2018-04-28

150th Birth Anniversary of Joel Engel

Joel Engel (Юлий Дмитриевич (Йоэль) Энгель, Ukraine, 1868 - 1927) - Sommer-Skizzen, 6 Leichte Stücke für Klavier [Летние наброски, 6 Нетрудных пьес для фортепиано], Op. 19; No. 2. Hebräischer Tanz [Еврейский танец (народная мелодия)]

今日はウクライナ出身の作曲家・批評家、ヨエル・エンゲル (ユーリー・エンゲリ) 生誕150年の誕生日です。今回はエンゲル作曲「夏の素描集、6つの易しいピアノ小品 Op. 19」より第2曲「ヘブライ舞曲 ハ短調」を弾きました。この曲集は作曲者の娘であるヴェラ (Vera Engel-Dobrushna ; Вера Юльевна Энгель-Добрушина, born ca.1898) とアダ (Ada Engel-Roginskaya ; Ада Юльевна Энгель-Рогинская, 1901 - 1970) に献呈されています。

ロシア帝国のアゾフ海沿岸にあるベルジャーンシクに生まれたヨエル・エンゲルは、帝立ハリコフ大学 (Императорский Харьковский университет, 1890年卒業) で法学を学んだのちにモスクワ音楽院 (1897年卒業) でセルゲイ・タネーエフ (Sergey Taneyev, 1856 - 1915) とミハイル・イッポリトフ=イヴァノフ (Mikhail Ippolitov-Ivanov, 1859 - 1935) に作曲を師事しました。音楽院在学中の1893年より音楽批評を初め、卒業後の1897年から1918年までモスクワの日刊新聞「ロシア報知」(Русские ведомости) で批評家として活動しました。批評家を続けるかたわら民謡の蒐集に励み、ユダヤ音楽についての研究をしつつ自作の楽曲にもそれらの旋律を取り入れました。1908年にはペテルブルクで「ユダヤ民俗音楽協会」(Общество еврейской народной музыки) を設立します。晩年の1922年にはベルリンに、1924年にはパレスチナのテルアビブに移住し、同地で亡くなりました。代表作にシュロイメ・アン=スキー (Shloyme An-sky, 1863 - 1920) の戯曲「ディブック - 二つの世界のはざまで」への舞台音楽があり、その音楽による組曲 Op. 35 が出版されています。

出典: Музыкальная энциклопедия ; 黒田晴之「シャガールの描いた楽士はどんな音楽を演奏したか (2) - あるいはロシア革命前後のユダヤ人が展開した音楽について」(言語文化研究 = Studies in language and literature 27(2), 67-101, 2008-03-01)

2018-04-22

150th Birth Anniversary of Knut Bäck

Knut Bäck (Sweden, 1868 - 1953) - Lyriska Melodier och Studier, Smärre Pianostycken, Op. 7; No. 13. I forkviseton (Like a Folk-song) (F minor)

今日はスウェーデンの作曲家クヌート・ベック生誕150年の誕生日です。今回はベック作曲「抒情的な旋律集と練習曲集 Op. 7」(全14曲) より第13曲「民謡風に ヘ短調」を弾きました。使用した楽譜 Album of Scandinavian Piano Music (New York: Schirmer, 1902) ではこの曲を第14曲としていますが、これは間違いのようです。

ストックホルムに生まれたクヌート・ベックは、同地で1885年から1891年にかけてリカルド・アンデション (Richard Andersson, 1851 - 1918) にピアノを、エミル・シェーグレン (Emil Sjögren, 1853 - 1918) に和声法と作曲を、ユーハン・リンドグレーン (Johan Lindegren, 1842 - 1908) に対位法を、 アンドレアス・ハレーン (Andreas Hallén, 1846 - 1925) に管弦楽法を師事しました。1891年から1894年までベルリンでカール・ハインリヒ・バルト (Karl Heinrich Barth, 1847 - 1922) にピアノを、マックス・ブルッフ (Max Bruch, 1838 - 1920) に作曲を師事しました。1896年よりイェーテボリでピアノ教師・音楽批評家として活動しました。

出典: Svenskt Biografiskt Lexikon

2018-03-26

100th Death Anniversary of César Cui

César Antonovich Cui (Цезарь Антонович Кюи, Russia, 1835 - 1918) - 4 Morceaux pour le piano, Op. 22 (À Mr. Théodore Lechetizky); No. 2. Bagatelle italienne. Allegro (B flat major)

今日はロシアの作曲家・批評家・陸軍士官、ツェーザリ・キュイ没後100年の命日です。今回はキュイ作曲「4つのピアノ小品 Op. 22」(テオドル・レシェティツキ Theodor Leschetizky に献呈) より第2曲「イタリア風バガテル」を弾きました。

キュイといえばロシア五人組 (Могучая кучка 力強い集団) の一人としてよく知られていますが、作曲家としてそれほど多作でないにもかかわらず演奏機会に恵まれない作品が多くあるようです。ボリス・アサフィエフは「19世紀初頭以降のロシア音楽 Русская музыка от начала XIX столетия」(1930) でキュイのピアノ小品 (Opp. 14, 20, 22, 39) を高く評価していて、この「イタリア風バガテル」については以下のように批評しています。

キュイのすぐれた室内楽曲は、小品 (ミニアチュール) 様式で書かれている。すなわち次のような曲がある。……作品22番の4つのピアノ曲 (Quatre morceaux) の中ですぐれているのも、小品風の "Bagatelle italienne" (『イタリア的小曲』) である。(アサフィエフ, 樹下節訳「ロシヤの音楽 下」, 208頁)

2018-03-20

200th Death Anniversary of Johann Nikolaus Forkel

Johann Nikolaus Forkel (Germany, 1749 - 1818) - 6 Klaviersonaten [1. Sammlung] dem Herrn Jungschulz von Roebern und Herrn Wichers in Danzig zum freundschaftlichen denkmal gewidmet (1778); Sonata V (F major); II. Andante (D minor)

今日はドイツの作曲家・オルガン奏者・音楽理論家・音楽史家、ヨハン・ニコラウス・フォルケル没後200年の命日です。今回はフォルケル作曲「6つのクラヴィーアソナタ 第1集」よりソナタ第5番ヘ長調の第2楽章ニ短調を弾きました。

コーブルク近郊のメーダーで生まれたヨハン・ニコラウス・フォルケルの幼少期から青年期については詳しく分かっていないようですが、地元のカントルであったヨハン・ハインリヒ・シュルテジウス (d. 1755)、ヨハン・ニコラウス・シュルテジウス父子 (ヨハン・パウル・シュルテジウス Johann Paul Schulthesius の祖父と父) について音楽を学んだと考えられています。ゲッティンゲン大学で法律と音楽を学んで以降はゲッティンゲンで活動しました。著作家としては Allgemeine Geschichte der Musik (一般音楽史, 1788/1801)、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの伝記としては最初のものである Ueber Johann Sebastian Bachs Leben, Kunst und Kunstwerke (ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯、芸術、作品について, 1802) がよく知られています。

2018-03-08

150th Birth Anniversary of Georges Guiraud

Georges Dominique Jacques Guiraud (France, 1868 - 1928) - Très haulte et très noble dame! Pièce pour le piano. Grave (Mouvement de Sarabande) (F major). (Très respectueusement dédié à Madame la Duchesse d'Uzès, Douairière [Anne de Rochechouart de Mortemart, 1847 - 1933]) (Paris: L'illustration, 1899. Supplément au no. 2936)

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者・チェロ奏者、ジョルジュ・ギロー生誕150年の誕生日です。今回はギロー作曲のピアノ小品「まことに高くまことに貴き婦人!」を弾きました。曲名の婦人は被献呈者であるユゼス公爵未亡人、アンヌ・ド・ロシュシュアール・ド・モルトマールのことを指すのでしょう。アンヌは12代ユゼス公爵であった夫エマニュエル・ド・クリュソル・デュゼス (Emmanuel de Crussol d'Uzès) と1878年に死別しています。

トゥールーズのサンセルナン教会 (Basilique Saint-Sernin de Toulouse) でオルガン奏者を務めるオメル・ギロー (Omer Guiraud, 1847 - 1912) の子としてトゥールーズに生まれたジョルジュ・ギローは、トゥールーズ音楽院 (Conservatoire de Toulouse) においてチェロで一等を受賞し、パリ音楽院ではシャルル=マリー・ヴィドール (Charles-Marie Widor)、セザール・フランク (César Franck)、ジュール・マスネ (Jules Massenet) に師事しました。父オメルが1912年に亡くなるとトゥールーズに戻り、トゥールーズ音楽院の和声法教授、サンセルナン教会オルガン奏者を務めました。

2018-03-06

Robert Leonard - Abendfrieden, Op. 153

Robert Leonard - Abendfrieden. Andante con espressione, Op. 153 (A flat major)

ローベルト・レオナルト作曲「夕べの憩い 変イ長調 Op. 153」を弾きました。生誕150年ということで記念に選んだのですが、よく調べてみると作曲者の生没年についての信頼できる出典を確認できず、その他の経歴も不明でした。

2018-02-05

50th Death Anniversary of Vladimir Ziring

Vladimir Aleksandrovich Ziring (Владимир Александрович Зиринг ; Wladimir Siering, Ukraine/Russia, 1880 - 1968) - 3 Morceaux pour piano, Op. 9; No. 3. Pastorale (Свирель ; Svirel) in D major

今日はウクライナ出身のロシアの作曲家・ピアノ奏者、ヴラディーミル・ジーリング没後50年の命日です。今回はジーリング作曲「3つの小品 Op. 9」より第3曲「パストラル (スヴィレーリ) ニ長調」を弾きました。この3つの小品は「ゆりかごのそばで ヘ長調」、「東洋風舞曲 ニ短調」、そしてこの「パストラル」からなる曲集です。楽譜にはそれぞれにフランス語とロシア語の題が書かれていて、ロシア語題ではロシアの伝統的な縦笛であるスヴィレーリ (Svirel) となっています。牧者が吹くスヴィレーリを描写した曲ということでしょうか。

タヴリダ県ゲニチェスク (現在のヘルソン州ヘニチェシク) に生まれたヴラディーミル・ジーリングは、モスクワ音楽院ヴァシーリー・サフォーノフ (Vasily Safonov, 1852 - 1918) にピアノを師事し、1899年に音楽院を卒業しました。1907年から1908年にかけてボリショイ劇場で伴奏ピアノ奏者をしたほか、主にモスクワにある音楽学校でピアノ教師を務めました。作品にはピアノ曲、ピアノを伴う室内楽曲や歌曲があります。

出典: Большая биографическая энциклопедия, 2009

2018-01-03

Johann Nepomuk Rieger - Fugue from Exercices Op.49

Johann Nepomuk Rieger (Jean-Népomucène Rieger, Germany, 1787 - 1828) - Exercices en forme de préludes, Op. 49 (Dédié à Monsieur W. Willams Hope); Fugue. Alegro moderato in D major

ドイツ出身の作曲家・ピアノ奏者、ヨハン・ネポムク・リーガー (ジャン・ネポミュセーヌ・リーゲル) 作曲「前奏曲集の形式によるエグゼルシス集 Op. 49」より終曲のフーガ ニ長調を弾きました。初歩のエグゼルシス、音階、3つの前奏曲、8つのエグゼルシス、1つのフーガからなる曲集です。

ベルリンに生まれたヨハン・ネポムク・リーガーは、1811年にパリに移住し、41歳となった1828年にパリで亡くなりました。

出典: Fétis, François-Joseph (1837). Biographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musiqueBiographie universelle des musiciens et bibliographie générale de la musique, vol. 7. Bruxelles: Meline, Cans et Compagnie. page 426.

2017-12-20

150th Birth Anniversary of Fini Henriques

Fini Henriques (Denmark, 1867 - 1940) - Erotik, Klaverstykker, Op. 15 (1896); No. 1. Mélodie. Andantino (F major)

今日はデンマークの作曲家・ヴァイオリン奏者、フィニ・ヘンレゲス生誕150年の誕生日です。今回はヘンレゲス作曲「愛の歌、ピアノ小品集 Op. 15」(全5曲) より第1曲「メロディ ヘ長調」を弾きました。姓についてはデンマーク語の発音ではヘンレゲスに近い発音になるようですが、日本語ではヘンリクスの表記が広まっています。

フレゼレクスベア (Frederiksberg) に生まれたフィニ・ヘンレゲスは、コペンハーゲンでヴァルデマ・トフテ (Valdemar Tofte, 1832 - 1907) とヨハン・スヴェンセン (Johan Svendsen, 1840 - 1911) に、1888年から1891年にかけてベルリンでヨーゼフ・ヨアヒム (Joseph Joachim, 1831 - 1907)とヴォルデマル・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) に師事しました。その後はコペンハーゲンで活動しています。

同時代のコペンハーゲンには同姓のローバート・マーティン・ヘンレゲス (Robert Martin Henriques, 1858 - 1914) という作曲家がいます。以前にローバート・ヘンレゲス没後100年の記念に彼の「瞑想、新市庁舎の塔の鐘の動機 H-A-G-E による前奏曲 Méditation, prélude sur H. A. G. E.」の演奏動画を投稿しました。

2017-12-18

150th Birth Anniversary of Samuil Maykapar

Samuil Maykapar (Самуил Моисеевич Майкапар ; Самуїл Мойсейович Майкапар, Ukraine, 1867 - 1938) - Pensées fugitives. Suite de six Esquisses pour piano, Op. 11 (Leipzig: Zimmermann, 1912); No. 6. Cantabile (B major).

今日はウクライナ出身の作曲家サムイル・マイカパル生誕150年の誕生日です。今回はマイカパル作曲「束の間の思い、6つのエスキスからなる組曲 Op. 11」より第6曲を弾きました。終曲となる第6曲はロ長調の曲ですが、終結部で第1曲 Allegretto grazioso イ長調を回想してその調のまま終わります。

ヘルソンに生まれたサムイル・マイカパルは、タガンログガエターノ・モッラ (Gaetano Molla, 1845 - 1894) に師事したのち、1885年にペテルブルク大学法学部とペテルブルク音楽院に進学しました。大学法学部は1891年に卒業し、音楽院ではベニアミーノ・チェージ (Beniamino Cesi, 1845 - 1907) とヴラディーミル・デミャンスキー (Vladimir Demyansky, 1846 - 1915) とヨーゼフ・ヴァイス (Josef Weiss, 1864 - 1945) にピアノを、ニコライ・ソロヴィヨーフ (Nikolay Solovyov, 1846 - 1916) に作曲を師事し、1893年にピアノ科を、1894年に作曲科を卒業しました。その後はヨーロッパ各地でピアノ奏者として演奏会を開きながら、1898年までヴィーンのテオドル・レシェティツキ (Theodor Leschetizky, 1830 - 1915) にピアノを師事し、1903年以降はモスクワを活動拠点としました。1910年には母校のペテルブルク音楽院 (1924年にレニングラード音楽院に改称) でピアノ教師となり、1917年から1930年まで教授を務めました。

追記: 「I.ヴェイス (И. Вейс)」を特定し、ヨーゼフ・ヴァイスとしました (2023-05-15)。