2020-02-18

250th Birth Anniversary of Christian Heinrich Rinck

Johann Christian Heinrich Rinck (Germany, 1770 - 1846) - Fugato a 3 voci (G major). Beethoven-Album. Ein Gedenkbuch dankbarer Liebe und Verehrung, für den grossen Tonsetzer, gestiftet und beschrieben von einem Veriene von Künstlern und Kunstfreuden, aus Frankreich, England, Italien, Deutschland, Holland, Schweden, Ungarn und Russland (Stuttgart: Hallberger'sche Verlagshandlung, 1846). page 27.

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者、ヨハン・クリスティアン・ハインリヒ・リンク生誕250年の誕生日です。今回はリンク作曲「3声のフガート ト長調」を弾きました。1846年出版の複数の作者による音楽・文学作品集「ベートーヴェン・アルバム」に収録された楽譜を使用しました。

ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国エルガースブルク (Elgersburg) に生まれたクリスティアン・ハインリヒ・リンクは、ヨハン・ゲオルク・アービヒト (Johann Georg Abicht, 1672 - 1740)、ヨハン・アドリアン・ユングハンス (Johann Adrian Junghans)、ハインリヒ・クリストフ・キルヒナー (Heinrich Christoph Kirchner, 1739 - 1818) に学んだのち、1786年から1789年までヨハン・クリスティアン・キッテル (Johann Christian Kittel, 1732 - 1809) に師事しました。1790年にヘッセン大公国ギーセンの市オルガン奏者 (Stadtorganist)、1805年にダルムシュタットの市オルガン奏者・カントル・ギムナジウム音楽教師となり、1813年にはヘッセン大公国宮廷オルガン奏者に就任しました。

教え子に以下の人物がいます。

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2020-02-13

150th Birth Anniversary of Leopold Godowsky

Educational Adaptations for the Pianoforte. Sacred Music Series. Motet: "Adoramus te" ("We adore thee") (St. Louis: Art Publication Society, 1915). Composed by Giovanni Pierluigi da Palestrina (Italy, ca.1525 - 1594). Adapted and edited by Leopold Godowsky (Lithuania/USA, 1870 - 1938)

今日はリトアニア出身の米国の作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、レオポルト・ゴドフスキ (レオポルド・ゴドフスキー) 生誕150年の誕生日です。今回はゴドフスキの編曲によるジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ作曲の4声のモテット「御身を崇めん、キリストよ Adoramus te, Christe 」を弾きました。「教育用ピアノ編曲集 聖楽編」の一曲として1915年に出版されました。

レオポルト・ゴドフスキはロシア帝国ヴィーリナ県トローキ郡ジャスリャイ (現在のリトアニア領ジャスレイ Žasliai) に生まれたポーランド人でした。5歳で作曲を始め、9歳で最初のピアノ演奏会を行い、ヴィリニュスで2年間学んだのちにリトアニアと東プロイセンを演奏旅行でまわるほどの早熟さを示しました。1884年にベルリンの王立高等音楽学校でエルンスト・ルードルフ (Ernst Rudorff, 1840 - 1916) に3ヶ月師事。同1884年に米国に渡りピアノ奏者として活動し、1885年にはヴァイオリン奏者のオヴィド・ミュザン (Ovide Musin, 1854 - 1929) と米国北東部とカナダを演奏旅行しました。1886年から1890年にかけてはイングランドとフランスで活動し、拠点としたパリではカミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921) の後援を受けました。

米国に戻るとニューヨーク音楽大学 (New York College of Music) で教師となり、1891年にニューヨークのフリーダ・サックス (Frieda Saxe) と結婚し米国市民権を取得しました。1894年にフィラデルフィアのコウム・ブロード・ストリート音楽院 (Combs Broad Street Conservatory of Music) ピアノ科長、1895年から1900年までウィリアム・ホール・シャーウッド (William Hall Sherwood, 1854 - 1911) の後任としてシカゴ音楽大学 (Chicago Musical College) のピアノ科長を務めました。1900年にベルリンに移住し、1909年にはフェルッチョ・ブゾーニ (Ferruccio Busoni, 1866 - 1924) の後任としてヴィーン音楽舞台芸術アカデミー (Akademie für Musik und darstellende Kunst) のマスタークラスを担当しました。1912年から1914年まで米国を演奏旅行し、ベルギー滞在中に第一次世界大戦が始まるとその後は米国で活動します。

1922年から1923年にかけてメキシコ、南アメリカ、アジア、南西ヨーロッパをめぐる演奏旅行を行い、東アジアと東南アジアでは日本、中国、イギリス領海峡植民地のシンガポール、オランダ領東インドのジャワ島、米領フィリピンのマニラ、米自治領ハワイ準州のホノルルを訪れています。1930年にロンドンでのスタジオ録音の最中に脳卒中で倒れて右半身を麻痺し、1938年に胃癌で亡くなりました。

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2020-02-10

200th Birth Anniversary of Cornelius Gurlitt

Gustav Cornelius Gurlitt (Denmark/Germany, 1820 - 1901) -
Fliegende Blätter for the pianoforte, Op. 112 (London: Augener, 1880/1881); No. 7. First Grief. Con moto, poco agitato (C minor)

The Classicality. The melody „Ach du lieber Augustin“ humorously treated in the style of classical Composers [10 variations], Op. 115 (London: Augener, 1880); Var. 5: G. F. Händel. Chor. Allegro (C major). Based on "See the conquering hero comes" from Judas Maccabaeus, HWV 63 by George Frideric Handel.

今日はデンマーク・ホルシュタイン公国出身の作曲家・ピアノ奏者、コルネリウス・グルリット生誕200年の誕生日です。今回はグルリット作曲の「移ろう紙葉集 Op. 112」より第7曲「初めての悲しみ ハ短調」と、「クラシカリティ、古典作曲家の様式による『ああ、かわいいアウグスティン』の諧謔的トランスクリプション集 Op. 115」より第5変奏「G. F. ヘンデル、合唱」(「ユダス・マカベウス」の「見よ勇者は帰る」の旋律を使用) を弾きました。

コルネリウス・グルリットが生まれたアルトナは、普墺戦争の前までホルシュタイン公国に属し、普墺戦争後の1866年にプロイセン王国に編入され、現在ではドイツの都市ハンブルクの一部となっています。当時のホルシュタイン公国はデンマーク王の統治下にありながらドイツ連邦に加盟している地域でした。

アルトナでピーダ・グランラン (Peter Grønland, 1761 - 1825) に、次いで1840年までルドルフ・ライネッケ (Rudolf Reinecke, 1795 - 1883. カール・ライネッケの父) に学んだのち、コペンハーゲンでヨハン・エアンスト・ハートマン (Johan Ernst Hartmann, 1770 - 1844) とクリストフ・エアンスト・フリードリク・ヴァイセ (Christoph Ernst Friedrich Weyse, 1774 - 1842) に師事。ハアスホルムで音楽教師となりました。1845年から1848年までデンマーク王の奨学金を得てローマに留学。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 (1848-1852) ではドイツ連邦側の軍楽隊長を務めました。アルトナに戻り、1866年にアルトナの中央教会 (Hauptkirche) のオルガン奏者、1874年に王室音楽監督、1879年にハンブルク音楽院の合唱団の教師、1887年にハンブルク音楽芸術家協会 (Hamburger Tonkünstlerverein) 名誉会員となりました。教え子にアルノルト・クルーク (Arnold Krug, 1849 - 1904) とアルフレート・クラインパウル (Alfred Kleinpaul, 1850 - 1936) がいます。

画家の兄ルイ・グルリット (Louis Gurlitt, 1812 - 1897) の孫に音楽学者のヴィリバルト・グルリット (Wilibald Gurlitt, 1889 - 1963)、作曲家・指揮者のマンフレート・グルリット (Manfred Gurlitt, 1890 - 1972) がいます。ただし、マンフレート・グルリットの母は彼の実父がヴィリ・ヴァルデッカー (Willi Waldecker) だと主張しており、ユダヤ系のグルリット家と血縁がないことを理由にマンフレートのナチス入党が認められています。

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2020-01-22

150th Birth Anniversary of Charles Tournemire

Charles Tournemire (France, 1870 - 1939) - Variae preces. 40 pièces pour orgue ou harmonium, Op. 21; No. 21. Offertoire No. 3. Dans le style ancien. Adagio (B minor)

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者、シャルル・トゥルヌミール生誕150年の誕生日です。今回はトゥルヌミール作曲「様々な祈り、オルガンまたはハルモニウムのための40の小品 Op. 21」より第21曲「オッフェルトリウム 第3番 ロ短調 古い様式による」を弾きました。

ボルドーに生まれたシャルル・トゥルヌミールは、ボルドー音楽院 (Conservatoire de Bordeaux) で学んだのち、1887年にパリ音楽院に入学し、シャルル=マリー・ヴィドール (Charles-Marie Widor, 1844 - 1937) のクラスで学びながらセザール・フランク (César Franck, 1822 - 1890) にも師事し、1891年にオルガンで一等賞を取得。スコラ・カントルムではヴァンサン・ダンディ (Vincent d'Indy, 1851 - 1931) に作曲を師事しました。

ガブリエル・ピエルネ (Gabriel Pierné, 1863 - 1937) の後任として1898年から1939年に亡くなるまでパリのサント・クロチルド聖堂のオルガン奏者を、1919年からパリ音楽院で室内楽演奏の教授を務めました。

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2019-12-27

100th Death Anniversary of Akhilles Alferaki

Akhilles Alferaki (Ukraine/Russia, 1846 - 1919) - 3 Morceaux pour piano, Op. 27 (Dedicated to Felix Blumenfeld, 1863 - 1931); No. 2. Mazurka. Allegretto (G minor)

今日はウクライナ出身のロシアの作曲家・政治家、アヒレス・アルフェラキ没後100年の命日です。今回はアルフェラキ作曲「ピアノのための3つの小品 Op. 27」(フェリクス・ブルメンフェリトに献呈) より第2曲「マズルカ ト短調」を弾きました。

露土戦争 (1768 - 1774) の恩賞により地主となったギリシャ人将校の父ディミトリオスから土地を相続したニコライ・アルフェラキ (Nikolay Alferaki; ニコラオス・アルフェラキス, Νικόλαος Αλφεράκης, 1815 - 1860) は、裕福な商人となりました。ニコライの子としてハルキウに生まれたアヒレス・アルフェラキ (アキレアス・アルフェラキス, Αχιλλέας Αλφεράκης) は、1848年に家族とともにアゾフ海沿岸の都市タガンローク (タガンログ) に移ります。アンドレイ・シタケンシネイデル (Andrey Stackenschneider, 1802 - 1865) の設計によるタガンロークの邸宅は1927年以降に博物館となり、アルフェラキ宮殿 (Дворец Н. Д. Алфераки ; Alferaki Palace) と呼ばれています。アヒレスの弟のセルゲイ・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1850 - 1918) は鱗翅類学・昆虫学・鳥類学を専門とする動物学者に、もう一人の弟のミハイル・アルフェラキ (Sergey Alferaki, 1852 - 1915) はロシア帝国政府の検閲官になっています。

アヒレス・アルフェラキはモスクワ大学歴史・文献学部で学んだのちに家業のためにタガンロークに戻り、1880年にはタガンローク市長に選出されます。1888年に市長を辞するとペテルブルクに移り、1891年にロシア帝国内務省大臣室長 (правитель канцелярии министра внутренних дел) を務めます。

出典:

2019-12-26

150th Death Anniversary of Adolfo Zabala

Adolfo Zabala y Arambarri (Basque, Spain, 1841 - 1869) - Una lágrima. Danza habanera. Allegretto (C major)

スペイン・バスクの作曲家・ピアノ奏者、アドルフォ・サバラ没後150年ということで、サバラ作曲「一滴の涙、ハバネラ舞曲 ハ長調」を弾きました。サバラについて詳しいことは分からなかったのですが、スペイン国立図書館のページによると現在のバスク州の州都であるビルバオで生まれ亡くなっています。

出典: Zabala, Adolfo (1841-1869) | datos.bne.es (Biblioteca Nacional de España)

2019-12-25

50th Death Anniversary of Hilda Dederich

Hilda Dederich (England, 1901 - 1969) - The Old Fair for Pianoforte; No. 2. Lost. Sadly (G minor)

ロンドン生まれのイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ヒルダ・ディードリヒ没後50年ということで、ディードリヒ作曲、ピアノのための「昔ながらのフェア」(全4曲) より第2曲 ト短調「道迷い」を弾きました。曲集にはほかに「操り人形 ハ長調 Marionettes 」「スイングボート ト長調 Swing Boats」「回り道 変ホ長調 The Roundabout 」が含まれています。

2019-12-22

150th Death Anniversary of Wilhelm Claussen

Wilhelm Claussen (Germany, 1844 - 1869) - 8 Charakterstücke für das Pianoforte, Op. 1 (Schwerin: Anton Trutschel, 1870); No. 6. Dahin! Sehr langsam und mit höchstem Ausdruck (B flat minor)

今日はドイツの作曲家ヴィルヘルム・クラウセン没後150年の命日です。今回はクラウセン作曲「ピアノのための8つの性格的小品 Op. 1」より第6曲 変ロ短調「そこへ!」を弾きました。

ヴィルヘルム・クラウセンは宮廷俳優・劇場書記の子としてメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の首都シュヴェリーンに生まれました。12歳でピアノ三重奏曲を作曲し、1861年からシュテルン音楽院でハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894) に師事しました。1864年から音楽院の教師となり、1866年には演奏会用序曲「オテロ Othello 」、カンタータ「エフタの娘 Jephtas Tochter 」、二重フーガ「深き淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir 」でマイアベーア賞 (Meyerbeer-Preis) を受賞しました。そのほかの作品に序曲「ハムレット Hamlet 」、序曲「ロメオ Romeo 」、交響曲 ハ長調、「エウリピデスのサテュロス劇『キュクロープス』のための音楽 Musik zum Satyrspiel „Der Cyklop“ von Euripides 」、弦楽四重奏のための夜想曲などがあり、いくつかの作品をベルリンやシュヴェリーンで発表しました。1869年に生地のシュヴェリーンで25歳の若さで亡くなりました。生前に四重唱曲「春が山の上に昇るとき Wenn der Frühling auf die Berge steigt, Op. 4 No. 1」が出版されていますが、そのほかのピアノ曲 (性格的小品集 Op. 1) と歌曲 (独唱曲集 Opp. 2, 3; 四重唱曲集 Op. 4 Nos. 2-4) は死後に出版されています。

出典:

  • Grewolls, Grete (2011). “Claussen, Wilhelm”. Wer war wer in Mecklenburg und Vorpommern: Das Personenlexikon. Rostock: Hinstorff Verlag.
  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 163.
  • Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister.

200th Birth Anniversary of Franz Abt

Franz Wilhelm Abt (Germany, 1819 - 1885) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La fanciulla modesta (da un «Lied») (Biblioteca d'oro. Volume 3, No. 63. page 89)

今日はドイツの作曲家・指揮者、フランツ・アプト生誕200年の誕生日です。今回はアプト作曲の「慎ましい少女」(あるリートより) とされる楽曲のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第63曲として収録されています。原曲の題や作品番号を特定しようとしましたが、今のところ分かりません。

プロイセン王国ザクセン州アイレンブルク (Eilenburg) の説教家フランツ・ゴトハルト・アプト (Franz Gotthardt Abt, 1752 - 1838) の子として生まれたフランツ・ヴィルヘルム・アプトは、神学を学ぶためにザクセン王国ライプツィヒのトーマス学校 (Thomasschule zu Leipzig) に通っていましたが、父の死後は音楽の学習に専念するようになります。1841年にアンハルト=ベルンブルク侯国の首都ベルンブルク (Bernburg) で宮廷劇場の音楽監督を務め、同年にチューリヒの一般音楽協会 (Allgemeine Musik-Gesellschaft Zürich) 定期公演指揮者と株式劇場 (Aktientheater) の合唱指揮者となりました。1852年にはブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクで第2宮廷楽長となり、1855年に第1宮廷楽長となりました。1882年に引退するとヴィースバーデンで余生を送りました。

出典:

  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Abt, Franz”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 3.
  • Benedict, Carl (1953). “Abt, Franz”. Neue Deutsche Biographie. 1. Berlin: Duncker & Humblot. pages 25-26.

2019-12-08

50th Death Anniversary of Vincenzo Davico

Vincenzo Davico (Monaco/Italy, 1889 - 1969) - 6 Notturni pour piano; No. 2. Grave (D flat minor. A Luisa B...).

今日はモナコ出身のイタリアの作曲家・指揮者・批評家、ヴィンチェンツォ・ダヴィコ没後50年の命日です。今回はダヴィコ作曲「ピアノのための6つの夜想曲」より第2番 変ニ短調 を弾きました。調号で変ニ長調を表す5つのフラットが示されてはいますが、臨時記号が多用されていて、曲名の中で "Ré♭ mineur"(変ニ短調) と書かれています。この夜想曲集は各曲に異なる献辞と題辞がありますが、第2番は第5番 嬰ハ短調 と同じ “Luisa B...” に献呈されていて、シャルル・ゲラン (Charles Guérin, 1873 - 1907) 作の詩集「灰の種蒔き人 Le Semeur de cendres 」より第1編「闇の夜、悲劇的な夜、おお、絶望的な夜 Nuit d’ombre, nuit tragique, ô nuit désespérée 」の初行が題辞となっています。

モナコに生まれたヴィンチェンツォ・ダヴィコは、トリノでジョヴァンニ・クラヴェーロ (Giovanni Cravero) に、ライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学) でマックス・レーガー (Max Reger, 1873 - 1916) に師事し、1911年に同音楽院で学位を取得しました。ローマで指揮者として活動を開始し、1918年から1940年までパリを拠点としたのち、ローマに戻りました。

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