Gustav Cornelius Gurlitt (Denmark/Germany, 1820 - 1901) -
Fliegende Blätter for the pianoforte, Op. 112 (London: Augener, 1880/1881); No. 7. First Grief. Con moto, poco agitato (C minor)
The Classicality. The melody „Ach du lieber Augustin“ humorously treated in the style of classical Composers [10 variations], Op. 115 (London: Augener, 1880); Var. 5: G. F. Händel. Chor. Allegro (C major). Based on "See the conquering hero comes" from Judas Maccabaeus, HWV 63 by George Frideric Handel.
今日はデンマーク・ホルシュタイン公国出身の作曲家・ピアノ奏者、コルネリウス・グルリット生誕200年の誕生日です。今回はグルリット作曲の「移ろう紙葉集 Op. 112」より第7曲「初めての悲しみ ハ短調」と、「クラシカリティ、古典作曲家の様式による『ああ、かわいいアウグスティン』の諧謔的トランスクリプション集 Op. 115」より第5変奏「G. F. ヘンデル、合唱」(「ユダス・マカベウス」の「見よ勇者は帰る」の旋律を使用) を弾きました。
コルネリウス・グルリットが生まれたアルトナは、普墺戦争の前までホルシュタイン公国に属し、普墺戦争後の1866年にプロイセン王国に編入され、現在ではドイツの都市ハンブルクの一部となっています。当時のホルシュタイン公国はデンマーク王の統治下にありながらドイツ連邦に加盟している地域でした。
アルトナでピーダ・グランラン (Peter Grønland, 1761 - 1825) に、次いで1840年までルドルフ・ライネッケ (Rudolf Reinecke, 1795 - 1883. カール・ライネッケの父) に学んだのち、コペンハーゲンでヨハン・エアンスト・ハートマン (Johan Ernst Hartmann, 1770 - 1844) とクリストフ・エアンスト・フリードリク・ヴァイセ (Christoph Ernst Friedrich Weyse, 1774 - 1842) に師事。ハアスホルムで音楽教師となりました。1845年から1848年までデンマーク王の奨学金を得てローマに留学。第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争 (1848-1852) ではドイツ連邦側の軍楽隊長を務めました。アルトナに戻り、1866年にアルトナの中央教会 (Hauptkirche) のオルガン奏者、1874年に王室音楽監督、1879年にハンブルク音楽院の合唱団の教師、1887年にハンブルク音楽芸術家協会 (Hamburger Tonkünstlerverein) 名誉会員となりました。教え子にアルノルト・クルーク (Arnold Krug, 1849 - 1904) とアルフレート・クラインパウル (Alfred Kleinpaul, 1850 - 1936) がいます。
画家の兄ルイ・グルリット (Louis Gurlitt, 1812 - 1897) の孫に音楽学者のヴィリバルト・グルリット (Wilibald Gurlitt, 1889 - 1963)、作曲家・指揮者のマンフレート・グルリット (Manfred Gurlitt, 1890 - 1972) がいます。ただし、マンフレート・グルリットの母は彼の実父がヴィリ・ヴァルデッカー (Willi Waldecker) だと主張しており、ユダヤ系のグルリット家と血縁がないことを理由にマンフレートのナチス入党が認められています。
出典:
- Baker, Theodore & Remy, Alfred, ed (1919). “Gurlitt, Cornelius”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 348.
- Stephenson, Kurt (1966). “Gurlitt, Cornelius”. Neue Deutsche Biographie 7. page 327.
- Galliano, Luciana (2006-01-01). Manfred Gurlitt and the Japanese Operatic Scene, 1939-1972. Nichibunken Japan review : Jourmal of the International Research Center for Japanese Studies 18. page 216.
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