2026-02-26

100th Death Anniversary of Peter Erasmus Lange-Müller

Peter Erasmus Lange-Müller (Denmark, 1850 - 1926) - Danse for Klaver (København: Nordisk Musik-Forlag, 1916); No. 2. Allegretto quasi Andantino (F minor).

今日はデンマークの作曲家・指揮者、ピーダ・イラスムス・ランゲ=ミュラ没後100年の命日です。今回はランゲ=ミュラ作曲「ピアノのための舞曲集」(全8曲) より第2番 へ短調を弾きました。曲集には献辞として「我が娘たちのために Til mine Døttre 」とあり、彼の3人の娘、イアメリーン (Irmelin Glahn, f. Lange-Müller, 1895 - 1876)、ミレーデ (Merete Ben Hannine, f. Lange-Müller, 1896 - 1965)、ヴィーベケ (Vibeke Lange-Müller, 1898 - 1982) に献呈されています。

ピーダ・イラスムス・ランゲ=ミュラは1850年12月1日にデンマーク王国の首都コペンハーゲンに隣接するフレズレクスベア (Frederiksberg) で、オト・フレズレク・ミュラ (Otto Frederik Müller, 1807 - 1882) とシャロデ・ソフィーイ・ランゲ (Charlotte Sophie Lange, 1818 - 1859) の子として、裕福で音楽を愛好する家庭に生まれました。

父のオト・フレズレク・ミュラは裁判官であり、1860年から1878年までデンマーク最高裁判所判事を務めました。父方の祖父のピーダ・イラスムス・ミュラ (Peter Erasmus Müller, 1776 - 1834) は歴史家・言語学者・デンマーク国教会聖職者であり、1830年から亡くなるまでシェラン教区の司教を務めました。母方の祖父のミケール・ランゲ (Michael Lange, 1788 - 1856) は裁判官・政治家であり、1846年から亡くなるまでコペンハーゲン市長 (Overpræsident i København) を務めました。父方の叔父に画家のエーダム・アウゴスト・ミュラ (Adam August Müller, 1811 - 1844) がおり、父方の祖母ルイーセ・アウゴスタ・ミュラ、旧姓ストゥプ (Louise Augusta Müller, f. Stub, 1778 - 1805) に連なる親族として、大叔父 (父方の祖母の弟) に画家のクレスチャン・ゴトリプ・クラツェンスタイン=ストゥプ (Christian Gottlieb Kratzenstein-Stub, 1783 - 1816)、高祖父 (父方の祖母の母方の祖父) に医師・物理学者のクリスティアン・クラッツェンシュタイン (Christian Kratzenstein, 1723 - 1795) がいます。

幼少期にゴトフレズ・マティーソン=ハンスン (Gottfred Matthison-Hansen, 1832 - 1909) にピアノを師事。1870年にコペンハーゲン大学 (政治学専攻) に、1871年1月に王立デンマーク音楽院に入学してエドムン・ネウペット (Edmund Neupert, 1842 - 1888) にピアノを学び始めたものの、健康を害したために間もなく学業を断念し、同年12月に音楽院を退学。生涯を通じて絶え間ない頭痛に悩まされたために、音楽活動や人間関係に支障を来していたようです。一時期は庭師としての訓練を受けていました。1874年のコペンハーゲンの演奏会協会 (Koncertforeningen) の設立に関わり、同会で1879年から1883年まで指揮者を務めました。1892年に元在香港デンマーク領事フレズレク・ホーセンス・ブロク (Frederik Horsens Block, 1816 - 1892) の養女ルト・ブロク (Ruth Lange-Müller, f. Møller, 1866 - 1921) と結婚。結婚後は妻の養母が所有していた (彼女の死後に相続)、シェラン島北部のハースホルム (Hørsholm) のロングステズ地区 (Rungsted) にある邸宅ソフィーンベア城 (Sophienberg Slot) を夏季の住居として使っていました。作曲家としては1874年出版の『インゲマンの「シュラミテとソロモン」に基づく5つの歌曲 5 Sange af B. S. Ingemanns "Sulamith og Salomon", Op. 1』でデビュー。数多くある歌曲や合唱曲などの声楽曲で特に評価されており、そのほかにオペラ、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲などを残しています。器楽では「ピアノ三重奏曲 Op. 53」が傑作として知られています。1926年2月26日にコペンハーゲンで亡くなりました。

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