2023-12-19

200th Death Anniversary of Nicolas-Joseph Hüllmandel

Nicolas-Joseph Hüllmandel (Alsece/France, 1756 - 1823) - 3 Sonates pour le piano forte ou le clavecin avec accompagnement d'un violon ad libitum, Op. 10 (1788); Sonata No. 3 (G minor); II. Tempo di Minuetto (G minor).

今日はアルザス出身のフランスの作曲家・クラヴサン奏者・ピアノ奏者・グラスハーモニカ奏者・音楽教師、ニコラ=ジョゼフ・ヒュルマンデル (ユルマンデル) 没後200年の命日です。今回はヒュルマンデル作曲「任意のヴァイオリン伴奏つきのピアノフォルテまたはクラヴサンのための3つのソナタ Op. 10」の「ソナタ第3番 ト短調」より第2楽章「メヌエットのテンポで ト短調」を弾きました。

ニコラ=ジョゼフ・ヒュルマンデルは、1756年5月23日にストラスブール大聖堂のヴァイオリン奏者ミシェル・ヒュルマンデル (Michel Hüllmandel) とマリ=アンヌ・ディール (Marie-Anne Diel) の婚外子としてフランス王国アルザス地方ストラスブール (Strasbourg) で生まれました (ストラスブール教区記録簿に Joannes Nicolaus の名で記載)。ニコラ=ジョゼフの義理の母 (父ミシェルの妻) にあたるマリ=アンヌ (Marie-Anne Hüllmandel) は、ヴァイオリン奏者・ホルン奏者のジャン=ジョゼフ・ロドルフ (Jean-Joseph Rodolphe, 1730 - 1812) の姉妹でした。

ヒュルマンデルが帝国自由都市ハンブルクに滞在していたとする史料はありませんが、1808年にパリでヒュルマンデルに会ったフランソワ=ジョゼフ・フェティス (François-Joseph Fétis, 1784 - 1871) の証言によると、ヒュルマンデルがハンブルク在住のカール・フィーリプ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 - 1788) に学んでいたとされます。

ヒュルマンデルは1770年代前半に英国の首都ロンドンで駐英フランス大使アドリアン・ルイ・ド・ボニエール (Adrien Louis de Bonnières, 1735 - 1806) に仕え、1771年から1773年にかけてロンドンで少なくとも6度の公開演奏会に出演してピアノ奏者として協奏曲などを弾きました。「任意のヴァイオリン伴奏を伴うクラヴサンまたはピアノフォルテのための6つのソナタ 6 Sonates, Op. 1」(当時の王太子妃マリー・アントワネット (Marie Antoinette, 1755 - 1793) に献呈) の出版のために、1773年から1774年にかけてパリに滞在していたと考えられています。1775年のイタリア旅行ののち、1776年頃にパリに定住しました。

パリでは程なく貴族の集うサークルで成功を収め、「クラヴサンまたはピアノフォルテのための小アリア 第1集 (6つのディヴェルティスマン) 1er recueil de petits airs (6 Divertissements), Op. 2」をタレーラン男爵夫人ルイーズ・フィデル・デュラン・ド・サントゥジェーヌ=モンティニ (Louise-Fidèle Durand de Saint Eugène-Montigny, b. 1751) に、「クラヴサンまたはピアノフォルテのための3つのソナタ 3 Sonates, Op. 4」をロンドン時代の主であるギネス公アドリアン・ルイ・ド・ボニエールに献呈しました。画家のエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン (Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755 - 1842) と経済学者・著述家のアンドレ・モレレ (André Morellet, 1727 - 1819) の回想録には、ヒュルマンデルが彼らの催すサロンにしばしば参加したことが書かれており、とりわけ彼の優れたグラスハーモニカ演奏が賞讃されています。

1789年にフランス革命が勃発すると、ヒュルマンデルは妻のカミーユ・オロール (Camille Aurore Hüllmandel née Ducazan) を伴ってロンドンに亡命し、当地で演奏家・教師として活動しました。亡命後、作曲家としては「音楽の原理 Principles of Music, chiefly calculated for the Piano Forte or Harpsichord with Progressive Lessons, Op. 12」を除いてオリジナル作品を残しておらず、公開演奏をすることもありませんでした。1823年12月19日にロンドンで亡くなりました。フランス国立中央文書館パリ公証人記録中央保存所にあるヒュルマンデルの死亡診断書にはジョゼフ・ニコラ Joseph Nicolas の名で72歳で死亡したと書かれているため、これを典拠に生年を1851年としている文献もあります。

子にシャルル・ジョゼフ・ヒュルマンデル (Charles Joseph Hullmandel, 1789 - 1850) とエヴェリーナ・ヒュルマンデル (Evelina Adelaide Charlotte Hullmandel, d. 1839) がいます。シャルル・ジョゼフはリトグラフ技術の発展に寄与した石版画家となり、石版印刷による楽譜出版も手がけました。エヴェリーナは音楽教師となってピアノ編曲「魔弾の射手カドリーユ集 A Set of Quadrilles from Der Freischütz 」(1825)、音楽学習用カードゲーム「音楽の思い出、あるいは子供たちのための新年の贈り物 Musical Souvenir, or a New Year's Gift for Children 」(1827)、ピアノ曲「マリブランの思い出、ディヴェルティメント Souvenirs de Malibran. A Divertimento for the Piano-forte 」(1829) を出版し、1827年に植物水彩画家のヴァレンタイン・バーソロミュー (Valentine Bartholomew, 1799 - 1879) と結婚しました。

教え子に以下の人物がいます。このうちヴィクトワール・グノーは作曲家シャルル・グノー (Charles Gounod, 1818 - 1893) の母として知られています。

出典:

on ad libitum, Op. 10; Sonata No. 3 (G minor); II. Tempo di Minuetto (G minor).

0 件のコメント:

コメントを投稿