Maurice Blazy (France, 1873 - 1933) - 3 Préludes pour orgue ou harmonium; No. 1. Andante (A minor). À Mademoiselle Jeanne Montjovet.
フランスの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、モーリス・ブラジ生誕150年ということで、ブラジ作曲、オルガンまたはハルモニウムのための「3つの前奏曲」より第1番 イ短調を弾きました。曲集の楽譜は「オルガンの同時代の大家、オルガンまたはハルモニウムのための未発表小品集 Maîtres contemporains de l’orgue. Pièces inédites pour orgue ou harmonium 」第4巻 (Paris: Senart, Roudanez & Cie., 1914) の35-38頁に収録されています。
モーリス・ブラジは1873年9月16日にフランス共和国セーヌ県シャティヨン (Châtillon) で生まれました。幼少期に視力を失い、国立パリ青少年盲学校 (Institution Nationale des Jeunes Aveugles de Paris) で、ジュリアン・エリ (Julien Héry) にソルフェージュと和声法を、ジャック・ブレ (Jacques Brès) にヴァイオリンを、ヴィクトル・ポール (Victor Paul) にピアノと和声法を、アドルフ・マルティ (Adolphe Marty, 1865 - 1942) にオルガンと対位法とフーガと作曲法を師事しました。同校では学友のルイ・ヴィエルヌ (Louis Vierne, 1870 - 1937) からも助言やレッスンを受けました。
盲学校卒業後、1894年または1895年に母校である同校のピアノ教師 (ヴィクトル・ポールの後任) となり、サン=メダール教会 (Église Saint-Médard de Paris) オルガン奏者を経て、1901年にパリのサン=ピエール・ド・モンルージュ教会 (Église Saint-Pierre de Montrouge) オルガン奏者に就任しました。1908年に視覚障害者支援組織であるヴァランタン・アユイ協会 (Association Valentin Haüy) 理事に就任。また、同協会の点字楽譜図書館の責任者を務め、点字印刷機の開発に取り組みました。 雑誌「ル・ヴァランタン・アユイ Le Valentin Haüy 」の音楽批評の執筆や、雑誌「ラ・ルヴュ・ブライユ La revue braille 」の編集者としても活動しました。1933年12月21日の昼過ぎにヴァランタン・アユイ協会の近くの歩道にいたところを後退する貨物自動車に轢かれ、病院に搬送されたのちに自身の希望でパリの自宅に戻り、その日のうちに亡くなりました。
盲学校での教え子にジャン・ラングレー (Jean Langlais, 1907 - 1991) がおり、ラングレーはブラジの死後の1934年に後任としてサン=ピエール・ド・モンルージュ教会オルガン奏者を引き継ぎました。
出典:
- Geoffroy, Olivier (2018). “Maurice Blazy (1873-1933) organiste et ami de Louis Vierne”. Musica et Memoria. Retrieved 2023-09-17.
- Le Valentin Haüy. 1933 No. 4. Paris: Association Valentin Haüy.
- Perouze, G. “A la mémoire de M. Blazy”. pages. 75-76.
- Vierne, Louis. “Le professeur et l'artiste”. 76-77.
- Landormy, Paul. “Hommage de la Presse”. pages. 77-78.
- “Maurice Blazy (1873-1933)”. Bnf Data. Bibliothèque nationale de France. Retrieved 2023-09-17.
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