2022-08-05

150th Death Anniversary of Giano Brida

Giano Brida (Italy, 1836 - 1872) - La febbre terzana. Mazurka. Tempo di Mazurka (F major. Dedicata alla Sig. Principessa Tremanti-Freddoni).

今日はイタリアの作曲家ジャーノ・ブリーダ没後150年の命日です。今回はブリーダ作曲「三日熱、マズルカ ヘ長調」を弾きました。題名の三日熱というのは、感染症であるマラリア (三日熱マラリア、卵型マラリア) の症状の一つで、48時間ごとに繰り返される発熱発作のことです。

ジャーノ・ブリーダは1836年にオーストリア帝国ロンバルド=ヴェネト王国ヴェローナ (Verona. 1866年以降はイタリア王国領) で生まれ、1872年8月5日にイタリア王国のミラノ (Milano) で亡くなりました。

出典:

  • Masutto, Giovanni (1882). “Brida, Giano”. I maestri di musica italiani del secolo XIX. Venezia: Stab. tipografico di Gio. Cecchini. page 30.
  • マラリア”. コトバンク. Retrieved 2022-08-04.

2022-07-31

250th Birth and 200th Death Anniversary of Maria Frances Parke

Maria Frances Parke (England, 1772 - 1822) - 2 Grand Sonatas for the Piano forte (with additional keys) and an accompaniment for the Violin ad libitum, Op. 2. Dedicated to Mrs. William Lushington; Sonata No. 2 in F major; II. Adagio (B flat major).

今日はイングランドの作曲家・ピアノ奏者・ソプラノ歌手、マリア・フランシス・パーク没後200年の命日で、今年は生誕250年でもあります。今回はパーク作曲「任意のヴァイオリン伴奏つきのピアノフォルテのための2つの大ソナタ Op. 2」第2番 ヘ長調より第2楽章 変ロ長調を弾きました。

マリア・フランシス・パークは1772年8月26日にグレートブリテン王国の首都ロンドンで、オーボエ奏者ジョン・パーク (John Parke, 1745 - 1829) の長女として生まれました。父ジョンから音楽を学び、1781年に慈善コンサートでチェンバロを演奏し、翌年には歌手デビューを果たしたほか、ヨハン・ザームエル・シュレーター (Johann Samuel Schroeter, 1753 - 1788) 作曲のピアノ協奏曲を演奏しました。長じてからは主に歌手として活動し、ロンドンなどでのコンサートやオラトリオでソプラノ独唱を歌いました。1815年のジョン・ビアドモア (John Beardmore) との結婚を機に引退。1822年7月31日にロンドンで亡くなりました。

叔父 (父の弟) にオーボエ奏者ウィリアム・トマス・パーク (William Thomas Parke, 1761 - 1847) が、弟に建築家ヘンリ・パーク (Henry Parke, 1793 - 1835) が、妹にフランシスカ・マーガレッタ・パーク (Francesca Margaretta Parke) がいます。1798年と1799年のマリア・フランシスの慈善演奏会ではフランシスカ・マーガレッタも歌手として出演しています。

出典: Fiske, Roger; Page, Janet K.; Baldwin, Olive; Wilson, Thelma (2001). “Parke family”. Grove Music Online. Retrieved 2022-07-30.

2022-07-26

150th Birth Anniversary of Albert Bertelin

Albert Bertelin (France, 1872 - 1951) - Lesquercarde pour piano. Andante con moto (C major. Paris: E. Demets, 1901).

今日はフランスの作曲家アルベール・ベルトラン生誕150年の誕生日です。今回はベルトラン作曲「ピアノのためのレスケルカルド ハ長調」を弾きました。

アルベール・ベルトランは1872年7月26日にフランス共和国の首都パリで生まれました。1893年にパリ音楽院に入学し、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) 、ジュール・マスネ (Jules Massenet, 1842 - 1912)、シャルル=マリー・ヴィドール (Charles-Marie Widor, 1844 - 1937)、ラウル・プーニョ (Raoul Pugno, 1852 - 1914)に師事しました。1902年にローマ賞 (Prix de Rome de composition musicale) 第二等次席を受賞。1951年6月19日にパリで亡くなりました。

作品に交響曲、室内楽曲 (ヴァイオリンソナタ、チェロソナタ)、ピアノ曲、歌曲などがあり、雑誌 Revue musicale S. I. M. の音楽批評家としても活動しました。作曲の教え子にマヌエル・パラウ (Manuel Palau Boix, 1893 - 1967) がいます。

出典:

  • Arnold, Corliss Richard (1995). “Bertelin, Albert”. Organ Literature : A Comprehensive Survey. Volume 2 (3rd edition). Biographical Catalog. Lanham, Maryland: The Scarecrow Press, Inc. page 75.
  • Joubert, Joseph, ed. (1914). “Albert Bertelin (Notices biographiques et bibliographiques)”. Maîtres contemporains de l’orgue. Volume 4. Paris: Maurice Senart et Cie. page 1.
  • Ruiz-Pipó, Antonio (2001). “Palau Boix, Manuel”. Grove Music Online. Retrieved 2022-07-26.

2022-07-25

100th Death Anniversary of Jarosław Zieliński

Jarosław Zieliński (Poland/USA, 1847 - 1922) - 3 Morceaux pour le piano, Op. 11 (Chicago: The Chicago Music Co., 1880); No. 2. Tempo di valse. Allegretto (G minor).

今日はガリツィア出身の米国の作曲家・ピアノ奏者、ヤロスワフ・ジェリニスキ没後100年の命日です。今回はジェリニスキ作曲「ピアノのための3つの小品 Op. 11」より第2曲「ワルツのテンポで ト短調」を弾きました。この楽譜の第2曲には題辞として、古代ローマの詩人ウェルギリウス (Publius Vergilius Maro, 70 - 19 BC) による「農耕詩」(Georgica) 第1巻の第201-203行が以下のように書かれています。

Non aliter quam qui adverso vix flumine lembum
Remigiis subigit: si brachia forte remisit,
Atque ilium in praeceps prono rapit alveus amni.

ヤロスワフ・ジェリニスキは1847年3月31日にオーストリア帝国ガリツィア・ロドメリア王国ルビチャ・クルレフスカ (Lubycza Królewska. 現在はポーランド領) で生まれました。レンベルク (現在のウクライナ領リヴィウ) でイグナツィ・フランチシェク・グニェヴィチ (Ignacy Franciszek Guniewicz, 1832 - 1882) とカール・ミクリ (Carl Mikuli, 1819 - 1897) に師事し、同地の中等学校を卒業したのちベルリンヴィーンユリウス・シュルホフ (Julius Schulhoff, 1825 - 1898) とフライ (Frey) に、ミラノでチェルティ (Ceruti) に師事しました。

1月蜂起の失敗を機に1864年に米国に移って南北戦争に参加し、1865年まで従軍します。軍を離れたのちは演奏活動を開始し、1869年にミシガン州グランドラピッズに、次いで同州デトロイトに移りました。1878年にはテネシー州フェアマウントフェアマウント・カレッジ (Fairmount College) の音楽学部長に就任しました。1888年から1910年までニューヨーク州バッファローを拠点とし、1893年にはアラバマ州ベイリースプリングスのベイリースプリングス大学 (University of Bailey Springs) で音楽学部を組織し、1894年にはニューヨーク州オーリアンの音楽院院長に就任しました。1910年にカリフォルニア州ロサンゼルスに移り、同地でピアノ学校を創設しました。1922年7月25日にカリフォルニア州サンタバーバラ (Santa Barbara) で亡くなりました。作品にピアノ小品、歌曲などがあります。

出典: Morawski, Jerzy (2001). “Zieliński, Jarosław”. Grove Music Online. Retrieved 2022-07-24.

2022-07-04

150th Birth Anniversary of George Alfred Grant-Schaefer

George Alfred Grant-Schaefer (Canda/USA, 1872 - 1939) - Barcarolle (Allegretto. F major. The Etude, Vol. 22 No. 4 (April 1904). Philadelphia: Theodore Presser).

今日はカナダ出身の米国の作曲家・オルガン奏者・音楽教師、ジョージ・アルフレッド・グラント=シェーファー生誕150年の誕生日です。今回はグラント=シェーファー作曲「舟歌 ヘ長調」を弾きました。

ジョージ・アルフレッド・グラント=シェーファーは1872年7月4日にオンタリオ州ウィリアムズタウン (Williamstown. コーンウォール近郊) に生まれました。ケベック州モントリオールドミニク・デュシャルム (Dominique Ducharme, 1840 - 1899) にピアノを、ギヨーム・クチュール (Guillaume Couture, 1851 - 1915) に声楽を、米国イリノイ州シカゴでヴィクター・ガーウッド (Victor Garwood) にピアノを、アドルフ・ヴァイディヒ (Adolf Weidig, 1867 - 1931) に音楽理論を、英国ロンドンチャールズ・アルバート・エドウィン・ハリス (Charles Albert Edwin Harriss, 1862 - 1929) にオルガンを師事しました。1896年から1908年までシカゴのセンテナリー教会のオルガン奏者・聖歌隊指揮者を、1908年から1920年までイリノイ州エヴァンストンのノースウェスターン大学音楽学校 (現在のビーネン音楽学校) 声楽科長を務めました。その後も引き続きエヴァンストンに住み、1939年5月11日にシカゴで亡くなりました。作品に、主に教育用に書かれた100曲を超えるピアノ小品、約90曲ある歌曲のほか、讃美歌、オペレッタがあります。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Grant-Schaefer, George Alfred”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 427.
  • Keillor, Elaine (2007/2013).“George Alfred Grant-Schaefer”. The Canadian Encyclopedia. Historica Canada. Retrieved 2022-07-02.

2022-06-30

300th Birth Anniversary of Georg Benda

Georg Anton Benda (Jiří Antonín Benda, Czech/Germany, 1722 - 1795) - Sonate pour clavecin en sol majeur; III. Allegro assai.

今日はチェコ・ボヘミア出身のドイツの作曲家・チェンバロ奏者、ゲオルク・アントン・ベンダ (イジー・アントニーン・ベンダ) 生誕300年の受洗日です。今回はベンダ作曲「チェンバロのためのソナタ ト長調」(全3楽章) より第3楽章を弾きました。楽譜は「アルファベット順に配列された最も著名な作曲家たちによる6つのクラヴサンのためのソナタからなる作品集 第6巻 Oeuvres melées contenant VI. Sonates pour le clavessin d'autant de plus celebres compositeurs, rangés en ordre alphabetique, Partie VI 」(Nürnberg: Jean Ulric Haffner) にソナタ第2番として収録されています。

ゲオルク・ベンダは神聖ローマ帝国ボヘミア王国スタレー・ベナートキ (Staré Benátky) でハンス・ゲオルク・ベンダ (ヤン・イジー・ベンダ1世, Hans Georg Benda, 1686 - 1757) の子として生まれ、1722年6月30日に洗礼を受けました。音楽家となった兄弟姉妹にフランツ・ベンダ (フランチシェク・ベンダ, Franz Benda, 1709 - 1786. 作曲家・ヴァイオリン奏者)、ヨハン・ベンダ (ヤン・イジー・ベンダ2世, Johann Benda, 1713 - 1752. ヴィオラ奏者・ヴァイオリン奏者)、ヨゼフ・ベンダ (Joseph Benda, 1724 - 1804. ヴァイオリン奏者)、アンナ・フランツィスカ・ベンダ (Anna Franziska Benda, 1728 - 1781. ソプラノ歌手) がいます。ベンダ家は彼らの子孫からも音楽家を輩出しました。

ゲオルクは1735年からコスモノシ (Kosmonosy) のピアリステンコレギウム (Piaristenkollegium) で、1739年から1742年までイチーン (Jičín) のイェズイーテンコレギウム (Jesuitenkollegium) で学び、音楽のレッスンを受けました。1742年3月に、家族 (両親、弟妹たち) でプロイセン王国ポツダムに移り、弟のヨゼフとともに、兄フランツから指導を受けて宮廷楽団のヴァイオリン奏者として雇われました。1750年5月にザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ3世 (Friedrich III. von Sachsen-Gotha-Altenburg, 1699 - 1772) の下で宮廷楽長に任命されました。1765年10月から6ヶ月の有給休暇を与えられてイタリアに留学し、ヴェネツィアボローニャフィレンツェローマを訪れ、バルダッサーレ・ガルッピ (Baldassare Galuppi, 1706 - 1785)、クリストフ・ヴィリバルト・グルック (Christoph Willibald Gluck, 1714 - 1787)、トンマーゾ・トラエッタ (Tommaso Traetta, 1727 - 1779)、ニコロ・ピッチンニ (Niccolò Piccinni, 1728 - 1800)、ジョヴァンニ・パイジエッロ (Giovanni Paisiello, 1740 - 1816) のオペラについて研究を深めました。1770年8月から1778年3月20日まで宮廷礼拝堂監督 (Kapelldirector) を務めました。劇場での職を得るためにハンブルクヴィーンを訪れたのちゴータに戻り、その後は引退して年金を得て生活しました。1781年にパリを、1787年にマンハイムを訪れ、自作の公演で指揮をしました。1795年11月6日にロイス=ゲーラ伯領ケストリッツ (Köstritz) で亡くなりました。

彼の子供のうち、フリードリヒ・ルートヴィヒ・ベンダ (Friedrich Ludwig Benda, 1752 - 1792. 作曲家・ヴァイオリン奏者)、ハインリヒ・ベンダ (Heinrich Benda, b. 1754. ヴァイオリン奏者)、カテリーナ・ユスティナ・ベンダ (Catherina Justina Benda, b. 1757. 歌手)、ヘルマン・クリスティアン (Hermann Christian Benda, 1759 - 1805. 歌手)、カール・エルンスト・エーベルハルト・ベンダ (Carl Ernst Eberhard Benda, 1764 - 1824. 歌手) の5人が音楽家となりました。

出典:

  • Drake, John D.; Pilková, Zdeňka; Lee, Douglas A.; Bauman, Thomas; Reich, Nancy B. (2001). “Benda family”. Retrieved 2022-06-30.
  • Allihn, Ingeborg; Pilková, Zdeňka (1999) 2016 “Benda”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-06-30.

2022-06-22

150th Birth Anniversary of Clara Faisst

Clara Mathilda Faisst (Germany, 1872 - 1948) - 2 Klavierstücke, Op. 25 (Selbstverlag Karlsruhe in Baden); No. 2. „Ein Ton“. Zart und leicht bewegt (E flat major).

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者・詩人、クララ・ファイスト生誕150年の誕生日です。今回はファイスト作曲「2つのピアノ小品 Op. 25」より第2曲「一つの音 変ホ長調」を弾きました。4分の4拍子で書かれた31小節の全曲を通して、8分音符の属音変ロ (B♭3) がオスティナートとして途切れることなく反復されます。

クララ・ファイストは、上級教会参事官 (Oberkirchenrat) であるグスタフ・アウグスト・ファイスト (Gustav August Faisst, 1834 - 1837) とスイスのリュトリー出身のエマ・ファイスト (Emma Faisst, geb. Valloton) の6人の子供の末子として1872年6月22日にドイツ帝国バーデン大公国の首都カールスルーエで生まれました。1879年から1881年までカール・ヴィル (Carl Will. 大公国宮廷劇場コンサートマスター) に和声法を学び、1881年から1888年までカールスルーエの高等女学校 (Höhere Mädchenschule in Karlsruhe) に通い、女学校在学中の1885年から1890年までカールスルーエの大公立音楽院 (Großherzogliche Konservatorium in Karlsruhe) の創設者であるハインリヒ・オルデンシュタイン (Heinrich Ordenstein, 1856 - 1921) にピアノを師事しました。1890年にドイツ帝国の首都ベルリンに移り、フェーリクス・モットル (Felix Mottl, 1856 - 1911) の推薦で王立高等音楽学校に入学し、同校でエルンスト・ルードルフ (Ernst Rudorff, 1840 - 1916) にピアノを、ローベルト・カーン (Robert Kahn, 1865 - 1951) にピアノと音楽理論を、ヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に対位法と作曲を師事したほか、マックス・ブルッフ (Max Bruch, 1838 - 1920) の作曲マイスターシューレで学びました。1896年の卒業後、自作を含むプログラムでドイツとスイスを巡る長期間の演奏旅行を行いました。市住所録によると遅くとも1901年までにカールスルーエに戻り、以後は1948年11月22日に亡くなるまで同地で活動しました。

出典:

  • Rebmann, Martina (2004-05-26/2018-11-27). „Clara Faisst“. In: MUGI. Musikvermittlung und Genderforschung: Lexikon und multimediale Präsentationen, hg. von Beatrix Borchard und Nina Noeske, Hochschule für Musik und Theater Hamburg. Retrieved 2022-06-22.
  • Förster, Katja (2012). „Clara Mathilde Faisst“. In: Stadtlexikon Karlsruhe. Retrieved 2022-06-22.

2022-06-17

350th Death Anniversary of Orazio Benevoli

Orazio Benevoli (Italy, 1605 - 1672) - Prelude in E major.

今日はイタリアの作曲家・オルガン奏者、オラツィオ・ベネヴォリ没後350年の命日です。今回はベネヴォリ作曲「オルガンのための前奏曲 ホ長調」を弾きました。楽譜は IMSLP にある Laudate II : Collection de morceaux pour orgue sans pédales (Brussels: A. Ledent-Malay, 1919) とされる曲集に第190曲として収録されているものを使用しました。調号にはシャープが3箇所 (F, C, G) に書かれているためか IMSLP のページ名は "Prelude in E mixolydian" となっています。

オラツィオ・ベネヴォリは、ロレーヌ出身の菓子職人であるロベール・ヴェヌオ (Robert Venouot) の子として、1605年4月19日に教皇領国家の首都ローマで生まれました。1617年から1623年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の少年聖歌隊員となり、ヴィンチェンツォ・ウゴリーニ (Vincenzo Ugolini, d. 1638) に音楽を学びました。

1624年からサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂 (Basilica di Santa Maria in Trastevere) の教会楽長 (maestro di cappella) を、1630年からサント・スピリト・イン・サッシア教会 (Chiesa di Santo Spirito in Sassia) の教会楽長 (グレゴリオ・アレグリ Gregorio Allegri の後任) を、1638年から1644年までサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会 (Chiesa di San Luigi dei Francesi) の教会楽長 (師ウゴリーニの後任) を務めました。神聖ローマ帝国の首都ヴィーンに赴きオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム (Leopold Wilhelm von Österreich, 1614 - 1662) の下でカペルマイスターを務めたのちにローマに戻り、1646年2月からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 (Basilica di Santa Maria Maggiore) の教会楽長を、同年10月から亡くなるまでサン・ピエトロ大聖堂ジュリア礼拝堂合唱団 (Cappella musicale Giulia della basilica papale di San Pietro in Vaticano) の教会楽長を務めました。1672年6月17日にローマで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典: Gürtelschmied, Walter; Gmeinwieser, Siegfried (2001). “Benevoli, Orazio”. Grove Music Online. Retrieved 2022-06-17.

2022-06-16

150th Death Anniversary of Gustav Zogbaum

Gustav Zogbaum (Germany, 1814 - 1872) - Mazurka in F major.

今日はドイツの作曲家・音楽教師、グスタフ・ツォークバウム没後150年の命日です。今回はツォークバウム作曲「マズルカ ヘ長調」を弾きました。楽譜は「ピアノ奏者のためのプフェニヒ・マガツィーン Pfennig-Magazin für Pianofortespieler 」第1巻第12、13号 (1835) の24頁に第2曲として収録されています。

1814年にプロイセン王国の首都ベルリンで生まれたグスタフ・ツォークバウムは、生地でピアノと声楽の教師となり、いくつかのピアノ教則本を著しています。1872年6月16日にベルリンで亡くなりました。

出典:

  • Schuberth, Julius (1860). “Zogbaum, Gustav”. Musikalisches Hand-Buch : Eine Encyclopädie für Tonkünstler und Musikfreunde. Leipzig (Hamburg) & New York: Verlag von Jul. Schuberth & Comp. S. 299.
  • Gestorben”. Musikalisches Wochenblatt : Organ für Musiker und Musikfreunde. 3. Jg. Nr. 27. 1872-06-28. Leipzig: E. W. Fritzsch. S. 430.

2022-05-27

200th Birth Anniversary of Joachim Raff

Johann Sebastian Bach (Germany, 1685 - 1750) / Joseph Joachim Raff (Switzerland/Germany, 1822 - 1882) - Cello Suite No. 3 in C major, BWV 1009; V & VI. Bourrées I (C major) & II (C minor).
6 Sonaten für Violoncell componirt von Johann Sebastian Bach für Pianoforte bearbeitet von Joachim Raff [WoO 30] (Leipzig & Winterthur: J. Rieter-Biedermann, 1870/1871); No. 3. Sonate in C-Dur; Loure I. Poco Allegro (C-Dur) & Loure II (c-Moll).

Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Orchestral Suite No. 3 in D major, BWV 1068 [WoO 40]; II. Air (D major).

Johann Sebastian Bach / Joachim Raff - Violin Sonata No. 2 in A minor, BWV 1003; III. Andante (C major) [WoO 23 No. 17].

Joachim Raff - 30 Fortschreitende Etüden, WoO 36; No. 18. Fuga II [G-A-D-E] (C major).

今日はスイス出身のドイツの作曲家・批評家・音楽教育者、ヨアヒム・ラフ生誕200年の誕生日です。今回はヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲「無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009 」の、ラフによるピアノ独奏編曲より「2つのブーレ」を弾きました。以前に演奏したラフの作品も併せて紹介します。

ヨアヒム・ラフは、ヴュルテンベルク王国出身の教師・オルガン奏者のフランツ・ヨーゼフ・ラフ (Franz Josef Raff) と、州大統領の娘であるカタリーナ (Katharina Raff geb. Schmid) の子として、1822年5月27日にスイス連邦シュヴィーツ州のラッヘン (Lachen) で生まれました。弟にヨーゼフ・カスパー・ラフ (Joseph Kaspar Raff, 1831 - 1893) がいます。父からヴァイオリン、オルガン、声楽の手ほどきを受け、ロテンブルク・アム・ネカー (ヴュルテンベルク王国) やシュヴィーツで教育を受けたのち、1840年から1844年までラパースヴィール (Rapperswil. 現在のラパースヴィール=ヨーナ Rapperswil-Jona) で初等学校の教師となりました。

当時チューリヒでカペルマイスターを務めていたフランツ・アプト (Franz Abt, 1819 - 1885) の勧めにより、フェーリクス・メンデルスゾーン (Felix  Mendelssohn, 1809 - 1847) に自作曲の楽譜を送ると、その作品を気に入ったメンデルスゾーンの仲介で、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社 (Breitkopf & Härtel) からピアノ曲を出版することになりました。1845年にはフランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) と知り合い、音楽家となる決心をしてケルンに移ります。ケルンやハンブルクで音楽出版社に勤め、その頃のリストとの書簡ではラフに対する作曲の助言が残されています。1849年にヴァイマルに移り、リストの助手兼秘書を務めました。1856年にヴィースバーデンに移ったのち、1878年に創立したフランクフルト・アム・マインのホッホ音楽院 (Dr. Hoch’s Konservatorium) の院長に就任し、作曲を教えました。1882年6月24日または25日にドイツ帝国フランクフルト・アム・マインで亡くなりました。

出典:

  • Bayreuther, Rainer (2005) 2016. “Raff, Joachim”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2022-05-27.
  • Deaville, James (2001). “Raff, (Joseph) Joachim”. Grove Music Online. Retrieved 2022-05-27.
  • 倉脇雅子 (2020). “ラフ Raff, Joachim”. ピティナ・ピアノ曲事典. Retrieved 2022-05-27.