Hermann Johann Berens (Sweden, 1826 - 1880) - 3 Albumblad komponerade för piano, Op. 97 (Stockholm: Abraham Hirsch, 1878). Till vännen Albert Lindstrand; No. 2. Andante espressivo (F minor).
今日はドイツ出身のスウェーデンの作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、ヘルマン・ベーレンス (1世) 生誕200年の誕生日です。今回はベーレンス作曲「ピアノのための3つのアルバムの綴り Op. 97」より第2番 ヘ短調を弾きました。曲集はベーレンスの友人でピアノ奏者のアルベルト・リンドストランド (Albert Lindstrand, 1835 - 1907) に献呈されています。
ヘルマン・ベーレンスは1826年4月7日に自由ハンザ都市ハンブルクで、軍楽監督・フルート奏者・作曲家のカール・ベーレンス (Carl Berens, 1801 - 1857) の子として生まれました。父からピアノの手ほどきを受けたのち、ヴァイオリンとティンパニを学び、2年間ザクセン王国ドレスデンのカール・ゴットリープ・ライシガー (Carl Gottlieb Reissiger, 1798 - 1859) に作曲法を師事しました。『ベイカー音楽家人名辞典』第3版によるとカール・チェルニー (Carl Czerny, 1791 - 1857) にも師事しています (Baker 1919)。1845年にアルト歌手のマリエッタ・アルボーニ (Marietta Alboni, 1823 - 1894) のチェコ、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、オーストリアをめぐる演奏旅行に伴奏者として同行しました。1847年にスウェーデンに移り、ハンブルクのピアノ五重奏団のピアノ奏者としてストックホルムでデビューしました。 1849年にエレブルー (Örebro) のライフ連隊フサール (Livregementets husarer) 音楽監督に就任。1848年よりヨーハン・ローベルト・ウルリク・ブラウネル中尉 (Johan Robert Ulrik Brauner) の3人の娘の音楽家庭教師をしており、その長姉マティルダ (Hedvig Matilda Berens, född Brauner, 1829 - 1887) と1853年に結婚しました。1860年の秋にストックホルムに戻り、小劇場 (Mindre teatern) 音楽監督に就任し、スウェーデン王立音楽アカデミー教育部門 (現在のストックホルム音楽大学) の対位法、作曲法、楽器法の教師 (1868年に正教授に就任) も務めました。1880年5月9日にストックホルムで、満54歳で亡くなりました。 子に作曲家・歌手・ピアノ奏者・指揮者となったヘルマン・ベーレンス2世 (Herman Berens den yngre, 1862 - 1928) がいます。
出典:
- Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-04-06.
- Åhlén, Carl-Gunnar (2014). “Hermann Berens d.ä.”.
- Reese, Anne (2015). “Herman Berens d.y.”.
- Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1919). “Hermann Berens”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (3rd edition). New York: G. Schirmer. page 76.
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