2020-03-07

200th Birth Anniversary of Gustav Graben-Hoffmann

Gustav Graben-Hoffmann (Poland/Germany, 1820 - 1900) - Musikalisches Stimmungsbildchen. Andantino (G major) (Neue Musik-Zeitung. Stuttgart/Leipzig: Carl Grüninger, 1889).

今日はポズナン大公国出身のドイツの作曲家・歌手・音楽教師、グスタフ・グラーベン=ホフマン (グスタフ・ホフマン) 生誕200年の誕生日です。今回はグラーベン=ホフマン作曲「音楽の小情景画 ト長調」を弾きました。楽譜は1889年に「新音楽新聞 Neue Musik Zeitung 」に掲載されたものを使いました。

ブニン (現在のポーランド領クルニクの一部) に生まれたグスタフ・ホフマンは、父に音楽の手ほどきを受けたのち、ポーゼン (ポズナン) の市民学校 (Bürgerschule) とブロンベルク (ビドゴシチ) の師範学校 (Lehrerseminar) で学んで音楽教師となりました。シュビンで教師を務めたのち、1840年からポーゼンの都市学校 (Stadtschule) に移り、そのポーゼンの学校が地溝 (Graben) にあったことでグラーベン=ホフマンという変名を使うようになりました。1843年にベルリンで歌と作曲を学び、1847年に出版した歌曲「五十万の悪魔 Fünfmalhunderttausend Teufel, Op. 5」(エドゥアルト・マリア・エティンガー Eduard Maria Oettinger (1807 – 1872) 詞. Berlin: Schlesinger) は広く知られるようになりました。1844年までにベルリン・ジングアカデミーに所属する独唱歌手となりましたが、1848年に病気のためにコンサート歌手の活動を断念しました。以後は歌唱教師・作曲家として活動し、1850年にポツダムに女子音楽アカデミー (Musikakademie für Damen) を設立しました。シュタイアーマルクザクセンで活動しながら領主のリヒャルト・クレメンス・シェーンブルク=ヒンターグラウハウ伯爵 (Richard Clemens von Schönburg-Hinterglauchau, 1829 - 1900) の援助を受け、ライプツィヒでは1857年までモーリッツ・ハウプトマン (Moritz Hauptmann, 1792 - 1868) に作曲を師事しました。その後はドレスデン (1858-1868)、シュヴェリーン (1868-1869)、ベルリン (1869年以降)、ドレスデン (1873年以降)、ポツダム (1885年以降) を拠点としました。1870年にベルリンに女子歌唱アカデミー (Gesangsakademie für Damen) を設立しています。

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