2021-08-25

150th Birth Anniversary of Oreste Ravanello

Oreste Ravanello (Italy, 1871 - 1938) - 4 Pezzi per organo od armonio; No. 1. Aria di Chiesa (per l'Offertorio). Andante (E flat major).

今日はイタリアの作曲家・オルガン奏者・指揮者、オレステ・ラヴァネッロ生誕150年の誕生日です。今回はラヴァネッロ作曲「オルガンまたはハルモニウムのための4つの小品」より第1曲「(オッフェルトリウムのための) 教会のアリア 変ホ長調」を弾きました。

オレステ・ラヴァネッロは1871年8月25日にヴェネツィア (Venezia) で生まれました。パオロ・アゴスティーニ (Paolo Agostini) に学び、ヴェネツィアのベネデット・マルチェッロ音楽学校 (Liceo Musicale Benedetto Marcello. 現在のベネデット・マルチェッロ音楽院 Conservatorio di Musica Benedetto Marcello di Venezia) に入学して、引き続きアゴスティーニにオルガンを、アンドレア・ジラルディ (Andrea Girardi, 1822 - 1902) に和声学と対位法と作曲を師事しました。

1888年にヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂 (Basilica di San Marco) 副オルガン奏者と附属学校オルガン奏者に、1895年にはサン・マルコ大聖堂正オルガン奏者に任命されました。1898年にパドヴァのサンタントニオ聖堂 (Basilica di Sant'Antonio di Padova) の楽長 (maestro di cappella) に就任。1902年に母校のベネデット・マルチェッロ音楽学校でオルガン教師となり、パドヴァ音楽研究所 (Istituto Musicale di Padova. 現在のチェーザレ・ポッリーニ音楽院 Conservatorio Cesare Pollini) 所長のチェーザレ・ポッリーニ (Cesare Pollini, 1858 - 1912) が亡くなると、同研究所所長を1912年から亡くなるまで務めました。また、カトリック教会音楽の改革を目指したセシリア運動 (Cäcilianismus) の熱心な支持者であり、ジュゼッペ・サルト枢機卿 (Giuseppe Sarto. 後の教皇ピウス10世 Pius X) が結成した教会音楽刷新委員会の会員や、定期刊行誌 "Il repertorio pratico dell’organista liturgico" (典礼オルガン奏者の実用的レパートリー) の編集者でもありました。1938年7月2日にパドヴァで亡くなりました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Ravanello, Oreste”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 743.
  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Ravanello, Oreste”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 883.
  • Bernardoni, Virgilio (2001). “Ravanello, Oreste”. Grove Music Online. Retrieved 2021-08-25.
  • SL; Damerini, Adalmo (2005) 2016. “Ravanello, Oreste”. In: MGG Online, edited by Laurenz Lütteken. Bärenreiter, Metzler, RILM, 2016–. Retrieved 2021-08-25.


2021-08-21

200th Death Anniversary of Joseph Dale

Joseph Dale (England, 1750 - 1821) - Helder Point. A Sonata for the Piano-forte (C major. Dedicated to Admiral Mitchell); II. Andante e Sempre Piano (G major).

今日はイングランドの作曲家・オルガン奏者・音楽出版者、ジョゼフ・デイル没後200年の命日です。今回はデイル作曲「ヘルデル・ポイント、ピアノフォルテのためのソナタ ハ長調」より第2楽章 ト長調を弾きました。フランス革命戦争の戦役である英露連合軍によるホラント侵攻 (Anglo-Russian invasion of Holland, 1799) を記念して書かれた作品のようで、1799年8月30日のフリーテル事変 (Vlieter incident) における英国海軍の指揮官、アンドルー・ミッチェル (Andrew Mitchell, 1757 - 1806) 提督に献呈されています。

ジョゼフ・デイルは1777年から亡くなるまでロンドン市の聖アンソリン教会 (St Antholin, Budge Row, Watling Street) のオルガン奏者を務めました。作曲家としてはハープシコードまたはピアノのための協奏曲、ソナタのほか、歌曲の変奏付き編曲などがあります。また、タンバリンの改良に関する特許を取得し、タンバリンを編成に含む作品を独自の記譜法で記した楽譜も出版しています。1783年に自宅で出版業を始め、1786年にサミュエル・バブ (Samuel Babb) が使用していた事業所を買収しました。1805年に子のウィリアム・デイル (William Dale, d. 1827) を共同経営者に加えましたが、1809年にウィリアムが独立したのちは彼とのパートナーシップを解消しました。1821年8月21日にスコットランドのエディンバラ (Edinburgh) で亡くなりました。

出典: Smith, William C. (2001). “Dale family”. Grove Music Online. Retrieved 2021-08-14.

2021-08-15

150th Birth Anniversary of Axel von Kothen

Karl Axel von Kothen (Finland, 1871 - 1927) - 2 Impromptus, Op. 12; No. 1. Impromptu. Adagio (A minor).

今日はフィンランドの作曲家・バリトン歌手、アクセル・フォン・コーテン生誕150年の誕生日です。今回はコーテン作曲「2つの即興曲 Op. 12」より第1番 イ短調を弾きました。

ハミナ (Hamina / Fredrikshamn) に生まれたアクセル・フォン・コーテンは、1894年から1895年までヘルシンキ (ヘルシングフォシュ) のヘルシングフォシュ音楽院 (Helsingfors musikinstitut. 現在のシベリウス音楽院) で、院長のマッティン・ヴェーゲリウス (Martin Wegelius, 1846 - 1906) に学んだのち、1896年にローマでセナトーレ・スパラパーニ (Senatore Sparapani, 1847 - 1926. 声楽) とアキッレ・ルチーディ (Achille Lucidi, 1847 - 1901) に、1897年にサンクトペテルブルクでアントニオ・コトーニ (Antonio Cotogni, 1831 - 1918) に、同年ヴィーンでフィーリプ・フォルステン (Filip Forstén, 1852 - 1932) に、1898年にパリでエドゥアール・コロンヌ (Édouard Colonne, 1838 - 1910) とG.ヴィッラ (G. Villa) に師事しました。1900年から1906年までヘルシンキでコンサート歌手や教師として活動し、1905年には編集者としてスウェーデン語の音楽雑誌「フィンランド音楽レヴュー Finsk Musikrevy 」を創刊しました。1906年からミュンヘンで2年間、ルートヴィヒ・トゥイレ (Ludwig Thuille, 1861 - 1907) とヴァルター・クルヴォワジエ (Walter Courvoisier, 1875 - 1931)に作曲と楽器法を師事し、1908年から1924年までに母校のヘルシングフォシュ音楽院の声楽の教授を務めました。1927年にタンミサーリ (Tammisaari / Ekenäs) (またはヘルシンキ) で亡くなりました。

出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Kothen, Karl Axel”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 603.
  • “Kothen, Carl Axel”. In: Alfred Einstein (Hrsg.): Riemann Musiklexikon. 11. Auflage. Band 1: A–L. Max Hesses Verlag, Berlin 1929, S. 945.


2021-08-09

200th Birth Anniversary of Anna Stubenberg

Maria Anna Herrin und Gräfin von Stubenberg [Remekházy, Zichy, Buttlar] (Austria, 1821 - 1912) - 6 Mazurs für das Piano, Op. 2 (Graz: W. Greiner); No. 3. Mazur [Mazurka] (E minor).

今日はオーストリアの作曲家・ピアノ奏者、アンナ・シュトゥーベンベルク生誕200年の誕生日です。今回はシュトゥーベンベルク作曲「6つのマズル Op. 2」より第3番 ホ短調を弾きました。

アンナ・シュトゥーベンベルクは1821年8月9日にオーストリア帝国グラーツ (Graz) で生まれ、ハンガリーのペシュト (現在のブダペスト) で育ちました。即興演奏の名手としても知られ、作品に舞曲などのピアノ曲や歌曲があります。1840年にヨハン・レメクハージ (Johann Remekházy von Gurahoncz, d. 1843) と、1848年にフリードリヒ・ジチー (Friedrich Graf Zichy von Zichy und Vásonykeő, 1823 - 1848) と結婚しましたが、いずれの夫とも早くに死別し、1872年にオット・ブトラー (Otto Graf Buttlar, Freiherr von Brandenfels) と3度目の結婚をしました。1912年12月1日にグラーツにて91歳で亡くなりました。

出典:

  • Marciano, Rosario (2001). “Stubenberg, Maria Anna, Countess”. Grove Music Online. Retrieved 2021-08-06.
  • Boisits, Barbara (2002-08-10). „Stubenberg, Anna Gräfin von“. Oesterreichisches Musiklexikon online. Retrieved 2021-08-06.
  • 2021-08-02

    150th Birth Anniversary of Martín Rodríguez Seminario

    Martín Rodríguez Seminario (Spain, 1871 - 1961) - Fughetta en la bémol majeur. Larghetto. À Monsieur l’Abbé Joseph Joubert, organiste de la Cathédrale de Luçon (Maîtres contemporains de l’orgue, pièces inédites pour orgue ou harmonium, recueillies et publiées par l'Abbé Joseph Joubert, Volume 3. Paris: Senart, Roudanez & Cie., 1912).

    今日はスペイン、バスク地方の作曲家・オルガン奏者、マルティン・ロドリゲス生誕150年の誕生日です。今回はロドリゲス作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「フゲッタ 変イ長調」(ジョゼフ・ジュベール Joseph Joubert に献呈) を弾きました。楽譜はジョゼフ・ジュベール編纂「オルガンの現代の巨匠、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集」第3巻 (アルフォンス・マイイ Alphonse Mailly に献呈) に収録されています。

    1871年8月2日にパンプローナ (Pamplona / Iruña) で生まれたマルティン・ロドリゲスは、パンプローナの市立音楽学校 (Academia Municipal de Música de Pamplona. 現在のナバーラ音楽院 Conservatorio Superior de Música de Navarra) で学び、カリオン・デ・ロス・コンデス (Carrión de los Condes) とヒホン (Gijón) にあるイエズス会のコレジオで音楽教師となりました。教え子にルイス・ウルテアガ (Luís Urteaga, 1882 - 1960)、ルイス・イルアリサガ (Luis Iruarrizaga, 1891 - 1928) がいます。ベアサイン (Beasain) でオルガン奏者を務めたのち、1901年にコンクールの勝者となり、バルマセダ (Balmaseda) のサン・セベリノ教会 (Iglesia de San Severino) オルガン奏者に就任しました。1961年9月20日に90歳で亡くなりました。

    出典:

    • Joubert, Joseph (1912). “Martin RODRIGUEZ”. Notices biographiques et bibliographiques. Maîtres contemporains de l’orgue, pièces inédites pour orgue ou harmonium, Volume 3. Paris: Senart, Roudanez & Cie. Retrieved 2021-08-01.
    • Auñamendi Eusko Entziklopedia. Eusko Ikaskuntza. Retrieved 2021-08-01.

    2021-07-31

    100th Death Anniversary of Raoul Chassain

    Raoul Chassain de La Plasse (France, 1842 - 1921) - Versets de Magnificat pour orgue ou harmonium (F major). À Monsieur Joseph Vadon, organiste de Saint-Étienne de Roanne.

    今日はフランスの作曲家・歴史学者、ラウル・シャサン没後100年の命日です。今回はシャサン作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「マニフィカトのヴェルセ集 (唱句集) ヘ長調」を弾きました。曲集は6曲からなり、ロアンヌのサンテティエンヌ教会オルガン奏者であるジョゼフ・ヴァドンに献呈されています。

    ラウル・シャサンはロアンヌに生まれ、作曲家としてはピアノ曲や歌曲などの作品があり、歴史学者としてモンブリゾンに本部を置く歴史学と考古学の学会であるラ・ディアナ (La Diana) の会長を務めています。

    出典: Raoul Chassain de La Plasse (1842-1921). Data BNF. Bibliothèque nationale de France. Retrieved 2021-07-31.

    2021-07-22

    150th Birth Anniversary of Ákos Buttykay

    Ákos Buttykay (Romania/Hungary, 1871 - 1935) - Bölcsődal (Berceuse). Moderato molto teneramente ed espressivo (À Madame la baronne Edithe de Korányi).

    今日はハンガリーの作曲家・ピアノ奏者、ブティカイ・アーコシュ生誕150年の誕生日です。今回はブティカイ作曲「子守歌 イ長調」を弾きました。

    1871年7月22日にオーストリア=ハンガリー帝国ハンガリー王国のハルミ (Halmi. 現在のルーマニア領ハルメウ Halmeu) で生まれたブティカイ・アーコシュは、1885年からブダペストのハンガリー王立音楽院 (Országos Magyar Királyi Zeneakadémia. 1887年から1893年までハンガリー王立音楽演劇学院と改称) でトムカ・イシュトヴァーン (István Tomka, 1855 - 1923) とセーケイ・イムレ (Imre Székely, 1823 - 1887) にピアノを、ベンケー・ヘンリク (Henrik Benkő, 1858 - 1918) に作曲を師事し、1888年から1894年まで法律を学びながら、並行して音楽演劇学院でトマーン・イシュトヴァーン (István Thomán, 1862 - 1940) にピアノを、ヴィクトル・フォン・ヘルツフェルト (Victor von Herzfeld, 1856 - 1919) に師事しました。1894年にヴァイマルに移り、ベルンハルト・シュターフェンハーゲン (Bernhard Stavenhagen, 1862 - 1914) にピアノを師事しました。

    ベルリンなどで演奏家として活動したのち、1903年にブダペストに戻り、1923年まで母校の音楽院 (1919年に国立ハンガリー音楽大学と改称) でピアノ教師となりました。妻はオペラ歌手のコシャーリ・エミ (Kosáry Emmi, 1889 - 1964) で、彼女との娘に俳優のブティカイ・エミ (Buttykay Emmi, 1911 - 1957) がいます。1935年10月26日にデブレツェン (Debrecen) で亡くなりました。

    出典: Weissmann, John S. (2001). “Buttykay, Ákos”. Grove Music Online. Retrieved 2021-07-18.

    2021-06-29

    150th Death Anniversary of Kazimierz Lubomirski

    Kazimierz Lubomirski (Ukraine, 1813 - 1871) - Wspomnienie Warszawy. 2 Mazury na fortepian, Op. 46 (Warszawa: R. Friedlein, 1853. Dedicated to Amalie and Wilhelmine Neruda); No. 1. Mazur Hej Ha! (G major).

    今日はウクライナの作曲家カジミェシュ・ルボミルスキ没後150年の命日です。今回はルボミルスキ作曲「ワルシャワの思い出、ピアノのための2つのマズル Op. 46」(アマーリエ・ネルダとヴィルヘルミーネ・ネルダのネルダ姉妹に献呈) より第1曲「マズル・ヘイ・ハ! ト長調」を弾きました。

    カジミェシュ・ルボミルスキは、ロシア帝国ポドリスク県チェルネフツィー (現在のウクライナ領ヴィーンヌィツャ州チェルニウツィー) に生まれました。父のフリデリク・ルボミルスキ (Fryderyk Lubomirski, 1779 - 1848) はポーランド人貴族で、ロシア帝国ヴォルィーニ県副知事 (Вице-губернатор) などを務めました。カジミェシュはクレーヴァニ (Клевань) で学んだのち、クレメネツ中等学校 (Кременецкий лицей) で学び、ローフノ (リウネ) にあるルボミルスキ家の地所の楽団長であるシュミットベルク (J. Schmidberg) から音楽の手ほどきを受け、ザクセン王国の首都ドレスデンでフリードリヒ・ドッツァウアー (Friedrich Dotzauer, 1783 - 1860) に師事しました。1860年からローフノにある父フリデリクが設立した学校の学芸員を務め、1871年6月29日にオーストリア=ハンガリー帝国ガリツィア=ロドメリア王国レンベルク (リヴィウ) で亡くなりました。

    出典:



    2021-05-23

    150th Birth Anniversary of Sigurd Lie

    Sigurd Lie (Norway, 1871 - 1904) - 4 Pianostykker. Dedicated to Vilhelm Krag; No. 3. Vise (Lied). Semplice (F major).

    今日はノルウェーの作曲家・ヴァイオリン奏者、シーグル・リー生誕150年の誕生日です。今回はリー作曲「4つのピアノ小品」より第3曲「歌 ヘ長調」を弾きました。この小品集の楽譜の各曲には、被献呈者で友人でもある詩人ヴィルヘルム・クラーグ (Vilhelm Krag, 1871 - 1933) の「詩集 Digte 」(1894) からの抜粋が題辞として書かれていて、「歌」の題辞は「小さなヒシュテン Liden Kirsten 」の第3、第4行となっています。

    Liden Kirsten nynned en vise,
    imens hun sit brudelin vov.

    シーグル・リーは1871年5月23日にドランメン (Drammen) の学校 Drammen lærde skole の教師フレードリク・ギル・リー (Fredrik Gill Lie, 1833 - 1899) の子として同地 に生まれました。叔父に数学者のソーフス・リー (Sophus Lie, 1842 - 1899)、兄に裁判官のヨハン・ヘルマン・リー (Johan Herman Lie, 1869 - 1951) がいます。1873年に父がクリスチャンサン聖堂学校 (Kristiansand katedralskole) に雇われたことによりクリスチャンサンに移り、初めにクリスチャンサン大聖堂 (Kristiansand domkirke) オルガン奏者で聖堂学校声楽教師のフェルディナント・アウグスト・ローヤーン (Ferdinand August Rojahn, 1822 - 1900) にヴァイオリンと音楽理論を学びました。クリスチャニア (現在のオスロ) のリンデマン音楽オルガニスト学校 (Lindemans Musik- og Organistskolen. 後のオスロ音楽院 Musikkonservatoriet i Oslo) でグドブラン・ボーン (Gudbrand Bøhn, 1839 - 1906) にヴァイオリンを、イーヴェル・ホルテル (Iver Holter, 1850 - 1941) に音楽理論と作曲を師事し、同地の劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者を務めました。1891年にドイツのライプツィヒに移り、2年半の間、ライプツィヒ音楽院でカール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) とヴィルヘルム・ルスト (Wilhelm Rust, 1822 - 1892) に音楽理論と作曲を、アルノ・ヒルフ (Arno Hilf, 1858 - 1909) にヴァイオリンを師事しました。1892年には初出版作「ヴィルヘルム・クラーグのテクストによる6つの歌曲 6 Sange til tekster av Vilhelm Krag 」を発表しました。1893年から1894年にかけての冬に一旦帰国しましたが、ライプツィヒで作曲したピアノ五重奏曲が1894年にクリスチャニアで演奏されると、その好評もあって自治体の奨学金を得てベルリンに留学しました。ベルリンでは1894年から1895年までハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban, 1837 - 1901) に作曲を師事しました。

    1895年にはベルゲンの音楽協会ハルモニエン (Musikselskabet Harmonien) にコンサートマスターとして招かれ、翌年には同地の別の音楽協会 Musikforeningen の指揮者として活動しました。1897年には自作のテノール独唱と男声合唱と管弦楽のための Erling Skjalgsøn を指揮しました。1898年から1899年にかけての冬期にクリスチャニアにある俳優ヨハン・ファールストロム (Johan Fahlstrøm, 1867 - 1938) の中央劇場 (Centralteatret) の指揮者を務めました。1899年10月には自作の演奏会を開き、再び奨学金を得て1902年までベルリンに留学しました。1901年には未完成の自作の交響曲イ短調の第3楽章までを指揮しました。1902年に結核のために健康を害し、1903年までの冬を療養所で過ごしました。療養所で交響曲を書き上げるためにかつての師ホルテルに助力を請い、同年2月にホルテルが交響曲の全曲を初演しました。その年のうちに回復して10月にはグードルン・ボートケル=ネス (Gudrun Bødtker-Næss, 1879 - 1923) と結婚し、1904年春にはクリスチャニアの商業者合唱団 (Handelsstandens Sangforening) 指揮者 (オラウス・アンドレアス・グロンダール(Olaus Andreas Grøndahl, 1847 - 1923) の後任) として北部ノルウェーの演奏旅行を行いましたが、秋の演奏会後に倒れ、同年9月30日にアケル (現在のオスロ市ヴェストルアケル区 Vestre Aker) にて33歳で亡くなりました。

    出典:

    • Grove Music Online. Retrieved 2021-05-21.
    • Michelsen, Kari (2009-02-13). “Sigurd Lie”. Norsk biografisk leksikon. Store norske leksikon. Retrieved 2021-05-21.

    2021-05-19

    150th Birth Anniversary of Ernest Moret

    Ernest Moret (Alsace/France, 1871 - 1949) - 10 Mazurkas pour piano; No. 1. Rêveusement sans lenteur (G major). à Madame Schlumberger-Gaudiot.

    今日はエルザス (アルザス) 出身のフランスの作曲家・ヴァイオリン奏者、エルネスト・モレ生誕150年の誕生日です。今回はモレ作曲「ピアノのための10のマズルカ」より第1番 ト長調を弾きました。

    1871年5月19日にドイツ帝国エルザス=ロートリンゲンのヴァイトブルッフ (Weitbruch) で生まれたエルネスト・モレは、パリ音楽院で学び、1885年にヴァイオリンで一等賞を取得しました。生まれた国はドイツ帝国ということになりますが、普仏戦争 (1870-1871) 以前のエルザスはフランス帝国領でした。1871年5月10日に締結されたフランクフルト講和条約によって、エルザス=ロートリンゲン (アルザス=ロレーヌ) はフランス共和国からドイツに割譲されています。

    父は音楽家のヴィクトル・モレ (Victor Moret) のようです。ヴィクトル・モレ編曲の「ハイドンのオーストリア讃歌 Hymne Autrichien d'Haydn, Op. 71 」(Mainz: Schott, 1882) の献辞に「我が息子エルネストに (à mon fils Ernest)」とあります。

    出典: Pierre, Constant (1900). “Moret (Victor-Ernest)”. Le Conservatoire national de musique et de declamation : documents historiques et administratifs. 2. Paris: Imprimerie nationale. page 817.