2019-12-26

150th Death Anniversary of Adolfo Zabala

Adolfo Zabala y Arambarri (Basque, Spain, 1841 - 1869) - Una lágrima. Danza habanera. Allegretto (C major)

スペイン・バスクの作曲家・ピアノ奏者、アドルフォ・サバラ没後150年ということで、サバラ作曲「一滴の涙、ハバネラ舞曲 ハ長調」を弾きました。サバラについて詳しいことは分からなかったのですが、スペイン国立図書館のページによると現在のバスク州の州都であるビルバオで生まれ亡くなっています。

出典: Zabala, Adolfo (1841-1869) | datos.bne.es (Biblioteca Nacional de España)

2019-12-25

50th Death Anniversary of Hilda Dederich

Hilda Dederich (England, 1901 - 1969) - The Old Fair for Pianoforte; No. 2. Lost. Sadly (G minor)

ロンドン生まれのイングランドの作曲家・ピアノ奏者、ヒルダ・ディードリヒ没後50年ということで、ディードリヒ作曲、ピアノのための「昔ながらのフェア」(全4曲) より第2曲 ト短調「道迷い」を弾きました。曲集にはほかに「操り人形 ハ長調 Marionettes 」「スイングボート ト長調 Swing Boats」「回り道 変ホ長調 The Roundabout 」が含まれています。

2019-12-22

150th Death Anniversary of Wilhelm Claussen

Wilhelm Claussen (Germany, 1844 - 1869) - 8 Charakterstücke für das Pianoforte, Op. 1 (Schwerin: Anton Trutschel, 1870); No. 6. Dahin! Sehr langsam und mit höchstem Ausdruck (B flat minor)

今日はドイツの作曲家ヴィルヘルム・クラウセン没後150年の命日です。今回はクラウセン作曲「ピアノのための8つの性格的小品 Op. 1」より第6曲 変ロ短調「そこへ!」を弾きました。

ヴィルヘルム・クラウセンは宮廷俳優・劇場書記の子としてメクレンブルク=シュヴェリーン大公国の首都シュヴェリーンに生まれました。12歳でピアノ三重奏曲を作曲し、1861年からシュテルン音楽院ハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894) に師事しました。1864年から音楽院の教師となり、1866年には演奏会用序曲「オテロ Othello 」、カンタータ「エフタの娘 Jephtas Tochter 」、二重フーガ「深き淵より、われ汝に呼ばわる Aus tiefer Not schrei ich zu dir 」でマイアベーア賞 (Meyerbeer-Preis) を受賞しました。そのほかの作品に序曲「ハムレット Hamlet 」、序曲「ロメオ Romeo 」、交響曲 ハ長調、「エウリピデスサテュロス劇キュクロープス』のための音楽 Musik zum Satyrspiel „Der Cyklop“ von Euripides 」、弦楽四重奏のための夜想曲などがあり、いくつかの作品をベルリンやシュヴェリーンで発表しました。1869年に生地のシュヴェリーンで25歳の若さで亡くなりました。生前に四重唱曲「春が山の上に昇るとき Wenn der Frühling auf die Berge steigt, Op. 4 No. 1」が出版されていますが、そのほかのピアノ曲 (性格的小品集 Op. 1) と歌曲 (独唱曲集 Opp. 2, 3; 四重唱曲集 Op. 4 Nos. 2-4) は死後に出版されています。

出典:

  • Grewolls, Grete (2011). “Claussen, Wilhelm”. Wer war wer in Mecklenburg und Vorpommern: Das Personenlexikon. Rostock: Hinstorff Verlag.
  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Claussen, Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 163.
  • Musikalisch-literarischer Monatsbericht. Leipzig: Friedrich Hofmeister.

200th Birth Anniversary of Franz Abt

Franz Wilhelm Abt (Germany, 1819 - 1885) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - La fanciulla modesta (da un «Lied») (Biblioteca d'oro. Volume 3, No. 63. page 89)

今日はドイツの作曲家・指揮者、フランツ・アプト生誕200年の誕生日です。今回はアプト作曲の「慎ましい少女」(あるリートより) とされる楽曲のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第3巻に第63曲として収録されています。原曲の題や作品番号を特定しようとしましたが、今のところ分かりません。

プロイセン王国ザクセン州アイレンブルク (Eilenburg) の説教家フランツ・ゴトハルト・アプト (Franz Gotthardt Abt, 1752 - 1838) の子として生まれたフランツ・ヴィルヘルム・アプトは、神学を学ぶためにザクセン王国ライプツィヒのトーマス学校 (Thomasschule zu Leipzig) に通っていましたが、父の死後は音楽の学習に専念するようになります。1841年にアンハルト=ベルンブルク侯国の首都ベルンブルク (Bernburg) で宮廷劇場の音楽監督を務め、同年にチューリヒの一般音楽協会 (Allgemeine Musik-Gesellschaft Zürich) 定期公演指揮者と株式劇場 (Aktientheater) の合唱指揮者となりました。1852年にはブラウンシュヴァイク公国の首都ブラウンシュヴァイクで第2宮廷楽長となり、1855年に第1宮廷楽長となりました。1882年に引退するとヴィースバーデンで余生を送りました。

出典:

  • Baker, Theodore and Remy, Alfred, ed (1919). “Abt, Franz”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 3.
  • Benedict, Carl (1953). “Abt, Franz”. Neue Deutsche Biographie. 1. Berlin: Duncker & Humblot. pages 25-26.

2019-12-08

50th Death Anniversary of Vincenzo Davico

Vincenzo Davico (Monaco/Italy, 1889 - 1969) - 6 Notturni pour piano; No. 2. Grave (D flat minor. A Luisa B...).

今日はモナコ出身のイタリアの作曲家・指揮者・批評家、ヴィンチェンツォ・ダヴィコ没後50年の命日です。今回はダヴィコ作曲「ピアノのための6つの夜想曲」より第2番 変ニ短調 を弾きました。調号で変ニ長調を表す5つのフラットが示されてはいますが、臨時記号が多用されていて、曲名の中で "Ré♭ mineur"(変ニ短調) と書かれています。この夜想曲集は各曲に異なる献辞と題辞がありますが、第2番は第5番 嬰ハ短調 と同じ “Luisa B...” に献呈されていて、シャルル・ゲラン (Charles Guérin, 1873 - 1907) 作の詩集「灰の種蒔き人 Le Semeur de cendres 」より第1編「闇の夜、悲劇的な夜、おお、絶望的な夜 Nuit d’ombre, nuit tragique, ô nuit désespérée 」の初行が題辞となっています。

モナコに生まれたヴィンチェンツォ・ダヴィコは、トリノでジョヴァンニ・クラヴェーロ (Giovanni Cravero) に、ライプツィヒ音楽院 (現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学) でマックス・レーガー (Max Reger, 1873 - 1916) に師事し、1911年に同音楽院で学位を取得しました。ローマで指揮者として活動を開始し、1918年から1940年までパリを拠点としたのち、ローマに戻りました。

出典:

2019-11-26

200th Birth Anniversary of Ludwig Liebe

Eduard Ludwig Liebe (Germany, 1819 - 1900) - 6 Kleine Tondichtungen mit Überschriften deutscher Dichter, Op. 38 (Kassel: Luckhardt, 1862, 1867); No. 4. Allegretto (F major)

今日はドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者・オルガン奏者、ルートヴィヒ・リーベ (ルイ・リーベ Louis Liebe) 生誕200年の誕生日です。今回はリーベ作曲「ドイツの詩人の表題つきの6つの小さな音詩 Op. 38」より第4曲 ヘ長調を弾きました。曲の題辞としてルートヴィヒ・ヴィール (Ludwig Wihl, 1807 - 1882) 作「春の祝い Frühlingsfeier 」(Hamburg, im Frühling 1839) 第34聯からの引用が以下のように楽譜に書かれています。

Alles zeigt ein froh Gesicht,
Trägt ein lustig grünes Kleid...
Welch ein göttlich-schön Gedicht
Ist die liebe Frühlingszeit.
Ludwig Wihl.

楽譜は1881年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたものを使いました。

プロイセン王国ザクセン県 (Provinz Sachsen) マクデブルクに生まれたルートヴィヒ・リーベは、カッセルルイ・シュポーア (Louis Spohr, 1784 - 1859) とヨハン・クリスティアン・バルデヴァイン (Johann Christian Baldewein, 1784 - 1848) に師事しました。コブレンツマインツヴォルムスで音楽監督を務め、ストラスブールロンドンで教師となりました。ヴォルムスでの教え子に、幼少期のフリードリヒ・ゲルンスハイム (Friedrich Gernsheim, 1839 - 1916) がいます。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 534

2019-11-20

150th Birth Anniversary of Arthur Hinton

Arthur Hinton (England, 1869 - 1941) - A Summer Pilgrimage (in the White Mountains). 6 Pieces for Pianoforte (New York: J. Fischer & Bro., 1916); No. 4. Rêverie. “At Sunset Hill”. Andante (G major. To Miss Grace Denio Litchfield)

今日はイングランドの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者、アーサー・ヒントン生誕150年の誕生日です。今回はヒントン作曲「夏の巡礼 (ホワイト山地にて)、ピアノのための6つの小品」より第4曲 ト長調「夢想、日の入りの丘で」を弾きました。各曲の題は以下の通りで、第1曲の題にある「アモヌースク」(Ammonoosuc River) から、米国ニューハンプシャー州ホワイト山地を舞台とする作品だと分かります。

  1. ロマンス、アモヌースク川のほとりで Romance “By the Ammonoosuc”
  2. 牧歌、丘に囲まれたところで (ウィッティア) Idyll “Among the Hills” (Whittier)
  3. スケルツォ、蛍 Scherzo “Fireflies”
  4. 夢想、日の入りの丘で Rêverie “At Sunset Hill”
  5. カントリー・ダンス、皮むき寄り合いで Country Dance “At the Husking”
  6. 夏の終わり The Passing of Summer

ベックナム (ケント州、現在はグレーター・ロンドンブロムリー区) に生まれたアーサー・ヒントンは、3年在学したロンドンの王立音楽アカデミーでプロスパー・セイントン (Prosper Sainton, 1813 - 1890) とエミール・ソーレ (Émile Sauret, 1852 - 1920) にヴァイオリンを、フランシス・ウィリアム・ダヴェンポート (Francis William Davenport, 1847 - 1925) に作曲を師事し、それから王立音楽アカデミーでヴァイオリンの助教を3年間務めました。さらにミュンヘンヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー (Josef Gabriel Rheinberger, 1839 - 1901) に作曲を師事し、ヴィーン、ローマ、アルバーノを経て1896年にロンドンに戻りました。1903年にイングランドのピアノ奏者キャサリン・グッドソン (Katharine Goodson, 1872 - 1958) と結婚しています。

出典: Baker's Biographical Dictionary of Musicians. 3rd edition, 1919. page 403

2019-10-20

200th Birth Anniversary of Carl Mikuli

Carl Mikuli (Austrian Poland, 1819 - 1897) - 48 Airs nationaux roumains. Ballades, chants des bergers, airs de danse etc.; Cahier 2 (à Madame la Baronne Angelique de Muslazza). No. 7. Bujorŭ [Bujor]. Moderato (B minor)

今日はブコヴィナ出身のオーストリアの作曲家・ピアノ奏者、カール・ミクリ生誕200年の誕生日です。今回はミクリにより収集・編曲された「48のルーマニア民謡」より第2巻第7曲「シャクヤク ロ短調」を弾きました。

オーストリア帝国ブコヴィナ公爵領のチェルノヴィツ (現ウクライナのチェルニウツィー) に生まれたカール・ミクリは、1839年にヴィーンで医学を学んでいましたが、1844年から1847年までパリでフレデリック・ショパン (Frédéric Chopin, 1810 - 1849) にピアノを、アントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) に作曲を師事しました。1848年革命を契機にオーストリアに戻り、ポーランドとルーマニアの民謡を収集したほか、ピアノ奏者としてフランス、イタリア、ロシア、ルーマニア、ガリツィアを演奏旅行しました。1858年から1888年までレンベルク (現ウクライナのリヴィウ) でガリツィア音楽協会 (Gesellschaft zur Beförderung der Musik in Galizien) 芸術監督と音楽院 (Konservatorium) 院長を務めたのち、同地で自身の音楽学校を創設しました。1879年には17巻からなる「フレデリック・ショパンのピアノ作品 Fr. Chopin's Pianoforte-Werke 」(Leipzig: Fr. Kistner) の校訂譜を出版しています。

教え子にはアレクサンデル・ミハウォフスキ (Aleksander Michałowski, 1851 - 1938), チプリアン・ポルムベスク (Ciprian Porumbescu, 1853 - 1883), モーリツ・ローゼンタール (Moriz Rosenthal, 1862 - 1946), パウル・チュントゥ (Paul Ciuntu, 1866 - 1918), ラウル・コチャルスキ (Raoul Koczalski, 1884 - 1948) などがいます。

出典

2019-10-14

Carlo Caproli / Alessandro Longo - Tu mancavi a tormentarmi

Carlo Caproli (Italy, before 1620 – after 1675?) / Alessandro Longo (Italy, 1864 - 1945) - Tu mancavi a tormentarmi

イタリアの作曲家・ヴァイオリン奏者・オルガン奏者であるカルロ・カプローリ作曲の歌曲「お前は私を苦しめていなかったのに」のアレッサンドロ・ロンゴによるピアノ編曲を弾きました。ロンゴが編纂した「金の図書館、あらゆる時代と地域の巨匠の作品からの700のピアノ小品 Biblioteca d'Oro, 700 pezzi per pianoforte tratti dalle opere di Maestri di ogni tempo e paese 」の第1巻に第97曲 Melodia: Tu mancavi a tormentarmi (M. A. Cesti) として収録されています。アントニオ・チェスティ (Antonio Cesti, 1623 - 1669) の没後350年の記念に弾いたのですが、作曲者の名前や通称を記した同時代の手稿譜の発見によって、現在ではカプローリの作品とされています。

フランソワ=オーギュスト・ジュヴァール (François-Auguste Gevaert, 1828 - 1908) が編集した歌曲集「イタリアの栄光 第1巻 Les Gloires de l ' Italie . Chefs-d'oeuvre de la musique vocale italienne aux XVIIe et XVIIIe siècles. Collection de morceaux de théatre, de concert et de chambre, recueillis et publiés avec accompagnement de piano. Premier Volume 」(Paris: Heugel et fils, 1868) で第24曲にこの Tu mancavi a tormentarmi が「マルカントニオ・チェスティのアリア Aria di Marcantonio Cesti. (verso il 1660)」として収録されたのが、チェスティを作曲者とする誤った情報の由来ということです。

出典: 中巻寛子「『イタリア古典歌曲』研究序論」 (愛知県立芸術大学紀要 (32), 17-26, 2002)

2019-07-10

100th Death Anniversary of Hugo Riemann

Hugo Riemann (Germany, 1849 - 1919) - Valse et Valsette, Op. 25 (Köln: P. J. Tonger, 1877); No. 2. Valsette. Sehr zart und flüchtig (C major)

今日はドイツの作曲家・音楽理論家、フーゴ・リーマン没後100年の命日です。今回はリーマン作曲「円舞曲と小円舞曲 Op. 25」より第2曲「小円舞曲 ハ長調」を弾きました。楽譜は1882年に出版された「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されているものを用いました。

ドイツ連邦シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国のグロスメールラ (Großmehlra)に生まれたフーゴ・リーマンは、 ゾンダースハウゼン (Sondershausen) でハインリヒ・フランケンベルガー (Heinrich Frankenberger, 1824 - 1885) に理論を、アウグスト・バルテル (August Barthel) とテオドール・ラッツェンベルガー (Theodor Ratzenberger, 1840 - 1879) にピアノを師事しました。ラッツェンベルガーはピアノをフランツ・リストに師事しているので、リーマンはピアノ奏者としてはリストの孫弟子ということになります。

1865年から1868年までベルリンとテュービンゲンで法学、哲学、史学を学んでいましたが、普仏戦争 (1870-1871) に出征。その後はライプツィヒ音楽院 (Conservatorium der Musik, 現在のフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ) に入学し、1873年にゲッティンゲン大学で博士となりました。

ビーレフェルト (1878年まで)、ブロムベルク (1880-1881)、ハンブルク音楽院 (Hamburger Konservatorium, 1890年まで)、ゾンダースハウゼン音楽院 (Konservatorium der Musik in Sondershausen, 短期)、ヴィースバーデン音楽院 (Wiesbadener Konservatorium, 1895年まで) を経てライプツィヒ大学の教員となりました。1901年に員外教授、1905年に正教授、1914年に新設された音楽学研究所 (Forschungsinstitut für Musikwissenschaft) 所長に就任します。

出典: