2020-04-19

150th Death Anniversary of Camille Stamaty

Camille Stamaty (1811 - 1870) - Chant et mécanisme; Deuxième livre. 20 Études de moyenne difficulté, Op. 38; No. 17. Confidence. Andantino (B flat major)

今日はフランスの作曲家・ピアノ奏者・ピアノ教師、カミーユ・スタマティ没後150年の命日です。今回はスタマティ作曲「歌とメカニスム」第2巻「中難度の20の練習曲 Op. 38」より第17曲「打ち明け話 変ロ長調」を弾きました。

カミーユ・スタマティはチヴィタヴェッキアに勤めるフランス領事の父コンスタンタン・スタマティ (Constantin Stamaty) とアマチュア歌手の母ナニーヌ (Nanine Surdun) の子として、フランス帝国領となっていたローマに生まれました。父はギリシャ系であり、ギリシャ語での父の名はコンスタンティノス・スタマティス (Κωνσταντίνος Σταμάτης) となります。1818年に父が亡くなると母子はフランスに戻りました。スタマティはパリでアレクサンドル・フェシ (Alexandre Fessy, 1804 - 1856) にピアノを師事する一方で文学を学び、1828年にセーヌ県の職員となりました。1830年頃にフリードリヒ・カルクブレンナー (Friedrich Kalkbrenner, 1785 - 1849) に演奏を認められて彼に師事すると、ほどなく作曲家を志すようになりました。1832年から1833年までパリ音楽院でアントニーン・レイハ (Anton Reicha, 1770 - 1836) に対位法を学びました。1835年3月15日にサル・プレイエル (Salle Pleyel) でピアノ奏者として初めて公開演奏をしました。このときに自作のピアノ協奏曲 (おそらくOp. 2) と変奏曲 (おそらく自作主題による Op. 3)、カルクブレンナー作曲「2台のピアノのための大二重奏曲 ニ長調 Op. 128」(カルクブレンナーとの共演) を演奏しています。1836年9月にライプツィヒで短期間フェーリクス・メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn, 1809 - 1847) に作曲を師事し、1837年の初めにパリに戻りました。1862年にレジオンドヌール勲章 (シュヴァリエ Chevalier) を受章しました。ピアノの教え子にルイス・モロー・ゴットシャルク (Louis Moreau Gottschalk, 1829 - 1869)、カミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921)、ルイーズ・ヘーネル・デ・クローネンタール (Louise Haenel de Cronenthall, 1835 - 1896) がいます。

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