Johan August Söderman (Sweden, 1832 - 1876) - Fantasier à la Almqvist för piano (Stockholm: Elkan & Schildknecht); No. 6. Andakt. Moderato (D minor).
今日はスウェーデンの作曲家・指揮者、ヨハン・アウグスト・セーデルマン没後150年の命日です。今回はセーデルマン作曲「ピアノのためのアルムクヴィスト風幻想曲集」(全8曲、1868年作曲) より第6曲「礼拝 二短調」を弾きました。曲集に付けられた「アルムクヴィスト風」についての詳細は分かりませんでしたが、スウェーデンの著作家であるカール・ヨーナス・ローヴェ・アルムクヴィスト (Carl Jonas Love Almqvist, 1793 - 1866) のことを指すのでしょう。
アウグスト・セーデルマンは1832年7月17日にスウェーデン=ノルウェー連合王国のストックホルムで、同地の劇場の音楽監督を務めていた作曲家・編曲家のヨハン・ヴィルヘルム・セーデルマン (Johan Wilhelm Söderman, 1808 - 1858) の子として生まれました。1847年から1850年までスウェーデン王立音楽アカデミーで、エーリク・ドラーケ (Erik Drake, 1788 - 1870) に和声法を、ヤン・ヴァン・ボーム (Jan van Boom, 1807 - 1872) にピアノを師事しました。そのほかにヴァイオリンとオーボエを独習し、管弦楽団で演奏することもありました。
1851年の秋に、俳優兼劇団主宰者のエドヴァルド・シェルンストロム (Edvard Stjernström, 1816 - 1877) に劇団の音楽監督として雇われました。1852年から1853年にかけて劇団のフィンランド巡業に、同年秋の帰国後にはストックホルム、ノーショーピング、ヨーテボリでの巡業に随伴し、1854年に新たに劇団の拠点となったストックホルムの小劇場 (Mindre teatern) で引き続き音楽監督として活動しました。シェルンストロムから1年間の休職許可を得て、異母弟のフリッツ・セーデルマン (Fritz Söderman, 1838 - 1883) とともに1856年の夏から1857年の夏にかけてザクセン王国のライプツィヒに渡り、エルンスト・フリードリヒ・リヒター (Ernst Friedrich Richter, 1808 - 1879) に対位法を師事しました。帰国後にシェルンストロムの劇団に復職。1860年7月には王立歌劇場宮廷指揮者ルードヴィグ・ノールマン (Ludvig Norman, 1831 - 1885) の下で合唱指揮者に就任し (1862年秋から1868年春まで副指揮者を兼任)、同職を亡くなる直前まで務めました。1869年の春にジェニー・リンド奨学金 (Jenny Lind-stipendiet) を得て、同年の夏から1870年の秋にかけてコペンハーゲン、ハンブルク、ベルリン、ハノーファー、ドレスデン、プラハ、ヴィーンなどを遊学しました。1876年2月10日にストックホルムで、43歳で亡くなりました。
出典:
- Dale, Kathleen; Helmer, Axel (2001). “Söderman, (Johan) August”. Grove Music Online. Retrieved 2026-02-09.
- Levande musikarv. Kungliga Musikaliska Akademien. Retrieved 2026-02-09.
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