2024-03-31

100th Death Anniversary of Constantin Sternberg

Constantin Ivanovich Edler von Sternberg (Константин Иванович фон Штернберг, Russia/USA, 1852 - 1924) - Kleine Charakterstücke für Pianoforte (Leipzig: Fritz Schuberth jr., 1888); No. 5. Adagio (F major).

今日はロシア出身の米国の作曲家・ピアノ奏者・指揮者・音楽教師、コンスタンチン・フォン・シテルンベルク (コンスタンティン・スターンバーグ) 没後100年の命日です。今回はシテルンベルク作曲「性格的小品集」(全8曲) より第5曲 ヘ長調を弾きました。先んじて米国ニューヨークで出版された「10の性格的ソナティナ集 10 Characteristic Sonatinas 」(New York: J. O. von Prochaźka, 1885) のうち内容を確認できる第1曲、第3曲、第7曲と、性格的小品集の共通する番号のものが同一曲であり、性格的小品集が性格的ソナテイナ集からの抜粋の曲集である可能性があります。

コンスタンチン・フォン・シテルンベルクは1852年7月21日 (ユリウス暦7月9日) にロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで生まれました。ドイツに移り、1865年から1867年までライプツィヒ音楽院イグナーツ・モシェレス (Ignaz Moscheles, 1794 - 1870)、テオドール・コチウス (Theodor Coccius, 1824 - 1897)、カール・ライネッケ (Carl Reinecke, 1824 - 1910)、フランツ・ブレンデル (Franz Brendel, 1811 - 1868)、エルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879)、モーリッツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, 1811 - 1868)、フェルディナント・ダーヴィト (Ferdinand David, 1810 - 1873) に、ドレスデンフリードリヒ・ヴィーク (Friedrich Wieck, 1785 - 1873) に師事しました。

1867年から1869年までライプツィヒのブリュール劇場 (Brühl Theater) 指揮者とライプツィヒ市立劇場合唱副指揮者を、1870年にヴュルツブルク市立劇場指揮者とキッシンゲン夏期劇場指揮者を、1870年にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公国宮廷オペラ指揮者を務めました。

1872年から1874年までベルリン新音楽アカデミー (Neue Akademie der Tonkunst) でテオドール・クラク (Theodor Kullak, 1818 - 1882)、リヒャルト・ヴュルスト (Richard Wüerst, 1824 - 1881)、ハインリヒ・ドルン (Heinrich Dorn, 1804 - 1892) に師事し、フランツ・リスト (Franz Liszt, 1811 - 1886) からも夏の短期間ピアノの指導を受けました。

1875年にピアノ奏者としてデビュー。1875年から1877年までメクレンブルク=シュヴェリーン大公国宮廷ピアノ奏者と音楽学校校長を務めました。1877年から1879年までドイツを、1879年から1880年までヨーロッパ各地、ロシア、エジプト、アナトリア、中央アジアをソプラノ歌手のデジレ・アルトー (Désirée Artôt, 1835 - 1907) と演奏旅行で巡りました。

1880年10月7日にニューヨークにおいて米国デビュー。1880年から1881年までヴァイオリン奏者のアウグスト・ヴィルヘルミ (August Wilhelmj, 1845 - 1908) と、1882年から1884年まで歌手のミニー・ホーク (Minnie Hauk, 1851 - 1929) と、1884年から1885年までコルネット奏者のジュール・レヴィ (Jules Levy, 1838 - 1903) とそれぞれ演奏旅行で米国を巡りました。

1886年にジョージア州アトランタの女子アカデミー (Female Academy) 音楽学部長に就任し、1888年にアトランタのリヒャルト・ヴァーグナー祭 (Richard Wagner Festival) を主催。1890年にペンシルベニア州フィラデルフィアに移り、スターンバーグ音楽学校 (Sternberg School of Music) を設立。 1924年3月31日にフィラデルフィアで亡くなるまで同校の校長を務めました。

作曲家としては、6曲のピアノ三重奏曲、ヴァイオリンのためのコサック舞曲集 (Op. 13)、チェロのための幻想曲 (Op. 18)、ピアノのためのサロン用作品、4つの演奏会用練習曲、8つの歌曲などを書いています。著書に「ピアノ演奏の倫理と美学 Ethics and Aesthetics of Piano Playing 」(New York: G. Schirmer, 1917)、「テンポ・ルバートとその他のエッセイ集 Tempo Rubato and Other Essays 」(New York, Boston: G. Schirmer, ca. 1920) があります。また、シャーマー (G. Schirmer) 社などの楽譜編集者としても活動しました。

教え子に以下の人物がいます。

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