2024-03-12

150th Birth Anniversary of Edmund Eysler

Edmund Eysler (Austria, 1874 - 1949) - Freut euch des Lebens. Marsch. Flottes Marschtempo (C major. Wien: Sirius, 1931).

今日はオーストリアの作曲家・ピアノ奏者・音楽教師、エドムント・アイスラー生誕150年の誕生日です。今回はアイスラー作曲「人生を楽しめ、行進曲 ハ長調」を弾きました。

エドムント・アイスラーは1874年3月12日にオーストリア=ハンガリー帝国エンス川下オーストリア大公国ヘルナルス (Hernals. 現在のヴィーン市ヘルナルス区) で、ユダヤ人商人ベルンハルト・アイスラー (Bernhard Eisler) の子、ザーロモン・アイスラー (Salomon Eisler) として生まれました。6歳からピアノを学び始め、1882年からアントン・シュヴァープ (Anton Schwab) に、次いでテレーゼ・フライシュマン (Therese Fleischmann) にピアノを学びました。1889年に後の作曲家レオ・ファル (Leo Fall, 1873 - 1925) と知り合い、すぐに親友となりました。ヴィーン楽友協会音楽院に入学し、1890年から1892年までアントン・ドーア (Anton Door, 1833 - 1919) にピアノを、ローベルト・フックス (Robert Fuchs, 1847 - 1927) に和声法と対位法を師事し、1892年からヨハン・ネポムク・フックス (Johann Nepomuk Fuchs, 1842 - 1899) に、1894年から1895年までローベルト・フックスに作曲法を師事し、1895年に卒業しました。

音楽院卒業後、文学芸術協会 (Literarisch-künstlerischer Verein) の個人音楽教授・ピアノ伴奏者を務めました。1897年に子守女中のレオポルディーネ・マリー・アルノッホ (Leopoldine Marie Allnoch, 1874 - 1959) と結婚し、ユダヤ教から離教。1898年にローマ・カトリックに改宗し、ザーロモン (Salomon) からエドムント (Edmund) に改名しました。1901年から劇場付きの娯楽施設「ヴィーンのヴェネツィア Venedig in Wien 」と「ウンターブレットル Unterbrettl 」のピアノ奏者・劇場付作曲家を務めました。1903年にアン・デア・ヴィーン劇場で上演したオペレッタ「シュトラウビンガー兄弟 Bruder Straubinger 」が成功を収めました。このとき音楽監督ヴィルヘルム・カルツァグ (Wilhelm Karczag, 1857 - 1923) の提案により自身の姓アイスラーの綴りを Eisler から Eysler に変更し、1909年に公式に改姓しました。1927年にはアン・デア・ヴィーン劇場で代表作となるオペレッタ「金の女親方 Die gold’ne Meisterin 」を上演。オペレッタの人気作曲家となりましたが、1938年にアンシュルスによってオーストリアがナチス・ドイツの統治下となると、ユダヤ人であるアイスラーの作品も演奏禁止となったため、再びピアノ教師として生計を立てました。ユダヤ人でありながらも第二次世界大戦を生き延び、1949年10月4日にヴィーンで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

  • Grove Music Online. Retrieved 2024-03-11.
  • Linhardt, Marion (2001/2016). “Eysler, Edmund”. MGG Online. Retrieved 2024-03-11.
  • Oesterreichisches Musiklexikon online. Retrieved 2024-03-11.

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