロウィッチ 1878-1936. タッチの本質 (Cooke 1913, pp. 122-131. §9. Essentials of Touch. Ossip Gabrilowitsch)
  14. マーク・ハンブルク 1879-1960. 音楽学習の進歩と保証 (Cooke 1917, pp. 349-362. §27. Insuring Progress in Music Study. Mark Hambourg)
  15. アルトゥール・シュナーベル 1882-1951. ピアニストに必要な特性 (Schnabel, Artur (August 1941). “The Qualities a Pianist Must Possess”. The Etude. Vol. 59 no. 8. page 511)
  16. ヴィルヘルム・バックハウス 1884-1969. 明日のピアニスト (Cooke 1913, pp. 52-62. §4. The Pianist of To-morrow. Wilhelm Bachaus)
  17. アルトゥール・ルービンスタイン 1887-1982. 上級ピアニストに与う (Rubinstein, Artur (June 1941). “Problems of the Advanced Piano Student”. The Etude. Vol. 59 no. 6. p. 365)
  18. イーヴ・ナット 1890-1956. ピアノについて (Nat, Yves. 原著未詳)
  19. ヴァルター・ギーゼキング 1895-1956 (カール・ライマーによる). 近代奏法の基礎 (Leimer, Karl; Gieseking, Walter (1931). Modernes Klavierspiel. 原田 2020, p. 177「ここに加えたものは、ギーゼキングの師であるカール・ライマーが書いた『近代ピアノ奏法』の第一章である。ギーゼキング自身この書に序文をよせて、その芸術家としての教育のすべてを負っていると恩師に感謝しているほどであるし、書名に『ライマー=ギーゼキングによる』と副題が記されているほどであるから、ギーゼキングの演奏法の基礎を知るには、適当なものであろう」)
  20. ロベール・カサドゥジュ 1899-1972. 音楽学習における技術の位置 (Casadesus, Robert (May 1941). “The Place of Technic in Music Study”. The Etude. Vol. 59 no. 5. pages 297-298)

出典:

2020-09-08

150th Birth Anniversary of Heinrich Neal

Heinrich Maria Neal (Germany, 1870 - 1940) - 24 Klavier-Etüden in allen Dur- und Molltonarten zur Einführung in die moderne Musik, Op. 75; No. 23. Fuge zu 3 Stimmen. Langsam (Lento. G flat major)

今日はドイツの作曲家・音楽教育者・音楽出版業者、ハインリヒ・ニール (ネアル) 生誕150年の誕生日です。今回はニール作曲「現代音楽入門のための全長短調による24のピアノ練習曲 Op. 75」より第23番「3声のフーガ 変ト長調」を弾きました。

ハインリヒ・ニールは、米国人画家のデイヴィッド・ドルホフ・ニール (David Dalhoff Neal, 1838 - 1915) の子としてバイエルン王国の首都ミュンヘンに生まれました。母方の祖父は父デイヴィッドの師であるガラス画家のマックス・エマヌエル・アインミラー (Max Emanuel Ainmiller, 1807 - 1870) で、兄に劇作家のマックス・ニール (Max Dalhoff Neal, 1865 - 1941) がいます。

1884年から1888年まで生地ミュンヘンの王立音楽アカデミー (Königliche Akademie der Tonkunst, 現在のミュンヘン音楽演劇大学) で学び、ヨーゼフ・ラインベルガー (Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901) に師事したのち、1888年から1889年までドレスデンでフェーリクス・ドレーゼケ (Felix Draeseke, 1835 - 1913) に師事しました。パリとミュンヘンで音楽教師として活動したのち、1894年から創設者の一人となったハイデルベルク音楽院 (Konservatorium in Heidelberg) で院長に就任しました。ハイデルベルクでは音楽出版者としても活動し、 Verlag von H. Neal の名で自作の楽譜などを出版しています。1920年に音楽院を辞めますが、引き続きハイデルベルクで個人教師を続け、1940年に同地で亡くなりました。

出典:

  • Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Neal, David Dalhoff”. Encyclopædia Britannica. 19 (11th edition). Cambridge University Press. page 320.
  • Slonimsky, Nicolas, ed. (1958). “Neal, Heinrich”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th edition). New York: G. Schirmer. page 1158.
  • Vierhaus, Rudolf, ed. (2007). “Neal, Heinrich Maria”, “Neal, Max, Pseud. Maximilian Dalhoff”. Deutsche biographische Enzyklopädie : (DBE). 7 (2nd edition). München: K. G. Saur. page 370.

2020-09-05

200th Birth Anniversary of Louis Köhler

Louis Köhler (Germany, 1820 - 1886) - Praktische Klavierschule, Op. 300; No. 200. Adagio in B flat minor

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・批評家・音楽教師、ルイ・ケーラー生誕200年の誕生日です。今回はケーラー作曲「実践的ピアノ教本 Op. 300」(全224曲) より第200曲「アダージョ 変ロ短調」を弾きました。

ブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクに生まれたルイ・ケーラーは、生地で A. ゾンネマン (A. Sonnemann) にピアノを、Ch. ツィンカイゼン (Ch. Zinkeisen jun.) にヴァイオリンを、コンラート・ルートヴィヒ・ディートリヒ・ツィンカイゼン (Konrad Ludwig Dietrich Zinkeisen, 1779 - 1838) とヨーゼフ・アドルフ・ライブロック (Josef Adolf Leibrock, 1808 - 1886) に和声法を師事しました。このうちゾンネマンはケーラーが少年期に所属していた合唱団の指揮者でもありました。1839年にポツダム在住の親族のすすめでヴィーンのカール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) のもとに赴き、チェルニーの紹介によりヴィーンでカール・マリア・フォン・ボクレット (Carl Maria von Bocklet, 1801 - 1881) にピアノを師事したほか、ジーモン・ゼヒター (Simon Sechter, 1788 - 1867) とイグナーツ・フォン・ザイフリート (Ignaz von Seyfried, 1776 - 1841) に音楽理論を師事しました。1843年に生地ブラウンシュヴァイクに戻ったのち、1845年にプロイセン王国東プロイセンのケーニヒスベルク (現在のロシア領カリーニングラード) に移り、当初は作曲のほかに劇場と合唱団の指揮者として活動しました。1847年以降はピアノ教育と音楽書の執筆に専念し、新ドイツ楽派 (Neudeutsche Schule) やピアノ教授法に関する著作が知られています。

教え子にアドルフ・イェンゼン (Adolf Jensen, 1837 - 1879)、ローベルト・ゴルトベック (Robert Goldbeck, 1839 - 1908)、ヘルマン・ゲッツ (Hermann Goetz, 1840 - 1876)、マックス・シュピッカー (Max Spicker, 1858 - 1912)、アルフレート・ライゼナウアー (Alfred Reisenauer, 1863 - 1907) がいます。

出典:



2020-09-03

100th Death Anniversary of Joseph Schluty

Jean Joseph Schluty (France, 1829 - 1920) - 12 Petites pièces pour orgue ou harmonium; No. 3. Offertoire. Prélude et fuguette ; Præludium & Fuguetta. Maestoso - Allegro moderato alla Fugua (B flat major. Dedicated to Henri Delépine (1871 - 1956))

今日はバ=ラン (ウンターエルザス) 出身のフランスの作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者、ジョゼフ・シュリュティ (ヨーゼフ・シュルーティ) 没後100年の命日です。今回はジョゼフ・シュリュティ作曲「オルガンまたはハルモニウムのための12の小品」より第3曲「オッフェルトリウム (前奏曲とフゲッタ) 変ロ長調」を弾きました。曲集の楽譜は1900年に出版されたアンリ・ドゥレピン (Henri Delépine, 1871 - 1956) 編纂「オルガン奏者の書庫 Archives de l'Organiste 」第8巻に収録されていて、このオッフェルトリウムは編纂者のドゥレピンに献呈されています。

ライヒスホーフェン (Reichshoffen) に生まれたヨーゼフ・シュルティは、23歳でアジャン (Agen) のサン=カプレ大聖堂 (Cathédrale Saint-Caprais d'Agen) のオルガン奏者に就任し、アジャンで亡くなりました。1903年に公共教育大臣のジョゼフ・ショーミエ (Joseph Chaumié) により、レジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与されています。

出典: Lamy, Fernand, ed. (1979). Revue de l'Agenais. 105. Société académique d'Agen. page 47.

2020-08-05

200th Birth Anniversary of Wilhelm Krüger

Wilhelm Krüger (Germany, 1820 - 1883) - 24 Études de concert dans tous les tons majeurs et mineurs pour piano, Op. 145; No. 2. Mélancolie. Allegro moderato (C minor)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、ヴィルヘルム・クリューガー生誕200年の誕生日です。今回はクリューガー作曲「全ての長短調による24の演奏会用練習曲 Op. 145」より第2番「憂鬱 ハ短調」を弾きました。

宮廷礼拝堂付フルート奏者ゴットリープ・クリューガー (Gottlieb Krüger, 1790 - 1868) の子としてヴュルテンベルク王国の首都、シュトゥットガルトに生まれたヴィルヘルム・クリューガーは、ツィーゲレ (Ziegele) にピアノを、ペーター・ヨーゼフ・フォン・リントパイントナー (Peter Josef von Lindpaintner, 1791 - 1856) に作曲を師事しました。ヴュルテンベルク王の支援を受けてパリで2年間学び、それからの2年間を同地でピアノ教師・演奏家として活動しました。帰国後は宮廷ピアノ奏者を務め、1840年にはドイツ各地をめぐり、ベルリンでジークフリート・ヴィルヘルム・デーン (Siegfried Wilhelm Dehn, 1799 - 1858) に1年間対位法を師事しました。シュトゥットガルトに戻ったのち、1845年から1870年まで再びパリを拠点に活動しました。フランスで創立したドイツ慈善協会 (la Société de bienfaisance allemande) はドイツ出身の音楽家とフランスの音楽家の親交の場となりました。普仏戦争を契機に帰郷し、シュトゥットガルトで宮廷ピアノ奏者、王立音楽院 (Königliches Konservatorium für Musik, 現在のシュトゥットガルト音楽演劇大学) のピアノの教授を務めました。教え子にエドガー・スティルマン・ケリー (Edgar Stillman Kelley, 1857 - 1944) がいます。

出典:

  • Champlin, Jr., John Denison, ed. (1889). “Krüger, Wilhelm”. Cyclopedia of Music and Musicians. New York: Charles Scribner's Sons. page 400.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 490.
  • Preston, Katherine K.; Tawa, Nicholas E. (2001). “Kelley, Edgar Stillman”. Grove Music Online.
  • 上田泰史 (2020-04-12). “クリューガー”. ピティナ・ピアノ曲辞典.