2024-03-26

150th Birth Anniversary of Oskar Nedbal

Oskar Nedbal (Czech, 1874 - 1930) - Aus vergangener Zeit. Kleine Suite für Klavier, Op. 13 (D major. Berlin: N. Simrock, 1897); I. Praeludium. Moderato (D major).

今日はチェコ出身の作曲家・ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者・指揮者、オスカル・ネドバル生誕150年の誕生日です。今回はネドバル作曲「過ぎ去った時代より、ピアノのための小組曲 ニ長調 Op. 13」より第1楽章「前奏曲 ニ長調」を弾きました。

オスカル・ネドバルは、1874年3月26日にオーストリア=ハンガリー帝国ボヘミア王国ターボル (Tábor) で、弁護士の子としてドイツ語話者の家庭に生まれました。ターボルで聖歌隊長のエンドレル (Endler) に学んだのち、ギムナジウムを卒業する前の1885年にプラハ音楽院に入学。音楽院ではフィリプ・ブラーハ (Filip Bláha, 1841 - 1911) にトランペットと打楽器を、アントニーン・ベネヴィツ (Antonín Bennewitz, 1833 - 1926) にヴァイオリンを、カレル・クニットル (Karel Knittl, 1853 - 1907)、カレル・ステッケル (Karel Stecker, 1861 - 1918) に音楽理論を、アントニーン・ドヴォジャーク (Antonín Dvořák, 1841 - 1904) に作曲法を師事し、1892年に卒業しました。

音楽院在学中の1891年末に、第1ヴァイオリン奏者のカレル・ホフマン (Karel Hoffmann, 1872 - 1936)、第2ヴァイオリン奏者のヨゼフ・スク (Josef Suk, 1874 - 1935)、チェロ奏者のオット・ベルゲル (Otto Berger, 1873 - 1897) とともに、ヴィオラ奏者としてチェコ弦楽四重奏団 (České kvarteto) を結成し、1906年まで同団で活動しヨーロッパ各地を演奏旅行で巡りました。このうちホフマン、スク、ネドバルはいずれもベネヴィツの教え子であり、スクは楽団のピアノを担当することもありました。ベルゲルは1894年に退団し、ベルゲルの師であったハヌシュ・ヴィハン (Hanuš Wihan, 1855 - 1920) がチェロ奏者を引き継ぎました。ネドバルの退団後はイジー・ヘロルド (Jiří Herold, 1875 - 1934) がヴィオラ奏者を引き継ぎました。

1896年11月24日から1906年までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を務め、1902年には英国での公演を指揮しました。また、指揮者としてヨーロッパ各地のオーケストラを客演しました。1902年にバレエ「怠け者ホンザの物語 Pohádka o Honzovi 」を上演。1906年にヴィーンに移住。1907年にはヴィーン音楽家管弦楽団 (Wiener Tonkünstler-Orchester) を設立し、指揮者を務めました。第一次世界大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊してチェコスロバキア共和国が成立するとプラハに戻り、1920年から1921年までシャク・フィルハーモニー管弦楽団 (Šaková filharmonie) の指揮者を務めました。その後、プラハにおいて中傷により親オーストリアであるとの悪評が立ち同地での音楽活動が困難となったためブラチスラヴァに移り、スロバキア音楽界の先導者となりました。新設されたスロバキア国立劇場 (Slovenské národné divadlo) のオペラ部門の監督、コメンスキー大学と音楽アカデミーの音楽教師を務めました。1930年12月24日 (56歳) に指揮者として訪れていたユーゴスラビア王国ザグレブ (現在のクロアチアの首都) にあるクロアチア国立劇場 (Hrvatsko narodno kazalište) の窓から投身自殺しました。

甥に指揮者のカレル・ネドバル (Karel Nedbal, 1888 - 1864) がいます。

出典:

  • Glanz, Christian (2004/2016). “Nedbal, Oskar”. MGG Online. Retrieved 2023-03-25.
  • Grove Music Online. Retrieved 2023-03-25.

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