アヒレス・アルフェラキはモスクワ大学歴史・文献学部で学んだのちに家業のためにタガンロークに戻り、1880年にはタガンローク市長に選出されます。1888年に市長を辞するとペテルブルクに移り、1891年にロシア帝国内務省大臣室長 (правитель канцелярии министра внутренних дел) を務めます。
ヴィルヘルム・クラウセンは宮廷俳優・劇場書記の子としてメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の首都シュヴェリーンに生まれました。12歳でピアノ三重奏曲を作曲し、1861年からシュテルン音楽院でハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894) に師事しました。1864年から音楽院の教師となり、1866年には演奏会用序曲「オテロ Othello 」、カンタータ「エフタの娘 Jephtas Tochter 」、二重フーガ「深き淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir 」でマイアベーア賞 (Meyerbeer-Preis) を受賞しました。そのほかの作品に序曲「ハムレット Hamlet 」、序曲「ロメオ Romeo 」、交響曲 ハ長調、「エウリピデスのサテュロス劇『キュクロープス』のための音楽 Musik zum Satyrspiel „Der Cyklop“ von Euripides 」、弦楽四重奏のための夜想曲などがあり、いくつかの作品をベルリンやシュヴェリーンで発表しました。1869年に生地のシュヴェリーンで25歳の若さで亡くなりました。生前に四重唱曲「春が山の上に昇るとき Wenn der Frühling auf die Berge steigt, Op. 4 No. 1」が出版されていますが、そのほかのピアノ曲 (性格的小品集 Op. 1) と歌曲 (独唱曲集 Opp. 2, 3; 四重唱曲集 Op. 4 Nos. 2-4) は死後に出版されています。
出典:
Grewolls, Grete (2011). “Claussen, Wilhelm”. Wer war wer in Mecklenburg und Vorpommern: Das Personenlexikon. Rostock: Hinstorff Verlag.
Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 163.
ビーレフェルト (1878年まで)、ブロムベルク (1880-1881)、ハンブルク音楽院 (Hamburger Konservatorium, 1890年まで)、ゾンダースハウゼン音楽院 (Konservatorium der Musik in Sondershausen, 短期)、ヴィースバーデン音楽院 (Wiesbadener Konservatorium, 1895年まで) を経てライプツィヒ大学の教員となりました。1901年に員外教授、1905年に正教授、1914年に新設された音楽学研究所 (Forschungsinstitut für Musikwissenschaft) 所長に就任します。
"born most probably on 27 March 1870 (OS) [8 April 1870 (NS) - some sources quote also 2 and 14 May, and the following years: 1863, 1869, 1871 and 1876]"
バイヲリン、セロ、ピアノ合奏 (マツキー令嬢、ドブラウイチ、サリンガー) 三部合奏曲 ゲーデ作 [Novelletten, Op. 29, or Piano Trio, Op. 42, by Niels Gade]
独唱歌 (ロンゲーカー令嬢) 歌劇バーベット中の舞歌美しき花の咲けるところ ビクトバート作
ピアノ独奏 (マツキー嬢) ロンドン、カプリチオン メンデルソン作 [Rondo capriccioso, Op. 14, by Felix Mendelssohn]
ピアノ、バイヲリン合奏 (ドブラウイチ、マツキー) ソナタ ビートーベン作 [Violin Sonata, by Ludwig van Beethoven]
独唱歌、バイヲリン、セロ、ピアノ伴奏 (ロンゲーカー、マツキー、ドブラウイチ、サリンガー) 四葉の苜蓿花 フアーザードミユツク作
セロ独奏 (サリンガー) アダージヨ パアージアル作
四部合奏曲 (マツキー、ドブラウイチ、多忠基、サリンガー) 甲乙丙 モザルト作 [Piano Quartet, Movements 1-3 by Wolfgang Amadeus Mozart]
レシテーシヨン (ロンゲーカー) 小児と老人に擬す [Recitation]
『野分』の演奏会の5曲のうち最後の「タンホイゼルのマーチ」(March [Einzug der Gäste auf der Wartburg] from Tannhäuser, by Richard Wagner) 以外の4曲は「明治音楽会」の演奏曲目1, 4, 6, 5に対応する。アダージヨの作曲者パアージアルは『野分』の註釈や英訳などで Richard von Perger とされていて、瀧井敬子の著書『夏目漱石とクラシック音楽』(毎日新聞出版, 2018) でもそれに倣っている。
「明治音楽会」の第六番目の曲目「パアージアル作曲」の「アダージヨ」が、『野分』の第三番目の曲目「アダジヨ……パージヤル作」として活版に印刷されているのは、実に面白い。しかし、リヒャルト・ペルゲル (ペルガー) Richard Perger (1854-1911) の作品に、無伴奏チェロ曲「アダージョ」があるかどうかは、不明。
(『夏目漱石とクラシック音楽』, pp.103-104)
これはおそらくヴィクター・ハーバートVictor Herbert (1859 - 1924) 作曲、ハリー・ベイチ・スミス Harry Bache Smith (1860 - 1936) の台本による3幕のロマンティック・コミック・オペラ「バベット Babette 」(1903年初演) より第3幕第22曲 "Where the Fairest Flow'rs are Blooming" で、作曲者「ビクトー・ハーバート」、「ビクトル・ハーバート」と書くべきところを脱字したのであろう。
Vierblättriger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück“ (No. 2) from 6 Lyrische Gedichte, Op. 40 (Köln: Tonger, 1892), by Fritz Lorleberg
Vierblätt’riger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück’“, Op. 78 (Bayreuth: Giessel jun., 1897), by Karl Seitz (1844 - 1905)
Four Leaf Clover: „I know a place where the sun is like gold“ (Cincinnati: The John Church Company, 1905), by Charles Willeby (1865 - 1955)
Vierblättriger Klee: „Ein vierblättriges Kleeblatt, das sucht man im Klee“ (Leipzig: Bosworth, 1905), by Carl Bohm (1844 - 1920)
„Vierblättriger Klee, wenn ich dich seh“ aus der Operette „Bruder Straubinger“ (Leipzig: Weinberger, 1905), by Edmund Eysler (1874 - 1949)
Vasily Pavlovich Kalafati (Василий Павлович Калафати, Ukraine/Russia, 1869 - 1942) - 5 Préludes pour piano, Op. 7 (Leipzig: M. P. Belaieff, 1902); No. 5. Lento - Poco Allegro (B flat minor, dedicated to Aleksandr Glazunov)