Friedrich Wieck (Germany, 1785 - 1873) - Pianoforte-Studien, herausgegeben von Marie Wieck (Leipzig & Berlin: C. F. Peters, 1875); 1. Abschnitt, No. 65. Studie (D flat major).
今日はドイツの音楽教師・作曲家・音楽著述家・楽器商・興行師、フリードリヒ・ヴィーク没後150年の命日です。今回はヴィーク作曲「ピアノフォルテ練習曲集」第1部より練習曲第65番 変ニ長調を弾きました。この練習曲集はヴィークの死後に、彼の娘の一人、マリー・ヴィーク (Marie Wieck, 1832 - 1916) による校訂で出版されました。
フリードリヒ・ヴィークは1785年8月18日に神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領のプレッチュ (Pretzsch. 現在はバート・シュミーデベルク Bad Schmiedeberg の一部) で、貧しい商人の子として生まれました。1800年から1804年までトルガウのギムナジウムに通い、この頃にヨハン・ペーター・ミルヒマイヤー (Johann Peter Milchmeyer, 1750 - 1813) から無償でピアノのレッスンを受けました。1804年から1808年までヴィッテンベルクで神学を学び、その後はテューリンゲンとザクセンで家庭教師として働き、ヨアヒム・ハインリヒ・カンペ (Joachim Heinrich Campe, 1746 - 1818)、アウグスト・ヘルマン・ニーマイヤー (August Hermann Niemeyer, 1754 - 1828) の著作を読んで教育法を習得しました。
クリスティアン・アドルフ・ゼッケンドルフ (Christian Adolph von Seckendorff, 1767 - 1833) 男爵邸での家庭教師の同僚であるピアノ教師アドルフ・バルギール (Adolf Bargiel, 1783 - 1841) と親しくなったことを契機に1813年か1814年にライプツィヒでピアノ教師として活動を始め、ヨハン・ベルンハルト・ロギーア (Johann Bernhard Logier, 1777 - 1846) のメソッドを基に技術練習と音楽理論の指導を組み合わせた独自の指導法を築きました。1817年にゲオルク・クリスティアン・ゴットホルト・トロムリッツ (Georg Christian Gotthold Tromlitz, 1765 - 1825) の娘であるピアノ奏者・歌手のマリアーネ・トロムリッツ (Mariane Tromlitz, 1797 - 1872) と結婚し、彼女との間にはクララ (Clara Wieck, 1819 - 1896)、アルヴィン (Alwin Wieck, 1821 - 1885) を含む5人の子が生まれました。1818年には妻マリアーネとともに楽器販売 (1840年まで) と音楽貸本 (1835年まで) の事業を始めました。1824年にマリアーネと離婚。マリアーネは離婚の数ヶ月後に前述のアドルフ・バルギールと再婚し、作曲家ヴォルデマール・バルギール (Woldemar Bargiel, 1828 - 1897) の母となります。1828年にヴィークは2番目の妻となるクレメンティーネ・フェヒナー (Clementine Fechner) と再婚し、彼女との間にはマリーを含む3人の子が生まれました。1839年から1840年にかけて、結婚を望む娘クララ、教え子ローベルト・シューマン (Robert Schumann, 1810 - 1856) と、それに反対するヴィークとの間で裁判となりました。結果はヴィークの敗訴となり、二人の結婚は認められることになりました。1840年にドレスデンに移住。ピアノ教師としての活動のほか、音楽批評の執筆や、同地の楽器製作者である甥ヴィルヘルム・ヴィーク (Wilhelm Wieck) の楽器販売に協力することもありました。1873年10月6日にドレスデン近郊のロシュヴィッツ (Loschwitz) で亡くなりました。
教え子に以下の人物がいます。
- ローベルト・シューマン (Robert Schumann, 1810 - 1856)
- フランツ・ブレンデル (Franz Brendel, 1811 - 1868)
- クララ・ヴィーク=シューマン (Clara Wieck-Schumann, 1819 - 1896)
- グスタフ・アドルフ・ハインツェ (Gustav Adolph Heinze, 1820 - 1904)
- アルヴィン・ヴィーク (Alwin Wieck, 1821 - 1885)
- グスタフ・アドルフ・メルケル (Gustav Adolf Merkel, 1827 - 1885)
- カール・フィルチュ (Carl Filtsch, 1830 - 1845)
- カール・アルグスト・リツィウス (Carl August Riccius, 1830 - 1893)
- ハンス・フォン・ビューロー (Hans von Bülow, 1830 - 1894)
- マリー・ヴィーク (Marie Wieck, 1832 - 1916)
- フリードリヒ・ライヒェル (Friedrich Reichel, 1833 - 1889)
- アントン・クラウゼ (Anton Krause, 1834 - 1907)
- ルートヴィヒ・シュノル・フォン・カロルスフェルト (Ludwig Schnorr von Carolsfeld, 1836 - 1865)
- ベルンハルト・ロルフス (Bernhard Rollfuss, 1837 - 1904)
- イージドール・ザイス (Isidor Seiss, 1840 - 1905)
- コンスタンチン・シテルンベルク (Constantin Sternberg, 1852 -1924)
出典:
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- Grey, Thomas S. (2001). “Brendel, (Karl) Franz”.
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- Bokum, Jan ten (2001). “Heinze, Gustav Adolph”.
- Bergunder, Karl-Ernst; Weyer, Martin (2001). “Merkel, Gustav Adolf”.
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- Luther, Einhard (2005/2016). “Schnorr von Carolsfeld, Ludwig, GESCHICHTE”.
- Eitner, Robert (1897). “Wieck, Friedrich”. Allgemeine Deutsche Biographie. 42. pages 373-375.
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- 杉山 真佑美 (2015) 「フリードリヒ・ヴィークの音楽教育法 : その革新性とクララへの影響」『学習院大学ドイツ文学会研究論集』(19). pages 33-48.
- 杉山 真佑美 (2017) 「フリードリヒ・ヴィークの音楽教育法 : 〈啓蒙〉の二面性に着目して」『学習院大学ドイツ文学会研究論集』(21). pages 123-147.
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