Richard Barth (Germany, 1850 - 1923) - 5 Klavierstücke, Op. 13 (Leipzig: Breitkopf und Härtel, 1896); No. 4. Ein Gedenkblatt (Commémoration, Commemoration). Leicht bewegt, frei vorzutragen (A flat major).
今日はドイツの作曲家・ヴァイオリン奏者・指揮者、リヒャルト・バルト没後100年の命日です。今回はバルト作曲「5つのピアノ小品 Op. 13」より第4曲「思い出の一葉 変イ長調」を弾きました。
リヒャルト・バルトは1850年6月5日にプロイセン王国ザクセン州グロース・ヴァンツレーベン (Groß Wanzleben. 現在のヴァンツレーベン=ベルデ Wanzleben-Börde) で、磁器絵付師・磁器工場主のヨハン・ローレンツ・バルト (Johann Lorenz Barth, 1822 - 1887) とアウグステ・テレーゼ・バルト (Auguste Therese Barth) の子として生まれました。
1856年からマクデブルクのコンツェルトマイスターであるフランツ・ベック (Franz Beck) に、1863年から1867年までハノーファーでヨーゼフ・ヨアヒム (Joseph Joachim, 1831 - 1907) にヴァイオリンを師事しました。幼少期の事故のために、右手で押弦し左手で運弓するという、通常とは左右の役割を入れ替えた奏法の演奏家となりました。1867年にユリウス・オットー・グリム (Julius Otto Grimm, 1827 - 1903) によりミュンスターに招かれ、1882年にはクレーフェルト、次いでマールブルクと、ドイツ各地で弦楽四重奏団の第一奏者や管弦楽団の指揮者に招聘されました。マールブルクでは1887年から1894年までフィーリプ大学マールブルクの音楽監督 (Musikdirektor) も務め、ヨハネス・ブラームス (Johannes Brahms, 1833 - 1897) とその友人らによるサークルに参加しました。
1895年に、ユリウス・フォン・ベルヌート (Julius von Bernuth, 1830 - 1902) の後任としてハンブルク・フィルハーモニカー (Philharmoniker Hamburg) とハンブルク・ジングアカデミー (Hamburger Singakademie) の音楽監督に就任。1904年に「ヨハネス・ブラームスとその音楽 Johannes Brahms und seine Musik」(Hamburg: Otto Meißners Verlag, 1904) を出版。1908年にハンブルクのクレーア音楽院 (Klaer'sches Konservatorium in Hamburg-Blankenese. 現在のハンブルク音楽院) 院長に就任。同じく1908年にフィーリプ大学マールブルクより名誉博士号 (Doctor philosophiae honoris causa) を授与されました。1913年までハンブルク教員合唱団 (Hamburger Lehrer-Gesangverein) を率いてしばしば演奏旅行をしました。1923年12月25日にマクデブルクで亡くなりました。
出典:
- Bollert, Werner (1953). “Barth, Richard”. Neue Deutsche Biographie 1. page 606.
- Jones, Gaynor G.; Fifield, Christopher (2001). “Barth, Richard”. Grove Music Online. Retrieved 2023-12-23.
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