2019-07-10

100th Death Anniversary of Hugo Riemann

Hugo Riemann (Germany, 1849 - 1919) - Valse et Valsette, Op. 25 (Köln: P. J. Tonger, 1877); No. 2. Valsette. Sehr zart und flüchtig (C major)

今日はドイツの作曲家・音楽理論家、フーゴ・リーマン没後100年の命日です。今回はリーマン作曲「円舞曲と小円舞曲 Op. 25」より第2曲「小円舞曲 ハ長調」を弾きました。楽譜は1882年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されているものを用いました。

ドイツ連邦シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国のグロスメールラ (Großmehlra)に生まれたフーゴ・リーマンは、 ゾンダースハウゼン (Sondershausen) でハインリヒ・フランケンベルガー (Heinrich Frankenberger, 1824 - 1885) に理論を、アウグスト・バルテル (August Barthel) とテオドール・ラッツェンベルガー (Theodor Ratzenberger, 1840 - 1879) にピアノを師事しました。ラッツェンベルガーはピアノをフランツ・リストに師事しているので、リーマンはピアノ奏者としてはリストの孫弟子ということになります。

1865年から1868年までベルリンとテュービンゲンで法学、哲学、史学を学んでいましたが、普仏戦争 (1870-1871) に出征。その後はライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik, 現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) に入学し、1873年にゲッティンゲン大学で博士となりました。

ビーレフェルト (1878年まで)、ブロムベルク (1880-1881)、ハンブルク音楽院 (Hamburger Konservatorium, 1890年まで)、ゾンダースハウゼン音楽院 (Konservatorium der Musik in Sondershausen, 短期)、ヴィースバーデン音楽院 (Wiesbadener Konservatorium, 1895年まで) を経てライプツィヒ大学の教員となりました。1901年に員外教授、1905年に正教授、1914年に新設された音楽学研究所 (Forschungsinstitut für Musikwissenschaft) 所長に就任します。

出典:



2019-06-30

Zygmunt Stojowski - Zwielicht, Op. 29 No. 3

Zygmunt Stojowski (Poland/USA, 1870 - 1946) - Aus Sturm und Stille. 6 Klavierstücke, Op. 29 (Leipzig: Edition Peters, 1907); No. 3. Zwielicht ; Crépuscule ; Twilight. Moderato (C minor, dedicated to Miss Ethel Parrish)

ポーランド出身の作曲家・ピアノ奏者、ジグムント・ストヨフスキ作曲「嵐と静けさより、6つのピアノ小品 Op. 29」より第3曲「薄明 ハ短調」を弾きました。「バラード」「飛翔」「薄明」「奇想曲」「セレナード」「即興円舞曲」からなる曲集です。生誕150年の記念として演奏したものですが、 culture.pl では生年月日について

"born most probably on 27 March 1870 (OS) [8 April 1870 (NS) - some sources quote also 2 and 14 May, and the following years: 1863, 1869, 1871 and 1876]"
とあり、諸説あるものの1870年4月8日 (ユリウス暦同年3月27日) 説を有力としています。

ロシア帝国領ポーランドのキェルツェ近郊のスチェルツェ (Strzelce) に生まれたジグムント・ストヨフスキは、母にピアノの手ほどきを受けたのちにクラクフでヴワディスワフ・ジェレンスキ (Władysław Żeleński, 1837 - 1921) にピアノと作曲を師事しました。ギムナジウムを卒業すると渡仏し、パリ音楽院でルイ・ディエメール (Louis Diémer, 1843 - 1919) のクラスでピアノを学び、テオドール・デュボワ (Théodore Dubois, 1837 - 1924) に和声を、レオ・ドリーブ (Léo Delibes, 1836 - 1891) に作曲を師事しました。1891年にはイグナツィ・ヤン・パデレフスキ (Ignacy Jan Paderewski, 1860 - 1941) にも師事しています。音楽院卒業後は欧州各地を演奏旅行しました。

1905年10月には米国に移住し、ニューヨークの音楽芸術研究所 (Institute of Musical Art in New York, ジュリアード音楽院の前身校の一つ)、次いでフォン・エンデ音楽学校 (Von Ende School of Music) の教員となりました。

出典: Zygmunt Stojowski (Sigismond Stojowski) - Biography | Artist | Culture.pl

2019-06-27

200th Birth Anniversary of Albert Loeschhorn

Albert Loeschhorn (Germany, 1819 - 1905) - 4 Morceaux élégants, Op. 109; No. 1. Chant de printemps [Frühlingslied ; Spring Song]. Allegretto (G major)

今日はドイツの作曲家・ピアノ奏者、アルベルト・レシュホルン生誕200年の誕生日です。今回はレシュホルン作曲「4つの優雅な小品 Op. 109」より第1曲「春の歌 ト長調」を弾きました。楽譜は Loeschhorn-Album. Auswahl beliebter Clavierstücke von A. Loeschhorn (Braunschweig: Henry Litolff's Verlag, 1885) を用いました。

ベルリンに生まれたアルベルト・レシュホルンは、1837年にルートヴィヒ・ベルガー (Ludwig Berger, 1777 - 1839) に学び、 1839年にベルガーが亡くなるとベルリンの王立教会音楽大学 (Königlichen Institut für Kirchenmusik) でエドゥアルト・グレル (Eduard Grell, 1800 - 1886) とアウグスト・ヴィルヘルム・バッハ (August Wilhelm Bach, 1796 - 1869) に和声と作曲を、ルドルフ・キリチギー (Rudolph Killitschgy, ca. 1797 - 1851) にピアノを師事しました。1851年にキリチギーが亡くなると、彼の後任として教会音楽大学のピアノ教師となり、1858年には教授に就任しました。

出典:



2019-06-26

100th Death Anniversary of Michel Zurluth

Michel Zurluth (France, 1861 - 1919) - Albumblatt. Andante, Op. 18 No. 3 (A flat major)

今日はアルザス出身のフランスの作曲家ミシェル・ズュルリュト (ミヒャエル・ツルルト) 没後100年の命日です。今回はズュルリュト作曲「アルバムの綴り 変イ長調 Op. 18 No. 3」を弾きました。楽譜は1899年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されています。

ミシェル・ズュルリュトはサン=ジャン=サヴェルヌ (Saint-Jean-Saverne) に生まれ、メス (Metz) で亡くなりました。

2019-06-20

150th Death Anniversary of Joseph Ascher

Joseph Ascher (Netherlands, 1829 - 1869) - La plainte indienne [The Indian's Lament]. Episode. Larghetto (G minor)

今日はオランダ出身の作曲家・ピアノ奏者、ヨーゼフ・アッシャー (ジョゼフ・アシェル) 没後150年の命日です。今回はアッシャー作曲「インド人の嘆き、挿話 ト短調」を弾きました。

オランダのフローニンゲンに生まれたヨーゼフ・アッシャーは、ロンドンでイグナツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870) に師事し、1846年にモシェレスがライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) の講師になると、ライプツィヒで引き続き彼に師事しました。1849年にはパリでフランス皇后ウジェニー・ド・モンティジョ (Eugénie de Montijo, 1826 - 1920) のもとで宮廷ピアノ奏者になっています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 31

2019-06-13

150th Birth Anniversary of Ede Poldini

Ede Poldini (Hungary, 1869 - 1957) - Fleurettes, Op. 46; No. 5. Sostenuto (D major)

今日はハンガリー出身の作曲家・ピアノ奏者、エデ・ポルディーニ (エドゥアルト・ポルディーニ) 生誕150年の誕生日です。今回はポルディーニ作曲「小さな花 Op. 46」(全9曲) より第5曲 ニ長調を弾きました。

オーストリア=ハンガリー帝国ハンガリー王国のペシュトに生まれたエデ・ポルディーニは、ブダペストの国立音楽学校 (Nemzeti Zenede, 現在のバルトーク・ベーラ音楽院 Bartók Béla Zeneművészeti és Hangszerészképző Gyakorló Szakgimnázium) でイシュトヴァーン・トムカ (István Tomka, 1855 - 1923) に師事したのち、ヴィーンでオイゼビウス・マンディチェフスキ (Eusebius Mandyczewski, 1857 - 1929) に音楽理論を、ユリウス・エプシュタイン (Julius Epstein, 1832 - 1926) にピアノを師事しました。1908年にスイスに移住しています。

作品には多くのピアノ曲 (2手、4手) のほかに歌劇、合唱曲、歌曲などがあり、ピアノ曲集「マリオネット Marionettes 」の第2曲「踊る人形 La Poupée valsante 」がよく知られています。

出典:



2019-04-18

200th Birth Anniversary of Oscar Comettant

Oscar Comettant (France, 1819 - 1898) - Heures d'harmonie. Petites pièces pour piano; No. 9. Chanson. Allegretto in C major (à Monsieur Adolphe Méliot)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・音楽学者、オスカル・コメタン (コムタン) 生誕200年の誕生日です。今回はコメタン作曲「調和の時間、ピアノのための小品集」より第8曲「シャンソン (歌曲) ハ長調」を弾きました。

ボルドーに生まれたオスカル・コメタンは、1839年から1843年までパリ音楽院でアントワーヌ・エルヴァール (Antoine Elwart, 1808 - 1877) に和声を、ミケーレ・カラファ (Michele Carafa, 1787 - 1872) に作曲を師事しました。その後はピアノ奏者・作曲家として知られるようになり、1852年から1855年まで米国で過ごしたのち、パリに戻ってからは主に音楽に関する著作を数多く書き、著作家としてもよく知られるようになりました。

出典:

2019-04-14

夏目漱石『野分』のパアージヤル作「アダジョ」

夏目漱石 (1867 - 1916) が1907 (明治40) 年に発表した小説『野分』の演奏会の情景には、漱石が実演を聴いた演奏会の曲目が素材として使われている。

演奏会は数千の人を集めて、数千の人はことごとく双手を挙げながらこの二人を歓迎している。同じ数千の人はことごとく五指しを弾いて、われ一人を排斥している。高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った。友はそんな事を知りようがない。

「もう時間だ、始まるよ」と活版に刷った曲目を見ながら云う。

「そうか」と高柳君は器械的に眼を活版の上に落した。

一、バイオリン、セロ、ピヤノ合奏とある。高柳君はセロの何物たるを知らぬ。二、ソナタ……ベートーベン作とある。名前だけは心得ている。三、アダジョ……パァージャル作とある。これも知らぬ。四、と読みかけた時拍手の音が急に梁を動かして起った。演奏者はすでに台上に現われている。(中略)

途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒さめたように我に帰る。この過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹くところであった。
(『野分』第四章より)

1906 (明治39) 年10月28日、東京音楽学校を会場とする明治音楽会の演奏曲目は以下の通りである (『音楽新報』明治39年12月号; 『日本の洋楽百年史』, 第一法規出版, 1966, p.154)。寺田寅彦 (1878 - 1935) の日記によると、漱石は寺田と一緒にこの演奏会に行っている。また、津田左右吉 (1873 - 1961) も日記にこの演奏会の感想を書き残している (中西裕 (2012)「音楽を聴く津田左右吉」『學苑/GAKUEN』865号, pp. 43-55)。

  1. バイヲリン、セロ、ピアノ合奏 (マツキー令嬢、ドブラウイチ、サリンガー) 三部合奏曲 ゲーデ作 [Novelletten, Op. 29, or Piano Trio, Op. 42, by Niels Gade]
  2. 独唱歌 (ロンゲーカー令嬢) 歌劇バーベット中の舞歌美しき花の咲けるところ ビクトバート作
  3. ピアノ独奏 (マツキー嬢) ロンドン、カプリチオン メンデルソン作 [Rondo capriccioso, Op. 14, by Felix Mendelssohn]
  4. ピアノ、バイヲリン合奏 (ドブラウイチ、マツキー) ソナタ ビートーベン作 [Violin Sonata, by Ludwig van Beethoven]
  5. 独唱歌、バイヲリン、セロ、ピアノ伴奏 (ロンゲーカー、マツキー、ドブラウイチ、サリンガー) 四葉の苜蓿花 フアーザードミユツク作
  6. セロ独奏 (サリンガー) アダージヨ パアージアル作
  7. 四部合奏曲 (マツキー、ドブラウイチ、多忠基、サリンガー) 甲乙丙 モザルト作 [Piano Quartet, Movements 1-3 by Wolfgang Amadeus Mozart]
  8. レシテーシヨン (ロンゲーカー) 小児と老人に擬す [Recitation]

『野分』の演奏会の5曲のうち最後の「タンホイゼルのマーチ」(March [Einzug der Gäste auf der Wartburg] from Tannhäuser, by Richard Wagner) 以外の4曲は「明治音楽会」の演奏曲目1, 4, 6, 5に対応する。アダージヨの作曲者パアージアルは『野分』の註釈や英訳などで Richard von Perger とされていて、瀧井敬子の著書『夏目漱石とクラシック音楽』(毎日新聞出版, 2018) でもそれに倣っている。

「明治音楽会」の第六番目の曲目「パアージアル作曲」の「アダージヨ」が、『野分』の第三番目の曲目「アダジヨ……パージヤル作」として活版に印刷されているのは、実に面白い。しかし、リヒャルト・ペルゲル (ペルガー) Richard Perger (1854-1911) の作品に、無伴奏チェロ曲「アダージョ」があるかどうかは、不明。 (『夏目漱石とクラシック音楽』, pp.103-104)

ここにあるとおり、チェロの独奏で演奏されるアダージョという曲の存在を確認できないままでは、パアージアルがリヒャルト・ペルガーであるというのは根拠に乏しい。ペルガーの作品からチェロ独奏の作品を探してみると、「チェロとピアノのための4つの小品 Vier Stücke f. Vcello m. Pfte., Op. 5 」と「チェロと弦楽合奏またはピアノのためのセレナーデ 変ロ長調 Serenade (B) f. Vcello m. Streich-Orch./Pfte., Op. 21 」が Hofmeister's Musikalisch-literarischer Monatsbericht に掲載されている。小品集 Op. 5 のほうは、それぞれにカヴァティーヌ、インテルメッツォ、エレジー、フモレスケと固有の題があるのに、それらの題ではなく「アダージヨ」とプログラムに載せるのは不自然に思う。セレナーデ Op. 21 の緩徐楽章なら (そしてそれが Adagio であるなら) ありうるだろうか。

「パアージアル」は「バアージアル」の誤植または誤読とも考えられる。実際に『日本の洋楽百年史』の該当部は「アダジヨーバアージアル作」と書かれている。ヴォルデマール・バルギール Woldemar Bargiel (1828 - 1897) 作曲の「チェロと管弦楽のためのアダージョ Adagio für Violoncello und Orchester, Op. 38 」は、管弦楽またはピアノによる伴奏が必要な曲であるものの、チェロ独奏のアダージョとして広く知られるものであり、一つの可能性として考えられるだろう。

「明治音楽会」の演奏曲目2、ビクトバート (『日本の洋楽百年史』では「ビクトーバート」と表記) 作曲「歌劇バーベット中の舞歌美しき花の咲けるところ」について瀧井は以下のように書き、楽曲も作曲者も不明としている。

第二曲目の歌劇《バーベツト》より舞歌「美しき花の咲けるところ」は不明。作曲者ビクトバートも不明。(「夏目漱石とクラシック音楽」, p.98)
これはおそらくヴィクター・ハーバート Victor Herbert (1859 - 1924) 作曲、ハリー・ベイチ・スミス Harry Bache Smith (1860 - 1936) の台本による3幕のロマンティック・コミック・オペラ「バベット Babette 」(1903年初演) より第3幕第22曲 "Where the Fairest Flow'rs are Blooming" で、作曲者「ビクトー・ハーバート」、「ビクトル・ハーバート」と書くべきところを脱字したのであろう。

「明治音楽会」の演奏曲目5、「四葉の苜蓿花(うまごやし)」は四つ葉のクローバーのことであるが、作曲者フアーザードミユツクについては瀧井は同様に不明と書いている (「夏目漱石とクラシック音楽」, p.98)。 Hofmeister's Musikalisch-literarischer Monatsbericht ほかによると、1906年以前に出版された「四つ葉のクローバー」を題とする歌曲としては以下のものなどがあるが、フアーザードミユツクと表記されそうな作曲者は見つからない。ルドルフ・エルネスト・ロイテル Rudolph Ernest Reuter (b. 1888) 作曲の「四つ葉のクローバー」は1907年3月に作曲されている (「夏目漱石とクラシック音楽」, p.104) が、これは『野分』の出版後のことである。

  • Vierblättriger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück“ (No. 2) from 6 Lyrische Gedichte, Op. 40 (Köln: Tonger, 1892), by Fritz Lorleberg
  • Vierblätt’riger Klee: „Gefunden, gefunden! An’s Herz ich dich drück’“, Op. 78 (Bayreuth: Giessel jun., 1897), by Karl Seitz (1844 - 1905)
  • Four Leaf Clover: „I know a place where the sun is like gold“ (Cincinnati: The John Church Company, 1905), by Charles Willeby (1865 - 1955)
  • Vierblättriger Klee: „Ein vierblättriges Kleeblatt, das sucht man im Klee“ (Leipzig: Bosworth, 1905), by Carl Bohm (1844 - 1920)
  • „Vierblättriger Klee, wenn ich dich seh“ aus der Operette „Bruder Straubinger“ (Leipzig: Weinberger, 1905), by Edmund Eysler (1874 - 1949)


2019-04-11

200th Birth Anniversary of Charles Hallé

Charles Hallé (Germany, 1819 - 1895) - Dämmerungs-Gedanken. 4 Stücke für das Pianoforte, Op. 7; 1. Allegretto molto semplice (G major)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・指揮者、チャールズ・ハレ (カール・ハレ) 生誕200年の誕生日です。今回はハレ作曲「薄明の思考、ピアノのための4つの小品 Op. 7」より第1曲 ト長調を弾きました。

プロイセン王国のハーゲンに生まれたカール・ハレは、1835年にダルムシュタットでクリスティアン・ハインリヒ・リンク (Christian Heinrich Rinck, 1770 - 1846) に師事したのち、1836年からパリ、1848年からロンドン、1853年からマンチェスターを拠点に活動しました。1857年にマンチェスターでハレが設立し常任指揮者を務めたオーケストラは、現在ではハレ管弦楽団 (The Hallé) の名で活動しています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 355

2019-04-01

150th Birth Anniversary of Georg Capellen

Georg Capellen (Germany, 1869 - 1934) - Shogaku Shoka [小学唱歌]. Japanische Volksmelodien des Isawa Shuji. Als Charakterstücke für Klavier bearbeitet, Op. 26; No. 7. Koi yo (Karpfen) [鯉よ] (E minor). The original title of "Koi yo" is "Kodomo, Kodomo" [子供々々].

今日はドイツの音楽著述家・音楽批評家・作曲家、ゲオルク・カペレン生誕150年の誕生日です。今回はカペレンがピアノ独奏のために編曲した伊澤修二 (Isawa Shūji, Japan, 1851 - 1917) 編集「小学唱歌」(大日本図書, 1892-1893) より第1巻第10曲 伊澤修二作詞作曲「子供々々」を弾きました。カペレンの曲集「小学唱歌、ピアノのための性格的小品として編曲された伊澤修二の日本民謡旋律集 Op. 26」(1904年出版) では第7曲に置かれ、「子供子供」ではなく2番の歌詞より「鯉よ」の題が付けられています。

北ドイツ連邦リッペ=デトモルト侯国のバート・ザルツウフレンに生まれたゲオルク・カペレンは、テュービンゲン、ゲッティンゲン、ベルリンで哲学と法学を学びました。オスナブリュック (1900-1906)、ケルン (1906)、ミュンヘン (1907-1914)、ハノーファー (1914年以降) で活動し、ハノーファーで亡くなりました。

追記: カペレンの曲集で第7曲であることなどを加筆しました (2019-05-20)。

出典: