T. Stropdorea, pseudonym of Pere Astort i Ribas (Pedro Astort Ribas. Spain/Catalonia, 1872 - 1925) - Les petits pierrots. 5 Danses faciles pour piano; No. 2. Coquette. Habanera (F major).
スペイン・カタルーニャの作曲家・ピアノ奏者であるペラ・アストルト (ペドロ・アストルト) 作曲「小さなピエロたち、ピアノのための5つの易しい舞曲」より第2曲「コケット、ハバネラ ヘ長調」を弾きました。楽譜はT・ストロプドレア (T. Stropdorea) という変名で出版されています。ほかにも英語風のクリフトン・ワーズリー (Clifton Worsley) という変名でも知られています。当初は生誕150年の記念にと思い選曲したのですが、後述するように1873年9月24日生まれ (Farré) ではなく出生登録簿に基づく1872年9月24日生まれが正しいようです。
ペラ・アストルトは1872年9月24日にスペイン王国カタルーニャ州バルセロナで生まれました (バルセロナ市出生登録簿 «Registre naixements. Any 1872. Registre núm.4586». arxiu municipal contemporani de barcelona. 1872-09-24)。バルセロナのラ・メルセ教会 (Basílica de la Mercè) の聖歌隊学校で音楽を学び、それからピアノを学びました。音楽出版者・楽譜商のラファエル・グアルディア (Rafael Guardia i Granell) の店舗カン・グアルディア (Can Guardia. 後にカザ・ベートーヴェン Casa Beethoven と改称) で働き、1895年にグアルディアの義理の姉妹であるメルセ・グレザ (Mercè Gresa) と結婚しました。
1899年、アストルトはクリフトン・ワーズリーの名義で「ボストン・ワルツ Boston-Waltz」(To Charles Test Dalton. Barcelona: Rafael Guardia) を出版しました。この出版に関しては次のような逸話が残されてます。ボストン・ワルツの出版の前のこと、米国の音楽家チャールズ・ダントン (Charles Danton) がカン・グアルディアを訪れたときに店員のアストルトがピアノを弾いていて、それを聴いたダントンが「ボストンで流行していたワルツのように聞こえる」と言い、アストルトに米国風の名を名乗るよう勧めたということです。被献呈者とダントンの名が似ていますが、これは同一人物でダントン (Danton) はダルトン (Dalton) の誤りなのかもしれません。
作曲家としてはピアノのための数多くの舞曲のほか、歌曲、オペレッタを作曲しています。1925年3月13日にバルセロナで亡くなりました。
出典: Farré, Martí. “The enigma of Clifton Worsley, pioneer of jazz in Barcelona”. Barcelona Metròpolis. Retrieved 2023-12-27.
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