2021-05-23

150th Birth Anniversary of Sigurd Lie

Sigurd Lie (Norway, 1871 - 1904) - 4 Pianostykker. Dedicated to Vilhelm Krag; No. 3. Vise (Lied). Semplice (F major).

今日はノルウェーの作曲家・ヴァイオリン奏者、シーグル・リー生誕150年の誕生日です。今回はリー作曲「4つのピアノ小品」より第3曲「歌 ヘ長調」を弾きました。この小品集の楽譜の各曲には、被献呈者で友人でもある詩人ヴィルヘルム・クラーグ (Vilhelm Krag, 1871 - 1933) の「詩集 Digte 」(1894) からの抜粋が題辞として書かれていて、「歌」の題辞は「小さなヒシュテン Liden Kirsten 」の第3、第4行となっています。

Liden Kirsten nynned en vise,
imens hun sit brudelin vov.

シーグル・リーは1871年5月23日にドランメン (Drammen) の学校 Drammen lærde skole の教師フレードリク・ギル・リー (Fredrik Gill Lie, 1833 - 1899) の子として同地 に生まれました。叔父に数学者のソーフス・リー (Sophus Lie, 1842 - 1899)、兄に裁判官のヨハン・ヘルマン・リー (Johan Herman Lie, 1869 - 1951) がいます。1873年に父がクリスチャンサン聖堂学校 (Kristiansand katedralskole) に雇われたことによりクリスチャンサンに移り、初めにクリスチャンサン大聖堂 (Kristiansand domkirke) オルガン奏者で聖堂学校声楽教師のフェルディナント・アウグスト・ローヤーン (Ferdinand August Rojahn, 1822 - 1900) にヴァイオリンと音楽理論を学びました。クリスチャニア (現在のオスロ) のリンデマン音楽オルガニスト学校 (Lindemans Musik- og Organistskolen. 後のオスロ音楽院 Musikkonservatoriet i Oslo) でグドブラン・ボーン (Gudbrand Bøhn, 1839 - 1906) にヴァイオリンを、イーヴェル・ホルテル (Iver Holter, 1850 - 1941) に音楽理論と作曲を師事し、同地の劇場管弦楽団のヴァイオリン奏者を務めました。1891年にドイツのライプツィヒに移り、2年半の間、ライプツィヒ音楽院カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910) とヴィルヘルム・ルスト (Wilhelm Rust, 1822 - 1892) に音楽理論と作曲を、アルノ・ヒルフ (Arno Hilf, 1858 - 1909) にヴァイオリンを師事しました。1892年には初出版作「ヴィルヘルム・クラーグのテクストによる6つの歌曲 6 Sange til tekster av Vilhelm Krag 」を発表しました。1893年から1894年にかけての冬に一旦帰国しましたが、ライプツィヒで作曲したピアノ五重奏曲が1894年にクリスチャニアで演奏されると、その好評もあって自治体の奨学金を得てベルリンに留学しました。ベルリンでは1894年から1895年までハインリヒ・ウルバン (Heinrich Urban, 1837 - 1901) に作曲を師事しました。

1895年にはベルゲンの音楽協会ハルモニエン (Musikselskabet Harmonien) にコンサートマスターとして招かれ、翌年には同地の別の音楽協会 Musikforeningen の指揮者として活動しました。1897年には自作のテノール独唱と男声合唱と管弦楽のための Erling Skjalgsøn を指揮しました。1898年から1899年にかけての冬期にクリスチャニアにある俳優ヨハン・ファールストロム (Johan Fahlstrøm, 1867 - 1938) の中央劇場 (Centralteatret) の指揮者を務めました。1899年10月には自作の演奏会を開き、再び奨学金を得て1902年までベルリンに留学しました。1901年には未完成の自作の交響曲イ短調の第3楽章までを指揮しました。1902年に結核のために健康を害し、1903年までの冬を療養所で過ごしました。療養所で交響曲を書き上げるためにかつての師ホルテルに助力を請い、同年2月にホルテルが交響曲の全曲を初演しました。その年のうちに回復して10月にはグードルン・ボートケル=ネス (Gudrun Bødtker-Næss, 1879 - 1923) と結婚し、1904年春にはクリスチャニアの商業者合唱団 (Handelsstandens Sangforening) 指揮者 (オラウス・アンドレアス・グロンダール(Olaus Andreas Grøndahl, 1847 - 1923) の後任) として北部ノルウェーの演奏旅行を行いましたが、秋の演奏会後に倒れ、同年9月30日にアケル (現在のオスロ市ヴェストルアケル区 Vestre Aker) にて33歳で亡くなりました。

出典:

  • Grove Music Online. Retrieved 2021-05-21.
  • Michelsen, Kari (2009-02-13). “Sigurd Lie”. Norsk biografisk leksikon. Store norske leksikon. Retrieved 2021-05-21.

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