2024-06-12

150th Birth Anniversary of Willem Landré

Willem Landré (Guillaume Louis Frédéric Landré, Netherlands, 1874 - 1948) - Wiegelied. Rustig (D minor).

今日はオランダの作曲家・音楽著述家・音楽教師、ウィレム・ランドレ生誕150年の誕生日です。今回はランドレ作曲、ハルモニウムまたはオルガンのための「子守歌 ニ短調」を弾きました。楽譜はハルモニウムまたはオルガンのための曲集 Edelsteenen. Verzameling Oorspronkelijke Werken van Nederlandsche Componisten voor harmonium of orgel. Band II. Werken van W. Landre (Rotterdam: Joh. de Heer) に第3曲として収録されています。

ウィレム・ランドレは1874年6月12日にオランダ王国アムステルダム (Amsterdam) で生まれました。生地でベルナルト・ズヴェールス (Bernard Zweers, 1854 - 1924) に師事。学生時代に自作のオペラ「デカマの薔薇 De Roos van Dekama 」をハールレムで2度上演。学業を終えてハールレムに移り、1899年にハールレムの新聞 Opregte Haarlemsche Courant の音楽批評家、1901年にデン・ハーグの新聞 Nieuwe Courant の音楽編集者、1905年 (または1906年) から1937年までロッテルダムの新聞 Nieuwe Rotterdamsche Courant の音楽編集者となりました。また、ロッテルダム音楽院で音楽理論、作曲法、音楽史の教師を務めました。1948年1月1日にアイントホーフェン (Eindhoven) で亡くなりました。

子に作曲家のギヨーム・ランドレ (Guillaume Landré, 1905 - 1968) がいます。

出典:

  • Flothuis, Marius (2001). “Landré, Guillaume”. Grove Music Online. Retrieved 2024-06-12.
  • Slonimsky, Nicolas, ed. (1958). “Landré, Willem”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (5th edition). New York: G. Schirmer. page 906.
  • Willem Landré”. Onze Musici (3rd edition). 1923. Rotterdam: Nijgh & Van Ditmar. page 106.

2024-06-11

100th Death Anniversary of Théodore Dubois

François-Clément-Théodore Dubois (France, 1837 - 1924) - À l'aventure. 12 Pièces brèves pour piano (Paris: Henri Heugel, 1918); No. 10. Petit prélude sérieux. Moderato (C minor).

今日はフランスの作曲家・オルガン奏者・音楽教師、テオドール・デュボワ没後100年の命日です。今回はデュボワ作曲「気の向くままに、ピアノのための12の小品」より第10曲「厳格な小前奏曲 ハ短調」を弾きました。

テオドール・デュボワは1837年8月24日にフランス共和国マルヌ県ロネ (Rosnay) で、父は籠職人、祖父は小学校教師という音楽とは縁遠い家庭に生まれました。ランス・ノートルダム大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Reims) 聖歌隊指揮者ルイ・ファナール (Louis Fanart) の下でピアノを学んで楽才を示すと、ロネ市長ウジェーヌ・ブルイユ (Eugène de Breuil) によりパリ音楽院の教授陣に引き合わされ、1854年の音楽院入学の際には通学のための下宿をブルイユから用意されました。パリ音楽院ではアントワーヌ=フランソワ・マルモンテル (Antoine-François Marmontel, 1816 - 1898) にピアノを、フランソワ・ブノワ (François Benoist, 1794 - 1878) にオルガンを、フランソワ・バザン (François Bazin, 1816 - 1878) に和声法を、アンブロワーズ・トマ (Ambroise Thomas, 1811 - 1896) にフーガと対位法を師事し、1856年に和声法で、1857年にフーガと対位法で、1859年にオルガンでそれぞれ一等賞を獲得し卒業。音楽院在学中の1855年からサン・ルイ・デザンヴァリッド大聖堂 (Cathédrale Saint-Louis-des-Invalides) オルガン奏者、1858年からサント・クロチルド聖堂 (Basilique Sainte-Clotilde et Sainte-Valère) オルガン奏者 (このときの正オルガン奏者はセザール・フランク César Franck, 1822 - 1890) を務めました。1861年にはローマ賞第一等を受賞し、留学先のローマでジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ (Giovanni Pierluigi da Palestrina, ca. 1525 - 1594) の音楽に強い印象を受けました。

1863年から1869年までサント・クロチルド聖堂聖歌隊指揮者、1870年代初頭に演奏会協会 (Société des Concerts) 指揮者を務め、1877年にカミーユ・サン=サーンス (Camille Saint-Saëns, 1835 - 1921) の後任としてマドレーヌ教会 (Église de la Madeleine) 大オルガン奏者に就任。母校のパリ音楽院で教員となり、1871年から1891年まで和声法、1891年から1896年まで作曲法を教え、1896年から1905年まで院長を務めました。1905年のローマ賞で、有力視されていたモーリス・ラヴェル (Maurice Ravel, 1875 - 1937) が一次予選で落選したこと、本選出場者全員が審査員シャルル・ルヌヴー (Charles Lenepveu, 1840 - 1910) 門下だったことがスキャンダルとなり、責任を追及されたデュボワはパリ音楽院院長を辞任することとなりました。また、1884年から1896年まで音楽視学官 (inspecteur d'éducation musicale) も務めています。音楽理論に関する著書に『対位法とフーガ概論 Traité de contrepoint et de fugue 』(Paris: Heugel, 1901)、『理論的で実践的な和声法概論 Traité d’harmonie théorique et pratique 』(Paris: Heugel, 1921) などがあります。1924年6月11日にパリで亡くなりました。

教え子に以下の人物がいます。

出典:

2024-06-04

150th Birth Anniversary of Carl Wilhelm Kern

Carl Wilhelm Kern (Germany/USA, 1874 - 1945) - 8 Easy and Melodious Recreations for the Pianoforte, Op. 392; No. 6. Mayflower Gavotte. Tempo di Gavotte (C major).

今日はドイツ出身の米国の作曲家・オルガン奏者・ピアノ奏者・音楽理論家・音楽教師、カール・ヴィルヘルム・ケルン (カーン) 生誕150年の誕生日です。今回はケルン作曲「ピアノのための8つの易しく旋律的なレクリエーション Op. 392」より第6曲「メイフラワー・ガヴォット ハ長調」を弾きました。メイフラワー (Mayflower) というのは、サンザシ属 (Crataegus) など五月に咲く様々な花を指すようです。

カール・ヴィルヘルム・ケルンは1874年6月4日にドイツ帝国ヘッセン大公国シュリッツ (Schlitz) で生まれました。父のカール・アウグスト・ケルン (Karl August Kern, 1836 - 1902) に学んだのち、マインツのパウル・シューマッハー音楽院 (Paul Schumacher’sches Conservatorium der Musik. 現在のペーター・コルネリウス音楽院 Peter-Cornelius-Konservatorium der Stadt Mainz) で、パウル・シューマッハー (Paul Schumacher, 1848 - 1891) にピアノを、フリードリヒ・ルクス (Friedrich Lux, 1820 - 1895) にオルガンを、アーダム・コイ (Adam Coy) に作曲法を師事しました。

1893年に米国に渡り、同年から1894年までイリノイ州のエルムハースト音楽大学 (Elmhurst College of Music) のピアノ、オルガン、和声法の教員、1894年から1895年までウィスコンシン州メリルのオルガン奏者、1895年から1898年までオハイオ州のスプリングフィールド音楽学校 (Springfield School of Music) の教員、1898年から1903年までオハイオ州のデニソン音楽学校 (Dennison School of Music) の教員、1903年から1904年までテキサス州ダラス・バプティスト大学 (Dallas Baptist University) の教員、1904年から1922年までミズーリ州セントルイスのシュトラスベルガー音楽院 (Strassberger’s Conservatory of Music) の教員 (後に副学長)、1923年からセントルイスのオトマール・モル・ピアノ学校 (Ottmar Moll Piano School) の音楽理論の教員を務めました。セントルイスではシャッティンガー・ミュージック (Shattinger Music Company) で批評家・編集者としても活動しました。作曲家としては多くのピアノ曲や歌曲のほか、オペレッタ、合唱曲、オルガン曲などを書いています。1945年8月19日にセントルイスで亡くなりました。 出典:

  • Baker, Theodore; Remy, Alfred, eds. (1940). “Kern, Karl Wilhelm”. Baker's Biographical Dictionary of Musicians (4th edition). New York: G. Schirmer. page 580.
  • Krohn, Ernst Christopher (1924). “Kern, Carl Wilhelm”. A Century Of Missouri Music. Saint Louis: Privately Printed. page 114.
  • Carl Wilhelm Kern Archive”. Julian Edison Department of Special Collections. St. Louis, MO: Washington University. Retrieved 2024-06-04.