Jarosław Zieliński (Poland/USA, 1847 - 1922) - 3 Morceaux pour le piano, Op. 11 (Chicago: The Chicago Music Co., 1880); No. 2. Tempo di valse. Allegretto (G minor).
今日はガリツィア出身の米国の作曲家・ピアノ奏者、ヤロスワフ・ジェリニスキ没後100年の命日です。今回はジェリニスキ作曲「ピアノのための3つの小品 Op. 11」より第2曲「ワルツのテンポで ト短調」を弾きました。この楽譜の第2曲には題辞として、古代ローマの詩人ウェルギリウス (Publius Vergilius Maro, 70 - 19 BC) による「農耕詩」(Georgica) 第1巻の第201-203行が以下のように書かれています。
Non aliter quam qui adverso vix flumine lembum
Remigiis subigit: si brachia forte remisit,
Atque ilium in praeceps prono rapit alveus amni.
ヤロスワフ・ジェリニスキは1847年3月31日にオーストリア帝国ガリツィア・ロドメリア王国のルビチャ・クルレフスカ (Lubycza Królewska. 現在はポーランド領) で生まれました。レンベルク (現在のウクライナ領リヴィウ) でイグナツィ・フランチシェク・グニェヴィチ (Ignacy Franciszek Guniewicz, 1832 - 1882) とカール・ミクリ (Carl Mikuli, 1819 - 1897) に師事し、同地の中等学校を卒業したのちベルリンとヴィーンでユリウス・シュルホフ (Julius Schulhoff, 1825 - 1898) とフライ (Frey) に、ミラノでチェルティ (Ceruti) に師事しました。
1月蜂起の失敗を機に1864年に米国に移って南北戦争に参加し、1865年まで従軍します。軍を離れたのちは演奏活動を開始し、1869年にミシガン州グランドラピッズに、次いで同州デトロイトに移りました。1878年にはテネシー州フェアマウントのフェアマウント・カレッジ (Fairmount College) の音楽学部長に就任しました。1888年から1910年までニューヨーク州バッファローを拠点とし、1893年にはアラバマ州ベイリースプリングスのベイリースプリングス大学 (University of Bailey Springs) で音楽学部を組織し、1894年にはニューヨーク州オーリアンの音楽院院長に就任しました。1910年にカリフォルニア州ロサンゼルスに移り、同地でピアノ学校を創設しました。1922年7月25日にカリフォルニア州サンタバーバラ (Santa Barbara) で亡くなりました。作品にピアノ小品、歌曲などがあります。
出典: Morawski, Jerzy (2001). “Zieliński, Jarosław”. Grove Music Online. Retrieved 2022-07-24.
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